12/30 戦艦大和展を見る・・・大和の模型

戦艦大和:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

海洋少年団から戦艦大和展のポスターをもらったので、店先にポスターを貼ったことは以前に書いた。店先にポスターを貼っているだけで、看板に偽りありでは困る。先日、久しぶりに記念艦三笠まで出かけて大和展を見てきた。子供の頃に、ごく普通の男子と同じ程度に大和に憧れは持ったものだ。今は、少々違う目線でモノを見るから感想もそれなりに違うものになる。曰く、最大の主砲だとか、沖縄特攻の切ないお話よりも・・・その美しさには改めて感じ入った。軍艦だから、デザインとか美しさなどより、専ら戦闘の性能だけを追及して設計されたのだと思うのだが、これは個人的な単なる感想だが、球状艦首といい、艦首に向かう甲板のせり上がってゆくカーブといい、なんと美しいものかと思う。大した活躍もできずに、むしろお荷物になってしまっていた大和が、今日にいたっても廃れず話題になるのは、人を惹きつける美しさがあるからではないかと思う。いわば、客船でいえば、大西洋でスピードを競った船の方が、ホテルを船に乗っけたようなクルーズ船より美しく感じるのと同じではないかと思う。最も、大和の場合は28ノットくらいの速度で、もう当時の軍艦としてはスピードはイマイチだったし、客船でも当時は1936年(昭和11年、大和就役は16年)にクィーンメリーが大西洋を平均30ノットを超える速度で走ったから、それが最高の機能美だったとは断言できないような気もする。

さて大和の模型・・・これを初めて見たのは、船の科学館の売店だった。何でも、呉の大和ミュージアムのオフィシャルグッズの模型の型をさらに改良したものだとか・・・オーシャンノートに軍艦はミスマッチかとも日頃から思ってはいたのだが・・・大和の美しさには叶わず・・・実店舗での販売をしてみることにした。この模型、わずか全長130ミリ、ウーンよく出来ている。(価格、わずか1575円、販売終了しました)三笠売店でも一種類しか置いていないが、当店は昭和16年竣工就役時、昭和19年レイテ沖海戦時、昭和20年沖縄特攻時、昭和19年レイテ沖海戦時の武蔵、4種類のフルラインナップだ。しかし・・・ヨットにせよ、客船にせよ、軍艦にせよ、船っていうのは美しいものである。(2007,12,30)

12/13 J-Classヨット エンデバー

今年7月頃からのJ-Classヨット、エンデバーの謎の来日騒ぎも収まりそうだ。先日発売された”舵”誌との”Sea Dream”誌でも、遅ればせながら特集記事が組まれ、その来日の事情も書かれているし、離日にも花を添えたというところか・・・舵誌の記事は、かなり正確な記述で、改めてアメリカズカップ、ヨットレースにJ-Classヨットが果たした役割なども、ウンウンと頷きながら読ませてもらった。残念だったのは、噂ばかりでどこに現れるかわからず(僕に教えてくれたお客様達によれば、城ヶ島沖、初島、江ノ島、葉山沖・・・と神出鬼没な印象だった)結果的には横浜ベイサイドに行けば会うことができたのに、店の休みもほとんど取れないこともあり、その雄姿を拝むことができなかったことだ。いつか、お金を貯めてJ-Classヨットをチャーターするのが夢になった。(8人でチャーターして1週間で1000万円弱とのこと、一人100万円ちょっとだから・・・不可能ではない・・・かもしれない)

来年には、エンデバーのレプリカが竣工するそうだ。あのブラウザ発明の立役者、ネットスケープ社の創業者がオーナーだと聞いた。そうそう、以前に書いたアメリカズカップ日本奪取計画・・・これが実現したら、イベントレースでNew J-Classのレースもやったらいいなあ・・・"Endevour" "Shamrock" "Versheda" 復元された"Ranger" 来年竣工するレプリカ"Endevour" それと23m-Classの "Astra" "Candida" "Cambria" ・・・考えただけでワクワクするなぁ・・・しかし、東京オリンピック誘致を止めて・・・というのは難しいようである。世論調査の支持率は賛成62%とか・・・(2007,12,13)

12/04 目指すはニューヨーク

先日、見るとはなしにテレビを見ていたら、岡林信康の36年振りという日比谷野音ライブが放映されていた。僕の世代だと、岡林信康はリアルタイムではない感じながら、拓郎や陽水にはまっていた関係で当時も興味深々だったし、中津川での”友よ”(高石友也が歌っていたのかな?)なんかは、聞いたことがあったので期待しながら番組を見ていた。面白かったのは岡林信康の人柄だった。そこには、ある種の達観があって、かつて”神様”といわれた自分自身に対して全くこだわりがないというか・・・北の方角を指差して「久しぶりの野音ですが、私には武道館がはっきり見えますっ!」聴衆は大うけ。「そして、その向こうにはマディソンスクェアーガーデンがっ!ロイヤルアルバートホールが、私にははっきり見えますっ!」

昨夜は商店会の役員の会食だったが(これは自分達で積み立てたお金で食事会、某省庁と違い役得なんざぁ無いのである)、拙いながら、自分なりに努力していることは先輩諸氏のご理解も頂いており、多少のお褒めの言葉もいただくので、ワインのほろ酔いで脱線。「目指すは、マンハッタン本社ビル建設ですから!」なんてやってしまった。

オーシャンノートは、僕の頭の中にぼんやりと見える理想の店には、まだまだなってはいないし、その方向性もしっかり定まったとは言えない。ただ、ウェブでポスターの販売に専念している部分は、ひとつの方向としては正解のようだ。先日の日曜には、ありがたいことにわざわざ世田谷から、たった一枚のポスターを買うためにお客様が来て下さったし、いつもながら遠来のお客様にはありがたくて頭が下がるばかりだ。ちなみに、最遠のお客様は九州北部某県からいらした方もおられる。(なぜか東の方は遠くからの方は来られない、西は大阪、神戸、山口、そして九州・・・東は、記憶の限りでは東京、なんでだろう?)

と、やっていたら、とうとうインドネシアからサーフィンのポスターのご注文をいただいた。もちろん、当店のシステムでは海外からのご注文は受け付けることができないので、別途メールでやりとりさせてただいた。初めてのことなので、これを送るのが一苦労。航空貨物の扱いの手荒なことは、輸入家具会社勤務時代に良く知っていたので、とても額縁のガラスが持たないのは判っていた。お客様に了解を得て、コストアップになるが特注で前面アクリルとした。で、普段使うヤマト運輸やFeDexだと送料が高額で、調べると日本郵便のEMSという便が良いことが判った。アメリカのUPSほど安くはないが、その代わりに未達の場合の保険が利く。UPSと違ってネットで追跡もできる。(追跡したところ、発送から丸一日、本日未明に丸の内の東京国際支店を通過、成田に向っているところだ)

当店の商品が海を渡るのは2度目。一度目は海外へのお土産にお持ちなるということで、スーツケースに入れるのを前提に、厳重な梱包をさせていただいたのを覚えている。そして、今度はEMS。商品は海を渡るが・・・ニューヨークの本社ビルはまだまだ・・・はるか遠い。(2007,12,4)

11/27 America's Cup

1934年のアメリカスカップ挑戦艇にして、現存する1930年代の3艇のJ-Classヨットのうちの一艇エンデバーが何故か日本に居ることは以前にも書いた。昨日は昨日で、1995年のアメリカスカップ(正確にはその予選のルイヴィトンカップ)、Nippon Callengeのポスターをお目当てに来店したお客様がいらしたり、このところエンデバーの謎の来日と併せて店ではアメリカスカップの話題が絶える日がない。そんなお客様が見えると僕の話題はひとつだ。ポスターもエンデバーも横に置いておいて、持論である日本のアメリカスカップ奪取構想の話になるのである。僕はヨットオーナーでもなければヨット乗りでもない。オーシャンノートの海というテーマの中にヨットのポスターがあり、それを勉強で見聞きするうちに、ただただ自動車のF1レースに持つ興味と同じように、アメリカスカップというものに強く惹かれたのだ。価値観は様々あろうが、F1やサッカーのワールドカップと同じくらい重みのあるスポーツタイトルであることは疑いようも無い。

さて、「アメリカスカップとは?」と改めてやると長いので別の機会に譲るとして、日本のアメリカスカップ奪取構想というのは、たまたま東京都のオリンピック招致から来ている。簡単に言えば、オリンピックをやるなら、そのお金を使ってアメリカスカップを奪取した方が良いのではないか?という考えだ。まずオリンピックだが、悪いことだとはひとつも思わないのだが、日本ということなら東京、札幌、長野と3回やっているのだし、僕がIOCで票を持っているとすれば、地球的観点で見るなら、東京よりはまだやっていない国でやるべきだと考えるし、日本であれば東京ではないところの方が説得力があるような気がする。ニュースのうろ覚えではあるが、確か招致成功に備え東京都は1000億円をプールしたと聞いた。1000億円あれば・・・アメリカスカップで勝てるかもしれない!こう考えたのである。

アメリカスカップ艇は一艇100億円だとか。これを二艇作らなければならない。さらにトライアル艇も買わなければならない。しかしながら、今年見事にカップを防衛したスイスのアリンギチームでも予算は700〜800億円だったと聞いている。2000年、予選のルイヴィトンカップで敗退はしたものの、日本のカップレーサーはスピードだけなら一番速かったかもしれないといわれている。当時は、クルーの国籍などもうるさかったが、細かいルールは関知しないが、スキッパーの移籍劇を見てると緩和されているようだ。さて、一番速い船を作れる、スキッパーも雇える、これは1000億円、アメリカスカップに使った方が未来のためになる・・・こう思うわけだ。異論もあろうが、首尾良くカップ奪取なれば、次回、防衛の舞台は・・・城ヶ島沖が良いと思っている。海から競りあがった城ヶ島の高台はサンディエゴのラマ岬の上と同じように素晴らしい観戦ポイントになる!そして、日本は海洋一等国として認められる。海の文化が根付く!そして・・・オーシャンノートも潤う???(^^;

こんなことを思うのも、歴史は繰り返す・・・1970年台にF1が富士で開催されるものの、その後F1の文化は根付かなかった。しかしホンダの挑戦でブームが来て、中島悟さんのご苦労も今は昔、日本人のF1ドライバーも珍しくなくなったではないか?サッカーにしても、僕が子供の頃、赤き血のイレヴンなるアニメが流行って、休み時間はサッカーばかりだったものが、いつの間にやら廃れて、キャプテン翼をきっかけにサッカーが大ブームになると、Jリーグが発足して、なんのかんのと言いながらワールドカップに出られる力がついたではないか?僕の考えは唐突かもしれないが、かつてニュージランドの経済相だった方は、オーストラリアのパースで開催されたアメリカスカップを見て、ニュージランドのアメリカスカップ奪取を思いついたそうだ。そしてそれを見事に実現し、ニュージーランドでアメリカスカップを開催し大いなる経済効果を上げたのだとか・・・そう景気浮揚にもなる。ありとあらゆる面から・・・追い風だと思っている。そして、この話をした方には言っている。「いいですか、この話を3人の方に話してください」と。何の力も無い僕だが、結構本気である。ちなみに、”日本再生アメリカズカップファンド構想”なる本も出版されているようだが、僕はまだ読んでない。(2007,11,27)

11/19 徒然なるまま・・・柿

昨日は店に灯台写真家の三野さんが立ち寄ってくれた。三野さんは芸術家だから、僕などにはわからない深いいろいろな考えもお持ちの方のように拝察するのだが、このところたびたび顔を出してくれるのには、三野さんなりにオーシャンノートを気に入ってくださっていることなのらしい。三野さんはアメリカの灯台の写真を専門とされているから、当然、アチラのギフトショップも良くご存知で、僕の理想とするところがその辺りにあることを大変理解してくださっている。ありがたいことである。あいにく、ウェブではポスター販売の専門店だが、そういった理解者がいることは実店舗のギフトアイテムももっと充実させてゆくことへの大きな励みとなる。まだまだウェブのポスター販売も実店舗も道半ばなのである。

夜は、お得意客のNさんのお宅に伺った。Nさんは海軍から海上自衛隊を勤め上げた生粋の海の男だが、海軍時代からのご友人からリンゴと柿をいただいたとのことで、帰りにいくらか持たせて下さった。僕は果物には全く無関心な人で、一人暮らしの頃にはお金を出して果物を買ったことが皆無だったくらいだ。そんな僕が2つだけ気になる果物がある。梨と柿だ。その柿なので相好を崩すと「大丈夫ですか?」とおっしゃる。「何がですか?」と聞き返すと「いやあ、石田三成ではないけれど、柿はダメだという人もいますから・・・」普段は思い出しもしない石田三成公と柿の話を久々に聞いて、これまた三野さんのオーシャンノートへの暖かいご理解と結びついて心が洗われた。

三成公は関が原で負け、六条河原で斬首されるのだが、処刑に向かう途中喉がかわき水を所望したそうだ。あいにく水がなく、護送の武士が近くの農家から柿(干し柿?)を貰い三成公にすすめると、「柿は痰の毒」と断った。「間も無く首を刎ねられる者が何の養生だ?!」と笑われ、三成公は「大志を持つ将たる者、最後まで体をいたわるものだ。何とか大望を遂げたいと望む故・・・」と言ったとか。

組織にもわが身にも、”慣れ”だとか制度疲労が伴うものだが、今際の際に至っても大志大望を失わない三成公は世評とは違い素晴らしい胆力の持ち主だったと思う。僕は柿は大いに食べてしまうが・・・自戒自戒(2007,11,19)

11/05 戦艦大和特別展 於軍艦三笠

戦艦大和特別展のポスター:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

おとといの朝、店に出勤すると裏の玄関に丸めたポスターが立てかけてあった。横須賀海洋少年団の指導員Mさんが置いていったものだ。開けてみるとご覧のとおり、戦艦大和の特別展のポスターだ。この位置はピースボートのポスターの定位置なのだが、今回のものは剥がれて飛んでいってしまったようで(悪戯かな?)、ちょうど壁も空いていたので、早速、店先に貼らせていただいた。横須賀市制100周年イベントの一環のようだが、会場は記念艦三笠、会期は11月10日から来年1月一杯である。戦争の是非や軍国主義云々にかかわらず出かける価値はありそうだ。

大和という戦艦の存在にまつわる議論はいろいろあろうし、映画屋さんならともかく、戦争美化ということになってもいけないとは思うが、大和にしても会場である記念艦三笠にしても、事実として、日本人がその時代に何を考え、どのように生きて、どのように誤ったか、目をそむけることなくその事実を伝えてゆくことはその時代に生きる者の責任ではないかと思う。三笠という艦は世界三大保存艦のひとつ、他の二艦は英国のビクトリー、米国のコンスティチューションである。いずれも米英両海軍最古の現役艦扱いで敬意を払われている。そもそも日本に海軍は無くなってしまったので、現役云々はともかく、この三笠の保存にも、もう少し熱心であっても良いような気がする。少なくとも今、先進首脳国とやらに名を連ねることができているのも(今や国としての競争力も風前の灯のように写るが)、明治時代にどこの国もなし得なかった急速な近代化、工業化を図りこれに成功したしたことが源流にあり、その国策の一環でやむを得ず外国と衝突を起こした生証人たる価値を持っていると思うのだ。記念艦・・・英国にとってはナポレオンから国を守った艦、米国にとっては独立戦争で自由を勝ち取った艦、三笠に何を見るのだろう?そして大和というフネは一体何だったのだろう?

