03/16 朝日新聞「時どき街まち」の取材

オーシャンノートは、有償無償を問わず一切のメディア掲載やリンクをお断りしている。だが、昨日、署名の純記事で、かつ、小野寺個人が受ける取材という条件だったので朝日新聞の「時どき街まち」という金曜夕刊コラムのための取材を受けた。クイーンエリザベス2の日本初寄港の時に実際に大さん橋に行った人物を探しているとのことだった。病的ともいえる(笑)商品説明の文章と店長日記が目に留まったようだ。コラムはテキスト部分で2段なので書けることも多くはない。それなのに2時間ちょっと、ずいぶん内容の濃い取材をするものだと感心させられた。結局、僕の半生を語る羽目になった(笑)。しかし、感心したのは、バックボーンをしっかり理解して記事を書こうとする姿勢である。近頃問題になっている、まとめサイトなるまがい物・・・新聞だって週刊誌だって、今どきは「どうせコピペだろ?」と思えば大間違い、久々に「マスコミ」の良心があるところにはあるものだと半ば反省させられた。

今どき、サービスを含めた消費材を扱う会社にパブリシティ活動は欠かせないものだ。そして編集者や記事の書き手の机の上には果てしなく送り続けてくるプレス資料が山積みになってゆく。普通にやってりゃ、なかなか見てはもらえないし、まして記事に書いてもらえることも少ない。そこで会社は、プロのパブリシティ屋さんを雇う。彼らは編集者とはツーカー、持ちつ持たれつの人間関係を構築済だから、内容が読者にウケる(ためになる)ものであれば書いてくれる。そういうパブ屋さんという人たちを雇う料金は・・・書きません(笑)

憲法で保障される表現の自由に則り、誰が何を書こうが公序良俗に反しない限りは自由だ。無論、まとめサイトなるものの著作権侵害は論外だが。表現の自由がある限り、その記事がお金を出した提灯記事でない限り内容に文句は言えない。

今でも忘れないし、我が家と親しいお客さんとの間で笑い話になっているのは、横須賀上町の店をやっていたころ、大和ミュージアムなんかでも売っていた戦艦大和のミニチュアのオープンバージョンを100隻ばかり買って売っていた時のこと。良く立ち寄ってくれた横須賀のタウン誌の記者さんがその模型に目を止めてタウン誌に紹介してくれた。さすが、元軍港の横須賀だけあって記事を見て良く売れたのは良かったが、その手のお客さんは他の一切に見向きもしないから、僕が思う本筋とは遠くかけ離れたお客様層だった。おまけにクレーム・・・「何で赤城が無いんだ!」 僕に言われてもねえ・・・(笑) とあるクルーズ雑誌に上町の店が紹介されたときも同様だ。コレクターと思しき方々がいらして延々とコレクション自慢と一家言、おまけに言われなき批判である。メディアというもの、必ずしも思うようには物事が伝わらないものと痛感したものだ。結局、そんなこんなでメディアは一切お断りということにしたわけだ。商品も絞りに絞ったし、ウェブで見た以上でも以下でもない、これがあるべき姿勢と思っている。

朝日新聞の方は、不要と言ったが、これまた丁寧にもゲラを送ってくださるそうだ。行き場を失っているという史上最も美しく、個人的には完成度が高かったと思えるQE2、たまにはあの日を思い出すのも悪くない。お陰で、僕もあの日あの頃の事を思い出したりした。もうすぐお彼岸、図らずも大さん橋へ連れていってくれた亡き父を思い出す(2017,3,16)

10/19 2020年東京五輪・・・日本の恥!即刻返上せよ!

あまり非難はしたくはないが・・・

「2020年の東京オリンピック」は、つくづく筋の悪いお話だと言わざるを得ないと思うのは僕だけだろうか?もう、みんな忘れていると思うから、今一度思い出して欲しいが、そもそも開催地決定のコンペでは、あのザハ・ハディト設計のメーンスタジアムがデーンと構えていた。まさか、メーンスタジアムのデザインだけで開催地を選んだのだとは言われることも無かろうが・・・恥ずかしいオリンピックである。これが、わが国で起きている無様な始末だから、連日の報道やらワイドショーの騒ぎで詳細を聞いていて、ややもすれば感覚もマヒしているが、もし、お隣の国や三軒隣のお国のお話だったら僕たちはどう感じるだろう。「やっぱ、あの国はこんなもんだよ。嘘ばっかり、だらしないんだ」と感じやしないだろうか?

