12/29 年の瀬

クリスマス料理2010:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

年末は超ワガママ・マイペースの僕にとっても気ぜわしくクリスマスの日記が書けなんだ。ご覧のとおり、久しぶりのピザも無事に焼いた。ケーキやら発酵生地の料理は分量が厳密だが、久しぶりで分量をうろ憶えだったが大丈夫だった。冷凍庫に入れっぱなしのドライイーストも問題なし。近頃は薄力粉に加え強力粉、おまけにデュラムセモリナ粉まで入れるレシピが多いようだがナポリじゃあ普通は薄力粉だけだ。僕のは正調ナポリ流だから余計なものは入れない。薄力粉とイースト、塩、オリーブオイルだけの生地だ。途中ハプニング、丁度、生地を丸く伸ばしている時に電話。オーブンは余熱中で戦場の最中だったから、手を休ませず女房が代わって伸ばすと・・・思わず四角いシカゴピザを作ってるのかと目を白黒させてしまった。丸るく伸ばすのは結構コツが要る。(笑)

ポスター・販売・Ocean-Note・blog・横須賀・堀ノ内2010

今日から女房と子供達は東京・中野の女房の実家に出かけた。お見送りは仕事場から(笑) そう、駅のホームとは声が届くくらいである。さて、今年は4日ばかりと短いが恒例の一人暮らし、テーマはダイエットだ。夕飯作りの担当になってから少々、ウェイトオーバー気味なのだ。子供たちの夕飯の食べかけの残りは食べなきゃいけないし、食欲が日替わりジェットコースターの子供相手だと多めに作る(同じ悩みはお母さん諸氏お持ちと思う)から、翌日ん昼に食べるが・・・残飯処理機となった僕のウェイトオーバーは深刻になりつつある。

明日は、年末ながら、二組ほどお客様の来社が予定されてるし、日記も今年最後かもしれないので・・・今年の三大ニュースをば

1、オーシャンノートの引っ越し
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2、Win7機の導入
XPの頃は快調にマシンを動かすためにはアレコレ設定が必要だったが、Win7はシステム要件のハードルが高くなった分、映像や画像の加工処理が格段に早い。ただ、設定に無頓着な分、OSの新機能は使いこなしていない。旧ワークグループネットワークへの接続は未だに解決せずipアドレスでアクセスしている。
   7が来た
   ネットワーク問題

3、ぼくアホです (笑) 
今年はこれに尽きる(笑) みっともない民主党さん、ガンバレ海老蔵、尖閣問題、オーシャンノート、義父の逝去・・・何もかも浮世の夢幻と笑い飛ばしてくれよとばかり・・・親の欲目でなく和む・・・次女6歳にして代表作
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ポスター・販売・Ocean-Note・blog・ぼくアホです。

皆様良い年をお迎え下さい (2010,12,29)

12/24 Merry Christmas タイタニックの笛

クリスマス2010:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

我が家のクリスマスは多忙だ。それはひとえに次女の誕生日がクリスマスイヴだからである。さすがにこの二年ばかりはやめたけれど、女房はクリスマスと誕生日のケーキをふたつ焼いていたし、クリスマスプレゼントこそサンタ任せだが(笑・・・嘘?)、本人にしてからどちらがクリスマスプレゼントか誕生プレゼントか判らなくなってしまうようだ。

昨日の天皇誕生日、去年は城ケ島へ出かけたが(この日は海辺は空いているのだ)、先週末の法事の馳走の影響か、はたまた今年はおととい22日にだった上町教会のクリスマスキャンドルサービスの疲れか・・・どことなく体調が整わず軽運動の卓球。午後は、長女にグラタン作りを教授。10ケ月前、今年の長女の誕生日プレゼントはヘンケルのぺティナイフを買ってあげた。決して高価なものではない(安くて軽いロストフライ10070-130というもの、切れ味が悪いというレビューも多いけれど・・・まあ、研ぎ方を知らないんだなあ日本人は特に・・・ステンの刃物は鋼とは違うから)のだが、僕がかれこれ18年も使っていて大変具合が宜しいのと同じものだ。料理を”するしない”はその時々の暮らし向きによるだろうからどちらでも良いだろうが”できるできない”ということであれば出来なきゃイケナイと思う。人間は食べなくちゃ生きてゆけないし、これはイコール殺生の外ならないのだから、いただいた生命を美味しく残さず健康的に食さなきゃならず、為には料理が出来なくてはイケナイ。

昨日は初心者コース、材料を適宜切って電子レンジで下ごしらえ、グラタンの元はキャンベルのスープ缶である。朝は、メモをとらせて作り方のブリーフィングもやっておいたので簡単と思ったが(無論、僕がやる時はぜいぜい下ごしらえに30分少々、焼くのに30分)グラタン皿にスタンバイするまで2時間もかかってしまった。長女も初めての本格的なメニューに疲れたようで夜はバタンキューだった。今回はナンチャッテ料理だったけど、明日のクリスマスの食事は(前述誕生日故、我が家は24日は次女の誕生日のごちそう、クリスマスは25日にしてる)久々にピザを焼くし(勿論、生地から作る本物)、時間を手間ヒマかけて憶えたイタリア料理は折角縁あって親子でいるのだから全部教えるつもりだ。イタリア料理さえひととおり出来れば・・・フランス料理も和食も中華も大丈夫である。もっとも魚の扱いは別途やる必要があるが・・・

料理の良いところは(毎日やってるとそうも言えないが)、普段使わない脳を使うところにある。僕は、作曲と良く似ていると思ってる。西洋音階が音楽のデファクトスタンダードになってから音は全音7音と半音5音の12の音階とその音の長さで記号化されている。つまり、無限ではあろうが組合せにすぎないのである。これが、料理も似ていて、使う材料は肉、魚、野菜、これを炒める、蒸す、煮るなどの方法で調理し、塩、醤油などで味付けする・・・この組み合わせであり、どんなに手法を変えたところで椅子や机を電子レンジでチンしてペンキでもかけて食すことはないのだ。

座右の書の一冊に昨年亡くなられた海老沢泰久さんの”美味礼讃”がある。(美味礼讃はブリア・サヴァランの味覚の生理学の邦題だが・・・こちら本家の方の美味礼讃は買ってから15年ほど経って読破していない。難解だ)辻静雄さんの半生記だが、その中の一説に、現代(1960年代)のフランス料理も所謂古典と言われる料理(エスコフィエとヌーベル・キュイジーヌの扉を開けたフェルナン・ポワンなど)をアレンジしているの過ぎない・・・といった若き日のポール・ボキューズが辻静雄に語る場面がでてくるが、まさに音楽も料理も同じで、音楽はその人が聞いたことのあるフレーズが記憶の奥底に残っていてそれを組み合わせたり和音を変えたりして作曲しているわけだ。ボロネーゼのミートソースが肉味噌になったりマーボ豆腐になるようなものである(笑)

さて、次女の7歳の誕生日プレゼントは・・・英国・アクメ社製のサンダーホイッスルである。あの映画”タイタニック”でローズが救命ボートを呼ぶために吹いたのもこのホイッスルだ。このホイッスルは、1912年当時、タイタニックのみならず蒸気船の士官や甲板員が使用していたもので、現在でも製造されていて、これはサンダーモデルに”TITANIC”の刻印が入っている。某オークションで”本物”とか言って1万数千円の値段がついてたりするが、英国本社での販売価格は20ポンドしない。(無論輸送費はプライオリティメールで一声1000円かかるけど) 重たいし、吹くのに力が要るし、どちらかと言えば、今は高い音が好まれるから時代感のあるものだが・・・とても良いものである。(女房が幼稚園で使うものなんざあ、ピッピッピッってな感じで吹けないとダメらしい)

FMラジオからは・・・相変わらず山下さんの”クリスマスイブ”・・・飽きずにジンと来てると思いつつ・・・さっきの古典の料理でいえば・・・ルネサンス様式、カノン循環コードかぁ・・・上手いことやってるなぁ、そのものズバリ間奏ではカノンを入れてるし・・・結局、何でもアリで美味けりゃいいのだ (苦笑 2010,12,24)

12/21 有楽町西武

あと4日で西武有楽町店が閉店すると昼食時のワイドショーで放送していた。子供の頃、テレビの朝日新聞ニュースは怪獣映画みたいな音楽をバックに当時の朝日新聞本社が映るタイトルバックで今でも結構強烈に脳裏に残っている。日劇はまだ子供だったから入ったこともなければ記憶もない。その朝日新聞跡地に1984年開店したのが有楽町西武(現、西武有楽町店)だった。

堤清二さんという方、あれこれ批判するのは簡単だけど、僕は今でもエライ人物だと心底思ってる。セゾンというグループがある種のバブル状態にあってアチコチからの無軌道とも思える巨額の現ナマの突っ込みで成長し続けたのは概ね事実と思うが、さりとてそれだけお金を突っ込んだところで他の誰かがあれだけの消費文化を創り得ただろうか?