僕は右傾左傾もなく、極めて普通の思想の持ち主だ。ノンポリ(旧い言い方である、苦笑)と言っても良いくらいだ。ただ、完全なペーパー先生だが、一応社会科の教員免許を持つ身として、中正公立な史観を持っていたいものと思っている。どこの国でも、多かれ少なかれ自国に都合の良い史観を子供たちに教えるものだ。史観が政治問題になってはいけないし、まして国際問題になるのはいかがかと思っている。でも・・・大和のポスターで、いろいろ考えてしまうのは・・・やはり日本人の中にある自虐的史観が僕の中にもあるのかな・・・そんなことを思うと、宇宙戦艦ヤマトっていうのは、やっぱり大したものと思う。(2007,11,5)

10/26 神奈川新聞掲載 商工会議所と創業

神奈川新聞記事掲載:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

今日の神奈川新聞に当店の記事が掲載された。これは横須賀商工会議所が運営するウェブサイト”ヨコスカイチバン”からのピックアップということで掲載していただいた。横浜の岩崎学園の学生さん、南方里織さんが実務研修の一環で記事を担当したのだが、ありがたいことに彼女が当社を指名してくださった。取材にもきちんと見えて、その後の記事執筆も大変ご苦労されたことと思う。労をねぎらいたい。

思えば商工会議所との縁は、先輩のIさんの助言から始まった。実は、勢い良く会社を辞めたは良いが、ラーメン屋さんだとか、パン屋さんだとか事を決めてかかったわけではないから、頭の中で試行錯誤を繰り返すも中々思うようには事業の構想がまとまらなかった。ひととおり勉強したマーケティングとやらの知識で、いっぱしの事業計画は立ててはみたが・・・(経験のある方ならわかるだろうが、無用とは言わぬまでも、ほとんどアソビですな、これは)時は流れ、さていざ創業となるとどうして良いかわからない。するとある日、Iさんのヨットの上で日向ぼっこをしていると「お前、商工会議所に行ってみな」と来た。それで、商工会議所に行くと”創業セミナー”なるものがありこれに参加してみた。このセミナーが、直接役に立っているか否かはともかく、無事会社設立に漕ぎ着けることに至ったのは事実である。何より、行きがけの駄賃ではないが、横須賀市のベンチャー事業支援制度に応募して、えらい苦労の末認定を受けることができたのも創業セミナーがきっかけだったし、そのための事業計画の再構築は、少しづつ、方向修正を余儀なくされた部分もあるがオーシャンノートの柱になってくれていて今日がある。商工会議所での出来事が無ければ、ポスターの販売はおろか、もっと拙い仕事になっていたのではないかと思う。

僕はどちらかと言えば、ロビー活動みたいなものは得意な方ではないが、商店会の役員の末席で寄り合いも欠かさず出席させていただいているし、創業時に会議所にお世話になった縁から”ヨコスカイチバン”にも参加して、ありがたくも新聞にご掲載いただく機会も得た。”横須賀市ベンチャー支援認定事業”のご期待にはとても応えているとは言えず恥じ入る部分も大いにあるが、信念と情熱(と執念?)は衰えず、何よりウェブでは全国の皆様が購入してくださることが大きな励みになっている。僕の夢は・・・書くと大風呂敷の事業計画みたいになるから止めておこう。(苦笑) (2007,10,26)

10/19 白石康次郎さんのサイン

白石康次郎サイン:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

単なるポスター販売ではなく、新しい試みにトライしてゆきたいということは以前にも書いた。ポスターにとどまらず、良いものであれば、今もやっているポストカードの額装品に止まらず、写真集や画集でも額装して、インテリア空間を良くしてゆくことの一助となりたいものである。そのための、デザイン性の高い(通じるけれど変な日本語である)アートフレームも開発して試作品はテスト中だが、まだ考えはまとまらず、また機会を見て紹介したいと思う。やはり、お金を唸るほどお持ちで、シルクやリトを買える方はともかく、もっと手軽にクォリティの高いものを楽しむ方法あるし、それをお客様が理解してくださるのはありがたいことである。

さて、そんな良き理解者のお一人のお客様の齋藤さんが電話を下さった。「ヨットの白石康次郎さん知ってるか?」もちろん、知っている。もう、数年前だが、トークをお聞きして、休憩時間に親しく会話もさせていただいた。聞けば、白石さんは齋藤さんからみれば、三崎水産高校の後輩に当たるそうで、そういう後輩がいるなら応援したい・・・とのことだ。で、店にいらしたときに、簡単な白石さんのこととをお伝えし、先日5 Oceansで2位になった記事が載っている舵誌を貸した。齋藤さんは白石さんの事務所に電話をされたそうだが、たまたま長井のソレイユの丘で、横須賀市制100周年イベントのトークショーの記事を見つけ齋藤さんにお伝えした。齋藤さん、そこに出かけ、白石さんのトークショーを聞いたそうだが、終わってステージの袖で会話することが出来たそうだ。「自分は第X期の卒業で・・・」と話すと「ありがとうございます!先輩!」という素晴らしい時間だったそうである。そう、僕も白石さんとお話したが、年齢的には青年ではないかもしれないが、まさに好青年。とにかく、さわやかで明るくて素晴らしい方なのである。ヨカッタヨカッタ・・・で、その時に、何も持ち合わせがなかったものの、たまたま持っていた僕が貸してあげていた舵誌の白石さんのゴールのときの写真のぺージにサインを貰って来てくれた。話が戻ると、雑誌のページであってもこうしてきちんと額装すれば、下手なポスターどころか、下手なゲイジュツ作品なぞ吹っ飛んでしまう。本当は両面印刷されている雑誌ページの裏が透けないように裏打ちでも上手にやればもっと素晴らしいものになるに違いない。これは研究課題だ。

さて、5 Oceans・・・大会規模は大きくはないようだが、ヨットレースでは5本の指に入るであろうビッグレースである。スプリントではアメリカスカップ・・・これはF1。で、ボルボオーシャン(旧ウィットブレッド)は・・・パリダカ(WRCとも例えられるがワンレースだからパリダカのイメージが近いと思う)。これは世界一周で、最も過酷といわれる。で、同じ世界一周を60fのヨットに乗って単独でやるのが5 Oceansなのだ。本来10人以上のクルーが要る大きさである。これは・・・想像も出来ない大変なレースなのだ。詳しくは白石さんのホームページに譲るが、こうして海洋国としての日本に意義を感じて部分には大いなる共感を持つ次第である。フレーッ、フレーッ!コージロウ(2007,10,19)

10/12 船のデコパージュ

キュナード客船クィーンメリー・デコパージュ:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

何度も書いているが、横須賀の店ではポスターばかりではなく、海の雑貨、アート雑貨を販売している。この2〜3週間、このデコパージュの販売に奔走した。これはそもそも、ある見本市で偶然に見つけたもので、海関係、ポスター関係で探していたら、とても見つけることは出来なかったろう。その時は時間があったので、関係のないものも後学のために見てやろうと思っていて見つけたものだ。スコットランドのアラン・ウヮーレスという職人さんが作っているもので、船の設計図をもとにそれを透視展開図のようにして、レーザーカットした6層くらいの木で立体的に表現したものだ。デコパージュというのは本来は同じ図柄の紙をカットの線をずらし立体的に表現するもので、これはその奥行きにあるもの同士を同じ層にして重ねるのでデコパージュといえるかどうか・・・そもそも誰もやっていないことだから、名前のつけようも無いといえば無いのだろうと思う。客船クイーンメリー、タイタニック、帆船ビクトリーの3種類があったのだが・・・これが輸入停止になってしまったので大騒ぎしてしまった。

まあ、ユーロ高の問題が大きいのだが、輸入元の商社にとっては結構な在庫負担らしい。この商品、価格は20000円ほどなのだが、それでも右から左というわけではないらしく、当店も同じだが、いずこも在庫の資金繰りは大変なのだ。無くなってしまう・・・僕にとってもお気に入りの商品だったので、残念に思って先方の社長さんと話していたら、とんでもない話を聞いた。実は、これほど出来の良い工芸品も稀だから・・・目をつける人は目を付ける。商船三井は客船・にっぽん丸のオリジナルデコパージュをオーダー、アラン氏がこれを製作したそうなのだ。そしてそれは、世界一周のお客様に記念品として進呈されているのだそうだ。船内のショップでは限定販売されているらしいという噂もあるが、このにっぽん丸バージョンはにっぽん丸で世界一周しなけりゃ手に入らない代物ということらしい。そして、日本郵船も先ごろの大きなクルーズ客船の就航(飛鳥兇犬磴△覆いと思う)に際してオーダー寸前まで話が運んだとか。こちらは設計図を出すのはセキュリティの問題で不可!と郵船上層部の判断があったとのことで企画が流れてしまったのだそうだ。

そんな逸話のある商品、余計に面白くて、おまけにもう、日本での入手が不可能になるということもあり、当店の船好きのお客様にお声がけした。結局、お一人を除いて全員が購入と相成って、本日、最後の一枚になった上の写真のクイーンメリーも入荷した。しかし・・・残念なことだ。こんなユニークで美しい船のプレミアムグッズも珍しい。輸入中止・・・残念やらなんやらで、なんだか、ため息の出る話である。(2007,10,12)

10/04 ウィルクハーンジャパン

残念なことに、今日は珍しく?多忙な一日でお邪魔することも叶わなかったが、六本木のウィルクハーンジャパンのショールームが全面改装したとのことで、お披露目のパーティーだそうだ。あまりインサイドストーリーを語る立場にもないし、すでに輸入家具ギョーカイでは”過去の人”だから細かいことまで知る術もないが、リニューアル前のウィルクハーンジャパンのショールームは、元々、あのカッシーナが使っていたところを居抜きで入居したところで、実はこのあたりの話が、今のオーシャンノートにつながっていたりするのだ。僕はもうかれこれ10年近く前、このショールームで直接ウィルクハーンの商品を販売することと、その為に、ウィルクハーンだけでなく、周辺の商材を集めるためにポスターの額装という仕事に出会ったのだ。

結局、志半ばで、その構想はとても思い通りにはならなかったが、発想だけ話せばこうなる。ウィルクハーンは、そのままズバリ、バウハウスのデザインを形にした家具メーカーではなかったものの、巷で理解されているバウハウスへの理解・解釈は実は余り的を得ておらず、むしろウィルクハーンや北欧のメーカーあたりが本来あるべきバウハウスの到達点なのだと信じている。このあたりは話せば夜が明けてしまうので割愛するが、そういったプライドが(勝手に)僕の中にあったものだから、”バウハウス”を探し回っていたところ、ある日、某所でカンディンスキーのポスターにぶち当たった。この店の会社の本体は、そこいら中のデパートに店舗展開していて、渋谷のロフトにある店もそうだし、グッとローカルだが、我が横須賀のさいか屋のアート売り場もそこがやっている。ただ、店の責任者には当時、裁量権が随分あって、某所では他の店舗みたいにサビニャックやウォホールだらけということはなく、どちらかといえば通好みのポスターを置いてあったので気に入った。で、独自性のあるフレームをオーダーしてオリジナルの商品として六本木に数点置かせてもらった。売れ行きはともかく、これがなかなか良い商品だったわけで、ここが、アートポスターのオーシャンノートの出発店なのである。そう、その当時も額装品しかやっていなかった。これはもう、信条みたいなもので、ポスターだけを買っても飾られないままになることが多いことが自分の経験上、痛いほどわかっているからである。

まあ、古い話はともかく、ドイツの名門であるウィルクハーンは創業100周年だそうだ。100年の家具会社といったら・・・そうは無い。多分、ヨーロッパでも、”モダン家具の会社”という意味では5本の指に入る。ヨーロッパでも消えてしまう会社は沢山あるし、オーナーが変わってしまう会社がほとんど。オーナーシップが変わらず今日も健在なウィルクハーンの100年はそれだけで価値があることだし、もちろん、市場の支持があるからこそそれだけやってきているのだ。なるべく早い機会に、六本木の新しいショールームを訪ねてみたいものだ。(2007,10,4)

09/28 ディスカバリーCH・クイーンメリー2

僕(当家は?)はビデオだとかDVDといったものに余り関心が無く、ビデオが壊れていても不便を感じたことは無かったし、TSUTAYA(と、言うのかな?)みたいなレンタル店の会員にもついぞなったことがない。5年程前、初めてPCを買った時に、プロバイダはNTTと散々揉めた上(今でも忘れない「局から離れていて云々・・・嫌ならどうぞ止めて下さい」ってな調子なのである)、マンションの誰かがJCOMに入ったため回線が来ているのを思い出し、急遽JCOMをプロバイダにした。ついでに、JCOMのTVの契約もした。ただ、それでなくてもTVに興味が無いものだから、あのTVガイドのお化けみたいな番組表は、ついに解読できなんだ。結局、その場その場でクルクルチャンネルを回しながらTVを見ている次第。60何チャンネルあっても猫に小判、豚に真珠なのであるが・・・

そんな時にも、偶然素晴らしい番組に出会うものだ。昨日は、ディカバリーチャンネルで、客船・クイーンメリー2の建造のドキュメンタリーをやっていて感動した。それぞれの映像は、まあ、大きな建設現場のようなものだが、日本語に吹き返られた解説やインタビューが素晴らしい。それと、クイーンメリー2が目指したもの・・・もうすぐ引退のクイーンエリザベス2や初代クイーンエリザベス、初代のクイーンメリー、そして涙物はあのノルマンディー。当時の雄姿の映像なぞ、日本じゃあ見ることは稀だ。設計者は「船名を継ぐので、クイーンメリーを意識した」とか、解説では「その辺のクルーズ船とは違う。どんな荒天でも港に逃げずに大西洋を渡る」と来た。英国の海防上、そのポジションは明言されてはいないが、何度も商品解説やブログに書いている通り、結局は有事の兵員輸送任務にも耐えられる、つまり七つの海の覇者であった英国の誇りが凝縮された船がクイーンメリー2なのだ。

さて、残念ながら予定があるのかどうか、DVDは未発売である。しかし、番組は何度か放送される。これは・・・必見である。一応放送予定は、28日(金)21:00、29日(土)2:00、30日(日)13:00、10月5日(金)8:00、である。JCOMに限らずCATVご契約の方ならディスカバリーチャンネルもご覧になれることと思う。これは、絶対必見である。(2007,9,28)

(後日追記:Ocean-Note DVD ANNEXで、海事資料としてプライベートコピーをお分けしています)

09/27 ギンヤンマ

44回目の夏にして初めて・・・そんなことも、まだまだあるものである。この季節の虫捕り、ささやかな我が家の楽しみだ。小さい子供がいなきゃこんなこともないのだろう。何のことはない、夢中になっているのはこちらかもしれない。昨日は・・・生まれて初めてギンヤンマを捕まえた。

僕が育った昭和40年代の東京中野に自然らしい自然は無くて、トンボさえ珍しかったし、子供のころ週末を過ごした伊豆の網代や、母の実家の山形の最上川沿いの土地でもシオカラトンボやアブラゼミはいっぱいいたものの、いろんなものはいなかった。(もっとも、今は見られないものの当時の山形にホタルはいた)横須賀に来たのは20年ほど前だが、びっくりしたのはムカデとゲジゲジ。こんなものはゴムのおもちゃの世界で、どこにいるのかと思えば、ここにいたのだ。先日は夜中にとうとう、生まれて初めてムカデに噛まれた。もちろん飛び起きてしまった。当家が住まうマンションの廊下は蛍光灯にクワガタが飛んでくる。今年はゼロだったがカブトムシも来る。こんなことは網代でも山形でも経験がない。よっぽど田舎なのだろうか???