メーンスタジアムの設計を白紙から直して、ロゴマークは盗作騒ぎ、いくつかの競技場は変更しようという方に、無責任な一般世論は傾いている。素人考えながら、一般市民感覚でいえば、「開催地に応募した時のプロポーザルと全然違うじゃん!」となりはしなどうか?これって、子供か見たってわかることだ。

そりゃあ、いろいろ「事情」もあるだろう。だが、これまたあえて書かせていただけば、オリンピックを良いことに「濡れてで粟」と踊った輩の所為で、こんな情けないお話になってること、猛省していただきたい。それと、「スポーツ!スポーツ!」とスポーツと名が付けば、それは神聖にして犯すべけではない聖域と思っていたら大間違いである。スポーツは・・・ビジネスに成り下がった。メダリストの皆さんの努力と精進は率直に称えるべきもので、これに異論はないが、一方で、美しきアスリートたちの御尊顔の向こうに、すぐにタニマチの企業さんのロゴマークが浮かびやしないだろうか?「アスリート・ファースト」も結構だが、彼らが気持ちよく飛んだり跳ねたり走ったりするために、僕らは税金を払っている訳じゃない。スポーツに群がる人々は、余り偉そうにして欲しくないし、いい加減にして欲しい。スポーツ亡国論になりかねませんよ、日本は(笑) まあ、この国は、それだけお金のやり場が無くなって居ることの証左かもしれないが、だったら少しは国債の発行をスピードダウンした方が宜しくはなだろうか?尤も、僕は財政規律派ではなくて、未だにケインズにまだ望みをかけてる方だけど・・・

今からでも遅くはない、2020年のオリンピック開催を返上するべし・・・である。こんな、ばかなことをやっても景気浮上にもならないし、銭と政治の匂いしかしない茶番は即刻中止されるべきものだ。今に始まったことではない、僕は最初から反対である。(2012年の日記・・・おお、懐かしい、猪瀬さんが都知事かぁ・・・)(2016,10,19)

05/31 無償回収?

電気ストーブ無償回収

世情、品質管理が厳しくなっているのか、はたまた実際に工業製品の品質が落ちているものかはわからないが、所有の電気ストーブが無償回収、代金返金の対象になっていた。中国のメーカーだったようだが、電話をすると対応は大変に宜しく、すぐにヤマト運輸が回収にきてくれるとのことだ。(商品はEUPAというブランドで、TSK-5303Qというもの)

この手の話も、多いものか少ないものか三度目である。ひとつはポータブル型のDVDプレイヤー、もうひとつはモデムか何か、そしてこれである。おまけに・・・現在の愛車は日産のデイズで(笑)、さすがに無償回収にはならない筈だが、工業製品もなかなか大変そうである。

ふと思い出したのが、亡父から聞いたカンマツの電球の話。カンマツの概・・・一般論では東芝が米国のMAZDAのライセンスを買って、電球やら真空管を作っていたそうで、これを秋葉原の業者が偽物を作り「神田製のマツダ=カンマツ」と呼んだのだそうだ。品質は劣ったとあるが・・・・・・さて、鶴岡市の亡父の実家はタバコ屋を主業に荒物全般から駄菓子まで商う商店だったが、古い写真を見ると店先には「マツダランプ」の看板が見える。マツダの電球を売っていたのだが、後に東京で家電店を興した父は、すでに中学の頃にはラジオを組みたてては近所の人に売って、小遣い稼ぎをしていたそうで、材料を買うために夜汽車で秋葉原にも行っていた。で、ラジオの材料とともに担いで帰ったのが「カンマツ」の電球だったそうだ。聞けば、一般に回顧される話とは違って、電圧の不安定な戦後間もない頃でもあって、少なくとも鶴岡ではマツダの電球はやたらと切れるものだったらしい。ところが、亡父によれば「カンマツ」の方は電気は多く食うのだが切れない。結構喜ばれたと聞く。亡父には良い小遣い稼ぎだったようで、ラジオとカンマツで往復の汽車賃を出して十二分におつりが来たと聞いた。

しかし、このストーブ、横須賀上町の実店舗をやっていた時、とにかく滅法寒い街に耐えられず(何でも北側の一本裏は古い排水路が埋まっている関係で寒いのだと古くからいる人が教えてくれた)、たまらずホームセンターで手に取ったものだ。あの寒さから少しだけ僕を救ってくれた思い出深いヤツでもある。だから、点かなくなったので温度ヒューズを交換しようとバラシていたところ、温度ヒューズの位置を確かめようとググっていたら無償回収対象だったというわけだが・・・上町時代に愛用したものは、苦楽を共にした思いがあるものか、寂しい(2016,5,31)

05/05 Spagetti al KUMAMOTO

クマモトパスタ

連日、熊本の震災関連の報道が絶えない。営業マンだった頃は、売り込みやら納品で全国を飛び回ったものだが、九州は福岡・長崎の両県以外には仕事でも旅行でも行ったことがない。震災後、早い時期の報道で「農産物への影響が少なからず出る」と言っていたが、その中でトマトの生産量は熊本県が全国三位なのだと例に引いていた。

四月に入ると好物のメカブがスーパーの店頭からぱったりと姿を消す。横須賀ではワカメは二月解禁なので地物は二月からだが、東北(岩手)は一月解禁だそうで、一月の岩手産、二月・三月の横須賀産で都合三カ月、我が家の食卓に欠かせなかったメカブも四月になるとなくなる。季節が移って重要なルーティンの食材が無くなると狂いが生じるもので、秋以降、毎週恒例だったアサリと小松菜のパスタもどことなく気乗りがしない。四月の初め、そんな時に目にしたのが巨大なトマトである。そのまま食べるには気が引けるくらい大きい。ところが、このトマトを見た瞬間にひらめいた。家族一同の栄養上の観点からアサリは食べたい。アサリと巨大トマトでパスタ。