当時、中野という土地に住んでいると池袋という場所は生活圏外だったし、今は一般的にどのように捉えられているか承知しないが、それこそ中野が本店だった丸井などは月賦屋さんというイメージが強くて、地元の中野の人は余り出入りしたくない百貨店だったように、月賦割賦ではないものの僕の両親あたりの世代にとっては西武はワンランク下の百貨店であり、多かれ少なかれその影響があったから僕もわざわざ西武に出入りもしなかった。

池袋の西武に出入りするようになったのは高校時代の終わり頃だった。僕の通った都立鷺宮高は西武池袋線沿線に住まう者も多かったから、友達と一緒に遊んだりしてると池袋あたりをうろつく機会もあるようになったからだ。その頃は、丁度、西武鉄道の方でプロ野球の西武ライオンズが誕生して常勝になりつつある時期で、歩調を合わせるように流通グループのセゾングループも赤丸急上昇の時期にあり、池袋をうろつきがてら西武に寄れば子供心になかなかオシャレな百貨店だということは感じた。

就職したプラスという会社は護国寺にあったから、社会人になると自然と池袋で過ごす時間も多くなった。当然、買い物も西武を利用するようになる。輸入家具の営業員になると買い物場というよりはお仕事先として西武を見るようになる。当時のプラスという会社は同業他社に比べて歴史が浅かったから市場開拓は荒野の切り株を一個づつ掘り起こすようなものだった。亡くなられた西沢健さん(元GK社長、若かりしころ池袋の事務所を訪ねて禅問答のようなお説教をしていただいた)などが尽力した先達のハルクや老舗の三越や高島屋を差し置いて、カッシーナやらアルフレックスが輝いていたのはむしろ西武だったから一見してエイギョウに行きたくなるのは人情だ。だが誰も教えてくれる人もいなかったからほとんど飛び込み状態・・・これじゃあ上手くゆかない。

確か、これもいきなり訪問したと記憶しているが、まだ新しかった有楽町西武のスタジオカーサ(これまたセゾン流、まるでアメーバのような存在だった)でカタログを快く受け取ってくれて、その後親しくさせていただいたのが故剣持勇さんの甥子さんの剣持Kさん。とても良くしてくれて渋谷と池袋のカーサのキーマンたる人を紹介してくれた。有楽町西武にはそんな縁で結構足しげく通ったものだが・・・

化粧品やアクセサリーなど女性向けの商品はともかく、同じ女性向けでも服などはそんなに量が置いてあるわけじゃなし、カーサの売り場も”何を”売ってるのか分かりにくかった。まるでパルコのCM状態である。パルコのCMがそうだったようにセゾンのイメージを売っていたのだろうが、そのイメージ作りには大いに成功しても肝心の”売り物”がついてこない。だから・・・わかりにくい。それこそ・・・入場料でもとれば良かったのダ(笑)

結局、堤清二さんが湯水のようにお金を使って素晴らしい”セゾン”を作ったけれど、それを上手に利して”売る”人物がお傍にいなかったということだろう。有楽町西武で外車、保険、果ては不動産まで売る試みは新しかったかもしれないが、日銭にはならなんだ。突っ込むお金が止まれば・・・おわかりの通りだ。

セゾンのシンボルだった有楽町西武も閉店で懐かしい場所がまたひとつ減るが、見渡しても”生活総合産業”なる夢のある言葉も聞かなくなった。どこもかしこも業績業績・・・もっと優雅なお大尽様がいたら面白いがなあ・・・僕には・・・残念がらあまりゆとりがない(苦笑) (201012,21)

12/19 法事 岩井にて

湾岸道路2010:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

10月末に旅立った義父の七七日、納骨で茨城の岩井まで行く。出不精な僕にとっては久しぶりのロングドライブである。7時に横須賀を出て、金沢八景の幸浦から湾岸へ乗る。ディズニーランド目当ての渋滞は早くも有明からだったので浜崎橋に逃げて箱崎から6号を北上、娘たちに大うけのスタルクのウンコ(アサヒビールのホールの上の炎のオブジェ)と初めて間近に見るスカイツリーをかすめて常磐道。ベイブリッジ、つばさ橋、レインボーブリッジと三橋を乗るゴージャスなドライブに一同満足。

守谷PAで休憩。B級グルメブームで屋台は繁盛してるが、僕に言わせりゃ500円とか1000円でB級とはちゃんちゃらおかしい。値段はA級だ。僕が買ったのは8本入り262円也の茨城限定うまか棒。これは・・・大あたり。フツーの納豆味なんか霞んでしまう。少しだけカラシが効いてるので子供たちはギブアップだったが旨い。守谷のB級グルメのチャンピオンはどう考えててもこれだ。

岩井という土地、関東に住んでいる方でも、”岩井”と問われて場所が分かる方は少ないだろう。鉄道の駅がないし、インターもない。名産はレタス。現在は平成の大合併で旧岩井市は坂東市となった。といっても地味なので・・・何といっても有名なのは平将門が関東一円の支配の政庁を置いていたことだ。てな縁で我が家では女房に実家から頂く、とても堅い将門煎餅をいただくことが多き。野田周辺は関東における銚子と並ぶ古くからの醤油の名産地だから、自慢の醤油味の堅ぁーい煎餅だ。

あいにく、平安時代中ごろは興味が薄く平将門という人物の文献に触れたことが無いが、京都にあった朝廷が坂東(箱根以東を指す)に強いた圧政に(結果的に)一矢報いたのは、後世の奥州藤原氏、鎌倉幕府の頼朝、果ては関八州を手中にした家康に大きな影響を与えたことには疑いがなかろう。つまり、遠方にあることを却って善しとした好例になったわけだ。

将門といえば、丸の内の三井物産隣に将門の首塚がある。史上初めて晒し首になったという将門の首が飛んできた地とされる。ところがこれが噂話で済まされて無いのが三井物産である。いまから15年程前の話だが、仕事で三井物産に出入りしていたことがある。仕事相手の女史が教えてくれたのだが「見てごらんよ小野寺さん。物産ではネ、将門の首塚に背を向けて座らないのヨ」・・・なるほど、若干はそのルールに沿わない席も見受けたけれど、基本的には背を向けてない。何でも、昔祟りがあったそうで、その頃でも物産の社員が首塚の清掃をしていた。法事と会食を終え、義兄の車と連なって家路に着くと・・・途中で急にお買い物。納骨でお墓に入られた義父は岩井に行くと必ず将門煎餅を買ったという。無き義父の供養・・・義母が将門煎餅を購入。

12月初め、義兄の家に孫誕生。親族のアイドルだった当家の娘達は従兄叔母に。義父は曾孫を抱くことなく旅立ったが、こうして新たな時は紡がれてゆくのだ・・・僕の余生はともかく(笑)、このしんどいリレーがいつまでも続かんと祈る (2010,12,19)

12/16 黒船かりんとうまんじゅう

黒船かりんとうまんじゅう:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

ちびマル子ちゃんを見ててもサザエさんを見てても”おやつ”という食物が出てくるけれど、僕は大層忙しい商売屋で育ったのでそういう習慣がなかった。電気屋は夜のちょっと手前が忙しかったから、母は5時前くらいに夕食の支度を終えると僕は一人で6時前には夕食を済ませる。そうやってゆかぬと後がつかえてしまうのだ。そんな事情もあり”おやつ”というものをいただいたことがほとんど無くって、友達の家に遊びに行って”おやつ”が出ると・・・どうしていいかわからなかったりした。いつの間にか間食を罪悪と感じるようになっていたし・・・何も虎屋の羊羹が出てくるわけじゃなし、結局、食ってしまえばいいだけのことだったはずだが・・・(笑)

現在の我が家には”おやつ”の習慣がある。特に次女は食が細く、食べては「お腹空いたぁ」の繰り返しだし、多分二人ともおやつがなけりゃあぶっ倒れてしまうのではなかろうか。今日のおやつは、斎藤さんからいただいた黒船かりんとうまんじゅうである。何でも、テレビに出て大ブレークしてるそうで、朝買いに行かないと入手が困難なのをわざわざ買ってきてくださった。半年ほど前、奥様が小さなタペストリーを展覧会に出品されるとのことで、これを額装するのにご夫婦の意見が合わずに相談を持ちかけられた。タペは平面的だからドロ足をかませて(ドロ足とは額の内側を板や紙でフカす方法)額装したら良いとサジェッションさせていただいた。丁度、ドロ足を作り易い3mm角の破材をホームセンターで売ってるのを知ってたのでお知らせした。その作品は見事、入賞してもうワンランク大きな展示会への出品に至ったそうだ。お菓子はその御礼かたがたという主旨もあったようだ。何でも”やりっ放し”が多い世情にあってお菓子の有無はともかく(笑)、きちんとご報告のためお運び下さる礼の整ったお人柄は尊敬に値するものだ。

とにかく一日分の”おやつ”は頭を悩ませずに済んだ訳で感謝は尽きない。黒船かりんとうまんじゅうは、長女と僕だけ2ケづついただいて、一個目は二人で顔を見合わせてしまうほど経験のない食感、言えば硬いかりんとうの中に餡子玉があるような食感にとまどったが・・・二個目が・・・美味い!