最初に書いたとおり子供がいなきゃあ、こんなことも無いだろうが、真夏のセミ捕りもこの歳になって真剣に取り組んで、一昨年はついに、捕まえにくいツクツクボウシやヒグラシも捕まえた。さて、今年は夏の初めにニュースで聞いたが、周期の関係でトンボの当たり年だとか・・・なるほど当たり年で、8月15日ごろ、突然ポスター屋のオーシャンノートの我が店内にオニヤンマが入ってきた。デカくて、黄色と黒のダンダラ、間違いない、オニヤンマである。心中、この興奮も忘れない中、昨日はギンヤンマである。

有名になっても困るので場所は詳しく書かないが、観音崎某所の虫捕りは去年からの楽しみだ。バッタやトンボが沢山いる。去年の風の強い日には、アキアカネが素手で捕り放題だった。長女もお手の物であった。今年はまだ暑く、もう2週間くらい先がピークになりそうだが、それでもアキアカネはずいぶん捕れる。ひとしきり楽しんで、ある場所まで行くと・・・いろんなトンボがいる。それぞれの種類はわからないが、(子供の頃はクラスには必ず虫博士みたいな子がいて、そんな子はどこで捕まえるのか、いつも虫を持っていた、そんな子なら全部わかるのだろうなあ)ひときわ大きく、早く飛び、羽の付け根の水色が鮮やかなトンボ、これは僕にも判る。ギンヤンマだ。アキアカネとは違う、スピードが違うから網さえ出せない。じっと待って徘徊のコースを読む。でも、僕が行くと微妙にコースを変える。それも網がギリギリ届かないようにだ。しゃがんで待つ。他のトンボと交錯、一瞬コースをこちら寄りに変えた瞬間、一発必中。一網で捕まえた。30分掛かりである。美しい。宝石のような黄緑の眼、胴の水色、神々しいくらいだ。どうせ、帰りには逃がすのだが、虫かごに入れることさえ躊躇われた。ひとしきり見て・・・逃がした。女房も子供も僕も・・・ため息だ。夢の中で、まだギンヤンマを追っかけていた。

いつまで、ギンヤンマがいるだろうか?子供たちは覚えていてくれるだろうか?ダメだ。「昨日捕ったトンボ覚えてる?」とたずねると「ギン・・・なんだっけ?」いつまでもトンボたちが飛ぶ空であってほしいものと願って止まない。(2007,9,27)

09/13 安部総理の辞任

2007年安部総理のポスター:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

安部総理のポスターも外されて、すっかり秋風が吹いている感。昨日は定休日だったが、雨だったので横須賀人文博物館で子供たちと過ごす。市制100周年の企画展、横須賀の近代建築はボリューム的には多くはないが、まずまずの見ものではある。帰宅して3時、民主党は終わっちゃったかもしれないが、国会の代表質問でも見るか・・・とテレビをつけてビックリ!安部首相辞任?てっきり、代表質問でハプニングでも起きたのかと思った。お陰ですっかりニュース番組漬けになった休日だったが、このところのマスコミや日本全体の風潮に、少々疑問を持たざるを得ない。個人的に安部さんの辞任の仕方にとりたてて是非を感じるところもないが、ただ、僕には「寄って集って」と思えて仕方ないのだ。今朝の新聞の社説やコラムも味噌糞だ。確かに肯定的に思える辞任ではなかったのかもしれないが、今回のことに限らず、閣僚の失言問題などを見ても「寄って集って」と思えてならない。マスコミは意見を言うというより、本来は事実を伝える使命があるのだから、コメンテーターやキャスターの発言は一意見であることをわきまえる必要があるし、そういった立場の人が辞めるべき云々の発言も控えるべきと思う。なぜ、こんなことを言うのかと言えば、ペンが剣より強いのは結構なことだが、一歩間違えばペンの暴力に成りかねないと感じているからだ。日本人の民主主義は未熟で、多かれ少なかれ誰もが見出し人間だから、マスコミの言うことが”風潮”になってしまっているように思えてならないのだ。

小学校6年のとき、先生が黒板に”世論”と書いた。「よろん、またはせろんと読むのだが・・・」といって、アメリカは世論の国だといった趣旨の説明が印象的だった。佐藤栄作の内閣支持率は最低が17.3%、田中角栄は10.6%・・・子供心に何でそんな支持率で総理大臣をやってゆけるのだろう?不思議に思ったものだ。その点、アメリカ大統領の支持率は40%でも低いといわれ、40%を切ると、もう次は無いといったところ。確かに世論の国なのだ。日本でも小泉さんは平均で50%を上回る支持率を記録して、党内の支持が決して多くは無い小泉さんが任期を全うできたのは、この高い支持率のよるものだ。そしてそれが国政選挙にも反映され、良い意味で日本も世論の国になって、国民の意思が政治に反映され始めた印象も持つ。しかしながら、これが「寄って集って」になると問題だ。折角、世論が大きな力を持つようになってきたのだから、よくよく考えて是非を唱えないといけない。くれぐれもマスコミが作る風潮を鵜呑みにすることに気をつけることである。

こんな心配をするのは、返す返す、日本の民主主義が歴史的に見て脆弱で未熟だと思うからだ。アメリカは独立戦争、フランスはフランス革命・・・それぞれ支配階級を打倒して民主主義を勝ち取った。日本は・・・幕藩体制を打倒したのは民衆ではない。氏族たちだ。だから、経済史的にみれば、民衆は我が手に生産手段を勝ち取ることができなかった。これは他の国の革命とは一線を画している。民衆が生産手段を勝ち取るのは第二次大戦後だが、これまた自らの手で勝ち取ったものではなく、GHQの財閥解体や農地解放によるものだ。僕は大学時代に、これを「上からの革命」と名づけて、いわゆる市民革命とは違う!という論理を組み立てたものだ。で、要は、そういった歴史的な経緯からして、日本の民主主義が脆弱で未熟だと考えている。従って、今でも一人一人がしっかりとした考えを持てず、ついつい作られた”風潮”に流される傾向があるように危惧しているのだ。寄って集って非難の中にある安部さんにいささかの同情を禁じ得ず、つくづく民主主義のありかたを反証した一日であった。

やっぱり、誰か政治家の発言だったように記憶しているが、今でも名言と思っている。「溺れている子犬を棒でたたくようなことをしてはいけない・・・」  やれやれ、海のポスター屋さんの日記にはふさわしくないものになってしまった。ご勘弁いただきたい。それと、僕は至って普通の人であって、宗教家でもないし、政治団体にも所属しない、ごく普通の無党派というやつである。念のためお断りしておく。(苦笑)(2007,9,13)

(後年加筆:5年後、安倍晋三氏は再び総理大臣になりました)

09/06 海の貴婦人、帆船エスメラルダ

帆船エスメラルダ:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

昨日は1月、9月恒例の見本市と、船の科学館の学芸員のSさんとの打ち合わせで、お台場に行った。僕はお台場に行くときは浜松町から都営バスで行くのだが、レインボーブリッジの上から、晴海埠頭に係留されているチリ海軍の練習帆船、海の貴婦人といわれるエスメラルダを眺めた。実は、先日、帆船好きのお客さんのHさんから、「晴海にエスメラルダがいますよ」と聞いていたのだ。今年は1月の見本市、3月の船の科学館、そして今回と3回お台場に行っているがその度に帆船を見ている。1月は右の写真、ビッグサイトの海側の住友重工の埠頭でメンテナンス中の日本丸(本当は浦賀ドッグが閉鎖されていなければ、建造された浦賀にいるところなのだろう)、3月はこのブログにも書いた海王丸、そして今回の左の写真(何せ、バスの中から撮った写真、見づらく恐縮である)のエスメラルダだ。

エスメラルダはチリ海軍の練習帆船で、チリ海軍のプレゼンスがどの程度のものかは承知しないが、とにかく別名、海の大使館とも言われるほどで、世界中の船のイベントにやたらと登場することで知られる。その分ファンも多いようだ。横須賀にも2002年に来てパレードに参加している。とにかく、やたらとイベントに参加するので、個人的には、いつ訓練しているんだろう?と思ったりもする。ちなみに”エスメラルダ”は”エメラルド”の意味だそうだが、バーケンティンというやや珍しい展帆形式を持つ。これは日本丸などのバークと逆で、3本マスト以上で一本のみ横帆、それ以外は縦帆の形式だ。そもそも横帆と縦帆の違いを間単に解説すれば、横帆は季節風を受けた長距離航海に向き、縦帆は沿岸の近距離を自由自在に航海するのに向く。お分かりのとおり、縦帆の方が風への切りあがり性能は良くなり、操帆は楽だ。横帆だと、何事も、それこそ一致団結して事にあたらなければ成り立たない。そうは言っても4本マストだ、やはり一致団結は不可欠だ。

以前にも書いた気がするし、商品説明でもあちらこちらに書いているが、帆船のこの操船の難しさや、海の上での連帯感を必要とすることが海の男を育てるのにもってこいなのだそうだ。アメリカのイーグルは沿岸警備隊の所属だが、実は毎年の訓練航海は海軍と沿岸警備隊の士官候補生が半分ずつ乗る。世界最強のアメリカ海軍でも帆船で訓練しているのだ。帆船は確かに時代の役割を終えたが、絶対に無くなることが無いといわれる所以である。

残念ながら、帆船に乗ったことはないが、いつかは乗ってみたいものだ。もっとも、僕は高いところが苦手だから展帆作業はご勘弁だが・・・すっかり帆船づいた頭で船の科学館のSさんと話していたら、少し先だが、英国のネルソン提督で有名な現役扱いの保存艦、ビクトリーのデコパージュ額をご購入いただけるような話になった。うん、帆船様様である。ところで、ビックリ、船の科学館に沢山展示してる模型、わずか50センチばかりのタグボートの模型でも300万円だとか・・・大和あたりだと1000万とか2000万とか・・・模型を全部合わせたら・・・天文学的な金額だ。もひとつ、ところでだが、船の科学館の屋外に飾ってあった大きな大和の模型、どうして無くなったのか聞いたら、5年前、台風で艦橋がポッキリ折れてしまったのだそうだ。(2007,9,6)

08/31 海のミルク・・・カキの話

おととい、カキを使った水質浄化実験が始まったというニュースを聞いた。果たして、広い海で局地的に水質が浄化できるかどうかは、個人的にはなはだ疑問を感じるが、一理あるのは確かである。カキという貝は、ものすごい”きれい好き”でカキをバケツに入れて一日すると、バケツの水はほとんど無色透明になる。おまけに、この水、無菌なのだ。

横須賀に引っ越した頃、走水あたりででアサリを拾ったものである。一人暮らしで潮干狩りもない、ただ夜の荒れた波で上がっているアサリを拾うのだ。それでも小一時間で両手一杯くらいは拾った。そのうち、走水では稚貝を放流するようになって、有料の潮干狩りも始まったので、こちらは遠慮することとした。(ちなみに、アサリは漁業権があるので、本来は、やたらその辺で掘るとお縄である。もうひとつついでに、海外ではそのあたりはしっかりしていて、どこでもかしこでも釣り人がいる、ってな状況はない。その辺も、日本では、いかに海の文化レベルが低いか判る。あれだけ釣ったら、そりゃあ魚も減る。”海は皆のもの”ってのを勘違いしているのである。)

さて、寂しい一人暮らし、海辺をブラブラしていると、飲み屋で一個300円とか400円で売ってるカキと同じようなものがある。「これはカキじゃあないか?」で、その場で割って食べた。間違いない、カキである。(正確にはマガキである)それから数年間、冬のカキ獲りを楽しんだ。いろいろ調べると、東京湾のカキには漁業権がない。そもそも、波ではがれたものを拾って食うのだから問題ない。昼の引き潮を狙って出かけると、大小50個くらいは簡単に拾える。もちろん殻の閉じているものに限るが、カキは生命力も桁外れで、打ち上げられて乾いていても、ほとんど生きている。この頃に、海水のバケツにカキを入れると水がきれいになることを知ったのだ。悪乗りして、ある日、2つの会社にまたがって上司だったIさんを誘った。Iさんも半信半疑で横須賀まで来て、ビックリ!ところが、もっとビックリしたのは、もともと、横須賀産のこのカキ、街場で売っているカキより味が薄いことは感じていたのだが、(これはこの近辺に川が無いからと思われる)、余りの寒さから、Iさんが焚き火を始め、面白半分にカキを焼いたら、これが旨いのである。味が薄いカキが素晴らしいものに変身するのだ。あとで判ったことは、家のガスレンジで焼いても同じにはならず、焚き火の煙で半燻製のようになるから、余計に旨いのだ。