ヒントになったのは、数年目に家内が勤務先だった幼稚園で栽培していたプチトマト「アイコ」のパスタ、かつて料理人気取りでイタリア料理のパーティをやってた時の定番ブルスケッタ、それとあの山田シェフで一世を風靡したトマトの冷製パスタ・・・巨大なトマトを手に取った瞬間にこの三者が頭の中で合体した。

合体したのはいいけれど、いざ台所に向かうと難しい。一考を要したのはパスタ自身の塩気をどうするかであった。パスタの塩気を最低限にして、トマトへの下味で味を決めることとした。巨大トマトは湯剥きせず、そのまま1.5cm角くらいに切って、ボウルで塩・コショウ、ザクッと混ぜて少し水気が出たらオリーブオイルを加えて混ぜてマリネ状態にしておく。フライパンでミジン切りのニンニクを少量のオリーブオイルで香りを出す。トマトの方のオリーブオイルがメインなので、可能な限り少量で。ニンニクは通常よりも、軽めに火を通すようにする。ブルスケッタに入った生のニンニクをイメージしてやると宜しい。アサリを加えて、少量の水で口を開けさせ、殻を取り除いておく。サッパリ感を活かすなら断然白ワインより水、アクアパッツァといったところか。ここまでのフライパンの作業がこのパスタのセンシティヴなところだ。パスタが茹であがったらアサリのフライパンに投入、パンをあおりながらアサリの汁気を吸わせて、汁気が減ってパンがあおりにくくなるあたりでマリネ状のトマトを投入、強火にして熱を加えてパンをあおるとトマトの水気が出てくるので、これを少々吸わせる要領で仕上げる。皿に盛ったらバジルを散らす。

準備も手数も大したことはないが、まさに日本的な繊細さで仕上げるびっくりするような美味しさである。かれこれ30年もパスタを作ってきたが、これぞヌオーヴァ・クチーナ。それも、ヌオーヴァ・クチーナに良くあるような、見た目ばかりで味同士がそっぽを向いているようなわざとらしさもない。最初の時は、この手順を何度も反芻しながら緊張してやったので結構疲れて「二度と作らない」と言ったのだが、家内と娘たちの絶賛に押されて定番となってしまった。「二度とやらない」つもりだったので「幻のパスタ」と呼んでいたが、それもこれもあの巨大なトマトが「ヤル気」を引き出してくれたお蔭・・・そして、これが熊本産、おまけにいつも買うアサリも熊本産・・・そして震災・・・この一皿を「Spagetti al KUMAMOTO」と呼ぶことにした。

早、震災がら一月近くなる。幸い、熊本産のアサリは並ぶ量が減ったものの手に入らないほどではなく、熊本産の巨大トマトも無事に入手が出来ている。なんらボランティア出来るわけでなく心苦しくもあるが、せめて当分、せっせとクマモトパスタを頂くことしようと思う(2015,5,5)

03/12 日本郵船氷川丸 重要文化財指定

日本郵船の氷川丸が国指定重要文化財になることになったそうである。もう10年も前から、このブログで度々書いたことだが、氷川丸は日本はもとより世界的に見ても重要な人類遺産である。現代の大型客船は、言うまでもなく遊覧船であるわけだが、航空機時代以前は、客船は大陸間を移動する唯一の交通手段であり、国際間で認められた航路を獲得し維持することは、いわば道なき海上に専用のハイウェイを持つことを意味した。従ってこれが無ければ貿易も外交も成り立たない。いわば国家の生命線であったわけである。ちなみに、日本と他国の海軍の負う職責に対する基本的な発想の違いは、例えばスペイン、ポルトガル、オランダ、フランス、イギリス・・・どの国も、海軍は自国の貿易船を守るために海軍が作られた。日本の海軍は・・・戦争をやるために作られた海軍であった。だから、最初から太平洋戦争は間違っていた。アメリカや敵対国の資源禁輸措置に対して、「国家」として維持すべきは資源確保が第一であり、どこぞの国の戦艦と一戦交えることばかり考えては・・・本末転倒とはこのことであった。それはそれとして、日本が明治人たちの努力によって大国の一角を占めることに、大きな役割を果たしたのが海運であったことは言うまでもないことだ。つまりは、本当の国力は軍事力ではなく、海運力であった。世界の列強が競い合った黄金時代の華は客船である。そして、意外にも・・・黄金時代の大陸間の大洋横断客船で現代まで浮いて保存されているのは・・・戦前のものではクイーンメリーと氷川丸だけなのである。そして加えるならば、クイーンメリーは1936年就役(1930年起工)、氷川丸は1930年就役(起工は1928年)・・・つまり氷川丸は現存する最も古い鋼鉄製のオーシャンライナーなのである。文化財どころか・・・もう50年も浮いていられたら・・・世界遺産になるかもしれない・・・と思っている。