斎藤さんは、横浜港で船に乗ってたプロフェッショナルだが、上町の店時代にお知り合いになって以来、会社のことも当家のことも何かと気にかけて下さっていつも感謝するばかりなのだが、奥様ともども堀ノ内は初めていらしたので窓の外の絶景に大層驚かれていた。横須賀は海辺の街だけど、平地が少なく住宅も立て込んでおり、なかなか海一望のロケーションは少ないのだ。今朝、たまたまご近所のどちらさまであろうか、子供を抱っこして堀ノ内の駅を見下ろしていた。そう、以前にも説明したとおり、長女がやっと歩き始めた頃、僕はまだ勤め人だったけれど、出社前に長女を毎日散歩に連れていった。その定番コースのひとつが今朝見かけたように、このすぐ目前の崖の上から海を望みホームに出入りする電車をながめるものだった。

「こんないいトコはないよな。日頃の努力の賜物だょ。良かったねぇ」・・・「会社がまた移ることがあっても、この貸し部屋は手放しませんョ」・・・斎藤さんと二人、大笑いである。しかし絶景すぎて・・・折角励んではいるのだが・・・仕事がはかどらない (2010,12,16)

12/11 ヨット"Ocean-Note"号進水

横須賀うみかぜ公園20101211:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

今日は女房は幼稚園のクリスマスページェント(キリスト降誕劇)で不在、子供たちとうみかぜ公園でバスケット。一時間余り、軽く汗を流したが長女に10ゴール先取ゲームで負ける。ブロックもせずに緩いフリースロー合戦みたいなもんだったけど、とにかく僕のシュートは決まらなんだ。これは要秘密練習である(苦笑)

昨日は、久しぶりに荒川の歯科医のA先生からお電話いただく。(昨日の日記にもお医者様が出てきたが、どういう訳かウチのお客様はお医者様が多い。共通されてるのは趣味が宜しく、ゆとりのある暮らし向きをされているもののしっかりしたか価値判断 − 近年、大安売りの”価値観”ではない − をお持ちだが、何より買い物にはセンシティブ故、却ってお話が合うことも事実だ)去年、右肘を折った際には大変ご心配いただいたが、パワーボートを止めて外洋ヨットに買い換えるとのこと。ヨットの額装ポスターでもご所望かと思えば・・・「小野寺さん、今度のフネに"Ocean-Note"と名付けたいんだが・・・」とビックリのご相談である。

"Ocean-Note"はすでにご説明の通り、”海の音””海の香””海の記憶”といった意である。この社名とロゴをご覧になった時から「僕にとっては直球ド真ん中だったんだョ」とアリカガイお言葉。買い物をされて持ち帰られた当社のペーパーバッグも大事にとっておいて下さっているとのこと。(上町の店を閉めたので再制作の予定はないけれど、これには結構なお金を掛けててシルクの名入れで大小はあるものの概ね一枚100円以上する。高級品なのである)

商標登録もしてるわけではないが、"Ocean-Note"が商号=商標であることは事実で、小心なお方であれば断るであろうが、新造の34フィートの外洋クルーザーに使っていただける・・・むしろ光栄なことと快く了解させていただくことにした。当分フネで遊べる身分にもなれそうにないので、自分のフネのために後生大事にしておくこともなかろう。ロゴをデザインしてくれた友人のプロダクトデザイナーの大迫さんも喜んでくれるだろう。

来春、起工なので艇名のサインいれのデータ入稿打ち合わせは年明けだろう。Aさんもヨットは学生時代以来とのことで操船の練習中らしい。来年の夏あたりはゲストでクルージングに呼んで下さる由、楽しみである (2010,12,11)

12/10 僕は雑役夫 ある一日

客船クィーンエリザベス2_20101210:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

雑役夫 12月9日

朝6時起床、寝坊である。普段は5時頃起きて歩いて3分半の仕事場で一仕事である。いずれにしても天気が良ければ6時過ぎには洗濯を始める。夕飯のお献立次第では並行して下ごしらえをする。

7時朝食。簡単・質素ではあるが朝食の準備は女房担当。寝起きの悪い次女を起こすのに苦労した日はお姫様だっこで食卓の椅子まで次女を運んでしまう。

7時50分出社。BShで”てっぱん”を見てから子供達と家を出る。女房はその前にとっくに登園している。

外出までの少しの時間、オリジナルポストカードのレイアウト、画像加工の検討。

買い掛けの支払日。横須賀中央の銀行で手金入金手続き。その後、個人的に税理士センセイから頼まれた手札写真2枚連装の額装材料探し。通常は販売してないキャビネ判のフォトフレーム探し。結局横須賀中央付近のお店を4軒ほどハシゴ。街場には・・・残念ながらイイものはほとんど無い。こんなもんなんだなあと感心するやらあきれるやら・・・やっぱり横須賀は田舎なんだと思い知る。まあ、せいぜい某ハンズあたりとどっこいといったところだ。いずれにせよ、これも雑務。

帰りしな、スーパーで週末の恒例、マンション住人総出草刈りのためのお疲れ様飲料12本と女房の缶チューハイを調達。自分用はバタピー(10年ほど前の冬、背中に湿疹が出て悩まされ抗ヒスタミンやらいろいろ試したが駄目、特効薬は何とピーナッツだった。ピーナッツのビタミンEが宜しくて、以後、乾期のピーナッツは欠かせない)のみ購入。バックパックが重い。

昼食一旦帰宅。夕食の準備を済ませつつ昼食。昨夜の残り物のたぬきそばをいただく。そば屋の”かえし”にはザラメを使うとのことでザラメにしたら大正解。うどんだしは手抜きでおいしいのを極めているが、秘密兵器”ザラメ”のお陰でそばだしも手の内になった感。ちなみにだしをとってる時間はないので某社の”焼きあご”だしの素を使ってるがこれは ◎ である。

13時再出社。雑務続き。税理士センセイの手札写真の採寸。マット・・・キャビネ判に抜き窓2か所の検討、手札版の写真だからミリ単位の仕事だ。続けて職人さんに制作手配。

お得意さんの東京医科大N先生から電話。クリスマスプレゼントに以前の店で扱ってたハンカチをまとめて手配してほしい由。製造元へ問い合わせ及び手配。

実父に暮れの頂き物御礼電話。雑役生活を同情される。「同情するなら金をくれ」・・・あのドラマのセリフが頭をよぎる。もちろん口に出したわけではない。

15時、子供達、学校から仕事場へ帰ってくる。(自宅は誰もいないので自宅と近接の仕事場へ帰ってくる)おやつを出してやってから宿題を促す。その後、次女にはくり下がり引き算の自習をさせる。このくり下がり引き算が鬼門になってて、なかなかスンナリ運ばない。思わず癇癪を起こす。続けて長女の立体四目並べのお相手。一昨日は不覚にも1勝2敗の負け越し。かなり本気でやって今日は3勝1敗で面目を保つ。もっとやれば全部勝てると思ったけれど、泣きだしたらいけないので鉾を納める。

17時、子供達と退社。帰宅後、洗濯物取り込み後、夕食の支度。得意のパスタなので気が楽だ。ブロッコリーとアスパラのアンチョビ風味のパスタ。15年程前、ラコメータの鮎田シェフのリチェッタを雑誌で読んでから僕の中では定番の一皿だ。

18時半、夕食。遅れて女房帰宅。手早く片づけて家を出る。

19時、夜の出社(笑) 1950年代のフレンチラインの雑誌広告に目を通す。50年代初頭のヴィルモットのデザインのものは出色だが、イル・ド・フランス一隻では気合いが入らなかったのか、62年の客船フランスデビューまでは下降線を辿ってるように感じる。いかにもフランスらしいエスプリはあるものの、力強さには欠ける。それでも資料の中から見つけた1957年のファイヤーワークがテーマのポスターは掘り出しものだった。

22時帰宅。ニュースステーション、ニュース23を見ながら晩酌。家計費コストダウンのため、大好きなコーラ割(僕は子供のころ、隣近所でも知られるほどコーラ好きだった。50年近く、相変わらずコーラ好きだ。近年はシュガーフリーのものしかいただかないが・・・)をウーロンハイに変更している。ああ・・・コーラを飲み放題飲みたいなあ・・・次女の言い草ではないが蛇口をひねったらコーラ・・・だったらいいのになあ(苦笑)

24時過ぎ就寝。寝相の悪い長女の布団を掛けるのを忘れずに・・・そういえば、不要になったポストカードの試作カンプを長女が欲しがるのであげたら・・・家に帰ると何やらゴソゴソやってる。見れば先般旅立った義父から貰ったというフォトフレームに見よう見まねなのだろう、ポストカードを入れて飾ってる。ウン、悪くない。綺麗だ。オーシャンノートのオリジナルポストカードは、大阪の印刷会社に頼んで特注で裁断してもらってる高性能の上質紙、インクも顔料で50年程度の耐性を保つ上等なものだ。うん、額装しない手はないな。雑役の中で、気に染むフレームは殆どなかったけれど、まあまあのものは幾らか見たし、探せば何とかなりそうだ。雑役の中に案あり・・・哉 (2010,12,10)