これが1993〜94年頃の出来事、その後、僕達を見ていたんだろう、カキを獲る人がポツポツと現れ、やがて拾えなくなってしまった。中にはバカ長で来るプロっぽい人もいたから、横須賀のどこかの飲み屋さんで出ていたのかもしれない。カキの水質浄化・・・というがお台場だって一杯カキがついている。最も遠目にみると岩ガキが多いようで、今回はマガキを使うようで・・・まあ、結果が楽しみだ。ちなみに、カキの貝毒というのは、フグの毒と似たような原理であり、海の微量な毒素を体内に貯める。フグはそれを蓄積してご存知テトロドトキシンを生成するが、カキはそのまましばらくすると毒は消える。カキの場合は、例えばバケツの中であれば、その水を無菌にしてくれる。と、いうことは、毒素のある海水域のカキを食べれば・・・当たることもある、ということである。因みに体調の悪い時に生ガキを食べたとすると3%くらいの確率であたるのだそうだ。

”R”の付く月ももうすぐなので、もうひとつ、おすすめ・・・生ガキに胡椒を振る。すると・・・赤ワインに合う。これは田崎真也さんの受け売りだが、試したら抜群であった。(2007,8,31)

08/14 ネットラジオ・・・USENのキャッチ商法

USENキャッチ商法の三角くじ:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

今まで、店のBGMは、300枚くらい持っていたCDをアップルのi-tunesでMP3にして、こいつをLANハードディスクに入れて非力な98SEのリブレットを使って再生していた。新しいMebiusを買ったのでちょっと思案して、インターネットラジオを聴いてみたら、ORSRADIOという素敵なラジオ局を見つけた。特に涙モノは、80’s Popというプログラムで、大学時代から20代の頃に街やディスコで掛かっていた曲が目白押しなのだ。こいつを聞くのに音飛びの解消に手間がかかった。配信は128kのビットレートだが、ウィンドウズメディアプレーヤー10でも11でも、9でもダメ。Mebiusuは丁度先日買ったばかりなので調べたらハードディスクのパーティションがない。ウン、少し非力だからCドライブ、DドライブにしたらCドライブのアクセスが早くなって良くなるに違いない・・・と考えた。早速リカバリー。アップデートに半日、WMPは11にして・・・さあラジオだ。ダメである。で、いろいろ調べると、バッファリングの処理をオンにすると良いことがわかった。5秒でもまあまあだが、長時間保たず最長の60秒にした。(バッファリング処理はWMP11の一番上のタイトルバーを右クリック、表示からクラシックメニューを選択する。メニューバーが現れるので、ツールからオプションを選択。パフォーマンスのタブをクリックして、ネットワークのバッファ処理の”バッファ処理をする”のチェックボックスをオン、最長60秒までの処理時間を設定する)そんな、こんなでインターネットラジオがご機嫌で、BOSEのパワードスピーカーもイイ音出している。

BGMのことで、あれこれやっていたら、昨日はお客さんのSさんと話していて、ネット販売でも実店舗があることの信頼性云々などという話になって、一年ちょっと前、キャッチ商法に引っかかったときのことを思い出した。昔、プライベートのホームページで書いた日記をここに転載する。

年甲斐もなくキャッチ商法に引っかかる。手口はこうである。
先日ドーナツを買ったらスクラッチカードが当たったので商品の引き換えに汐入のショッパーズプラザに行った。ダイエーの横で次女を乗せるベビーカーを物色していると、「キャンペーンで無料の三角くじを引いていただけます・・・」という女性がおり、一人であればそんなもの見向きもしないのだが、まあ子供には楽しいだろうと魔がさした。長女は「すごい3等!」とおもちゃをもらう。次に引いた次女は可愛そうにハズレ。僕はベビーカーに次女を乗せるのにあたふたしていて、面倒くさいのでついつい、くじを引いてしまった。
「すごい、一日五本しか出ない2等です!」と来た。「衛星放送のアンテナをプレゼントします」。普通必要ないよな、コレ。だって既に衛星見てる人はアンテナ付けているんだし、アンテナだけもらう人って居るわけない。「ウチはCATVだから」というと、それでは「60000円くらいの衛星のUSEN放送の受信機材をプレゼントします」と来た。これもたまたま運悪く?、実は今開店準備中の店舗でBGMをどうしようかと思案しており、USENも考えの中にないわけではなかった。これも何かの縁だと思い、月々4000円のモバHOというモバイルUSENの5年契約をしてしまった。何せ60000円の機材がタダで、10000円のキャッシュバック付きである。恥の上塗りでそのキャッチの女性と記念撮影までしてしまった。ここまで来ると恥ずかしながらバカ丸出しである。帰宅後、女房は「ミスタードーナッツも当たったし、この頃ツイテきたんじゃないの・・・」
機材との接続やら何やら確かめようと、契約書やパンフレットをよく読むと・・・変だ。USENの受信契約は1860円。何で4000円なんだ?残りは早い話が受信機材のリース料なのだ。調べてみると、当たり前だが電波を使っている以上、受信機材が市販されていたら、みんなタダで聞くことができてしまう。課金のために機材は全てリースで、それを会費という名目にしているのだ。で、確かに今は入会キャンペーンをやっており10000キャッシュバックなのだ。となると・・・僕の2等賞は一体全体何が当たりだったんだろう。60000円相当は相当なのであって、60000円で販売されているわけではないのだ。ここまでくれば、もう怒りモードに突入である。早速、五反田のこの会社へ電話して、「一体、俺は何が当たったんダッ?!」と厳しく説明を求める。勿論、応えられようもなく、即時解約である。怒りは収まらず、再度ショッパーズプラザにとって返し契約書原本を取り返してきた。一言「まずいんじゃないのかい?」と言ってあげた。
しかし、反省反省である。バカ丸出しでキャッチの女性と写った写真を見ると・・・女性はハズレの箱と3等の箱、そして写っていないが必殺の2等の箱、3つの箱を持っている・・・

人に歴史あり?とにかく、ハッピーなBGMを聴いている。でもアメリカってすごいなあ・・・著作権とかどうなっているんだろう?(2007,8,14)

(追記:当ページへのアクセスが多いのでアドバイス。もし、同じような方法で契約書にサインをしてしまって後悔している方がおられたら・・・今、帰ってきたばかりなら、すぐに取って返して契約書を取り返せば安心です。すでに行った先が閉店してしまっているのなら、契約書の連絡先へなるべく早く連絡して契約解除の旨を申し出て下さい。法律的にはその意思表示をすれば契約は成立ません。僕のケースでも五反田の会社に連絡した時点で契約無効は成立していました。消費者はクーリングオフという制度で保護されています。電話ではきちんと相手の氏名を確認すること、それと行けるところだったら契約書を取り返して来れたら尚安心でしょう。勿論、契約に納得している方はこの限りではありません。恥ずかしかったのですが、当時のバカ丸出し記念写真をアップしました)

08/08 シュモクザメのペンダント

市川真澄ビーチグラスのアクセサリー:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

伊豆、宇佐美の海にシュモクザメが現れたそうな・・・泳ぎに行ったことは無いものの、子供の頃、その手前の網代や多賀は週末を過ごしていた時期があって、たまに宇佐美や伊東にも足を向けたので、テレビでシュモクザメが泳いでいるのが放送されて目が釘付けになってしまった。まあ、人を襲うようなサメではないそうだが、3.5mとか・・・泳いでいてそんなのに会ったら怖いよなあ・・・だいたい背びれだけ見て、シュモクザメとは判らないわけだし。

ところで、シュモクザメといえば、オーシャンノートで作品を販売させていただいている市川真澄さん、先月NHKのおしゃれ工房に出演したそうだ。残念ながら、番組は見損なってしまって内容はわからないし、どのくらい出たのかはわからないが、市川さんが所属されているNPO日本渚の美術協会が主役だったらしい。以前にもこのブログで紹介させていただいたが、この協会は海浜清掃を通じて拾ったもの、ビーチコーミングで得たものでアートを製作しているのだが、市川さんはこの協会のオリジナルメンバーだ。市川さんは、ステンドグラスの手法がスペシャリティーなのだが、そのテーマというか、一番好きな題材はシュモクザメ(次にマンタとおっしゃる)なのである。何でかはわからないが、お好きなのだそうだ。写真のアクセサリー(ペンダント、チョーカー、左からシュモクザメ、魚、マンタ)は、なかなかのお値打ちである。全長5cmちょっと、でもこうしてきちんとカッパーテープを巻いてハンダでつけて・・・ステンドグラスの相場からすれば2900円はちょっと安すぎる。でも、販売価格はご本人のご希望だから・・・ちなみに、この商品は実店舗のみの販売である。(市川さんの作品の販売は終了いたしました)

僕はダイビングどころか泳ぐのもそんなに上手ではないから、シュモクザメさん、アクセサリーでつける分には良いが、海でバッタリ会ったら怖いなあ。ちなみに、宇佐美の方は、もちろん防護ネットがあり安心だそうである。(2007,8,8)

08/07 吹きガラス作品 ”海グラス”

小見波郁子・吹きガラス作品:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

このところ、自作のボトルシップや帆船の模型を持ち込まれるお客様がいくらかおられるが、これはやはりあくまで趣味の世界であり、販売する!という作者の意思とモノの出来などから、一朝一夕に”作品”を増やすのも結構難しいものである。それに、あまりに”クラフトのお店”になるのも良し悪しかなあ・・・と思ったりもスル。

さて、昨日、小見波郁子さんが、吹きガラス作品を持ち込んでくれた。まだ、寒い頃に買い物に見えて(ご本人曰く、タウン誌に、当店オーシャンノートが掲載されたのを見て来たのだったそうだ)、いろんな話の中から、「作っているなら、一度持ってきたら?」と僕が言ったので、もう忘れかけていたものの、遅ればせながら?作ってくれたのだ。僕は、ガラスは詳しいわけでもないが、一目見て「こいつは、泡盛のロックグラスだぁ」と気に入ってしまった。早速、置かせていただくことになった。

小見波さんは、吹きガラスのキャリア10年だそうだ。プロになると、ほぼ同じ大きさと形のものを吹けるそうだが、そうは行かず大きさや気泡の入り具合は一期一会だそうだ。でも、これが味がアル!こういった商品は、今のところネット販売に投入する考えはないのだが、この日記?(ブログっていうのかなあ)は、結構地元の方がお読みのようなので紹介させていただいた。販売価格は2000円である。(2007,8,7)

(小見波さんの作品の販売は終了しました。小見波さんはその後三崎のうらりのガラス工芸の講師さんになられました)

08/06 勝利のキッス − LIFEの写真

先日、とあるニュースに感動した。アメリカのLIFE誌が休刊になって久しいが、”V-Day Kiss”という有名な写真をご存知だろうか?これは、日本が太平洋戦争(古い言い方だなあ、まあ僕の父なんざあ、大東亜戦争と言ってるからなあ・・・)で、無条件降伏したとき、つまり戦争に負けた日、ニューヨークのタイムズスクェアで写真家、アルフレッド・アイゼンシュタットによって撮られた写真だ。戦勝の知らせの狂喜した海軍の帰還兵が看護婦とキスしている写真なのだが、僕もいろいろとポスターを物色している時に気になっていた一枚だ。アメリカでは、10指に入るかどうかは判らないが、とても有名な感動を呼んだ素晴らしい写真である。最も、それが戦争である以上、ややもすると戦争賛美になってしまうといささか問題で、特に敗戦国である日本では微妙な感情をもって見ざるを得ないことも事実だ。ただ、この写真が素晴らしいのは、人間の素直な”喜び”が満面に表現されているところだ。

ところが、意外なことに、この当事者の二人、僕はてっきり恋人同士だと思っていたら、何と赤の他人なのだそうだ。で、看護婦さんの方は、早くからその人物が特定されていたそうだが、水兵の方は不明だったのだが、このたび62年の時を経て、その水兵が、80歳になられるテキサス州ヒューストン在住のグレン・マクドゥフィーさんと判明したというのだ。誰か、わからない永遠の謎でも良かったように思うが・・・

実は、アイゼンシュタットの写真は何点かウェブでもやっていたのだが、事情があって今はお蔵入りになっている。しかし、ライフの写真はマーガレット・バークホワイトの"Shightseers in the Crown of the Statue of Liberty"やアンドレアス・ファイニンガーの"New York 1958""Queen Mary on the Hudson River"などを売っているので、良い機会だからLIFE誌のことも調べてみた。概略的には1936年の創刊、ピークの1970年には850万部!を発行、しかしテレビに押されて1972年休刊、1978年から2000年までは月刊で復刊、2004年からはフリーペーパーとなり現在はまた休刊だそうだ。今後は"LIFE"ブランドで新しいビジネスを模索するらしいが、膨大な写真はウェブでも公開される予定だそうだ。1936年の表紙はマーガレット・バークホワイトのダムの写真だったそうで、女姓報道写真家の草分けだったとか・・・記事に写真が付けられるのではなく、写真にキャプションが付いている・・・こんなスタイルはLIFEから始まったのだなあ、と改めて感心しつつ、そういえば、当店のウェブの基本的な路線も同じ、ということは1936年から進歩していないのか知らん???妙な気持ちになるものである。いずれにせよ、何だか一枚の写真に物語があるということは素晴らしいことである。(2007,8,6)

08/05 横須賀花火大会2007

横須賀花火大会2007:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

零細企業に、労働基準法もへったくれも無い!8月も水曜定休以外は休みなし。従ってお盆も15日の水曜以外は、オーシャンノート開いてます!