昨年、2015年1月27日の神奈川新聞に氷川丸の今後の保存の難しさについての記事が掲載された。船舶工学と海洋行政の権威であられる庄司邦昭さんへの取材記事である。

以下引用-
ミナト横浜のシンボルとして親しまれている「氷川丸」と「日本丸」の保存をめぐる動きに注目が集まっている。戦前から活躍した両船は老朽化が進み、廃船の危機が迫っているとの指摘も。造船工学に詳しい国土交通省運輸安全委員会委員の庄司邦昭さんは「日本海運の歴史をいまに伝える貴重な海事文化遺産だ」と訴え、国の重要文化財指定など保存に向けた機運の高まりに期待を寄せる。
日本郵船氷川丸と帆船日本丸はともに建造から85年を迎える。庄司さんは「日本の重要文化財にふさわしいだけでなく、世界でも重要な海事遺産」とその価値を指摘する。戦時中に病院船として徴用された氷川丸は機雷に3度触れながら、沈没を免れた逸話も残る。庄司さんが特に評価するのが、鋼鉄製の船体の外板をつなぎ合わせている「リベット構造」。この技術を用い、現在も浮かんでいる船は国内にほとんどなく「保存によって戦前の造船技術を後世まで伝えることができる」と訴える。保存に向けた動きが急がれる理由がある。氷川丸は1961年、日本丸は98年を最後に大規模修繕を行っておらず、船体の劣化については両船の船長とも「正確には分からない」と口をそろえる。氷川丸は日本郵船、日本丸は横浜市が所有し、維持管理に当たっている。ともに「100歳を目指す」との目標を掲げるが、具体的な動きはないのが現状だ。氷川丸、日本丸と同じ年に建造され、富山県の富山新港で係留されている「帆船海王丸」は船底などの大規模修繕に約4億5千万円を要したといい、日本郵船の幹部は「あと5年程度は管理できるが、建造100年の2030年まで保存するには国の支援が必要」との認識を示す。
想定しているのは国による重文指定で、指定されれば国の補助金が受けられるようになる。ただ調査から指定に4、5年はかかるとされ、帆船日本丸記念財団の幹部は「重文指定に動きだすなら今年がラストチャンス」とみている。

■「廃船」も選択肢
では、実現可能な保存方法はどのようなものが考えられるのか。庄司さんは「浮かべた状態で保存するのは良いことだが、100年という例は世界的にもない」と腕組みする。日本丸のあり方をめぐって横浜市が10年に設立した帆船日本丸保存活用検討委員会の委員長を務めた。当時の結論は「可能な限り現在の活用を続けながら氷川丸とともに建造100年を目指す」。この時念頭にあった「市民らが継続して活用できることを優先して考えるべき」との思いはいまも変わらないという。日本丸では市民ボランティアが参加して帆を張る「総帆展帆(そうはんてんぱん)」など観光イベントが実施され、氷川丸でも豪華客船の面影を残す客室の見学会などが催されている。「何が何でも今のままの状態で保存するべきというものではない。引き続き市民に親しんでもらえることこそ大事」と強調する庄司さんは「外観や利用者の安全性が保てるならオリジナルにこだわらず、新しい素材や修繕方法を導入する選択肢もある」。そうすることで補修や維持にかかる費用を抑えることも可能になると説く。それでも費用を負担し切れない場合は「廃船にして陸上で保存する道もある」。国の重文で、東京都江東区の東京海洋大敷地内に設置されている灯台巡視船「明治丸」や横須賀市の三笠公園にある記念艦「三笠」のように建築物として管理するというものだ。この場合は船内での活動や公開が制限される可能性があるという。

■市民の理解必要
いずれにせよ保存には市民の理解と協力が不可欠だ、と庄司さんは強調する。「市民共有の文化財という意識が高まってほしい」。そうした機運は重文指定の追い風になり、国の補助金が出たとしても、それは自分たちが納めた税金にほかならないからだ。好例として庄司さんが挙げるのが、英国・ロンドン郊外のドックで保存展示されている帆船「カティー・サーク」。1869年に建造され、中国から紅茶などを運んだ当時世界最速の帆船。2007年、改修工事中に出火し、船首を残してほぼ全焼してしまった。復元には4600万ポンド(約65億円)が必要とされたが、保存団体が寄付を呼び掛けると市民らから資金が集まり、英政府による300万ポンドの支援もあってロンドン五輪の12年までに再建がかなった。現地を訪ねた庄司さんは「父親がわが子に説明しながら見学している様子が印象的だった。市民は自分の町の宝物のような感情を抱いていた」。伝統を重んじる国柄もあり、市民の愛着が保存運動の根底に息づいていると実感した。庄司さんはシンポジウムや見学会などを積極的に開くことで船がたどった歴史を学ぶ機会を増やし、愛着を持ってもらうことが必要と考える。そこで強調するのが、これまで保存に向けた取り組みに市民が果たしてきた役割だ。氷川丸は1960年の引退でスクラップにされるところを市民らが県や市とともに山下公園前での係船を求めた経緯がある。日本丸の誘致活動をした84年には約83万人の署名が寄せられ、基金が設立された。その後、日本丸は練習船として、氷川丸は係留船として船の機能が保てたのも、市民ボランティアや関係者らによる補修作業があったからだった。 歴史的、文化的価値は時代を重ねるごとに重みを増すと考える庄司さんは言う。「海運国・日本の玄関口である横浜港に浮かんだ状態で保存されていることに意義がある。歴史の生き証人をそろって残してきたことを横浜市民はもっと誇りに感じてもいい」-引用ここまで