12/08 飛鳥II

日本郵船客船飛鳥II_20101208:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

浦賀水道を行き来する船は多い日で700隻だとか・・・ずっと窓の外を眺めているわけではないけれど、大きな船が通れば目に入る。この仕事場に来てもうすぐ4カ月、まだ空母のジョージワシントンは拝んでいないが、商船三井の船はしょっちゅう見かけるし、郵船の自動車運搬船は大きいから毎日夕方東京湾を出てゆくのが目につく。円高で日本車が苦戦してる割にはほぼ毎日出てる。ホンダの車は船体に”HONDA”と大きく書いてあるし、トヨタの車は富士とか名古屋から出て行くのが多いだろうから、郵船が運んでいるのはきっと日産の車だろう。飛鳥IIはこの窓からは初めて見るが、やはり商船三井の船より大きいのだろう・・・一回り大きな船体と二引きのファンネルが目に付いた。7日午後横浜入港、8日11時神戸に向けてワンナイトクルーズ出港のようだ。

去年の今頃は、年明けのクィーンメリー2の横浜寄港に向けてあれこれ忙しかったが、横浜が大阪寄港に変更になって・・・この件はヒマである(苦笑) でも、実は去年制作した北斎・神奈川沖浪裏をトリビュートしたクィーンメリー2来航記念ポストカードの出来には気を良くしていて、綺麗なものを作れないかと思案中である。しかし、最終的には天保山の客船ターミナル着岸らしいと聞くが、やはり水深が足りないのではないかと大阪の船キチ諸氏がケンケンガクガクしてたようだ。元々、港は海の真ん中に造るものではなくて、人の生活圏にあるわけで、どうしても沿岸たる土地の構造上水深10m以上とるのは簡単ではない。ニューヨーク港でも伝統的なハドソン河のマンハッタン・チェルシー埠頭は上流から下りてくる土砂で水深が浅くなるからしょっちゅう浚渫が必要らしいし(ニューヨーク港全体が水深浅く8〜9m、アンプローズ灯台西側の水路以外は大型船座礁の危険がある)、ちょうどチェルシーに係留展示されてる空母イントレピッドがドック入りの為曳航出港しようとしたら着低していて動けず大騒ぎになったのは記憶に新しいけれど、結局クィーンメリー2も現在はブルックリン埠頭(マンハッタン南端から少し下るガバナーズ島の対岸、ブルックリン側の新しい埠頭)に発着を全面的に移しつつあるようだ。船の大型化は避けられないから観光立国を標榜するならわが国でも良い港を整備するのは急務かもしれない。今からやっても10年15年かかるのだから・・・

さて、子供の頃とは違って、風邪が簡単に治らない。普通に過ごせるくらいにはなったけど、そこまで丁度一週間、まだ幾らか鼻がグズグズ、咳も少々、見ても仕方ないから体温計も使わなかったが(熱があっても仕事と家族の食事を作ることには変わりがない。だから測らない)やっと悪寒から解放されたものの、娘達の担任の先生との個人面談やら年末調整の書類やら、風邪ひきの最中で細々と忙しい一週間ばかりだった。少々熱でアタマがボーッとしてたせいだろうか・・・長女の先生には・・・「かけっこで勝ちたかったら隣の子の足を引っ掛けてでも勝てっていうんですげどねえ・・・」とついつい失言、「まあっ!おとうさん・・・」と大笑いされてしまった。

前回の店長日記で海老蔵のことを書いてしまった。書くだけ書いて知らん顔ではゴシップジャーナリズムと同じになってしまうから、昨夜の記者会見の感想を一言。まあ、いくつかの辛辣な質問は”大きなお世話”である。いつも思うが、一ジャーナリズムがまるで裁判所か神様のように事件当該者を攻め立てる姿勢はいかがなものか?僕が海老蔵だったらその質問者のことは一生忘れないだろう。あと、政治家ではあるまいし「その件は捜査中だから・・・」なんていうのはイケナイ。大体、お酒をたしなむ人ならわかるだろうが、酔って喧嘩したら前後のことなんて憶えちゃいない。憶えてるくらいなら喧嘩になんてならない(笑)・・・相手が余程危ういその筋なら何だけど・・・まあ、何だかんだでフツーの32歳なりなんだなあ・・・生まれながらに傅れた(かしづかれた)人生だろうが、相撲の付き人がいるわけでもなし、いずれにせよ自分のケツは自分で拭くものである (2010,12,8)

12/01 クリスマス 降誕節 アドベント

横須賀LIVIN:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

免疫のない専業主婦(厳密にはオーシャンノート従業員だった −笑− )から一転、幼稚園教諭に復帰した女房は園児たちの持ってるウィルスが入れ代わり立ち代わり蔓延する環境にあって、もう一月ほど風邪のまま。これはある種職業病みたいなもので、先手を打って幼稚園ではインフルエンザの予防注射なんかも手配してくれるらしい。子供達も見てれば手洗いやうがいもいい加減だから、代わりばんこで風邪、僕だけが御風邪を召すこともなく頑張っていたが12月の声を聞いて残念ながら風邪。今日は自転車をこいで買い物に行く元気もなく、車でスーパー2軒ハシゴ。二軒目のスーパーの屋上駐車場からは先般から釣り場ロケハンしてる一帯が見える。

今日から12月ということで、我慢していた子供達のお菓子のクリスマスブーツも解禁。今年もアドベントチョコを求める機会がなかったけれど、アドベントよろしくクリスマスまでお菓子が保てばいいのだけれど・・・無理だろう。

しかし・・・昼食時にはTBSのワイドショーを見るのだけれど・・・情けないゾッ、海老蔵! たかが一杯やって、少々過ごした揚句の喧嘩じゃあないか。生死に関わる怪我じゃあなし、お酒の上は自業自得、被害届なんて上品なことをするもんじゃない。もちろん、マスコミも世間様もたかが飲り過ぎに騒ぎ過ぎ・・・ 所帯を持ったいいオトコ、まして「俺は人間国宝」と啖呵をきるほどの実力と胆力があるのだから、一人で解決するべし!ガンバレ海老蔵 (2010,12,1)

(2日加筆・・・ニュースを見てるだけだからアテにはならないが・・・先に手を出したとかで今度は海老蔵バッシングの風向き、朝昇龍氏の時もそうだがお酒を過ごして喧嘩しただけ。喧嘩両成敗だし、官警を持ち出して騒ぐほどのものじゃあなかった)

11/29 走水の富士山

走水・富士山:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

先週末土曜日は小学校参観日、振替休日で今日は子供達が家にいる。新しく販売する大判ポスターの額装プランなどもやらねばならないし、次女はくり下がりの引き算がネックなので千本投球(今、TVKで巨人の星を再放送してて影響強し・・・)ならぬ、千問引き算の実施を宣言していたのだが、天気も良く暖かいので特訓にくじけて観音崎サイクリング。というのは、参観日に行って次女が同級生の中でも華奢なのが少々気になったので文武両道、今日は体育にしたのだ。

いまひとつの目的は・・・ご察しのとおり、魚釣りの釣り場探しだ。昨晩も、夜の馬堀海岸に出かけスズキ狙いのルアーマンがいないものかと見て回るが一人だけ。日曜の夜である、高潮対策護岸整備前は、ルアーも含め夜でも20〜30人を下ることがなかった釣り人の姿はほとんど見えない。勿論、釣りは禁止されてるから当たり前といえば当たり前なのだけど・・・釣り人ってえのはそんなに大人しくはないから釣れれば・・・居るのだ。

朝8時に家を出て途中、釣り場を物色しながら観音崎には9時頃到着。美術館前の砂浜で遊んで帰りは児童公園のハシゴ、堀ノ内に戻って吉野家でランチ。その後、社長業、銀行二軒と郵便局、子供達を連れたまま久しぶりに釣具屋なる処へ立ち寄り、再び公園。一本橋でやる”ドン、ジャンケンポン”で長女に負けて仕事場へは14時に出社。少々お疲れではあったが、この数日の下見の成果もあり良さそうな釣り場を二か所程マークすることができた。おまけに今朝はベランダでほったらかしになっていたフタ付きバケツから、どうも見つからなかった最も重用してたルアーの群れも発見。フックが幾らか錆びたものもあったがほぼ問題なし。

平塚RISEのスプラッシャーPH、K-TENのリップルホッパー115PH、リップレスミノー115PH、ブルーオーシャン115PH、ブルーオーシャン115RHミラー、シーバスハンター2RH、サージャージグミノーRH、今は入手できない往年の爆釣ルアーである。表層からボトム、足元から遠くまでキッチリ狙える道具が揃ってる・・・釣り人は・・・こうやって道具をアレコレやってるのが・・・むしろそんな時間の方が無性に楽しかったりするのだ(苦笑) (2010,11,29)

11/25 魚釣り ロケハン

横須賀・大津港:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

引っ越してちょうど三月ほど、オーシャンノートの営業販売基地たる仕事場環境は・・・やっと整いつつある。歩いて3分半の職住近接も善し悪しで、こと私物については住宅仕様の仕事場ということも手伝って家と仕事場の境目があいまいになる。拙宅、元々2DK仕様のマンションの一室は12〜3年程前にリフォームして壁の無い20畳ワンルーム、当時は結婚するつもりもなく装飾は無し、超モダン、極めてシンプルな一人暮ら仕様にしてしまった。それこそインテリア雑誌にでも載せられるくらいのストイックな空間で、ガス会社の人が工事に来て「ここはスタジオか何かですか?」と訊ねるほどだった。人生は思わぬ展開を見せるもので、今や女房と娘二人の家族四人暮らし、モノを増やさぬように心がけてはいても如何せん手狭だ。

