日本郵船・秩父丸の写真 2498L

● 日本郵船・秩父丸の写真 額入りジクレーアート
 ≪MS Chichibu Maru, NYK LINE≫


額縁・マットの色をプルダウンにてお選びください

日本郵船・秩父丸の写真 2498L

価格:

7,832円 (税込)

額・マット:
購入数:

送料無料。お届けはご注文後約7日です。価格にはアートプリントとマット・額縁、全て含まれます


商品名 :日本郵船・秩父丸の写真 2498L
作品名 :MS Chichibu Maru, NYK LINE
作者名 :anonymous
製作年 :1930s
額縁・マット : カマボコ型 12mm t=1.5mmx2枚ダブルマット 前面1.5mm厚クリアーガラス
          額縁とマット色をお選びいただけます
           ・黒艶消し額縁 X ブラウン/ライトベージュ・ダブルマット
           ・白ツヤ額縁 X ネイビー/ライトブルー・ダブルマット
額縁サイズ : 440mm x 365mm
作品サイズ : 335mm x 230mm (内側マット抜きサイズ、表側オーバーマット抜きは345 x 240mm)

・ フレームの詳細

額装色見本

・ ディスプレーイメージ : 大きさの参考にしていただくためのイメージ写真です

日本郵船・秩父丸の写真 2498L、ディスプレーイメージ

・ 額入りジクレーアートについて

当商品は伊勢和紙に顔料インクを用いたレプリカジクレープリントを、日本製の額装材料にてアート額装したものです。作品に奥行きを持たせるダブルマット(濃淡二重のマット)仕様です。
三重県伊勢市の伊勢和紙は江戸期より伊勢神宮奉書紙として漉かれ、伊勢神宮ばかりでなく全国の神社の神宮大麻(お札)として使用されています。インクジェットアートプリントへの取り組みに意欲的で、伊勢和紙アートペーパーは阿波紙と並ぶ新たなアート材料として世界中の写真家やアーティストに使用されています。無酸性和紙に顔料インクを使用することによりシルクスクリーン、リトグラフ、オフセットプリントに比べ、格段に耐光性・保存性が良く、長期にわたって鑑賞に耐えます。表面テクスチャーはマーメード紙やキャンソン紙程度の強さを持ち、厚めに乗せた顔料によって深みのある風合いが楽しめます。
製作にあたってはデジタル撮影、またはスキャニングした画像データに経年保存による傷の補修、色あせや黄ばみは原画の表現を損なわない範囲で色調・彩度の可塑修正を施し、再度、作品ごとの印刷プロファイルを微調整して仕上げ、新たなアート作品としてお楽しみいただけます。


● 日本郵船 秩父丸の写真

日本郵船の海外航路は、ボンベイ線(1893年)、欧州線・豪州線・シアトル線(1896年)と順次開設され、日本郵船は日本のフラッグキャリアーとして世界的な海運会社に成長してゆきます。日本郵船が北太平洋航路の着港として選んだのはシアトルで、競争の激しいサンフランシスコ線よりは、グレートノーザン鉄道からの強い勧誘も手伝いシアトル航路で差別化を図りました。一方で、果敢に花形航路のサンフランシスコ線に乗り出したのは浅野総一郎の東洋汽船で、サザンパシフィック鉄道の手引きを得てパシフィックメール(PM)、オリエンタル・アンド・オクシデンタル(O&O)との共同運航(航路をシェアすることで一社あたりの船腹を少なくして定期運航ができる)に漕ぎつけます。1898年、早速建造した日本丸級三隻で好業績を上げるものの、提携先のPM社から東洋汽船の撤退を促すかのような交渉が持ち込まれると、1908年には逆に日本初の1万トン級客船、天洋丸級客船を三隻建造して攻勢に出ます。しかし1920年代になると、新たに乗り込んできたカナディアンパシフィック(CPL)、パシフィックメール改めダラーライン(後のAPL)が次々と新船を投入、有力な後援者であった安田財閥の安田善次郎が暗殺されると東洋汽船の命運も尽き、財界と政府の仲介でサンフランシスコ線の事業を分離して日本郵船に合併させることになりました。東洋汽船のサンフランシスコ線事業は意外に評価が高く、日本郵船にとっては決して有利な条件ではなかったといわれますが、破談になって合併話が大阪商船に持ち込まれることを避けるために合意に至ったと言われます。
こうして生まれた日本郵船のサンフランシスコ線ではあったものの、競合相手が手加減する訳もなく引き継いだ天洋丸では太刀打ちできず、これを機に日本郵船は欧州線に靖国丸・照国丸、シアトル線に氷川丸・日枝丸・平安丸、そして新たなサンフランシスコ線に浅間丸、龍田丸、秩父丸、一挙七隻の新造船を投入する決断をします。中でも世界的に見ても花形航路のひとつであったサンフランシスコ線の浅間丸級には力が入れられました。
このようにして誕生したのが日本郵船・浅間丸級三番船の秩父丸でした。浅間丸と龍田丸は三菱長崎造船所へ発注され、秩父丸は川崎造船所に発注、それぞれ主機はスルザー社、B&W社のディーゼルに決定しました。ところが、1929年以降の恐慌で川崎造船所が経営危機から秩父丸建造を辞退、慌てて長崎造船所に打診するもB&W社主機では建造不可との回答、大荷主である三井物産がB&W社の代理店であったため主機変更もできず、急遽横浜船渠にて建造されることになります。秩父丸は浅間丸と龍田丸の二本ファンネルに対し機関の違いで一本ファンネルの端楚な外観にて竣工、トン数17526トン、出力20000馬力超と姉妹船を上回り、1988年に商船三井のふじ丸(三菱神戸造船所)が竣工するまで60年近くに渡って日本で建造された史上最大の客船の座にありました。1930年4月サンフランシスコ線に就航、1938年には浅間丸、龍田丸に先駆けて太平洋横断100航海を達成します。1939年、鎌倉丸に改称、1941年7月に対米関係悪化によりサンフランシスコ線が運航停止になると海軍輸送船になり、途中日英交換船の役務を務め、1943年フィリピン・パナイ島沖で米潜水艦の雷撃を受けて沈没しました。
航空機から上部俯瞰で撮影された太平洋航行中の秩父丸の写真、日本では航空機から撮影された写真は多くはなく貴重なワンショットといえます

・ 雑感

秩父丸は、現埼玉県秩父市の秩父神社が船名の由来でした。しかし1937年に、ローマ字の表記法をヘボン式から訓令式に改める内閣訓令が出されChichibu-maruをTitibu-maruに改めなければならなくなり、このTitiが英語の下卑な俗語にあたるために、一旦は従前のヘボン式表記が認められたものの、再度表記変更を求められたために1939年、鎌倉丸に船名を改称しました。神奈川県鎌倉市の鎌倉宮(祭神は護良親王、建武の新政への貢献を称え明治天皇の命によって造社)にちなむもので、船橋の神霊も祭り変えられました。現在、横浜の日本郵船歴史博物館には浅間丸級ネームシップの浅間丸とともに鎌倉丸と船名改称した秩父丸の1/48の竣工模型(全長3.6m、名工、籾山模型製作所制)が並んで常設展示されていますが、これもまた竣工時の模型故、船名が書きかえられた跡が見られます (T.O.)

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