12/24 市川真澄さん

この2日ばかり、流木をアレンジしたフラワーベースの製作に熱中してしまった。僕の記憶が確かなら、今では誰でもやっている、試験管をフラワーベースに利用したのは、倉俣史朗さんが最初ではなかったかと思っているのだが、(違っていたらごめんなさい)夜、夢の中で思いついて、流木に試験管を差したら面白しろそうで、早速コルソーを買ってきて挑戦。こいつが意外に難しい・・・。まず、流木の底を平らにするのに難儀、大体平らにはなっても、ガタつかないようにするのは至難の業。そして問題のコルソーの穴あけ。旋盤ではあるまいし、ハンドドリルで底と直交の穴を空けるなんざあ・・・不可能である。それに試験管というもの、微妙に一本ずつ太さが違う・・・。流木からまっすぐに何本かの試験管フラワーベースが立ち上がる、絵に描いた餅になるところを、悪戦苦闘して仕上げた。きれいなものである。

と、やってる今日は、義姉が市川真澄さんを紹介するために横須賀まで連れ立って来店してくれた。市川さんは義姉とは某大手保険会社での同僚の方で、NPO日本渚の美術協会のメンバーであられる。本とかネットでは作品を拝見していたが、ステンドグラスの手法を使った大きなランプシェードが得意な方で、今日お持ちいただいた、シュモクザメのフラワーベースは一目見て圧巻!市川さんは芸術教育を受けられた方で、さすが芸術家!と言葉も出ないくらいである。いろいろな話もうかがえたし、何でも渚の美術協会の会長の本間清さんの叔父貴様は、オーシャンノートのある横須賀上町にお住まいだとか。意気投合、市川さんの作品を当店で販売させていただくこととあいなった。大物は”作品”となるものの、アクセサリー類は2000円台、これはお買い得としか言えない。(市川さんの作品の販売は終了いたしました)

こうして刺激を受けると、腹の底から創作意欲が湧くのだが(今年のクリスマスツリーボックスアートはシーグラスのツリー、市川さんにもお褒めの言葉をいただいた。もっとも、店頭で展示したのは昨日と今日の二日だけだったが)、あいにく、海に行く時間が・・・無い。困った!とりあえず、なるべく早い機会にステンドグラス用の材料と道具を揃えたいもの。東急ハンズは横浜、遠いなあ。(2006,12,24)

12/21 葉山マリーナのクルージング

昨日は3年振りに葉山マリーナのグルージングに出かける。これは、葉山マリーナが京急の傘下になってからのプランのようだが、なかなかお値打ちなのである。4歳と2歳の子供連れで、子供料金は取られなんだ。一時間弱という設定も飽きもせずに子供にも良い時間である。水族館に行くかクルージングかなかなか迷うところであったが、子供は葉山のデニーズのお子様ランチつきのクルージングを選んだ。いつもいつもというタイプのお出かけではないかもしれないが、これは悪くない。別に葉山マリーナから宣伝料が入る訳でもないが、三浦半島在住の皆さんにはお勧めしたい。(2006,12,21)

12/06 赤いシーグラス(ビーチグラス)

赤いシーグラス(ビーチグラス)の写真:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

シーグラス(ビーチグラス)の採取にはまっている。と、いうのは、レアーカラーのビーチグラスを探すのは一種の宝探しみたいなもので、無茶苦茶楽しいのだ。デブラ・フレイジャーの絵本"Out of the Ocean"にも書かれていたので気になってはいたのだが、なるほど赤いビーチグラスは「すぐ家に帰って自慢しなさい」というだけあってお宝である。そいつを見つけたのである。それも、形はイマイチだったがレアー中のレアーオレンジである。わずか1センチのビーチグラスに狂喜してしまった。お時間があれば探して見ると良い。まずビーチグラス自体が拾える場所が少なくなっているし、ペットボトルの普及の影響で絶対量が少ない。そして、赤は5000個に1個・・・まず見つからない。オレンジでは10000個に一個だとか・・・アメリカというのはおかしな国で、とにかくいろいろなマニアがいる。あらためて当店でも販売している、リチャード・ラモッテ氏のPure Sea Glassなる本でじっくりカラーの分類を調べると、思わぬレアーカラーがあったり・・・もっとも、コンビニや酒屋で見ていると、そう、あの海童という焼酎、あれは赤いビンである。あれを飲んで、海にビンを捨てたら・・・5年後に拾えるわけも無い・・・か。と、馬鹿なことまで考えてしまう。鎌倉のあしべさんのシーグラスキャンドルスタンドよろしく、僕もちょっと作風を変えてキャンドルスタンドを製作中、ますますシーグラス(ビーチグラス)採取に熱が入りそうである。(2006,12,6)