手狭解消に丁度よい、仕事場が住宅仕様ということもあり自宅の僕のクローゼットを空にしようとジャケット類と釣り道具を仕事場に移動した。クローゼットの奥に10年近く眠っていた釣り道具は黒カビだらけ。こいつをカビキラーで元通りにする。換気したバスルームで作業するも体調不良は三日に及んだ。ステラ3000、ペン4400SS、ファントムの10f、旧ブルーキャビン12f・・・時代遅れだろうが、どれも独身貴族時代に買い漁った名機揃いだ。(苦笑) 清掃のあとは乾燥、必要なものはグリスアップ、CRCを吹いて・・・お陰で道具はピカピカ。

こうして釣り道具を手入れすると・・・当然、久々に竿を振ってみたくなるのは人情だ。それでもすぐに出掛けられない・・・理由は、釣り場を決めなくちゃあイケナイからだ。釣りの種目はランカー(70センチ以上)狙いのスズキのルアー、とにかく横須賀も立ち入り禁止の波止や石積みが多いし、僕は高いところが全く苦手だから釣り座が低く水深があって夜釣り容易なそこそこ安全なところ・・・となる。以前やっていた観音崎の船着き場(普通は京急ホテル裏でウェーディングする。船着き場は単調な砂地でノーマークだが僕だけが知ってる穴場だった。ランカー4本)はトライアングルの定期船が使用するため海中にロープを張られてしまったからダメ、馬堀は釣り禁止だし目の前にテトラを入れられてしまって困難、久里浜の平作川河口は昔と違って釣れたらリリースせず娘達に刺身をごちそうしてあげたく水がきれいじゃないから失格。

そんな訳で、食材調達の道すがら海辺をうろついては釣り場を物色している。今年は30年以上前にスキーで負った大けがの後が具合悪く、右膝の調子がイマイチなので足場は余程いいところじゃないとダメだ。

まあ検討は検討としてホームグランドさえ決めてしまえばあとはどうにでもなる・・・と思っていたら、ラインシステムの作り方を忘れている。今はPEライン全盛のようだが、魚釣りは浦島太郎状態、昔ながらのナイロン、ランカー狙いなので16ポンドラインを使うが、当然リーダーは20ポンド程度以上、ダブルラインでリーダーを結ぶわけだがビミニツイスト、オルブライトノット、すっかり忘れてる。明日はこの練習かな・・・ウーン、ライン結束作業に必要な手袋がない。(思いっきり結ぶからグローブがないと手が切れてしまう)

それにしても・・・10年以上前のお道具で釣れるんだろうか?本屋で釣り雑誌を立ち読みすると、僕が持ってるルアーなんて全然載ってないし、聞いたことのないルアーばかり・・・根強いファンは多いようだが一世を風靡してたK-TEN BLUE OCEANなんて余り流行ってないようだ。でも魚が一昔前のルアーや古い道具を見て食わないなんてこと・・・多分ないわなあ (2010,11,25)

11/23 事務処理能力の劣化

家電エコポイント:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

日々、海のアート販売に専業しつつ丘の上から海を眺めてばかりの所為か・・・事務処理能力やコミュニケーション能力が著しく劣化していることに気付く。20年も第一線で高級輸入家具の営業職・販売員をやってた割に、このところ不特定な人と喋る機会が少ないせいか電話が掛かってきても上手く会話を運べずに冷や汗が出たりする。それに、なるべく日々の食材調達に丘から降りるように心がけてはいても、運動不足はやはり否めず新陳代謝も滞っているようで、血の巡りが悪く脳は酸欠状態にあるような気がしてならない。

さて、今夏の上町からの移転に際しては商品備品含めてモノを減らすことはあっても増やす必要はなかったし、買い物らしい買い物はなかったのでちょっとした騒ぎになってるエコポイントがどうとかこうとかはアッチのお話だった。それでも新しい仕事場で幾らか買ったモノ・・・PCモニターとして使うアクオスの液晶テレビ、RAID1で使用してる客船史やアメリカスカップの映像資料保存用の1TX2のハードディスク、バックアップ用の中古のDell、20インチの自転車といったもののうち、アクオスはエコポイントが頂けるとのことなのでエコポイントの申請をやってみる。

こう見えても、会社員時代は営業員としては無論、現場の仕切り役兼搬入設置人足としても、はたまた事務員としてもスピード命の優秀な社員だった(と思う・・・笑) 何でもかんでも人の倍のスピードでこなすことに執着していて、またそれを実際にこなしていたけれど、自分の仕事を要領よく最良にこなすことだけしか考えないようなところがあって、受注処理の事務仕事などで僕が気合いを入れて何か始めると、納期調整など周りの仲間は僕につきっきりになって振りまわされるようなところがあって、つまりは周りの社員は僕がさっさと仕事を終えた後でやっと自分のお仕事、といったきらいがあった。それなのに翌日「何でこんなに退社時間が遅いんだ!」とどやしたり・・・とんでもない奴である。

そんな幾らか自信のある事務処理、何だか複雑な仕組みでエコポイントのウェブ申請に1時間以上もかかってしまった。そもそもエコポイントシステムの何たるかを知らないし、商品と引き換えなきゃいけないということが判ってないことでもつまづき、引き換えるエコポイント商品も、こいつは多分経済産業省のウェブがチャチなんだろうと思うが全然検索ができなかったりして手間取る。おまけに、さてやっと書類が出来て郵送の段になると長3型の封筒の手持ちがない。結局休日明けの仕事になるので・・・エコポイント申請だけで足掛け3日仕事・・・何だかトロい・・・

このところ、ちょっとした巡り合わせで、アメリカスカップや客船史の古い書籍をいくらか入手している。今はダメな時代だけどちょっと以前ならまだまだ、こんな良書があったのだと感心(何冊かは翻訳書、逆に原書の方は持っている)することしきり、今一度資料研究にいそしんで、せいぜいボケてしまわないように努めることとしよう (2010,11,23)

11/22 ピアノ 湘南はどこからどこまで

ブルーインパルス20101122:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

日曜の夜はヒマ、22時からは”ソロモン流”なるテレヴィを鑑賞することが多い。先週は池畑慎之介さんが登場されて”湘南の隠れ家”なるサブタイトル、別に暴露するわけでも調べたわけでもないが、番組で拝見するお宅のロケーションは”湘南”といいながらも長者ガ崎を望む横須賀市内、秋谷あたりのR134の山側だった・・・何でそんなことを言うかといえば、茅ヶ崎に住んでる住友商事のKさんと横須賀が湘南が否か議論になったことがあったのを思い出したのだ。Kさんは「横須賀なんて湘南じゃない」とバカにするように言うのだが丹念に調べると湘南だと判る。湘南、西湘などという”湘”はそもそもかつて、相模国の国府、寒川あたり(旧相模国の国府は全国でただ一国、かつての国府所在地が特定されていない)のことを指しており、相模国内その国衙の南側は湘南なのである。鎌倉期に鎌倉あたりのロケーションを中国の風光明媚な名所になぞらえた”湘南”俗説が信じられてるようだが、僕が調べた限り、奈良・平安期まで”湘”の発祥を遡るはずだ。  横須賀市東海岸で販売されるマンションや宅地開発に”湘南”を連発すれば違和感を感じるのは事実だけど、”湘南市”でも作る時には横須賀、三浦も交ぜて欲しい(苦笑) ちなみに、冗談はさておき葉山町に独立独歩の機運が強く実現可能性が低いけれど、逗子、葉山、横須賀、三浦は合併して政令指定市にすると宜しいと昔から思っている。

さて今週のソロモン流は辻井伸之さん。ピアノは・・・以前にも書いたけれど、小学校2年にして(両親から強制的され)ヤマハ音楽教室の門をたたいたものの、一年かかって赤のバイエルを終えることができず放校されてしまった。以来、鍵盤コンプレックスの人生でもあり聞く方もピアノには余り興味を持てていない。80年代はまだ海外のソロアコースティックギターの音源(情報もなかったなあ)は入手が難しくて、神田のカワセや六本木のWAVE、新宿のUNION、渋谷のTOWERあたりでひたすら探したものだった。そんな時代でもお手軽に入手できたのがウィンダムヒルで、アッカーマンなんかはやりたい音楽とは違ったけれど良く聞いたし、そのうち天才マイケル・ヘッジスにも手を伸ばすことになる。その横すべりで耳にしたのはジョージ・ウィンストン、僕はホンダのコマーシャルとかは全然意識してなくて好きになったのはColers Danceという曲だった。

あらためて辻井さんのテレヴィを見て、音楽って譜面が読めんでもOKなんだと思った。日曜の教会学校では知らない讃美歌が登場することも多く、そんな時は前奏があれば何とかオタマジャクシを追いかけて歌うことができるけど、譜面を見ただけでは歌い出すことは難しい。尤も・・・昨日のテレヴィによれば辻井さんのお母さんの方が譜面を読めるようになってしまったそうだ。で・・・辻井さんの弾くオリジナル曲が日本的なので率直に感動、鳥肌だった。淡々とした実直なビートとテンションのないハーモニーは素朴で、面白かったのはクラシックの演奏家があまりやらない即興演奏・・・辻井さんがジャズやニューエイジミュージックをやったら商業的にも成功するんじゃないかと思う。