あいにく、行政やら役所には縁遠く、一般市民の関知しないところで、一体誰と誰によって交渉やら検討がすすめられていたものかは知らないが、今朝の新聞の地域面に「氷川丸重要文化財指定へ」との記事を見て、僕にとっては突然のことで喜ばしくもあり、驚きもあった。もっとも知らなかったのは僕だけであり、昨夏頃には、各方面の活動や文化庁への強い働きかけが着々となされていたようである。過去の情報をあたると、昨年8月14日付け神奈川新聞には、1月の取材記事の続報として以下の記事が掲載されていたようである。

以下引用-
昭和初期の1930年建造で、横浜で係留、保存公開されている「日本郵船氷川丸」と「帆船日本丸」について、国の重要文化財指定を求める動きが今年から本格化する。戦前から海運国・日本を支え、戦火を生き抜いたが、船体の老朽化が進み、廃船の危機に直面している。国の支援で大規模な修繕を行うことで、そろって2030年の“百寿”を目指す考えだ。戦前に建造された日本の大型船は、第2次世界大戦で大半が沈没したため、ほとんど現存していない。造船工学に詳しい国土交通省運輸安全委員会委員の庄司邦昭さんは「両船とも日本の海運史を象徴する存在で、保存活用されているのは世界的にも珍しい」と高く評価する。海事文化遺産の保護は、世界的な潮流だ。海底資源開発や領海問題を中心に海洋への関心が高まる中、海洋教育を重視する国が増えているためだ。7月20日に日本で開催される国際海事機関(IMO)国際会議では海洋教育や訓練がテーマで、海事文化遺産の保護についても話し合う。関係者は、この機会に氷川丸や日本丸の重文指定に向けた機運を盛り上げていく考えだ。国交省などによると、会議前日に国内外の海事関係者ら約400人を招いて氷川丸で船上レセプションを企画。21日には日本丸などを視察する方向で検討している。同省担当者は「氷川丸や日本丸の長期保存に向けた動きに、できる範囲で協力したい」と話す。国会議員も氷川丸の重文指定に向けて動き始めた。超党派の「海事振興連盟」(衛藤征士郎会長)は、歴史的価値を踏まえて重文指定を目指す小委員会を設置。文化庁などへの働き掛けを進めている。文化庁の担当者は、木造の小型船が重文に指定されているほか、陸上に固定されている灯台巡視船「明治丸」は建造物として指定されている例を挙げて、「船舶も調査によっては指定の対象となり得る」との見方を示す。担当者は「氷川丸や日本丸は貴重な文化財として認識している」と関心を寄せている。氷川丸は03年に横浜市の有形文化財、07年には経済産業省の近代化産業遺産に指定されている。日本丸は市の文化財などに指定されていない。

◆歴史“証人”守れ
「市民の関心 大前提」
山下公園前の日本郵船氷川丸と、みなとみらい21地区の帆船日本丸。ミナト横浜を代表する風景となった2隻は市民ボランティアらの手で維持補修されてきた。船体の劣化が進み廃船の危機が刻々と迫る中、国の重要文化財指定が実現するかが注視されている。 氷川丸、日本丸ともに100歳に当たる2030年まで一般公開を前提に従来通り保存活用する方針だが、いずれも延命化には大規模な修繕工事が不可欠。氷川丸を所有する日本郵船は07年、10億円超を投じて船体の補強や内装などの修繕を実施。さらに13年までにさびを抑える樹脂塗料で外板を保護した。日本丸は1998年を最後に大規模工事を行っておらず、海水に接している鋼鉄製の外板が本来の厚さの6割にまでなっている部分もある。所有する横浜市は「必要な修繕はやっているが、100歳までもたせるための予算額や具体的な手法などはまだ決まっていない」とする。そろって保存活用を目指す理由の一つは、第2次世界大戦の“生き証人”だからだ。氷川丸は白色の船体に赤十字を掲げて病院船に、戦後は外地からの引き揚げ船として使われた。日本丸は帆装を外し船体をねずみ色に塗って輸送船として、戦後は南洋をめぐり旧日本兵らの遺骨収集に従事した。そうした歴史に加え、戦前の造船技術の粋が随所に生かされたことも評価が高い。造船工学に詳しい国土交通省運輸安全委員会委員の庄司邦昭さんが注目するのは、外板のつなぎ目などに採用されたリベット構造。「(溶接技術が確立した)現在では造船でリベットをすることはほとんどない。技術伝承の意味でも重要」と話す。特に氷川丸は、戦時中に沈没した日本の大型客船の豪華な船内意匠の面影が残り、生糸専用の船倉「シルクルーム」を備えるなど、日本経済の発展に果たした役割を今に伝えている。それぞれの船体の維持や補修にはボランティアが貢献してきた。日本丸では誘致以来、市民らでつくる「かもめ会」が毎年12回程度、すべての帆を張る「総帆(そうはん)展帆(てんぱん)」などを実施。2014年度の海事関係功労者として国交省関東運輸局表彰を受けた。氷川丸は日本郵船グループ社員やOBらでつくる「クラブ氷川丸」が、手すりなどの真ちゅう磨きや船内ガイドを行っている。ただ、係留から氷川丸が54年、日本丸が30年を迎える中、横浜の見慣れた風景として捉えられ、市民の関心が徐々に失われつつあるのが現状だ。庄司さんは、国の重文指定を受けるとすれば「少なくとも市民の関心と理解が大前提」と指摘。「指定されたらそれで終わりではなく、船を大事に保存する動きが市民に起きることが大切」と話し、横浜らしさの象徴としてさらに市民に親しまれ、愛される存在となることを期待している。-引用ここまで