この一年、水曜の定休以外は正月の三が日だけしか休まなかった。街場を見ていると、この手の店(雑貨だとか趣味の店)は結構いいかげんなもので、開いてたり閉まっていたりするものだが、自慢じゃあないが、11:30開店とはなっていても、用事が無い限り大抵9時過ぎには開けているし、この横須賀上町でもセブンイレブンの次に通算開店時間は多かったのじゃあないかと思う。(ラーメン屋さんの麺ロードさんも多いかな?)まあ、決して密度の濃い労働とはいえないかもしれないが・・・(苦笑)ああ、分刻みではないが30分刻みでスケジュールが埋まっていたころが懐かしい。

昨晩は、横須賀の花火大会だった。石神井公園の傍のアパートから、横須賀に引っ越したのは平成に元号が変わったころだった。ローカルな話題で恐縮だが、その頃は今の平成町も埋め立ての最中で、朝帰りの朝や休日はブラブラしたものだった。海釣り公園なんかも立ち入り禁止だったが、夏は裸でブラブラしたもので、すぐ横の空き地(今は下水処理施設を作っている)では、ジャズフェスやサザンのコンサートなんかもあって、海風に吹かれながらゴロゴロしてタダで聴いたものだ。やがて、土地が区画されて、道らしきものの風体が整ったころ、突然、花火大会が始まった。誰も見ている人がいないのに、異様に打ち上げ数の多い花火大会・・・そう数年間はアナウンスも悪く、定着していないので誰も見ていなかったのである。珍しい現象だ。たまたま仕事の大きな変わり目で憶えているのだが、1995年は、まだLIVINも出来ておらず、海風公園は護岸が半分くらい出来た状態。噴水の前の護岸に寝っころがって見たものだった。そのLIVINの屋上の駐車場も今では花火大会の日は駐車料金2000円だとか。(近所の噂)長女が生まれた翌年は楽勝でLIVINの屋上で見たものだったのに・・・

と、まあ、花火大会の盛況も悪いことではないが、平成町の埋め立てが終わり、マンション群が建って変わったこともある。ひとつは、京急の電車が横須賀中央のトンネルを抜けると、景色は窓一杯の海だったものだが、全く見えなくなってしまったこと。もうひとつは、風が無くなったこと。横須賀に引っ越した頃、全9戸の僕が住むマンションは1戸もエアコンを使っていなかった。東京湾の湾奥からの風で、夜は窓を開けて寝られないくらい涼しかったものだ。今は、全9戸エアコンを使っている。花火を見るたびに時の流れを感じるものだ。(2007,8,5)

07/22 JK4 Endeavour ”エンデバー”

先日、ヨットの写真集を買ってくださった建築家の阿部暢夫さんから深夜にメールを頂いた。”今日午後4時ごろ城ヶ島沖でEndeavorと遭遇、ほとんどぶっつかるぐらいに先方がサービスで接近・・・”何だ、何だ、何だ?!朝早く起きてしまって、習慣でメールを見たのだが眠気が吹っ飛んでしまった。何かの間違いだろう?

何と来ているのである。1934年のアメリカズカップ(本当は濁らずにアメリカスカップだが、日本ではどうしても”ズ”が一般的なのでそう書く)の挑戦艇、英国のエンデバーが日本に来ているのである。噂ばかりで正確なことがわからないのだが、横浜ベイサイドマリーナや剣崎、城ヶ島あたりに出没しているのだそうだ。8月中旬までは日本にいて、その後はハワイに向かうらしい・・・

話は19世紀に遡り、1851年に英国のワイト島一周レースで”アメリカ”が圧勝し100ギニーのカップを米国に持ち帰り、後にアメリカ号が獲ったカップで”アメリカスカップ”と呼ばれることになる。英国は七つの海の覇者としてどうしてもこのカップを奪還したい。ということで、ニューヨークヨットクラブに挑戦したのが、最古のスポーツトロフィー、アメリカズカップの始まりである。どうしても勝てない、とうとう英米がこのカップを巡って険悪な雰囲気になった時に、あの”王冠を賭けた恋”のウェールズ殿下の進言を受けて登場するのが、紅茶王のトーマス・リプトン卿である。1899年に初挑戦、1930まで5回挑戦するもののやはり勝てない。しかし、生涯独身だったリプトン卿が莫大な費用を賭けて挑戦したことが「一生涯と全財産を賭ける価値のある」カップという評価になり、今日までその争奪が争われるステータスを確かなものとした。

古くは、クラブ間の私的なレースの色合いが強く(今でも大儀名分はそのまま、国ではなくクラブ間のレースである)、ニューヨークヨットクラブもいつの頃からかこのカップを死守することに執着し、クラブ間の合意を良いことに、かなり地元有利なレースを開催していた。大体において、挑戦艇は自力でニューヨークに帆走するのが決まりで、微風海面のニューヨーク沖で大西洋を渡ってくるヨットとニューヨークの海に特化した防衛艇がマッチレースを戦うこと自体おかしい。リプトン卿も少なからずこのルールに泣かされたが、そうこうするうち、このレースは必ずしも最高の帆走性能を競うレースではなくなってしまいつつあった。あまりに微風海面を狙ったヨットは外洋に出る能力さえ失っていたのである。そこで、1929年、リプトン卿はルールの特殊性の回避と最高の帆走性能を両立させるため、ユニバーサルルールで最も大型のヨット、全長120Jクラスヨット、シャムロック垢妊┘鵐拭璽廛薀ぅ困膨むが敗れる。ニューヨークヨットクラブにとってもスクラッチで勝ったこのレースに自信を持ったことと思われる。リプトン卿は6度目の挑戦を表明しつつ翌年生涯を閉じるが、その遺志を継いだのが、ソプウィス卿だった。

前置きが長くなったが、ソプウィス卿は航空エンジニアだったが、ヨットレースにも長けており、シャムロック垢鮗ら買い取ってレースに出場する。そしてリプトン卿の遺志を継いでJクラスヨット”エンデバー”を建造して1934年、アメリカズカップに挑戦したのである。エンデバーはソプウィス卿の航空工学の知識をふんだんに盛り込んだヨットであり強かった。1983年、アメリカズカップはオーストラリア兇初めてアメリカ国外に持ち出すことになるのだが、それ以前、最もアメリカズカップ奪還に近づいたのがエンデバーであった。7レースで争われたこのレースで先に2連勝したのだ。第3レース、ここで勝てれば、ほぼカップ奪還である。ところが最後のマーク回航で6分以上のリード、もう勝利が目前のとき、防衛艇レインボーをカバーするために風上にタック、無風に捕まり逆転を許す。そして第4レース、エンデバーはレインボーの航路妨害で敗れた。抗議旗を揚げるも抗議が認められなかった。そしてそのまま、レインボー防衛への流れに逆らえなかったのである。しかし、このレース振りをして「英国は海でレースを制し、米国はルールでレースを制す」と言わしめるのである。

結局、第二次大戦のため中断になるまで1930年、1934年、1937年の3回、アメリカズカップはJクラスヨットで争われた。その間、建造されたのは英国米国合わせて僅か10艇である。しかし、アメリカズカップのみならず、広くヨットという意味でも、この全長120フィート超、天を突くような高いバミューダマストを備えたJクラスヨットは、最高のヨットとして人々の記憶に刻まれることになった。第二次大戦の混乱と、その大きさ故、現存するものはいずれも英国艇で3艇、シャムロック垢肇戰襯轡А璽澄△修靴謄┘鵐妊弌爾任△襦エンデバーは有名なセイラーにしてヨットのリビルダー、エリザベス・マイヤーによってレストア、1998年、エンデバーに加え、やはりレストアされたシャムロック后▲戰襯轡А璽世榔儿颯錺ぅ氾腓粒い65年振りに再会した。これがいかに大きな出来事であったか・・・BBCは特番を作った。この特番がDVDになっている。"Return to J's"というDVDである。

ああ、今度の休み、どこに行けば出会えるかなあ・・・(2007,7,22)

07/14 灯ろう夜市 〜 開店一周年!

横須賀灯ろう夜市2007:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

13日の金曜日だったが、昨夜は横須賀上町銀座商店街と上町商盛会合同の灯ろう夜市だった。思えば去年の今頃(去年は7月15日だったと思う)は7月17日海の日の開店を目指して、開店前の3週間ほどは一日18時間大汗かいていたものだった。外では灯ろうをやっていたが、シャッターを閉めた店内で大工仕事やら何やらでそれどころではなかったし、開店していないから不参加だ。こうして開店一周年を無事に迎えつつあり、灯ろう夜市にも参加、改めて皆様には心から御礼を申し上げたい。

見るとやるとは大違いで、やってみれば憧れの?ショップオーナーも右も左もわからないことだらけであった。それでも今年からは、ありがたいお声掛りで商店街の役員なるものの末席に加えさせていただいている。とりたてて悪く言うつもりもないが、実家の中野というところは下町気質があって、山形から米一斗だけかついで上京して、そこそこの成功を収めていた電気屋の父は、この”商店街”というものではあまり良い思いはしていないようだった。要はよそ者扱いで、たとえば同じ商店街の同級生はお神輿に呼ばれても僕は呼ばれない・・・とかいろいろあったものだ。それだけに、最初はお断りした方が良いと思ったが、少々悩んだ末やってみることにした。参加してみると、この街は以外にリベラルで、まだ仕事らしい仕事をしているわけでもないが(一応、僕はインターネットの担当ということらしい)、よろしくやらせていただいている。

さて、灯ろう夜市は、京都の灯ろう祭りをヒントにしたもので今年で3回目である。正確にはわからないが三崎街道沿いの500mほどの歩道に灯ろうが300基400基並ぶのは一言で壮観!大変美しいものだ。商売もなかなかで、そぞろ歩きモードのお客様なのだろうと思いきや、灯ろう点灯から閉店まで、随分売れた。(ありがとうございました)こうして、灯ろうを眺めながら「ああ・・・一周年」感慨深いものである。お客様、そして女房と子供にも改めて御礼を言いたい。ありがとう!(2007,7,14)

07/13 「価格破壊」 写真家の三野さん

先週のことになるが、アメリカの灯台の写真を撮っている写真家の三野富士夫さんが遊びに来た。三野さんとは、江ノ島の灯台グッズの店ライトハウスキーパーの山口さんが主宰される灯台フォーラムなるイベントでお目にかかったのが初めてだったのだが、”灯台”というテーマのイベントで100人からの人が集まるのも不思議なら、アメリカの灯台だけを撮る写真家というのも一風変わっていると思ったものだ。もっともフランスにもジーン・ギチャードなんていう灯台専門の写真家がいるが・・・さて、三野さん、個展とかを開く関係で額装とか額縁の価格も良くご存知である。普段は銀座のIという大きな店に額装を依頼するらしいのだが、「小野寺さん、価格破壊だね、これは」と当店の額装ポスターを見ながらおっしゃる。確かに、普段から”額とマットと中身”全て込みの価格ということが理解しにくいらしく、開業一年を迎える今でも「額がついているんですか?」と実店舗でも尋ねられるお客様は多い。それだけ、額縁や額装に”高価”というイメージを持っている方が多いということなのだろう。

そんな会話のあと、たまたま額装のポストカードを数枚購入されたお客様からご丁寧に御礼のメールを頂いた。「値段の割りに良い額縁でビックリしました・・・・」(後日談、また面白いご感想のお客様、曰く、丁寧な作りと梱包でヤフオク流にいえば「非常に良い出品者」・・・とのこと。良い商品に驚かれる・・・ということは、いかに良心的でない売り逃げが横行しているかとかということかもしれない。7月20日追記)

ここで一言断わっておけば、当店の額縁は、絵画用のとんでもない高級額縁ではないが、ポスター類を入れるものとしてはとても良いものを使っている。思うに、日本では額縁や額装の価格は高すぎるのだ。その原因を推測すればこうだ。やってみればわかるが、額装ポスターは正直言って、月に500枚も1000枚も売れるものではない。恐らく需要全体を見ても、家具類なんかよりも少ないのではないかと思う。でも、それで実際に生計を立てないとならないわけだから、必然的に値段が高くなる。で、高いから売れない。すると需要は伸びない・・・この悪循環?があるように思う。僕はといえば・・・元が画材や額装の出ではないから、ごく普通の常識的な利幅で値段をつけているつもりだ。(苦しいけれど・・・)

外国ではポスター類の流通も日本なんかより盛んなら、無数の街場の小売店はそれぞれの店で独自の額装を施してそれを売っている。僕のやっていることは”額装ポスター”の販売という意味で、この国では少し変わっているように見えるが、実は外国では当たり前の商売である。日本でこの手の商売は余り見かけないものの、個人的にはフェラーリのポスターが得意な神田の地球堂なんかは大好きで、随分刺激を受けたものだ。だいたいポスターだけを売るのも片手落ちなら、額装の場合、マットを使ったとしても何で白ばかりなのか不思議でならない。その辺を僕なりに突き詰めた結果がオーシャンノートの額装アートなのだ。

本人的には至って価格破壊しているつもりもないし、業界(ってあるのかしらん?)に挑戦しているつもりもない。ただ、良い図柄をなるべく良いものに仕立てたい。その一心だ。僕の実家は電気屋だったが、僕は僕なりに考えて電気屋を継がなかった。量販店の黎明の頃で、勝ち目がないと思ったのだ。まさか、秋葉原の老舗まで潰されるとは思ってもいなかったが・・・ところが、先日新聞である電気屋さんの記事が載っていた。量販店には出来ないきめ細かなサービスで繁盛しているのだそうだ。その店主の言葉が印象的だった。「価格競争には限りがあるけれど、サービスには限りがない」そう、一枚のポスターを額装するのにも散々悩む。それがサービス=僕の付加価値だと思っている。そして何事も長く続けるなら、浮利を得ず適正な利幅で正直にやることだと思っている。(2007,7,13)

07/05 アメリカズカップ (アメリカスカップ)

第32回のアメリカズカップは、スイスのアリンギレーシングの防衛で幕を閉じた。下馬評的には挑戦艇、チームニュージーランドの有利が伝えられていた。ひとつには、ずっとアリンギには調整不良がつきまとっていたという噂、ルイヴィトンカップ(挑戦艇決定シリーズ)を勝ち上がったチームが有利というジンクス、そしてルイヴィトンカップ決勝ではイタリア・ルナロッサを5-0の圧勝で下したという強さ・・・こんなことでアリンギの不利といわれていた。結果は5-2でアリンギの勝ち、またしてもカップは海の無いスイスで挑戦者を待つことになった。テレビでも新聞でも残念なことにアメリカズカップの模様は伝えられていない。せめて新聞にレース結果くらいは載せてもバチがあたらないように思うが、日本人はF1レースほどにはアメリカズカップに興味を持っていないということだ。

僕はヨットオーナーでもないし、先輩のIさんのヨットに乗せてもらうのがせいぜいだから、偉そうに言えたものでもないのかもしれないが、この無関心ぶりにはいささか違和感を覚える。でも、考えてみればサーカーだって、ちょっと前までワールドカップなんて誰も知らなかったし、そのあたりは”キャプテン翼”の功績が大きいのだと聞くし、ここはひとつ”ヨット漫画”なるもので世間様を盛り上げてはどうかと思ったりもする。うろ覚えなのだが、ニュージーランドという国は確かに6世帯に1世帯がフネを持っているというお国柄ではあるものの、そもそも、1987年にオーストラリアで開催されたアメリカズカップを見て、この経済効果に着目し、国を挙げてアメリカズカップ奪取を図り成功した。そしてあろうことか、その経済効果で国民一人当たりGDPを瞬間的?にせよ世界一位に持っていったのだ。ことさら異議申し立てもしないが、可能性の低い東京オリンピック誘致に55億円(もうすでに別枠で1000億円積み立てているそうだ)お金を使うなら、その分アメリカズカップに真剣に取り組んだ方が賭け率も良いと思う。ちなみにアメリカズカップを戦うには100億とか200億とかだそうだ。「なんだ?フネも持っていない奴が何を言うかっ!」なんてやっているからいつまでも進歩が無い。自動車レースをやっていない人だってF1は見る。なんで、フネの世界だけこんなに閉鎖的なんだろう・・・

