海 ポスター : 客船クィーンエリザベス
戦後、定期客船黄金時代の最後を飾ったキュナードのクィーンズ姉妹の妹船、客船クィーンエリザベスのニューヨーク港での写真のポスター。姉のクィーンメリーより一本少ない二本煙突の端正な姿は海に映え人気がありましたポスターの解説
大西洋定期客船の2隻体制によるウィークリー運行には巡航29ノット、約丸4日間で大西洋を渡る必要がありました。ドイツはブレーメンとオイローパ(英語でヨーロッパ)を建造するものの、27ノットの巡航速度しか出せずに失敗、次にフランスはノルマンディーを建造しますが一隻のみ、キュナードはクィーンメリーとクィーンエリザベスで2隻体制でのウィークリー運行の実現を狙います。Queen Elizabeth=クィーン・エリザベスは83600トン、先に就航していたクィーンメリーとともに、史上初の2隻体性による大西洋ウィークリー運行に就くところでしたが、1939年、竣工の前日に英国は第二次大戦参戦、一度も旅客を乗せることなくドイツ軍の空襲を逃がれアメリカに回航されました。戦時中は姉妹艦のクィーン・メリーとともに兵員輸送のために海を走り、戦後になってから、本来の役割、クィーンメリーと二隻体制の英国・アメリカ間の定期航路の主役に就きました。クィーンメリーと姉妹艦であったため、船体と機関の基本的な設計は同じでしたが、排気系統の技術の進歩により煙突はクィーンメリーの3本に対し2本に減り、煙突の数が多いほど速く見えて良いという定説を覆し(有名なタイタニックの4本煙突のうち一本はダミーでした)、その均整のとれた外観はクィーンメリーの人気を越えるものがありました。竣工時にはクィーンメリーとノルマンディー(フランス)で熾烈に争われていたブルーリボンの獲得(最速の大西洋横断に与えられる)が十分狙える巡航30ノットの性能がありましたが、戦時の酷使がたたり、ブルーリボンには手が届きませんでした。オーシャンライナー黄金時代の最後に建造されたクィーン・エリザベスの1948年、ニューヨーク港での写真のポスターです。フレーム入りポスターの仕様
作品名 :S.S. Queen Elizabeth leaving the pier, 1948 クィーン・エリザベス・リーヴィング・ピアー・1948作者名 :Rosenfeld Collection ローゼンフェルド・コレクション
製作年 :1948
出版元 :Mystic Seaport
印刷国 :U.S.A.
額縁・マット : 白カマボコ 12mm、濃紺暗灰色マット、前面1.5mm厚クリアーガラス
額縁サイズ : 320mm x 260mm
作品サイズ : 225mm x 175mm (マット抜きサイズ)
ポスターのフレーム(額縁)詳細
ポスターの作者について
モーリス・ローゼンフェルドは1885年オーストリアに生まれ、一家はアメリカに渡りニューヨークで育ちました。彼は写真家の道を選び、当時アメリカで最も有名な海の写真家のひとりであったエドウィン・レビックの下で働きます。独立して自らのスタジオを持ったのは1910年、海の商業写真の仕事は順調で、モーリスの3人の息子たちは次々と父の仕事に参加することとなります。1929年、そのキャリアの頂点でエドウィン・レビックが急逝しました。レビックはアメリカズカップのオフィシャルフォトグラファーでしたが、1930年のレースではレビックの急逝を受けて、ローゼンフェルド達も撮影に参加しました。以後、ローゼンフェルド家はアメリカで並ぶべきものが無い存在としてアメリカズカップをはじめとするアメリカの海のシーンを撮り続けました。1968年、モーリス・ローゼンフェルドは亡くなり、それ以降も有名な”Flying Spinekers"や"Once in a Lifetime"を撮ったスタンレーを中心にビジネスは続けられましたが、1984年100万枚にも上る膨大なネガ・フィルムは、コネチカット州のミスティックシポートミュージアムに売却されました。1983年、永遠と思われていたアメリカスカップの防衛に敗れカップがオーストラリアに渡ったことや、アメリカズカップが変貌しスポンサーのロゴが大きく描かれるヨットの写真を撮ることに意義を見出せなかったのだといわれます。2002年スタンレー・ローゼンフェルドはマイアミの自宅で永眠しました。ローゼンフェルド家の作品は、写真集"Sail & Sailing"(重版未定、市場在庫のみ)、"A Century Under Sail"(スタンレー自身による編集)、"Sleek"に見ることができます。ポスター 詳細
※著作権保護のため透かしを入れていますが、実際のポスターには入っていません