さて、昨日の防大のブルーインパルス、あいにくの曇り空で雲も低くT4は雲の中から出てくるし、雲の背景に白いスモークを引いても・・・保護色だわなあ・・・また来年、乞うご期待 (2010,11,22)

11/20 ブルーインパルス練習中

ブルーインパルス20101120:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

朝から恒例の卓球。兼業主夫は一応月曜から金曜まで、土日は女房が食事当番なのだが、事前の食材調達の依頼もなくコミュニケーションがまずく、金曜までで生鮮食材は全部使い果たしてしまうので在庫はにんじん1本だけ、これじゃあ何も作れやしないので昼食はまたまた吉野家。コスト削減のため280円にて販売の牛鍋丼にしたが・・・大変美味である。満足。夕食は娘達のリクエストでオムライス・・・らしい。しかし、自分以外の人間が作ってくれる食事をいただくのが何とありがたいことか・・・不味けりゃケチをつけるだけだからお気楽なのである。会社勤めの頃は、事があると黄門様の印籠よろしく辞表をちらつかせてお上とやりあったものだが、自分が社長だと「辞めてやる!」と啖呵を切ることもできやしない。食事も同じで、自分で作ると家人が美味しく食しているか、量は足りてるかとハラハラドキドキで美味かあないし、自分で作ったものだからしくじっても文句も言えない (苦笑)

明日はいよいよ観音崎・防衛大学上空でブルーインパルスのアクロバット飛行デモンストレーションだ。飛行予定は11:25から11:34まで9分間。商品の発送作業をしてると・・・ジェット機の爆音! 明日の予行演習だ。素晴らしい

僕はミリタリーマニア、軍事オタクではないから航空ショーとかに行ったことがないし、米軍横須賀基地の開放デーもずいぶん行ってない。でも、飛行機は結構好きで、空港では時間を忘れて離着陸する飛行機をながめてしまったりする。海を往く船も美しいものだが、大空を飛ぶ飛行機もまた良い。

それにしても・・・驚いたねぇ・・・官房長官が自衛隊をして「暴力装置」とは。確かにマックス・ウェーバーは社会を守るための軍隊や警察などといった権力によって司られる実力行使組織を暴力を制圧せしめる”暴力組織”と規定したが予算委員会で使ってしかるべし言葉か否か・・・防大学生諸氏も官房長官のいささか品性に欠けた失言に惑わず先々国防の任にあたられる使命感を漲らせていただきたいものである (2010,11,20)

11/18 ボジョレー+インカンダル蒸しパン

イスカンダル蒸しパン:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

今日の夕食は豚汁にそぼろ丼。朝、友人のウェブの更新アップロードに手間取ってしまったため、命の買い物メモが不備のままスーパーに駆け込んだので油揚げを買い損ねる。仕方なく、喪中はがきの投函かたがたコンビニに寄る。セブンイレブンにて販売の油揚げはお高かったのでファミマまで足を延ばすと・・・可笑しなものを売っていた。イスカンダル蒸しパン(笑)である。水色と白のマーブル状の蒸しパンをイスカンダル星に見立てたという訳だ。元祖アニメのヤマトはリアルタイムで熱心に見てたクチだから無駄遣いとわかりながら求めてしまった。

日曜日の19:30といえば・・・ルパン三世だった。裏番組はカルピス劇場(世界名作劇場)だからルパンもそうだし、その2年後のヤマトも視聴率は宜しくなかったがどちらも心に残るアニメだ。ルパンは原作とは雰囲気が違うのだろうが山田康雄さんが演じるルパンには痺れたもので、コミカルな表層に隠れた深層にあるハードボイルドな世界・・・これぞハードボイルド初体験、僕の小学校のクラスの男子、大半は見ていて月曜はルパンの話題で持ち切り、あれで試聴率が10%もなかったのは不思議なくらいだった。

2年後のヤマトの時はもう中学生で、いくらか色気づいてきた年頃だったから率直に諦めずに使命感を全うするスピリッツに夢中になったものだ。こちらは余り詳しくないがガンダムなんかと同じペーソスがあって、戦う双方どちらも悪者じゃないところが画期的で、現実の国際社会では負けた方が戦争犯罪国になってしまうものの、元来共に祖国の存亡を賭けて戦争という行為のある種の純粋性を鑑みたものである。

命の買い物メモが未完成だと・・・油揚げは忘れるくせに、ついつい余計なものを買ってしまう。今日はボジョレーヌーボーの解禁日、美味しいものだと思ったことはないけれど収穫祭の時期でもあるし・・・フルボトルで690円とお手頃だったので買ってしまった。一家離散状態ながら女房へのささやかなゴマスリでもある。去年ペットボトルのボジョレーが話題になったが、今日はワインの瓶と思って手にとってビックリ、初めて持ったワインボトル型のペットボトルだ。イオンがフルで970円、ハーフで470円、ドンキもハーフで400幾らとかテレビで激安とやってるけどフルボトルで690円也!どこの通販よりもお安くて・・・まさに飛ぶように売れてて、レジに並ぶとどの人の買い物カゴにも鎮座してた(笑)

フランスワインには疎いが、生産者はパスキエ・デヴィーニュ、お味は・・・今年のボジョレー地区の作柄は良・・・とのことだが、これまでにたしなんだぼボジョレーヌボーで最高かもしれない。言い方は悪いが、僕のイメージだとたいてい水っぽいか葡萄ジュースかってなものだったが、今回のはしっかりしてて、フルーティーというよりはタンニンが強く、かといって焦げ臭さのようないやな深みや重さがないので飲みやすい。少し空気を含ませるとボジョレーヌーボーらしいフルーティーが前面に出てくる。当然草や土、きのこの香りは出てこないが新酒とはいえない複雑さだ。ついついイタリアワインと比べてしまうが年の浅い上等なキャンティのように感じた。それにしても・・・色がきれいだなあ、新酒は。癖のない、カマンベールをバケットの薄切りに乗せてお供。

25〜6年前だと、日本ではまだボジョレーヌーボーを解禁日にいただくのは簡単なことではなくて、そのころ転職したインターオフィスのお得意さんだった輸入食材のアルカンさんに無理言って分けていただいたものをアリガタく皆でグラスの底に少しづつ分けて飲んだものだ。フランスでは生産者組合が味が落ちることを理由にペットボトルのボジョレーを禁止することを検討してるそうだ。確かに・・・円高でもあるしお安いのは当家にとってはアリガタいことだが、あんまりフツーの清涼飲料水のようなのも如何なものかと思わないでもない (2010,11,18)

11/17 一家離散

オーシャンノート仕事場:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

海上保安官がYouTubeに尖閣諸島の動画を投稿したことが大問題になっている。早々に44分6分割のセカンドコピーを見たし、その映像自体を公開することの善し悪しや中国漁船のとった行動の適法違法、まして著作権法違反かどうかなどは断ずることを避けるが、当該保安官の行為自体はやはり残念ながら厳しく処分されるべきものだろう。但し、行政処分が相当であり刑事処分はおろか逮捕起訴される性質のものではなかろう・・・が、丸腰同然で国境警備の任にあたる保安官の危険とご苦労を知らしめたかった心情は理解に適うものだし、あの動画を見て中国漁船は頑丈な船首で当てているから保安庁の船が無事で宜しかった・・・率直な感想である。

僕もそこそこのYouTubeユーザーだが、全部見たら4000年もかかるそうで、すでにインターネットが普及したときと同様、もう誰にも止められないかもしれない。著作権法にかかる違法適法は別にして”見たいもの”が”見れる”という意味では万能、大昔に見たテレヴィ番組を思い出すとほぼ望みに叶うものが見れるのだが・・・それでもやっぱり見たくて見られないものもある。小室等さんの弾き語りの”だれかが風の中で”と”赤いクーペ”だ。”赤いクーペ”は96年に発売された時間のパスポートというアルバムに収録されてる曲だが、大好き(だった)谷川俊太郎さんの詩に小室さんが曲をつけたもので矢野顕子さんが歌ってる方が良く知られてる。この曲を知らなかったのだけど、2年ほど前の深夜にケーブルテレビを見ていたら小室さんが弾き語りで歌って感動してしまった。失礼ながらどちらかと言えば地味な小室等というミュージシャンが僕の中では天才という認識に変わってしまった。この時の弾き語りはおろか、YouTubeに小室さんの”赤いクーペ”は全然ない。無念

”だれかが風の中で”はご存じ”木枯らし紋次郎”の主題歌。六文銭の時代で上条恒彦さんが歌ってるけれど、やっぱりなんかの映像で小室さんがレコードと同じテンポで弾き語りしてるのが素晴らしかった。YouTubeでは及川さんとのライブ(”まるで六文銭のように”なのかな?)の映像が前からあるのだが、これはシャッフルビートのゆっくりテンポで愉快じゃない。

