海 ポスター : 日本郵船 客船の復刻ポスター ”氷川丸”
客船の花形であった北太平洋航路で唯一、戦前の黄金時代と定期航路運行の終焉を現役で全うした氷川丸の復刻ポスターですポスターの解説
現在は横浜山下公園前に係留保存される客船、氷川丸。客船の黄金時代に向う1920年代、日本の海運は東アジアでこそ大きな存在感を持ってはいましたが、一歩太平洋へ出れば、カナディアンパシフィックに見劣りしたものでした。日本郵船は太平洋航路定期運航での覇権を握るべく1930年から1931年に新造船を一挙に6隻投入しました。1930年サンフランシスコ航路に浅間丸、龍田丸、秩父丸、1931年にはバンクーバー・シアトル航路に氷川丸、日枝丸、平安丸を就航させたのです。それぞれ3隻体制で、月2回の定期運行でしたが、シアトル航路は北緯50度を越える過酷な海域をとるため、太平洋の女王と謳われた浅間丸よりも、鋼板を厚くするなど頑丈な設計がなされました。航空機時代以前は、北米西海岸の太平洋の玄関口はカナダのバンクーバーやシアトルでした。大陸横断鉄道が直結していたためです。戦前のシアトルは、日本郵船が造った町といわれ日系人も多く、物資輸送も鉄道で北米東部に直結しているという意味からもシアトル航路は重要でした。結果的には、運もあったのでしょうか、その頑丈さ故、幾度の触雷にも耐え、1万トンを超える商船で唯一第二次大戦を生き残る船となりました。戦後は、引き揚げ船として使われた後、1950年に戦後初めて太平洋の渡航、サンフランシスコ平和条約後は貨客船として北米航路に復帰、1953年には懐かしのシアトル航路に復帰しました。しかしながら、もうすでにこの当時、船齢的にも、戦時の酷使の面からも日本郵船は氷川丸引退を考えていましたが、1964年の東京オリンピック開催に向け、日本政府が日本郵船に補助金を歳出して新造船を2隻就航させる計画が持ち上がり、航路維持とサービス体制の維持のため運行は続けられます。しかし、皮肉なことに、氷川丸が目指したシアトルに生まれたボーイングの成功は一気に航空機時代の到来を告げます。日本では伊勢湾台風の復興のため、新造船への補助が中止になります。1961年、氷川丸は引退、そして日本郵船も太平洋の客船定期運航から撤退しました。思えば、ただ一隻で太平洋航路の歴史を支えた船が氷川丸だったかもしれません。このポスターは、寄航地としてホノルルが加えられています。はっきりした年代はわかりませんが、時間を競う定期運行に観光目的のハワイ航路が加えられ、収益力の維持を図っていると思われる点から、1950年代の遅い時期に描かれ使用されたものと考えられます。フレーム入りポスターの仕様
作品名 :Hikawa Maru 氷川丸作者名 :
製作年 :1950's
出版元 :日本郵船歴史博物館
印刷国 :Japan
額縁・マット : 黒パール 40mm、ライトパープルマット、前面1.5mm厚クリアーガラス
額縁サイズ : 620mm x 800mm
作品サイズ : 420mm x 660mm (マット抜きサイズ)
ポスターのフレーム(額縁)詳細
ポスターの作者について
作者不詳ポスター 詳細
※著作権保護のため透かしを入れていますが、実際のポスターには入っていません