で、昨日、2016年3月11日、日本郵船からは以下のようなニュースリリースが配信された。

以下引用-
当社が所有する「日本郵船氷川丸」が、3月11日に開催された文化審議会文化財分科会の答申を受け、近日中に行われる官報告示を経て、重要文化財の指定を受ける運びとなりました。海上で保存されている船舶としては、初の重要文化財指定となります。
今回の答申に際し、「日本郵船氷川丸」が評価された主なポイントは以下二点です。
社会・経済史上における役割・・・海外との輸送手段を貨客船が担っていた20世紀前半から中頃にかけて当時主要航路であるシアトル航路に就航。また戦時中には病院船、戦後直後には復員船・引揚船として活躍。
造船・工芸技術上の価値・・・1930年の竣工当時としては最新鋭の大型ディーゼル機関を搭載。またアール・デコ様式の美しいデザインが施された。船内のインテリアは、同様式が日本に直輸入された最初の建築意匠である。(後略)-引用ここまで

これは個人的要望というか・・・夢みたいなものだが、願わくばこの好機を活かし、氷川丸を往時の姿に復元していいただきたいものである。特に、外観上の後部デッキの復元は何としても実現してほしい。さすれば・・・本当に世界遺産も夢じゃない。いっそのこと、「日本丸と」なんて言わず、ロングビーチのクイーンメリーと御一緒に・・・と夢見るばかりである(2016,3,12)

02/07 戦艦大和のカレイライス

今日はたまたま素晴らしいテレヴィドラマを観た。「戦艦大和のカレイライス」という物語だった。

もうしばらく、東京での仕事以外はほとんどの時間を自宅から3分のこの仕事場で過ごしているが、ここではBS放送を見ることができない。「戦艦大和のカレイライス」は、NHKの各地方局制作の「地域発ドラマ」というジャンルに沿って制作されたものだそうで、初放送はNHK-BSプレミアム、2014年11月5日だったそうだ。ここで、ひとつ不満を述べておくが、NHKは番組の合間合間で放送の案内をするが、この短い予告編はどれも魅力的で、本放送の内容がこれに叶うか否かは別として、BSが見れない人もたくさんいるのだから見ることも出来ないBS番組への好奇心を無駄に煽ることは止めていただきたい。歯噛みばかりでは面白くもない。

「戦艦大和のカレイライス」は、そんな悔しい予告編で知ったものではなく、久しぶりに家族4人そろったので昼食に幸楽苑まで出かけて帰ってきたら、ネットの番組表で見かけたので点けてみたまでである。2014年11月5日のBS放映の再放送のようだが、BS初放送は59分だったらしく、今回は4分長い63分バージョンでの放映だったそうだ。

内容は、興味があればNHKのHPでご覧になっていただければ良いだろうし、wikiにもあるのでどうぞそちらを。僕は「宇宙戦艦ヤマト」のテレビ放映をリアルタイムで見たクチだが、こうして思い返すと、あの物語の何に惹かれたのかといえば、それはヤマトが海底に放置された戦艦大和を「改造」したフネだったいうところに他ならない気がする。無論、それは架空の物語であったとしても無理のある設定で、後年の続編では単なるカモフラージュとして放置された大和を使ったということになっているらしい。255年も前に海に沈んだ船の鋼板が使えることはありえないし、大体においてアニメのように外板をそのままに内部だけ新造するなんてこともありえない。でも、実際にはそのファンタジーが僕たちの心を鷲づかみにしたのは事実だ。

「戦艦大和のカレイライス」では、当時の大和の司厨員がタイムスリップして現代に来て、戦艦大和のカレイライスを再現するというお話だ。我が横須賀では余り美味でもない海軍カレーなるものが多数出現、いやしい根性丸出しでせいぜい観光振興を狙っているが(横須賀海軍カレーなんて横須賀の人間は食べませんよ。えらくいい値段だし・・・あれはどっかへの御遣い物用です。食ったことありません、笑)、「戦艦大和のカレイライス」では肝心のカレーに関する薀蓄は殆ど出てこない。その向きをご期待の方にはガッカリかもしれない。では、何が良かったかといえば、これまた「宇宙戦艦ヤマト」と同じファンタジーである。あまり小難しい戦争論やら平和論に振り回されずリラックスして見れば宜しいと思う。

NHKさんのことだから著作権にうるさく、残念ながらあちこちの動画サイトにはアップされていないし、某中国系、某米国系のサイトでは削除されている。2016年2月7日現在、google検索で「curry yamato」のキーワードで検索すれば、59分の初放映バージョンが英国系のサイトでご覧になれるかもしれない(笑)ダウンロードは違法行為なので、くれぐれも鑑賞のみに留められたし・・・である(2016,2,7)

01/30 根抵当(笑)