アメリカズカップ(本当はアメリカスカップと発音するが、舵誌でも、1995年2000年のニッポンチャレンジのテクニカルディレクターを務めた宮田東大教授さえ”ズ”で発音するので僕も便宜上”ズ”にしている)は、ここで書くと長くなるので止めるが、それこそ国を挙げて奪取する価値のあるものだ。ワールドカップと同じくらい価値がある。日本人は”海の民族”と自分たちで思うほど海洋民族ではないと思う。でも、カップを取りに行くことで、その辺も一気に打破できるように思う。サッカーだって一生懸命やってここまで来たのだし。そして、僕達の子孫がもっともっと世界中で力を発揮できる時代・・・そんな時代を作ってゆく突破口も”海”にあるんじゃあないかと思っている。断わっておけば、技術的には、カップレーサー建造の技術にかけては2000年当時最も最先端を行っていたのが日本である。当然、フネは優秀だった。あとは、組織作りとレース運びだけである。個人的には金さえあれば、カップに一番近いと思っている。(2007,7,5)

06/21 客船クイーンエリザベス2世 引退

客船・クイーンエリザベス2世がとうとう引退する。1969年の処女航海から38年、名実ともに客船の代名詞だった船である。普通に見れば、「ああ、豪華客船・・・か」としか認識されていないのであろうが、この船にはキュナードと大英帝国の想いと思惑が込められていた。それは今でも・・・そうらしい。

キュナードはサミュエル・キュナードが19世紀半ばに設立し、英国とカナダ・ハリファックスを結ぶ定期路線運行を目的としていた。帆船は風まかせ、多少船足が遅くとも確実に時間が読める汽船は魅力的だった。当時の船足だと、ウィークリー運行には4隻の船が必要だった・・・ということは8〜9ノット、10数日かかっていたということだ。これが事業として成功したのは郵便輸送を請け負ったからだ。昔の船の名前の前に”RMS”とあるのは、この郵便業務、Royal Mail Shipの意味だ。(タイタニックもR.M.S. Titanicである。因みに英国の軍艦のHMSはHer Majesty Ship、つまり女王陛下の船という意味)以来、英国の客船会社として大西洋の覇権?(大ゲサ?)を賭けてきた。20世紀に入りアキタニア、モーレタニア、ルシタニアを擁し揺ぎ無い三隻体制を築くが、第一次大戦では兵員輸送に徴収、高速客船の有用性を実証するもルシタニアを失う。技術は日進月歩で、やがてウィークリー2隻体制時代が来る。29ノットの速力が必要だ。キュナードはクイーンメリーとクイーンエリザベスを建造する。一隻目のクイーンメリー建造中には世界恐慌で工事が中断、英国政府からの950万ポンドの緊急融資の条件は、タイタニックの事故以来、経営不振だったホワイトスターとの合併、キュナードホワイトスター社の誕生である。そして念願のクイーンエリザベス就航!となるものの、進水の前日に英国が第二次世界大戦参戦、戦前、”クイーンズ”は幻となった。戦後、ライバルの船は皆沈んでしまい、大西洋航路は生き残った”クイーンズ”の独壇場であった。そして・・・飛行機の時代になってゆくのである。

クイーンエリベス2世号は、クイーンメリーの引退(現在もロングビーチで係留、ホテルとして利用される)、クイーンエリザベスの老朽化(その後、香港での再利用が決まるも、火災で沈没)の後、キュナードの花形として登場する・・・はずであった。速度は32.5ノット、大西洋横断定期運行を前提として建造された。船体の堅牢さは折り紙つきだった。命名について、諸説ある。船としてのクイーンエリザベスの2世という説と、現女王クイーンエリザベス2世の名を戴いたというものである。僕が知る限りは女王の名を貰った筈・・・である。今はキュナードのホームページでも"Queen Elizabeth 2"と表記されるが、以前はローマ数字だったはず。2003年就航の"Queen Mary 2"、こちらは正真正銘、女王様の2世がいないので、単に船の名前を受け継いだ。それで初めから"2"の表記だったと記憶する。

その美しさだけでなく、大西洋を定期横断できる実力、このあたりが、定期運行船ではなくクルーズに使用されながらも、海の女王としてクイーンエリザベス2世が君臨してきた所以だ。その実力は、実際にフォークランド紛争に兵員輸送で従事したことからも推し量ることができる。図体ばかりのクルーズ船とは違うのである。七つの海の覇者であった英国のプライドはクイーンメリー2にも受け継がれているという。こちらは、生まれからしてクルーズ目的ではあるものの、やはりイザというときは兵員を輸送できる実力をもっているそうだ。そして、この秋、9万トンのクイーンビクトリアの就航を受け、クイーンエリザベス2世は引退することになった。去就が注目されていたが、UAEのドバイ政府が1億ドル(約120億円)で購入、2009年にはホテルとして開業するという。

クイーンエリザベス2世・・・といえば、横浜への初入港は1975年のこと。大桟橋に見に行ったのを憶えている。夜も遅かったが、父が船員を捕まえて「プリーズ!マイ・ベビー!」と僕を指差しながらまくしたて、メニューブックを貰った。僕はその時、小学校6年だったと思うから、マイ・ベビーはないだろう、と思うが良い思い出だ。父はその後、僕が4本モールを付けた船長さんになるのを夢見たようだが・・・果たせなんだ・・・(2007,6,21)

Ocean-Note, Queen Elizabeth 2, J. Olsen 1983

06/09 伊良湖ガーデンホテル書籍室 潮騒

ネット販売に対する賛否や好き嫌いはともかく、良い意味でいろいろな人との縁やきっかけが出来る。このところ遠方からのお客様が見えるので面食らうこともしばしば。店は無限に広いわけではないので、販売している600点近いポスターを飾れるはずもなく、ほとんどは一旦写真を撮った後にポスターとマット、額縁は別々に保管している。「あの、ネットで見た×××××××のポスター・・・」といきなり言われて、内心あわてつつ?(整理整頓は心がけていても、瞬間的にはどこだっけ?となる)その場でポスターを額装させていただく。そんな遠方のお客様でも極めつけは神戸から見えた中村新さんである。

電話が鳴った。「神戸のキッチンエヌの中村と申します・・・」お話を伺えば、名鉄の伊良湖ガーデンホテル、リニューアルのプロデュースをされていて、ロビーの一角にライブラリーを設置して海の本を並べることにしているとのこと。探すことは探せても中身の確認ができない、品揃えはいろいろ見た中で日本で一番と判断したので「今日の夕方伺いたい」とおっしゃる。「神戸からですか?」と思わず訊いてしまった。中村さんはその筋では有名な方で、辻調のご出身で、あの料理天国にも出演されたそうだ。辻調退職後はフレンチレストランの料理長を歴任し、今は料理プロデューサーとして名古屋や静岡などにある駅麺通りの企画や繁盛店の仕掛け人として名を馳せておられる。

ポスター販売なのに海の写真集・・・に違和感を持つ方もいらっしゃるかもしれない。これは僕の思い入れである。たまたま辻調がらみだが、辻静雄さんのことを書いた海老沢泰久さんの”美味礼賛”(文芸春秋刊)という本がある。どこまでがフィクションかは調べるつもりも無いが、ここに描かれた辻静雄像は僕の生き方に多少なりとも影響を及ぼしている。とにかく、ひとつのことを突き詰めて極めることがどういうことなのか?それがたまたまここではフランス料理なのだが、ストレートに著されている。人類の文化遺産で重要なもののひとつは、まぎれもなく本である。辻静雄さんのフランス料理の料理書のコレクションは世界有数だったと聞く。福岡におられる永井敬二さんは世界で二番の椅子のコレクター(一番はスイス、ヴィトラ社会長のフェルバムさんだ)といわれるが、実はご自宅に伺うと、椅子もともかく壁一面の書籍やカタログのコレクション、これがすごいのだ。ミサワホームのバウハウスコレクションだって、バウハウスの作品ももとより、その資料や書籍は凄い・・・・そう、僕の夢は壁一面を本で埋め尽くすことだ。その思いが嵩じて海の写真集を置いている。正直なところ本は儲からない!そもそも、販売している本を選ぶのに、その倍くらいの本は買ってみてダメ出ししている。

中村新さんが料理の勉強をしている頃に、様々な料理書を購入されたであろうことは想像に難くない。だから、洋書の見方を心得ておられた。店のコレクション?の中でも良いものを的確に選ばれる。ただ、一朝一夕に集められないことも良くご存知で、(洋書は再版が少ない)何年もかかかって集める必要があることも申し上げた。とりあえず、ホテルのライブラリーのベースとして20冊近くを購入して下さった。聞けばこのライブラリーは6月27日にオープンだそうだ。ホテルのお客様が楽しんでいただけたら幸いである。(2007,6,9)

06/04 クラシックヨット

舵社から発刊されている季刊"Sea Dream"の最新号が届いた。まさに僕にとっては、全編”ドリーム”のような記事ばかり(読者のターゲットは年収ン千万なのだそうだ)で、パラパラとめくるのも淋しいくらい?だが、パネライという腕時計メーカーのタイアップ記事を見ていて、やっぱりクラシックヨットが美しいと感じ入った。記事の前半は、このパネライ社とパネライ社が主催するクラシックヨットイベントの紹介だ。そして見開きでウィリアム・ファイフの設計によるMOONBEAMの写真、後半はヨーロッパのクラシックヨット事情が書いてある。あの”ミスター・カップ”、64歳になるデニス・コナーがクラシックヨットイベントで優勝したことや、アメリカの名ヨットデザイナー、オーリン・ステファンスがクラシックヨットイベントに顔を出しているとか・・・

僕が、今の仕事を仕事にしてしまったことが良いか悪いかはわからないが、クラシックヨットや20世紀前半の客船に惚れ込んでしまったことは事実、まだまだ勉強も実践も足りないが、MOONBEAMの美しい写真を見て感激してしまった。日本にもこんな”文化”があれば良いと心底思う。古いものが良い・・・というのではなく、僕は単純に美しいと思うだけである。オーサーは西朝子さんとクレジットされているが、そんな単純なクラシックヨット賛美に共感した。記事の題名は「美しき貴婦人たちの集い」とある。(2007,6,4)

05/29 海月・・・クラゲ

ミズクラゲ:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

明けやすき 夜を磯による 海月哉    与謝蕪村

おとついのこと、新聞を読んでいたら”四季”というコラムにこんな俳句が載っていた。”海月”の字とクラゲの写真がきれいで目が留まった。以下前文を引用する。

夏の夜はたちまち明ける。その薄ら明かりの波間をふわふわと漂う海月。夜釣りの帰りにでも見てきたように詠んでいるが、蕪村のこと、もちろん想像上の句だろう。明け白む夏の夜に、ほの白い半透明の海月を連想したのに違いない。(読売新聞、長谷川櫂)

で、蕪村を調べたらこんな句も出てくる。

憂きことを 海月に語る 海鼠哉   黒柳召波

召波とは、蕪村の弟子だった俳人だそうだ。思わず自分が海鼠で、女房の顔が海月に見えてくる・・・この日本語のあて字というか何と言うか、久しぶりに美しい漢字だなあと感心することしきり。海月と書いてクラゲ。因みに、僕のPCは買ってきたままだけど、”くらげ”と入力すると、ちゃんと変換の候補に”海月”は出てくる。 (2007,5,29)

05/25 氷川丸物語(かまくら春秋)

日本郵船客船・氷川丸物語:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

ひょんなことから、この”氷川丸物語”を売っている。実店舗で、この本を売っているのは神田の大きな書店”S”とオーシャンノートの二店だけで、一般書店への流通は停止している。と、いうのは、この本はもう流通コード(良くわからないがISBNのことか知らん?)をとるほどの部数も無く、かつ美本は無いからなのだ。(追記:販売終了しました。かまくら春秋社との取引は当書籍の委託販売のみで、本書の在庫が無くなったことによりかまくら春秋社との取引は終了しております)

横須賀で商売をやっているわけだが、たまたま知り合った、この氷川丸物語の出版元、かまくら春秋社のS君(横須賀在住)が教えてくれたのが事の始まり。一冊貸してくれたので読んでみると、これは凄い本である。日本の客船史、海運史の一部を支える資料的な価値持つ労作である。特に戦中の氷川丸の著述に詳しく、これは郵船博物館でもここまで詳細な記録やエピソードは見ることはできないだろう。ご存知の通り、氷川丸は廃船解体を免れ、横浜山下公園に保存されている。その所為で、日本の客船の中でも様々な話題の事欠かないわけだが、その話題のネタ元の大部分はこの氷川丸物語・・・らしいのだ。で、「これ、ウチで売れんだろうか?」とS君に訊くと、「倉庫で探してみます」と来た。S君、三崎にある倉庫で頑張って探してくれて、このデッドストック品を当店で販売することにした。昭和53年初版のそのものである。流石に未読で帯付きではあっても経年変化のヤケとカバージャケットの痛みは多少あるものの、これは、さすがに売れて、この3ケ月は神田の大書店の3倍くらい売ってしまった。もう、幾らも部数はないのだがネットショップでも出すことにした。

氷川丸は昨年から、氷川丸マリンタワー株式会社の解散?を受けて、その先行きが危ぶまれていた。詳しい事情はわからないが、結局、日本郵船が再度整備して、2008年の春の再公開が決定した。僕は、横須賀の浦賀の再開発の話の中で、氷川丸を持ってきた良いと思っていて、昨年の春、たまたまお近づきになった舵社の田久保氏に話したことがある。田久保さんは浦賀の再開発のコンサルの三菱地所から相談を受けるお立場なのだ。で、その話は実は検討済だったそうで、氷川丸は事実上、法律的な問題で動かせないのだそうだ。法律上、”船”ではないのだそうだ。氷川丸、再整備再公開を受けてかまくら春秋社では氷川丸物語の再販を検討したそうなのだが、著者の高橋茂さんはすでに亡くなられており、版権の相続等が複雑らしく断念したとのことである。

しかし、船の保存は大変なもののようだ。今度、西海岸に行くチャンスがあったらクイーン・メリーを見てみたいものだ。これは客船の保存のお手本だそうだ。(2007,5,25)