”木枯らし紋次郎”は両親が好んで見てたのでご相伴したものだった。工作で使う竹ひごをくわえて「プッ!」とやってはみても飛ぶはずがない。去年はケーブルテレビで再放送をやってたがついつい女房とやりあうと・・・「あっしには、かかわりのないことで・・・」と〆てしまう。エンディングのナレーションがこれまた大好きで・・・”木枯らし紋次郎・・・上州新田郡三日月村の貧しい農家に生まれ、十才の時に国を捨て、その後一家は離散したと伝えられる。天涯孤独な紋次郎がどういう経路で無宿渡世の世界に入ったかは、定かでない・・・”

当家も・・・一家離散である(苦笑) 14時、次女が仕事場に帰宅「ただいまぁっ! Hちゃん家に行ってきます」と出てゆく・・・15時、長女が帰宅、僕の顔もみずに仕事場の玄関にランドセルだけを残し「ただいまぁっ! 行ってきまーす。スターヒル!」と消える。(スターヒルとは近所の公園の通称) 二人のランドセルを抱え帰宅、長女と入れ替わりに次女をお友達の家から出るタイミングでお迎え。娘達に宿題と翌日の時間割揃えを済ますようけし掛けてこちらは夕食の支度。昨晩はアサリラーメンとチャーハン、餃子・・・ラーメンの制作都合上、女房の帰りを待つ・・・帰ってきやしない 不機嫌モードへ突入

皆、好き勝手にやってる・・・アタマに来たので・・・仕事をする(笑)  夜8時再出社、次女愛用のチビた鉛筆を削ってから25時頃まで友人のウェブサイトメンテの作業、そのまま3時間弱仮眠、29時頃から再度作業・・・一家離散状態の我が家、モニタ横の次女の新作 ”ドングリ” はいつも笑ってる (2010,11,17)

11/15 感性

感性:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

一年生の次女の感性にハッとさせられることが多い。大きなポスターを額装するために余片を切っていたら 「この紙使ってイイ?」 というので渡すとしばらく一人で淡々と鋏でチョキチョキやってる。 「ホラーッ、 シッポ」 思わず、こちらも悪ノリして尻尾をつけて夜・・・  帰宅した女房に 「アレェーッ、君は人間のくせに尻尾が無いの? ハズカシイナァ」

ぼくアホです”以来、次女が気分で書き散らすキャラクターのファンである。どうでもいい裏紙に描くことがほとんどで(何故かきちんとした紙に書いたのは愉快じゃない)、いわばゴミになってしまう絵を丹念に保存してる。長女は口が立つし屁理屈もこねるし最近では言い負けてしまうくらい口語表現に長けているが、次女は長女に比べれば言葉が拙く思ってることを上手く言葉で表現できないようなところがある。人それぞれ脳の回路は違うのだろう・・・ タカラガイのゴマちゃんもそうだったが気分を即物的に表現する能力には恐れ入ってる。

次女は 「何で皆、笑うんだろう・・・おかしくしているわけじゃないのに・・・」と言うが、この子の人を食ったようなキャラは素晴らしくて(親ばかではなく、客観的に)先般も、義父葬儀の際に係の人が寝巻をお棺に 「お納めしますか?」 と尋ねて誰も返事を出来ずにお見合いしていると 「お納めください!」 と大きな声でキッパリ答えてしまい・・・一同一瞬唖然、その後大笑い・・・悲しい場面の思わぬ大笑いなのだが、本人は大まじめなのだ。お経を聞いてれば寝てしまうし(苦笑)、僧侶の命で一同 「南無阿弥陀仏・・・」 を唱えると、次女が大真面目に独特の抑揚でやるものだから周りは困った・・・

ガッコウを出て就職したプラスという会社では、当時”感性”という言葉が大手を振って社内を闊歩してた。僕は三流私大出だったが同期入社諸君は所謂ピカピカの一流大学出ばかりである。彼らとは入社前にも顔合わせしてたから「おのおの方、なかなかデキるナ」ってなもので、負けてはならじと一世を風靡してた博報堂生活総合研究所の本など読み漁って理論武装、せいぜい気張って入社して「ある調査に依れば・・・」なんて一席ぶつと・・・「ああ、セイソウケンのデータだろ」と軽くいなされたりして(苦笑) セーソーケン?成層圏? 博報堂生活総合研究所は略してセイソウケンなのであり、当時のプラスはそういう冴えたアタマのイイ連中の独壇場で、僕は思わず荷物をまとめて研修所から帰りたいくらいだった。

プラスという会社を文具家具業界トップにまで育てた経営者の今泉氏も当時は若く(今の僕と同じくらい)、やはり”感性”なる言葉を連発していた。しかし、僕はだんだん”感性”という言葉の使われ方に違和感を感じるようになる。勢いのある会社だったから議論も多く何かと言えば「感性がない」「感性が鈍い」などという科白が飛び交う。でも本来感性はおのおの違うものだし多いの少ないのと量的に論じるものではないはずで、人間の下部意識にある”個の感性”が何ら何人からの批判や卑下される対象であるはずもない。つまり、ゲージュツでもない所詮モノ売りの営利活動に大げさにも”感性”を言葉のお遊びで持ち込むもんではないし、好き嫌い、ウケるウケないで充分だったんだろうと思う。故に・・・”感性”の印籠をかざしてブイブイ言ってた輩は、今度は科学(まあ・・・マーケティングという奴ですな)を持ってきた連中に駆逐されてしまった。

上部意識たる理性が克つのは・・・ずっと後で宜しい。娘達のその感性はそっと大事にしてあげたいものだが・・・バスケットの後、次女はビシッとセンシティヴなメモを渡してきた

うんどうのやくそく
1、人のあしをけらない
2、ずるをしない
3、みんなのきもちをかんがる。(考えるの間違いだろう)
4、これまでのことのルールをまもる

はいはいはい・・・いい歳こいてもう少し理性的になれとの御小言・・・僕の精神年齢は・・・6才以下と見える。ムキになっちゃうんだなあ・・・感性以前、本能のまま (2010,11,15)

11/12 夕方 海辺釣り公園

横須賀海釣り公園20101112:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

感心することなのかどうか、娘達の小学校はほぼ毎日宿題がある。ただし金曜は原則的に宿題なし。今日は金曜恒例のカレーライスではなくハヤシライスだが出社前の朝と昼食の一時帰宅の時に仕込んでしまったので夕食の支度も余裕、大層温かいこともあってチャリンコで丘を降りて海釣り公園へ出かける。気持ちイイ夕方だ。

今年は猛暑の影響で回遊魚が釣れていなかったようだが、やっとポツリポツリ出ているようだ。上がる本数は少なく、代わりに時期が遅いこともありイナダクラスではなく二回りも大きいワラサばかりとのこと・・・ちなみにルアーでは60mもキャストして10m近い深場を引くのだとか。60mだからジグだろう。今朝もデカくて寄せることも出来ずラインを高切れされたとか。

竿を握ることがなくなっても(そうは言っても道具は揃っているのだが。サーフキャストなら405Bクラスのロッドにエアロ・キススペシャル、ルアーならミディアムの9fロッドにステラ・・・道具はあるのだ)釣りは気になるので聞き耳立てて情報収集・・・やら、遊具で子供たちとアスレチックごっこをやって「イテテテテ・・・」なんてやりながらブラブラしてると思いついた。

来たる21日は、何年か振りに防大記念祭にブルーインパルスのデモがあるそうだ。前回見た時は何も知らなくて、突然の轟音に窓を開けて口をアングリさせたもの。アクロバット飛行を見たのは初めてだった。今回はたまたまタウン誌の記事で知ったので普段は立ち入り禁止の拙宅マンション屋上にでも出るかと思っていたが、今日海釣り公園に行ったら気が変わった。ブルーインパルスは観音崎の山の上を飛ぶわけだが、海釣り公園から防大を眺めると防大のある山(丘)が遮るものなく一望できる。ここで見ることに決めた。

思わぬ暖かい日もここ2〜3日だとか。越えたら冬・・・海を眺めて外でいただくアイスも年内最後だろう (2010,11,12)

11/11 クサクサしてる?