僕くらいの年代の人は、失敗した人が多いと思うが、ほほえましくも苦笑いのお話をひとつ。

バブル景気とは、定義では昭和61年12月から平成3年2月までの51ケ月に渡って起きた、主に不動産価格上昇に伴う景気拡大局面を指す。実は、僕は個人的にはバブル景気の恩恵を実感するような場面に出会うことはなかった。学校を卒業して就職したのは1985年、その翌年には会社が初めて取り組んだ輸入家具の新規事業に取り組むことになり、営業活動は即ち砂漠に水を撒くような新規開拓ばかりで、会社がやったこともない販路の創造はゼロにゼロを掛け続けるような日々で、とてもバブルの恩恵など実感できるもんではなかった。事業は残念ながらお世辞にも上手くいったとはいえず、残骸はプラス株式会社の沿革に1986年1月の出来事として「イタリア・オリベッティー・シンテシス社とオフィス家具の販売で業務提携」という記載が残るのみである。

職業人として「輸入家具の営業マン」になってしまっていた僕は、遠方への転勤を内示されて一旦は「プラスの営業マン」に戻って出直す決心をしたものの、タイミング宜しくハラ―ジャパン(現、株式会社インターオフィス)という会社へ誘われた。この会社が今も扱う、今では、事務用高級家具の世界的な大御所に名を連ねるスイスのVITRAだが、当時はハラージャパンが日本の輸入販売代理権をとったものの、年間数千万円の輸入契約が達成できない状況で、とうとう「営業マンは雇わない」というポリシーを曲げて、初めての営業専任者として僕に白羽の矢を立ててくれたのだ。一旦は「プラスの営業マン」としてやり直す決心をしたものの、「輸入家具の営業マン」としての自分の仕事に納得感を得ていなかった僕は、文具事務機大手から一介の零細な輸入商社へという、端から見れば落ちぶれるような転職を決意した。これが1988年秋のことで、世間はまさにバブル真っ最中だったらしい。

日本での知名度こそゼロに等しかったものの、僕は海外オフィス家具事情もせっせと勉強して熟知していたから、VITRAがどちらかといえば新興メーカーながら、いずれハーマンミラーやノルと同列の一流メーカーになるであろうと知っていた。だから、転職については誰もが思うようなリスキーさは感じておらず、むしろ今までの苦労はまさにこの時の為・・・とばかりに励んだ。でも、それが開花するのは後のこと、実際に営業に出かけてみれば、知名度ゼロ、おまけに評判は悪いし(参ったのは某M地所は、輸入家具ギョーカイでは避けて通れぬ大得意客だが、何と「出入り禁止」を宣告されていた。スイスの某銀行への納入を巡って喧嘩したとかで・・・出入り禁止を解いてもらうだけで1年を要した)、結局はまた砂漠への水まきである。ただ、同じ砂漠への水まきでも、既にどの辺に水を撒けば水が溜まるかだけは判っていた。しかし結局、ここでも新規新規でバブルの恩恵など感じることもなかった。職業人として花開く?のは、いわゆるバブル崩壊後のことだった。

やっと本題。その頃、僕は石神井のアパートで独り暮らしをしていた。確か石神井で3年を過ぎた頃、大家さんが「今度、消費税が導入されるので家賃を値上げしたい」と言って来た。世の中は初めての消費税で混乱していたが、そもそも住居賃貸料には消費税は掛からない。大家さんは課税事業者でもない。いくら頭の悪い僕でもカチンときて大家さんとやりあってしまった。「だったら、ここを出て、家でも買いますよ!」と。僕には、野心があって、それまでに貰ったボーナスを使うことなく貯金していたから、それを頭金にすれば家を買えると思ったのだ。

バブルの恩恵はこうむらなかったが、バブルのダメージだけは被った。昭和天皇が無くなって平成が始まった頃だったが、「家を買ってやる」と息巻いたは良かったが買えない。実際には戸建てではなく中古マンションを狙ったが、誰もかれも不動産! の時代で、今でも信じられないが、朝売りに出た中古マンションは昼までには売れてしまうので買えないのである。信じられない話だが、物件を見に行っていては遅いのである。記憶にあるだろうが、その頃、新築の分譲マンション購入は・・・激戦の抽選だったほどである。都合2度、遅れをとって購入に失敗、今の住居となった我が家、中古マンションを手に入れたのは3度目の正直でやっとという有様。それも、平日の朝、不動産屋さんから連絡もらって、仕事の都合を調整つけて、社長に許可貰って(小さな会社だったから個人の事情には情と理解があった)夕方やっと横須賀まで来て、即仮契約10万円内金・・・そんなであった。誰もがそんな夢を持ったし、実際に実現した人も多かったろうが、そのまま不動産価値が維持されていれば、横須賀→横浜→東京・・・と攻め登る。さしずめ上洛戦に臨むような気分で買った中古マンションは・・・今や資産価値は購入価格の1/10である。ちなみに、このマンション、悲しいかな、全9戸のうち3戸は僕と同年代・同時期・同価格の中古購入である。(笑)