05/22 無残! 帆船 Cutty Sark 焼失

帆船カティサーク:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

5月21日昼頃、(現地未明頃)、英国グリニッジで保存されている帆船、カティーサークが火災で全焼した。

汽船が帆船に代わって主役となるのは19世紀末のことだが、季節風を捉えて長距離を行く帆船に比べて石炭を大量に積まなければ長距離を行けない汽船が帆船にとって代わるとは当時誰も考えなかったそうである。帆船が最も活躍した華やかな場面といえば中国からのお茶の輸送である。しかし皮肉なことにテークリッパーとして建造されたカティサークが進水した1869年にスエズ運河が開通、帆船は無風のスエズ運河をゆくことができなかった。一方の大西洋では1838年にシリウスが初めて汽走だけで19日かけて大西洋を横断、1850年代にはサミュエル・キュナードが6隻の船で週一回のリバプール・ハリファックス間の定期運行を始める。まだ、季節の良い帆走のスピードに及ばないものの、時間が決まっていることは、特に郵便輸送には何よりのメリットだった。こうして帆船は汽船に主役の座をとって代わられる。

カティサークは最速の帆走性能を持ちながらティークリッパーレースには勝利できなかった。1872年の紅茶輸送競争は有名で、終始他の帆船を大きくリードしながら舵を壊してサーモピレー号に敗れたのである。しかし紅茶から羊毛に積荷を変えたウールクリッパーレースでは豪州英国間のスピード記録も作り最速の帆船の称号を手中にする。帆船の時代が終わり、カティサークは船主を変え船籍も英国から離れるが1922年再度英国へ帰還、以後練習帆船としての使用などを経てグリニッジで保存されていた。

この日記の海王丸のところでも書いたが、今後もどんなに時代が下っても帆船が無くなってしまうことはないと言われている。とにかく船の保存というものは大変で(飛行機はもっと大変らしい)そうやって大切に保存していたカティサークがなくなるのは惜しい。第一、僕はまだ英国にいったことが無いし、カティサークも見ていないのだ。船の保存といえば・・・氷川丸の行く末は少し安心だが、アメリカの"S.S. United States"の保存運動はどうなってるのだろう・・・

それにしても返す返す・・・残念である(2007,5,22)

(後日加筆:幸い鉄の構造と改装中で保管してあった艤装品や備品は無事で再建をめざすらしい)

05/12 横須賀市自然人文博物館

アルメン灯台:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

商売をやって、そこに店を構えているといろいろな縁もできる。夜になってから、海上自衛官のMさん、娘達が通う幼稚園の園長先生(娘たちが悪さをしたわけではない)、と立て続けに来客があり、閉店時間を過ぎてしまった。店の外の飾りを仕舞っていると、熱心に灯台のキャンドルスタンド(1700円也)を見ている方がいる。「きれいでしょう」と話すと「これはどこの灯台をモデルにしているなかなぁ?」と尋ねられた。4種類のうち、写真のアルメン灯台だけは出自がはっきりしている旨を話すと、何とアルメン灯台は知ってるご様子!「このフランス最西端のアルメン灯台とその南のジュマ灯台はフランスの人も憧れですねぇ」というと、ジュマ灯台もご存知の様子。まさか、横須賀の上町で売っていながら言うのも変だが、そんなフランスの灯台の話がわかる人が居られるとはこちらも思っていない。訊けばフランスのブレストに行ったことがあるとかないとか・・・いわば両灯台ともブレストのはるか沖合いにある。おまけにアメリカのキーウェストでヘミングウェイの家やらキーウェスト灯台見て回って、当店のような外国でいうところの”ギフトショップ”が懐かしい・・・と。

種を明かせば、この方、横須賀市自然・人文博物館の前館長(現嘱託)の林さんだったのだ。なるほど、横須賀の姉妹都市であるブレスチに行ったことがあるわけである。お噂はかねがね・・・そう、この店を開けてからいろいろなお客様が林さんのことを話されていたし、何といっても天皇陛下とは40年近いご友人で、葉山にご静養に見えた際は博物館に立ち寄られることもあるのである。短い時間ではあったが、天神島自然教育園の流木の達人のことやら、いろいろなお話を聞かせていただき楽しかった。

結局、林さんには灯台のキャンドルスタンドをいくつかお買い上げいただきたのだが、さすがに蛇の道は蛇。お世話になっている船の科学館の学芸員の清水さんともお知りあいだとか・・・今日は、清水さんのご好意で先般、東京港出航の折、長女が見送りの汽笛を鳴らした海王丸(4/4の日記参照)が日本丸やあこがれと一緒に横須賀の帆船パレードで走る日・・・そんなこともHさんと話していたら、船の科学館の清水さんからメール。清水さんの企画で”海の男のギャラリートーク”を開催するのだそうだ。これは面白そうである。(2007,5,12)

05/10 長者ケ崎

葉山・長者ケ崎駐車場:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

定休日。朝は警察や市役所で用事を済ませ(悪いことをしたのではない)、水曜は幼稚園が早く終わる子供たちをピックアップして海ィーッ!葉山へ行く。今年一番の暑さだったせいで葉山公園の駐車場は満車。すぐ南側の長者ケ崎の駐車場へ車を回す。ここも夏以外は無料だ。お土産屋さん(かな?)の駐車場と2つあるので勘違いしやすい。海に向って右手の入り口、下って入ってゆく方は県営駐車場なのである。左手のお土産屋さんは幾らか買い物をしないと無料にならない。

久しぶりに親子4人、我社オーシャンノートのオリジナルTシャツを着ていて珍しかったので、記念撮影。僕は恥ずかしながらメカ音痴だから、セルフタイマーのセットをしくじればご覧のとおりである。冬が終わりオーシャンノートのTシャツもなかなかの売れ行きである。千住の知人の会社で作ってもらっているが、ボディはアンビルと子供用はラビットスキンズ、どちらも一年テストしてから決めただけあって首も伸びなく丈夫である。ラビットスキンズの2歳から7歳まで、アンビルのユースSサイズから大人のLまで、11サイズそろえており、これは大したものと思っている。

子供たちの遊び続けるパワーは大したもので、ひとしきりりビーチで遊んで、先週みたいにカニを幾らか捕まえて、葉山公園の遊具で遊んで、さあ帰ろう・・・と思ったら、長者ケ崎の下でまた砂のケーキ作りだ。長女は小さい頃(今だって5歳だが)から絵を描くのが好きと見えて、ケーキを作ってもひたすら表面をきれいに飾る。なかなかのセンスだ。次女はどちらかといえば工作的な方面のようで、普段も鋏とセロテープを使い始めると黙々とやっているのだが、彫刻家っぽいものか?ケーキをきれいに飾るとその上に砂、これでもかこれでもかと固めてまた飾る、でこれで完成かと思えば、またその上に砂をかけて固めて・・・延々とこれをやっている。僕は黙って見ている。女房曰く「これが幸せの形」なんだとか・・・???

季節も終わりだが、一株だけ素晴らしいワカメを拾った。メカブの部分はメカブ飯のとろろに(色が変わる直前、30病弱茹でて水にあけたらフードプロセッサにかかて、醤油と酢少々で混ぜる)、茎は長女の大好物の醤油浸け(サッと茹でて、水でしめたら醤油と酢5:1で浸ける)、葉っぱはご覧のとおり自家製干しワカメとした。

年がら年中というわけにはゆかぬが、たまには好日好日(2007,5,10)

05/04 ゴールデンウィーク 天神島

横須賀佐島・天神島:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

ゴールデンウィークもオーシャンノートはカレンダー通り。水曜の定休以外はあけている。昨日は子供たちの幼稚園は半ドン、西風が強いものの佐島に行く。いつもの葉山公園は連休谷間とはいえ、駐車場に入れる自信がなかったので久しぶりの佐島である。ここは、意外に知られていないが天神島自然教育園の駐車場がまず満車のことはない穴場である。妻と子供たちは連休後半に妻の実家に行くので、いよいよシーズンも終わりだがおみやげにワカメでも・・・と思ったが、潮が引きすぎてダメ。(先々週の定休日は小雨の中、無理して葉山に行き、沢山ワカメを拾った。長女はメカブをフードプロセッサにかけ、そいつをご飯にかけるメカブ飯にすっかりはまている。自家製干しワカメも素晴らしい海の味である)マイナス90近くの潮位だが、ウミウシを足を濡らさずウミウシを探せるほどではない。で、カニ捕りをやる。

いやはや感心。わが子をことさら褒めるつもりはないが、僕は子供時代、伊豆で週末を過ごすことが多かったとはいえ所詮都会っ子だったから、カニを捕まえるなんざあ、とても出来なかった。ところが子供たちは「っせーのぉ!」と石をどかすとキャーキャー言いながら次々に捕まえる。長女の目の良いこと。妻と僕には見えない保護色も見破って捕まえる。漁師のお宅の子供・・・とまではゆかないが、すかっり田舎の子なんだなぁと複雑な心境である。

このところ定休日の水曜に限って天気が悪かったが、昨日は久しぶりに家族4人大騒ぎした。岩をどかされたカニたちこそ良い迷惑であったろう。勿論、カニは全部(100近くあった!)逃がしてあげたし、岩もそっと元通りに置く。何にも無くて素朴なところだが、なかなかおすすめな遊び場だ。

天神島は、あの北原照久さんのお宅があるところ。佐島マリーナがあって、すぐそこに浮かぶ笠島とともにハマユウ自生の北限である。(ちなみに東海岸側は観音崎が北限)俗っぽいかもしれないが、石原慎太郎の「弟」という本で、慎太郎だったか裕次郎だったか、それまで二人して逗子湾あたりを買ってもらったヨットでウロウロしていたものを、どちらかが一人でヨットに乗って笠島まで行きハマユウを取って帰り、そのことに嫉妬感を持った云々の話が書かれていたのが印象的である。(2007,5,4)

04/09 Beken of Cows キース・ビーケン訃報

模型の塗装は乾かないし、PCが壊れて入院してしまい時間が空いた。このところ定期購読の雑誌に目を通す時間もなかったが、新着の舵5月号をめっくていると、フランク・ビーケン氏の訃報記事があった・・・そういえば先月調べごとをしていて、Beken of Cowsのホームページを見て知っていたはずなのだが、目前の雑事に追われほったらかしになっていた。

Bekenの名を知ったのは一昨年、開業の準備でポスター類や書籍を集めているころだった。優雅でクラシカルなヨットの写真、ひときわ良い値段がついていて手が出ないことで印象的だったのだ。一体、こんなに値段が違うってどんな写真家なんだろうと思って調べて納得。英国のみならず世界的にも並ぶものなき海洋写真、特にヨットの写真を100年以上に渡って撮りつづけている名門なのだ。英国王室とも繋がりが深く、ビーケンの写真集にはアン王女が前文を認めていたり、写真に撮られることを嫌ったフィリップ殿下もビーケンの出入りはいつでもどうぞということだったそうだ。

昨年の春、ちょっとした集まりで舵誌の編集局長の田久保雅巳氏とお話する機会があった。そのときオーシャンノートの立ち上げの話をすると、イの一番に”ビーケン”の名が出た。聞けば田久保さんは英国ワイト島のパーティでキース・ビーケンさんと会ったときの話をしてくれた。(このあたりは田久保さんの著書、”海からのメッセージ”67ページ世界共通語の章にも書かれている)数ヶ月たち、オーシャンノート開店。ある夜の閉店間際、ご夫婦でいらしたお客様が書籍のコーナーを見入って「ビーケンはないの?」とおっしゃる。僕は内心「エッ!ウッソー」である。こういっては何だが、横須賀の上町でビーケンの名を口にするお客様がいることが意外であった。そして驚いたことに、僕が苦心して集めたヨットの写真集の何冊かは指差しながら「これは持ってる、これも持ってる・・・」結局、エドウィン・レビックの絶版"An America's Cup Treasury"はさすがにお持ちではなく購入して下さった。しかし・・・みんな、ビーケンは欲しいんだ・・・と改めて、そのビッグネームに感心した。その後、ビーケンの写真集は現行のものは少ないものの、あの手この手で数冊、販売用のものも入手した。

詳しくはBeken of Cowsホームページをごらんいただくと良いが、初代フランク・ビーケンがワイト島・カウズに薬局を構えたのが1888年のこと。彼のベッドルームからはソレント海峡を渡る船がいつも目の前にあり、ある日、それを写真に撮ろうと思いつく。彼の写真は薬局で片手間で販売されたのだそうだが、いつしかワイト島を訪れる英国王室の方までがそれを購入するに至り、写真家としてのビーケン家が高い評価を得るようになった。息子のキース・ビーケンが仕事に参加したのは1930年代のこと、1970年に父フランク・ビーケンが他界すると薬局を止め写真に専念、フランクの孫にあたるケネス・ビーケンも写真の仕事に加わり今日に至る。そして、今年の2月、キース・ビーケンが92歳で他界した。

ビーケンのことを調べていた一昨年末、ビーケンの写真集”A Hundred Years of Sail”の古本を探していたら埼玉の本屋さんで1981年の初版が1000円!結構傷みはあるようだ。購入。ところが、届いてビックリ!表紙をめくったところにキース・ビーケンとケネス・ビーケンのサインがある!為書きがあって"Signed especially For T.Kasuya Happy Sailing!"とキース・ビーケンの字で書かれている。最後に"Cows 1983"とある。1983年にT.カスヤさんという方がワイト島のビーケンさんを訪ねたのだろうか?

もちろん、お目にかかったこともないが、こうして不思議なサイン入りの本が手元にあるので、キース・ビーケン氏の訃報、残念でならない。願わくば3代目のケネス・ビーケンさんにも、そして、次の4代目(おられるかどうか存じ上げないが)この仕事を続けて欲しいと思う。(2007、4、9)

04/05 船の科学館 - 海王丸を送る

帆船海王丸:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

昨日は定休日。娘達の春休みも終わり、次女は来週から幼稚園入園である。折角、船の科学館の清水さんとお知り合いになり招待券をいただいたので、僕は20年振り子供たちは初めての船の科学館を訪れる。月日が経った今日の展示内容の充実振りは後日書くことにしようかと思っているが、事前に下調べをしていたところ、船の科学前の桟橋に海王丸がいて、しかも4月4日出航とあったのはインプットしてから行った。朝、ビッグサイトで一仕事済ませ(零細企業は休みらしい休みはないのである)、到着してしばらくして清水さんと連絡がとれた。船長風の制服に身をつつんだ清水さんがいらして、しばし談笑。「海王丸が出航ですって?」と尋ねると「そうだっ!」といって清水さん、「ちょっと待ってて」といって事務所に走って行かれた。戻ると「海王丸を見送るホーンを鳴らすんだけど、やってみる?」と長女に尋ねる。父親の僕がドキドキである。僕は箸にも棒にもかからなかったけれど、商船大学に入って日本丸に乗ってハワイに訓練航海に行くのが子供の頃の夢だったのだ。(当時の初代海王丸は神戸商船大学の練習船、東京商船大学は日本丸。今は両商船大学は合併してしまい、新日本丸・新海王丸共に航海訓練所の所属、初代・二代目共に姉妹同型船である。小学校の5年くらいだったか、ビデオなる機械がない当時、NHKで放映した日本丸一万海里という番組をカセットに録音してテープが磨り減るまで聞き入ったものである)それを見送る・・・って?