(後年加筆:この日は赤いシーグラス・ビーチグラスを初ゲットした時の日記、写真は2009年頃の物・・・3年ばかりでこれだけ拾いました。どのくらいやるかと言えば、冬場、週に1〜2回、一回3時間ばかり頑張ります。やればわかりますが・・・命がけです 笑)

11/25 絵本の翻訳 その2

女房の苦心の絵本の翻訳が終わった。結局、バーバラ・クーニーを3冊、デブラ・フレイジャーを2冊、ロバート・マクロウスキーを2冊、7冊をやった苦心の2ヶ月弱だったようである。前々回も書いたが、不詳、僕も1冊”The Little Red Lighthouse and the Great Grey Bridge”を訳した。どれもAge4-8なのだが、アメリカの子供は本当に読めてしまうのか不思議だ。ローマ字は漢字がなくて26文字だから、言葉を憶えてゆく感覚が違うのかもしれない・・・と考えてしまう。しかし、チェックを兼ねて読むと、バーバラ・クーニーはなんともアメリカ文学的な爽涼感があるのが良かった。そういえば、フィッツジェラルドのギャツビーを村上春樹が新訳で出したとか・・・小遣いに余裕があれば買いたいものである。

さて、それはともかく、今朝、お客様で、小学校で教えておられる女性が見えて、(おととい、タウンニュースという新聞折込のタウン誌に紹介されたのだが、それをご覧になって来店された)、いろんな話の中から、絵本の話題になった。「お勧めは?」と聞くので、男の子ならLittle Red lighthoue、女の子ならOn the Day You Were Bornですかねぇ・・・といいつつ、中身を詳細に説明するとLittle Red Lighthouseを購入された。聞けば、3年生の読み聞かせの授業で使うとか・・・思わず翻訳の、そのまた解説までさせていただいた。僕の翻訳をそのまま授業で使われるか、あるいは手直しされるかはわからないが、とても嬉しいことである。この本と出合わなければ、この年になって改めて絵本への興味も湧かなかったし、そもそも、店を開けたか判らない。それくらい素晴らしい本なのだ。願わくば、わが子たちも、”世界にひとつだけの花”であってほしいものである。(”The Little Red Lighthouse and the Great Grey Bridge”という本はそのような内容の本なのである)絵本の翻訳は月に一冊くらいずつでもやってゆくつもりである。とりあえず、次回はマックロウスキーを一冊、それとエリック・カールの少しマイナーなのを二冊、確約は出来ないがやってみる予定である。(2006,11,25)

11/13 絵本の翻訳

このところ、女房と絵本の翻訳に取り組んでいる。ヨーロッパのものには手が出しにくいが、今取り組んでいるのは、アメリカのロバート・マックロウスキーのものやバーバラ・クーニーなどだ。もちろん、両者ともコルデコットウィナーだから日本でも翻訳されたものが手に入る。しかし、特にマックロウスキーのメイン州三部作あたりは、ロケーションのペノブスコット湾のことを知るにつけ少々物足りなく感じるところがあり、文学者でも英語の達人でもないのにこの仕事に取り組んでいる。女房は少しだけカナダのアルバータに行っていたこともあって、英語もそこそこだから良いが、僕は大苦戦である。でも、海は世界中共通だから、書かれているニュアンスが違えば判る。そこを拠り所に、僕が女房を手伝う形でやっている。この二日は女房の手伝いを離れて、一人でニューヨークの赤い灯台の話を一人で翻訳した。正確に・・・は必要だが、余り正確にやると何をいっているのかわからなくなる。特に教科書と違って、人称と過去現在などは入り混じって書かれているから、このあたりはとにかく繰り返し読んで、その世界に入り込まないといけない。11月中には、8冊を店で販売するつもりである。英語だけではなく、わからないことは調べながら、検証しながらなので、時間はやたら掛かるし、手間もかかり、苦戦は続くが、なかなかやりがいのある仕事だ。本当に好きな方にお届けしたいものになりそうである。(2006,11,13)