それでも、どの道支払う家賃を思えば、まあトントンとも言えるかもしれない。平成元年に組んだ住宅ローンは、完済が平成30年。誰もが「平成ってそんなに続くんかな?」と思っていたら、陛下のご健康は概ね安泰で28年まで来た。ローンの方は、途中繰り上げしたりで5年ほど早く完済にたどりついた。このローンを組んでくれた、当時、M銀行六本木支店の新卒営業員だったS君は順調に出世して、今や青山支店長である。(相変わらず、偉くならないは僕だけである)

ローン完済時に、抵当権解除に関する案内が届いた。ところが、追って届くはずの手続きの書類は来ない。結局3年も待ってしまった。放っておくわけにもゆかず、昨朝、銀行に電話して事情を説明したら、折り返し調べた結果の電話連絡をもらった。「申し訳ありません。本当ならば、連絡をとって相談しなければならないところでした。普通の抵当権ではなくて、当行が融資枠を設定できる抵当権だったため、通常のご案内を差し上げずに来てしまいました」・・・「といいますと・・・、根抵当でしたか?」 「そうなんです」

すっかり忘れていたが、まあ、バブル時代だなあ・・・たかだか公団タイプのオンボロ2DKに根抵当・・・良くもまあ聞いてあきれるお話である。根抵当の価値なんかありゃしない。でも、それは僕の若い頃のちょっとした野心の名残でもあるし、今や青山支店長のS君も良くもまあ一緒になってくれて・・・不動産神話バブルの笑い話であると同時に、皆の若かりし日のほほえましい行状である(2016,1,30))

01/28 無常

ルパン三世のテレビオリジナル版、全23話を通しで見た。その昔、小学生の時にリアルタイムで見たわけだが、高学年の時だったとばかり思っていたところ、調べてみれば恐らく見たのは4年生の3学期だったようだ。とにかく記録破りの低視聴率だったそうだが、少なくとも翌月曜日の学校で男子の話題は専らルパンだった。多かれ少なかれ・・・後の生き方に影響は及んでいるものと思う。

若き日の宮崎駿が関わっていただとか諸々オタッキーな事情には全く精通していないが、一話完結でくどくどしていないアメリカ映画的爽快感は何とも言えないものだ。やっぱり石川五ェ門とのなれそめ「狼は狼を呼ぶ」(第7話)の落とし穴に落ちた五ェ門にルパンが手を差し伸べて五ェ門が応えるシーンなんか、恥ずかしながら今見ても鳥肌が立ったし、後のカリオストロの元となったと言われる「ジャジャ馬娘を助けだせ!」(第21話)のシュールなドタバタぶりの可笑しさは色あせていない。で、今回久しぶりにじっくり見ることができて良かったのが、例の魔毛狂介が登場する「タイムマシンに気をつけろ!」 (第13話)である。

僕は理論物理学はおろか物理学さえとらなかった人だから、タイムマシン実現可能性の有無や時間や四次元の概念などさっぱりわからないが、例えば、過去に遡って既に過ぎ去ってしまった事象を変えることは科学論理としては成り立たないし、道義的にそれをご法度とする考え方もあるが(ドラえもんでも触れられている)、過去を書き換えてしまえば、本当は理論的には、その書き換えによって「無くなった事象」は遡って記憶さえも無くなる筈だから、実は、今生きている現実も常に書き換えられているのかもしれない。それに気づいていないだけなのかも・・・などと思ったりもする。その辺から平行世界という概念も無理くり生み出されたりしたのだろうが・・・しかしタイムマシンが未来で生み出されていたとしたら、僕たちは既に未来から来た人と会っていなきゃおかしいわけで、つまりタイムマシンは永遠に発明されていないという結論も大いにあり得る。(笑)

などと、たどたどしくも考えを巡らせば、所詮この世の「無常」に行き着いてしまう。「無常」という言葉は、虚しさや無力感を表わす意味合いで常用してしまうが、元は仏教の概念だそうで、あらゆる現象は止まることなく常に変移しているという、この世界の原理を言い表したものである。そこに寂しさや悲しさ、儚さを感じるのは「無常」ではなくて単なる感情であって、「無常」という説明はむしろもっと科学的なものだと思って宜しいと思われる。つまり、「無常」から逃げることは出来ず、例え死んで骨になってもまだ、その骨さえも「無常」のまま朽ち続けることだろう。

「まばたきしてる間に 今は過去へ消えてく」(三原順子、セクシーナイトの一節)

「覆水盆に返らず」とは、拾遺記の太公望の故事に依ることわざだが、実際には僕たちは次から次へと「過去になってゆく今」に縛られて生きている。大事なことは、覆水は確かに盆に返らないかもしれないが、盆には確かに水があったのだ。倫理的に相反する現実にまた「無常」があるわけだ。

そもそも、「無常」という概念は、もうそこに大きな矛盾をはらんでいることにお気づきか? 「無常」といいながら、一瞬一瞬過ぎていった事象は過ぎた途端に言わば「有常」になっていっているのである。(笑) そして僕たちは、その「有常」によって生きる術を得て、時に懐かしみを持ち、時に悲しみや後悔を忘れることができなかったり、時にこうしてルパン三世を見て面白がっている。

元兵庫県議の政務活動費不正の裁判。元議員は記憶障害とかで90回も「記憶にない」を連発したとか。いいなあ・・・記憶が無くなって・・・うらやましい(2016,1,28)