とにかく本館内と南極観測船宗谷、青函連絡船羊蹄丸を見て、指定された時間に本館6階のブリッジに行った。手順はこうである。まず、海王丸はすでに「本船は出航する。全員帰船されたし」の信号旗、P旗を揚げている。これに対し科学館のポールにはすでに、UW旗(信号旗のUとW)を揚がっている。「ご安航を祈る」という意味だ。時間になり海王丸は舫を解く。次に抜錨。ここで海王丸はUW1旗を揚げる。(同じくUとWと数字の1を示す旗)「ご協力に感謝します」という意味なのだ。そしてタグボートで沖に曳かれてゆく。バウを東京湾口に向け、タグボートとのロープを外し、やがてゆっくりと動き出す。そして出航の合図で汽笛を三回鳴らす。ここでいよいよ、長女の出番である。最後の見送りに航海の安全を祈り汽笛を三回鳴らすのである。(もっとも・・・スイッチを押すと自動的に三回鳴る)無事、大役?を果たしてくれた。

僕は飛行機に乗る時、整備員の人が手を振ってくれるのを見るのが好きだ。ああいったことも含め、安全な航海を祈る習慣というものは、人が長年培ってきた洗練された”礼”だと思う。若い頃、土曜の夜は大桟橋に遊びに行った。大島航路の船を見送る時には手を振ったものだ。もっとも長女が小さい頃、海自の潜水艦が出航するのに手を振ったら艦上に総員いたのに全然返礼がなかった。(最近、永田さんに訊いたら艦長の人格によるんです・・・と言っていた)お茶の侘び寂びではないが、これもまた人の美しき知恵だと思う。

この頃は商売柄、いろいろな勉強も欠かせないし、いろんな方が店に出入りしていろいろと教えてくれたりもする。それによれば、帆船という船はこれからも無くなってしまうことはないという。スエズ運河の開通と二度の大戦で沈められ帆船はほとんど消滅してしまったが、何でも第二次大戦中にUボートに沈められた船から生き残った兵士は帆船で訓練を受けたものが多かったとか。これが戦訓となり、訓練用の帆船イーグル(アメリカ)が運用されているとか。つまり、海の男(最近は女性も)を育てるには、厳しい帆船の訓練が良いということで、この関門を設けることで生死を左右する状況への対応力を養うことができるのだそうだ。

昨日は、変にこちらが緊張した一日だったが?長女は良い経験をした。あこがれがあこがれで終わった僕の無念を晴らしてくれた???さて、海王丸は鹿児島に向ったそうだ。来月には横須賀(浦賀)に帰ってくる。また会えるかな・・・(2007,4,5)

03/26 船の科学館と二式大艇

店を構え商売をやっていると面白いことがある。ましてインターネットの時代だから思わぬ出会いもあるものだ。例えば印象的だったのは、はるか足立の方から海の写真集を買うためにわざわざいらした若い女性のお客様には感激した。曰く、どこに行っても海関連の洋書はそうそう置いてあるものではないそうだ。神保町や日本橋も随分見て歩かれて、とうとう横須賀までいらしたのだそうだ。と、思えば珍しい本だと言って感心してメモをとられる方などもいる。おおかた某Aで買うのだろう。これも時代だから仕方が無い。

さて、ある日、電話が掛かってきて「ロープノットの額はありますか?」とおっしゃる。ウェブでは額装ポスターと書籍しか販売していないのだが、あるんじゃあないかと思って電話を下さった。もちろん、ある。実は密かなヒット商品で、今月は大小含め、かれこれ5〜6枚ほど売っている。仙台のお知り合いの退職祝いに贈られるのだそうだ。メールで商品の写真をお見せしたりやりとりはしたのだが、そこに同梱するお手紙を昨夜わざわざ持参された。すると、こちらの清水さん、実は船の科学館にお勤めで学芸員をされているのだそうだ。僕は東京の生まれ育ちで、20歳前後の頃はあんなに整備される前のお台場あたりは良く行っていた、東京の海はあそこが一番近くてきれいだったのだ。特に船の科学館の海に向って左手には入り江があってそこをさらに進むときれいな砂浜があったのだ。清水さんによれば潮干狩りもできたのだという。そんなこんなを話していると二式大艇の話になった。

4〜5日前、テレビを見てたら、横浜根岸湾の飛行艇の基地を回想する番組に出くわした。わずか30分なのだがめちゃめちゃ面白いのである。戦前の飛行艇が離水する映像なんざ見れるものではない。これによれば、現在の横浜富岡総合公園が横浜海軍航空隊の基地だったそうで、その隣には日本航空株式会社の南洋航路の基地があった。で、当時のパイロットも出演して、根岸湾を滑走する飛行艇の云々を語るのだが、面白いのは飛行艇というものは、ある程度波風がないと離水できないそうで、静かな時は根岸湾の向こう岸まで届きそうになってやっと離水できたとか、当時の運賃は大卒初任給の半分くらいだったとか・・・

二式大艇は川西航空機(現在の新明和工業)が作った空前絶後の傑作機であることは知っていた。日本が世界に誇れる飛行機は零戦でも隼でもなく、二式大艇と戦後のYS-11なのだ。で、この二式大艇、件のテレビによれば連合軍が進駐してきたとき、皆、根岸湾に沈められてしまったのだとか。一機だけテスト用に生き残り、アメリカでテストされた。アメリカ人はその高性能に目を白黒させたのだとか。で、これが日本に返還されて永らく船の科学館に展示されていた。ご覧になったことのある方も多いと思う。ところが2年前、鹿児島の鹿屋に移されたそうで、清水さんによれば何と無償だったのだそうだ。以前にも書いた元海軍、元海上自衛隊の永田さんが先日おっしゃていた。「三笠の前に二式大艇や零戦を持ってこようと運動したことがあって・・・」元海軍の方々の集まり、伊呂波会での話しらしい。何で無償?永田さんに話したら伊呂波会に伝わりさぞ残念がるだろうなあ・・・

清水さん、昨日お越しの際に、船の科学館の招待券を下さった。久しぶりに子供たちを連れて(子供たちは行った事がない)行くこととしよう。昨日は海の文化について短い時間だが貴重な意見交換ができた。(2007,3,26)

03/05 アマティのヨット模型

特に木村拓也氏に興味があるべくもないが(悔しいが、良い男だなぁ・・・とは思う)、TBSの華麗なる一族を欠かさず見ている。似ても似つかないが、ひとつだけ感じることがある。ひよっとして、僕には祖父の血が流れている???

祖父は、父が10歳の頃に亡くなっているので、もちろん華麗なる一族のような生々しい話があるわけでもないが、庄内竿の職人(のようなもの)だったそうだ。その道の研究家でいらっしゃった根上吾郎氏著の”随想 庄内竿”という本をひもとくと小野寺喜代治は名人上林義勝の流れを汲む職人だったようである。子供の頃、家にあった祖父の竿を振り回したのは申し訳なかったのかもしれない。今は鶴岡の致道博物館に寄贈したらしい。ちなみに、祖父は井伏鱒二の随筆にも庄内竿の名竿の持ち主として旦那衆のように登場している。前置きが長くなったが、要は、僕も職人が生に合っているような気がしてならないのである。

1930年代のJ−Classというカテゴリーのヨットが大好きである。とにかく、大きくて美しい。現代のアメリカスカップのお化けのようなフネとは違って、まさに絵に描いたような”ヨット”に見える。店では1930年のシャムロック5世、1934年のレインボーとエンデバーを飾っているが、どうしても自分で作りたくなった。実は、一年ほど前に思い立ってイタリアのアマティ社のキットは2つほど入手してあった。ただ、作るのが大変なのはわかり切っていたので、手が付けられなかった。ところが、流木をいじっていて手が動いてきたのだろう、ついに意を決して取り掛かった。20歳くらいの頃にF1のプラモに熱中して以来の模型作りである。意を決してやった割には・・・自分でもびっくりするくらい器用なのだ。スイスイとノミ一本で、デッキの板を貼るのに一日で出来てしまう。1/80で全長50センチ弱、デッキの板は一枚3ミリ弱、普通、この手の模型は3ケ月掛かりと聞く・・・そう自慢ではないが、とにかく早いのである。レジンのハルをペーパーで成型して、デッキを貼って、ハルとデッキを接着、パテで隙間を埋めて再度成型、これがわずか3日で出来てしまう。最初は母にこの手を与えてくれたことに感謝していたのだが、前述のとおり、「これは祖父の血にちがいない・・・」などと思っている。ともあれ、今掛かっているシャムロック5世は、紅茶王トーマス・リプトン卿のフネ、後半生をアメリカスカップの奪取に賭けたリプトン卿に思いを馳せて作っている。「もっと、ハルが細かったんじゃあないか?」といって削り、(微風で走るフネを徹底的に目指したはずなのだ)BBCの特番のDVD(未輸入、当店直輸入品を店舗だけで販売中、タイトルは”Returan of J's"その筋では有名なDVDです)でシャムロックのスターンの形状の違いを見つけては成型し直し、無心である。無心すぎてお客様が来店しても気づかない。ウーン、今週は売り上げが落ちたなあ・・・猛省したり。(苦笑)でも、なんだか設計者のチャールズ・ニコルソンの気持ちに少しだけ近づいているようないないような・・・

人生の節目節目で考えること。ギターを作ってみたい!この夢もいつか叶うんではないかと思う。このあたり、イメージが貧困で、あの力木をノミで削っている姿しか浮かばない・・・まずは、シャムロックである。(2007,3,5)

02/22 葉山のワカメ

ナガニシ:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

昨日は定休日。先週吹いた西風に流木の漂着を期待して、いつもの葉山に行く。残念ながら流木は全然無くて、やっぱり良いことではないが海難事故が起きるくらいの風じゃあないとダメなんだなあ、と実感。(春一番との報道だったので、南だったかなあ、と思ったり)

めげても仕方ない、穏やかな引き潮だったので解禁前だが、漂着したワカメを拾う。ワカメは漁業権が放棄されていないので、海中のものをとるのはご法度、あくまで漂着した残り物(浜に挙がったものも貴重な生業なのだから)を食べる分だけ拾うのが許される範囲と思う。昨年、これに味をしめたのだが、刺身ワカメって何だ?とタカをくくっていたら大間違い。鮮度抜群のワカメを茹でたてで食べると、別の食べ物である。やり方は簡単で、葉の部分を切り取り、熱湯にくぐらせ水で冷やす。山葵醤油で刺身わかめ、そのまま椀に盛り味噌汁を注げば味噌汁である。茎は茹でてお好みに細かく切って、刺身でもよし、ゴマデレッシングなどで和えても良い。

ついでに、ナガニシというホラ貝の一種も拾う。城ヶ島の磯料理屋かななにがで、料理するのを見た記憶があったのだ。僕は都会っ子だったから、どんなになりきっても、子供の頃過ごした伊豆の網代で、やっぱり地元の子供たちと同じにはなれなかった。でも、子供達は横須賀生れのスカっ子だし、やっぱりいろいろな経験をさせたいもの。要はサザエと同じ、殻を割って刺身にするだけ。この殻を割るのが、子供たちには残酷なようで・・・しかし出来た刺身には「美味しい!!」を連発。残酷さも美味しさに吹き飛んでしまうようだ。味は素晴らしい。サザエほどワイルドではなく、アワビほど上品ではない、といったもの。ちょうど良い磯の香りである。

まあ、海は何も無くても何かあるものである。(2007,2,22)

02/19 流木磨き

流木:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

このひと月というもの、お店やウェブそっちのけ?で流木磨きにはまっている。こんなことは年に何度もないのだろうが、1月7日に西風が吹いた。館山で貨物船が座礁したので憶えている方も多いだろう。その翌週に某三浦半島西海岸に行ったら、大量の流木が・・・特につる性の藤のような木がたくさんあったのが印象的だったのだが、これが面白い。枝が分かれるところは、人のお尻のようになる。で、まるで踊っている女性のお尻のようなものから全長20センチ余りのオブジェを作った。これは4歳の長女が流木を砂浜に挿したことからアイデアをもらった。無造作に挿した砂浜の流木の美しいこと・・・。僕は盆栽を少しかじったので、長女の挿した流木から、「よし、流木の盆栽を作ってやろう!」と思いついたのだ。流木はそのままでは美しくないから、磨く磨く磨く・・・こいつを鉢に見立てたぐい呑みに固定して最後に砂を敷く・・・和風にしたくなかったので、あくまでかつてのモダンデザインとの関わりから得たセンスでまとめた。簡単なところも難しいところもあってここまでは良かった。これがきっかけで、昔拾った堅木と思われる(柿かローズウッドと思う)流木をフラワーベース(花器)に仕立てたらこれが大変。水を張るために、試験管を木の中に埋めるのだが、18mmのホールソーの刃を買ってきてハンドドリルで・・・4時間かかりました。表面は10時間ほどかけて磨く磨く磨く。最後は800番の水研ぎ。これも何とか造ったが、前出のつる性の木の大きいもの、全長70センチ余りのものを照明器具にするのには苦戦した。木の知識は多少あるつもりだが、こいつを植木鉢に固定するのにウェイトにもなるのでセメントを使った。セメントの知識はゼロだったので・・・照明の埋め込みのため型抜きのために入れたエンビ管が抜けなくて泣いて(結局、ノミでエンビを割りました)、次にモルタルの膨張で植木鉢が割れて・・・。くじけそうになったところ、思わず愚痴で電話したミネルバ(日本一の家具モデラー宮本茂紀の家具製作会社)の阿部工場長さんから励まされて、やっと立ち直って5日掛りで完成。(この間、店舗にいらしたお客様何人に愚痴ったことか。この場を借りてお詫び申し上げます)

かいつまんでの奮戦記だが、それ以外にも結構、様になるくらいの量にはなってきたような。これも、昨年いろいろ作品を持ち込んでくださるアーティストさんのお陰である。大変、刺激を受けている。そういえば、昨日は吹きガラスをやっているという女性も来店された。今度はガラス???

いずれにせよ、両立?はなかなか大変で、職人スピリットの真っ最中になると、この日記の更新にしてもおぼつかない。今日は桜の流木をオイルまみれになって磨いていたし・・・(秘伝の?オイル研ぎというものにも挑戦している)流木をやっている人と語り合いたい今日この頃である。(2007,2,19)

ページトップへ