11/06 海が運んできてくれた

三連休、店はなかなかの盛況だったが、最後の日曜は子供たちの教会学校があるので行けなかったが、最初の二日は海岸で散歩。出会いというのは偶然、突然やってくるもので、シーグラスを集めている女姓がいたので、普段はそんなことないのだが、店で売っているシーグラスの本の紹介文を書くためにいろいろと読んでいたこともあり「シーグラスですか?」と声を掛けた。聞けば鎌倉在住とのことで、以前は横須賀に住んでいたこともあって、浦賀でシーグラスが一杯拾えるのを知っていたのだそうだ。(シーグラスはともかく陶片が多くて、穴場。但し、鎌倉の和賀江島みたいなお値打ちものはない、時代が違うので・・・)

で、いろいろ話をすると、本職はイラストレーターで、シーグラスではガラスのクラフトをやっているとか・・・僕は、オーシャンノートを開ける時に、クラフトに限らず、海をモチーフにした様々なものを作っている人がいたら、一緒にやりたいと思っていて、それが果たせないでいた。オーシャンノートを”マリタイム・ギャラリー”としたのにも、自分なりの思い入れがあったからなのだ。話しは、トントン拍子、近々、作品を見せていただくこととなった。Oさんは本当に素敵な女姓で、変に作家さんぶらないのも良いし、とにかくとても海が好きな方、ぜひ作品を店で紹介できればと思う。ちなみに本職のイラストも海モノが多いとのこと、これまた楽しみでワクワクしている。

アメリカスカップがスポーツイベント?として隆盛を極めるに一役買ったのが、紅茶王、サー・トーマス・リプトン。時の英国皇太子ウェールズ殿下からアメリカスカップ奪還を持ちかけられ(英米の間にカップを巡って不穏な空気があったことに胸を痛めていたと言われる)30年間、5度に渡って私財を投じて挑戦した。今もとてつもないお金のかかるレースだが、当時もすごかった。リプトンは生涯独身で、使えるお金は皆、アメリカスカップに注ぎこんだ。このことが、アメリカスカップをして、それだけの価値のあるものというステータスを創りあげたのである。

さて、リプトンさん、ただの大成功した商人である。陰口をたたかれた。曰く「バウとスターンの区別もつかない挑戦者・・・」。リプトンさんは後に「私の事業は海で栄え、富は海がくれた。海は恩人だ・・・」と、語ったという。良い意味で、ヨットのつべこべではなく、もっとスケールの大きい海洋人だったそうである。

Oさんと、出会って思ったのがこのリプトンさんの言葉。そう、海が素晴らしい友人を紹介してくれたのである。富はどうかわからないが、「海が運んできてくれくれる」のである。僕は、とにかくオーシャンノートを海の大好きな人が集まれる場所にしたいと思っている。(2006,11,6)

10/31 永遠の嘘をついてくれ

拓郎フリークだった。75年のつま恋は、今でも憶えているが、母と夕食を食べている時にNHKのニュースで観て、それが”ペニーレーンでバーボン”。「何て早口、字余りの歌なんだろう・・・」と大笑いしたものだ。中学にあがり、少しませたものか?フォークソングなるものを聴いてみようと思って買ってみたのが、エレックの2枚組みベスト盤。で、従兄弟の白いギターを借りて弾いてみたのが”結婚しようよ”だった。一週間で弾けたが、Fは押さえられないから、Dm7で代用したのを憶えている。こうなるともう止まらない、寝ても覚めても拓郎拓郎。これが、親友だったT君に染って彼は79年の篠島まで行ってしまった。僕は、あまのじゃくなところがあって、菊池桃子のコンサートには行っても拓郎には行かなかったりして???それでも、親友のM君がチケットをとってくれて(彼は優しい人で、小野寺に行かせてやりたいと思ったらしい)85年のつま恋には行ってきた。そして2006年、ご存知かぐや姫とのジョイントでつま恋コンサートが再演された。

店を始めたので当然行くことは適わない・・・と、いうより拓郎を聴くことも無くなった。せめてBSで観たいと思うも時間が合わない・・・と思ったら、勘違いしていて、チャンネルを回していたら目に飛び込んできたのがかぐや姫。(JCOMのテレビにしたのは良いが、元々、テレビとか映画に興味が薄いから、あの一杯チャンネルのある番組表なんかほとんど見ないのである)途中からではあるが、見たよ観ました。かぐや姫は楽しそうで良かったけれど、拓郎は元気がないなあ・・・と、かつてのフリークは少々ガッカリ・・・していたら、何だか少し感じの違う歌が出てきた。”永遠の嘘をついてくれ”という曲だ。なかなか素敵な歌詞だなぁ・・・と思っていたらキーが変わって何と登場したのが中島みゆきである。この曲は95年に中島みゆきが書いて拓郎が歌った歌だそうで、96年には中島みゆきがセルフカバーしている。調べてみると、あるチャリティコンサートで拓郎が中島みゆきの”ファイト”という曲を歌ったことが発端らしく、その後「もうファイトみたいな曲は書けない」と言いつつ拓郎が「遺書みたいな曲を書いてくれ」と中島みゆきに頼んで出来たのがこの曲。中島みゆきは、デビュー前に拓郎の追っかけみたいなことをしていたらしく、自分のかつてのヒーローに頼まれて、遺書ではなく応援歌を書いた。ヒーローにヒーローのままで居て欲しい願いがこもっている。「君よ、永遠の嘘をついてくれ たねあかしをしないでくれ・・・」

2コーラス目をキーを変えて中島みゆきが歌う。もう、ここで鳥肌。すごいのである。挑むような目で直立不動で歌っている。あの紅白の時よりすごい。そして再び転調、拓郎が3コーラス目を歌う、そしてサビ。中島みゆきがハモる!まばたきを忘れましたよ。その拓郎を気遣うようなステージング、僕は、中島みゆきという人はちょっと変な人としか思っていなかったけれど、素晴らしい母性本能の塊みたいな女姓だと感じた。なかなか、文章だけで伝えることは困難で、空回りが申し訳ないが、結果的には今回のつま恋の一番の名場面になってしまったようだ。拓郎、かぐや姫には不本意かもしれないが、僕はこれほど感動した映像は見たことがない。そのあたりに興味の薄い女房も感動しきり、鳥肌であった。当然、翌朝は「君よ永遠の嘘をついてくれ・・・」と口ずさみながら自転車で出勤。

12月には3枚組のDVDが発売されるそうだ。思わずメールニュース配信希望したところ、ニュースの中には「中島みゆきとの競演シーンも収録・・・」とある。他の収録曲などは一切書いていない。つまり、この競演の話題性がいかに高いか、ということだろう。機会があったら、この競演だけはご覧になることをおすすめしたい。しかし・・・この歌詞も身に詰まされるものがある・・・(2006.10.31)

10/26 横須賀 船の設計者

この街に住んで20年になる。ほとんどは東京勤めで横須賀のことは知ってるようで知っちゃあいないのだろう。いつだったか、日本丸のボトルシップを買ってくれた方は、「私はこれの設計をしていたんだから・・・」と来た。そうなのだ、日本丸は浦賀で造られたのだった。今日は、船がとても好きだというお客様が見えて、観艦式の演習の話をしていたら(昨日は定休日、風邪で参っている女房を休ませるのに丁度良いので、午後は観音崎に娘2人と行った、そこで観艦式の演習帰りの軍艦の列を見た、すごいものなのである)、ふっと「僕の祖父は大和型の設計をしていた・・・」とおっしゃる。僕も男子の例に漏れず、少しは軍艦が判る、横須賀で大和型といえば・・・空母信濃である。聞けば、信濃の設計を担当していて、進水だけして呉に回航したわけだが、そこに設計者として同乗されていたのだそうだ。ご存知のとおり信濃は潮岬で沈没。ご祖父様も亡くなられたとか。ご自身も造船の仕事をされていたそうで、クイーンメリー2の話になったら、バルバスバウの話が出て、これまたいろいろと教えていただいた。大和で発明されたバルバスバウは、大型客船で採用されたのはクイーンメリー2が最初なのだそうだ。

店をやっていると、いろいろなお客様が見えて、いろいろと教えてくれる。そういえば、輸入家具をやっているときも、最初はデザイナーの人から「イームズチェアーが・・・」とか「カッシーナが・・・」とか言われてもチンプンカンプンだった。文系出のセールスマンが少しは使い物になったもの思えばお客さんがいろいろと教えてくれたからだった。こうして、いろいろな事を教えてもらうのはアリガタイものである。(2006,10,26)

10/21 横須賀上町ショーウィンドー

このところ、夕方6時半頃から閉店の7時半まで、店の電気をスポット2灯以外消している。表から見たら開いてるか開いてないのか、はなはだ不都合ではあろうが、ティン製の灯台型キャンドルスタンドがキャンドルを点けるととてもきれいだからである。周りが明るいとその良さがわからない。店を構える横須賀上町という街は、昔ながらのところがあって、外国ではないが夜は早い。そうなると、歩くお客さんたちも、すでに余り買い物モードではない。ブレークする日もあるのだが、折角なので比較的空白のこの時間を利用して、ウィンドーショッピングを楽しんでもらえたら良いと思っている。幸い、楽しんでくれる人も多く、もうご帰宅モードなのに足を止めてくれるし、店の中は真っ暗なのに「開いているんですか?」なんて入ってくるお客さんもいる。昨日はそれで、売りたくなかったポーラーベアーの絵本(ニューヨーク・バーニーズのオリジナルベアーでシュタイフのベアーが、タイタニックの遭難に遭遇して持ち主の少年のもとに戻った実話の絵本、絶版で今後入手できない)が売れてしまった。昔は良く中が見えるシャッターが流行っていたものだが、今は日本も治安が悪いからそれも減った。ヨーロッパの町並みを倣って夜でも楽しめるようだと面白いのだが、せめて一時間、ちょっとした街のアクセントにでもなれば良いと思っている。(2006,10,21)

10/18 読書の秋 至高の銀杯

店の定休日。娘達が風邪(詳しくは違うらしいのだが・・・手足口病?)で、数ヶ月ぶりに海にも行かず、一日中家に居た。一人で出かけるのも悪くはなかったのだが、”至高の銀杯〜アメリカス・カップ物語”という本を、一日かかかって、パシャマを着たまま一気に読んでしまった。日本にもアメリカスカップに詳しい人はたくさん居るのだろうし、日本がルイヴィトンカップ(アメリカスカップの挑戦艇決定戦)に出ていた90年代なら、もっと資料や本もあったのだろうが、僕が今いろいろなことを知ろうとすると、洋書かインターネットしかなく、英語を読むのが先で、その中身の奥深さに触れるところまでたどりついていなかったように思えた。著者の小島敦夫さんという方はオーシャンライフ誌の編集長をされていた方だそうで、戦後再開されたアメリカスカップ(1958年)からその取材をされていたとか。まあ、とにかく一気に350ページ弱を読破させられてしまう素晴らしい内容で、誇りやプライド、意地、執念、こう書くと生々しいが、それがヨットという、速度にすれば車や飛行機と比べ物にならない大時代的な乗り物を通じて極限までぶつかり合っている世界で、久しぶりに血がたぎる、というか、いささか興奮気味になる読後感で、これまた、本を読んでこんな気持ちになるのも久しぶりなのである。僕は、かつてフェラーリマニアで、買い集めたフェラーリの洋書は100冊を下らなかった。今では想像もつかないが、月にウン万円つぎ込んでいた。その時も、「別に、一生かかってフェラーリに乗れるかどうかわからんのに・・・何でだろう?」と思いつつやっていたし、当然、あっち側の世界のF1も入ってくるから尚更である。そりゃあ、横横でちょっと180km出してみました・・・(時効でしょう)とは別物である。今、アメリカスカップに同じものを感じないこともないのだが、近年はスポンサーから出るお金の額に目がくらむほどだが、特に、紅茶王リプトンやソプゥイス(英国の航空王)らの1930年代のあの銀杯をめぐる恐るべき浪費?に心底、ロマンを感じる。僕がビル(某マイクロソフト社の創業者)だったら、ごの銀杯奪還は必ずやるけどなぁ・・・(2006,10,18)

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