北斎・千絵の海相州浦賀2010:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

今週は・・・クサクサしてる。

当たり前とは思いつつ、当社のウェブ販売、4年と少しやっていて大変ありがたいことに返品はわずか1件、これは意外な勘違いでネットで見てその絵柄がヘブライ語だか何だかの字に見えたとかで(ウチは海だけだからそのようなもの初めからやってないのだが・・・携帯でご覧になったそうだ)、返送された商品も壊れていたし・・・やや危ういお客様だった。配送事故は残念ながらゼロではない。当社のヤマト運輸さんの配送は特別で行程全部が手持ち扱いにしてもらっているが年に1〜2回は破損事故が起きる。無論、再度のお届けに何日か時間は必要だが都度、良品交換させていただいている。

キャンセルは、先月まで4年間でただ一件、いわゆる買い物依存症のお客様がご注文されたものをご家族がキャンセルされたケースがあるのみだったが・・・今週、初めてご注文のキャンセルをいただいてしまった。それも・・・発送後、受け取り拒否というパターンだ。たまたま先週の義父の葬儀で臨時休業した間の注文で連絡ごとりにくい状況であったことは確かだが・・・やはり面白くない。商品と仕事には自信をもっているので慙愧に堪えない。

「オトーサンはクサクサしてるからさぁ」と言っても小学生の娘達には意味がわからない。国語辞書では・・・おもしろくないことがあったり、いらいらしたりして、心が晴れないさま・・・だそうだ (笑)  

娘たちが学校から帰ると夕方だけど、このところ少し暖かいので久しぶりに浦賀灯明堂に出かける。10月末は葛飾北斎生誕250周年の話を書いたが、折角灯明堂まで出たので ”千絵の海 相州浦賀” を思い出して写真を撮る。こうして見比べると北斎の時代の方が陸地が少ないように見える。もっともデフォルメで人物は大きく書かれているかもしれない。あるいは、三浦半島は関東大震災で大きいところでは3m以上も隆起してるからそのせいかもしれない。もっと言えば明治以降の海岸線の要塞化で土を盛ったか・・・

冨嶽三十六景は当時の大ヒット作故、状態の如何はともかく現存枚数はそこそこあるが、次作の千絵の海は殆ど現存しておらず、相州浦賀も世界で数枚しか発見されていない。アダチ版画研究所は史上最も芸術性の高い高品質の浮世絵版画を制作する工房だが、相州浦賀のレプリカに関しては個人的にあまり良い出来だと思っていない。アダチさんのは素晴らしく美しいけれど現存オリジナルから想像する出版当初の風合いと感じがかけはなれている。ならば自分でやってしまおう・・・当社の復刻レプリカは数枚だけ現存する米国某美術館の相州浦賀のアーカーブ画像データを元に数週かけて制作した。ズバリ珍品である。(笑)

窓から一望で見るだけでなく、海辺に出かけていつまでも寄せては返す波を見てると・・・クサクサした気分も晴れるものである (2010.11,11)

11/06 うみかぜ公園 シュート!

横須賀うみかぜ公園20101106:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

いろいろあったので・・・珍しくストレスが溜まってる。仕方のないことである。

スポーツの秋、今朝はうみかぜ公園でストリートバスケット。長女が「バスケットが好きなんだ・・・」とつぶやいたので、アディダスのボールを買ってしまった。女子及び中学生用の6号球である。一年前に折った右肘は、とうとう医者にも行かなかったし、年齢的にも完治は無理だろうから通常の7号球でなくて丁度宜しい。

ガッコウでは誰も(部活以外で)バスケットなんかやってなかったけれど、多分、石井いさみさんの”青い鳥の伝説”という漫画のせだろうと思うのだけど、僕は密かにバスケットが大好きで誰もいない体育館で(どんな空き時間か記憶ない)一人でやっていた。中学に上がったときバスケット部に入ったけれどすぐに止めてしまった。根性が足りないのである(笑)

一時間程遊ぶと汗ダク、運動不足の両腿はパンパン・・・スポーツの秋の後は・・・食欲の秋。女房もそうだが、育ちの宜しい女性は吉野家なんざあ入ったこともなかったりするが、セレブな当家の娘がたった一度の人生、それではイカンと思っていたので吉野家の牛丼をいただく。普段、良く前を通りかかっては換気扇から出てくる香りだけで我慢している訳だが今日は食べられる。長女はバスケットで走ったのが効いたのか牛丼の並盛りを平らげてしまった。吉野家もカウンターオンリーでは無くなって外回りの男子の食事ではなくなっている。

牛丼食って満面の笑み・・・ささやかな幸せなんてどこにでもあるものだ (2010,11,6)

11/05 中野

中野2010:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

久しぶりに中野の実家に泊まる。義父の葬儀のためである。

時間のある早朝、子供たちを連れて廃校になってしまった僕の卒業した旧仲町小学校を訪ねる。卒業して36年も経つのに使ったことのない校舎は一棟のみ、耐震補強の筋交いの鉄骨と福祉センターに鞍替えした時の塗装は見慣れないものだが、ほぼそのまま学校は残っていた。

子供達に約束していた追分公園にも連れていった。小学校2年の時など夏休みの40日間、一日も欠かさず朝から日暮れまで遊んだ公園である。昼飯は・・・公園の正面にあったお店で買うソーダのアイスキャンディー(今のガリガリ君)だけ、良く飽きもせず遊んだものだ。その後も5年生くらいまではポコペンなどして(缶けりのような遊び)良く遊んだものである。砂場にあるキノコの形の遊具?のテッペンに上るのは男の子の間では一人前のライセンスだった。背の高い奴は4年生くらいで上れるが、大体5年生で上れる。度胸の問題もあるが、僕もキノコのヘリをいじって何時間も行こうか行くまいかとやってたもんだ。(ちなみに30代の頃に営業の仕事で近所に来た時寄って面白半分で挑戦、わき腹か何かがつってしまった・・・笑)義父の葬儀を前に怪我をしたら末代までの語り草になってしまうから流石に上らなかったけれど娘達には手を貸して登らせてあげた。

義父の葬儀・・・祭礼の会社が手配してくれた僧侶は大変徳のあるお経を詠んでくれた。宗派の違いとかには疎いけれど分かり易く、お経ではない部分なのだろうが平家物語冒頭の「祇園精舎の鐘の声・・・」と似た一説があり生ある者滅びる定めから逃れることは出来ぬものと改めて無常感を得られるずにおられない。

下天のうちを比ぶれば夢幻の如くなり 一度生を享け、滅せぬもののあるべきか - 幸若舞・敦盛 - (2010,11,5)

11/02 来る者・・・往く者

ジョギングストローラー:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

長女、次女と二人に渡って大切に使ったベビーカーを手放すことになった。勿論、この二年ばかりは用済みになってセレナの後ろに畳んで積みっぱなしなっていたのだが・・・愛着があるので処分に躊躇していた。出来れば知己の方に貰って使ってもらいたいものと思っていたところ、女房の姪っ子に赤ちゃんが生まれるので貰ってもらうことになった。合わせて次女が使っていたタカタのチャイルドシートも・・・

長女が生まれた頃、クルマはプリメーラワゴンに乗っていて、ドイツ車ともフランス車ともつかない落ち着いたデザインにほれ込んでいた。190馬力は今では大したもんではないが、オーテック仕様で車高低くサイドスカートが効き目のあるクルマで、横横でリミッターが効くまで飛ばしても路面に吸いつくように走る具合の宜しいクルマだった。しかし、その車高の低さは赤ん坊連れには厳しいところがあって、赤ん坊たる長女を抱いて乗せるたびに長女のアタマをドアの上の屋根にゴンッ!とぶつけてしまう。(痛かったろう・・・御免) 毎度こんなことやってておバカさんになってはイケナイと協議して車高充分のワンボックス、セレナに買い換えた。

どうも、僕は誰もがフツウにやってることに逡巡するところがあって・・・街中でベビーカーを使ってるのを見ていてあまり乗り心地が良さそうには見えなかったので、何とか抱っことおんぶで子供を育てられないかと思っていた。フツーのベビーカーのタイヤは固いのでプリーメーラの時の頭ゴンッ! と同様、脳ミソがどうかなっては可哀想だと思っていたのだ。(ちなみに、横須賀米軍基地司令官だったデッカー大佐の回想録を読むと、日本のお母さんが子供をおんぶして走り回り子供の頭がガクンガクン揺れるのを見て、大丈夫なんだろうか?と日本国の行く末を心配したそうだ。アメリカにはおんぶといおう習慣はないらしい) しかし、子育ては大変でとても抱っこだけで赤ん坊と出かけるのが難しく協議の結果ベビーカーを買った。今はもう売ってないようだが愛知のミズタニというメーカーのもので、所謂、ジョギングストローラーの模倣品である。これは大層大活躍したもので、相当に険しい海岸の水際や観音崎あたりのちょっとした山道でもびくともせず(もっとも女房と二人でベビーカーごと持ち上げて行くこともしばしば、無茶したものである)魔法のベビーカーだった。

いよいよ、次の使い手に渡す・・・隅々まで洗ってタイヤの抜けた空気を入れる。前輪の空気が抜ける??? 虫ゴムだ。結局、後輪の虫ゴムも交換して日光消毒して・・・アラッ?一旦折り畳んで伸ばそうとすると上手く行かない。説明書を読むと・・・フムフム折り畳み可動部にCRC556・・・か。こうして散々使い込んだ道具を譲り渡すために手入れしてるといろいろなシーンを思い出す。そして、また生まれ出づる命が思い出を紡ぐのだ・・・来る者・・・

私事ながら、11月3日・4日の両日、臨時休業させていただきます。去る10月31日、義父が永眠いたしました。どうか、天に召されるすべての命が安らかに、生まれ出づるすべての命に幸多かれと祈るばかりです  (2010,11,2)

10/31 北斎生誕250年・・・だそうだ

葛飾北斎Google:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

誰もがそうかもしれないが、朝起きて最初にすることはPCの起動スイッチを押すことだ。その後トイレをすまして簡単に顔を洗ってうがいをするとPCでブラウザを起動させる。日本では、本日現在ポータルサイトのシェアはYahooが58.0%、Google(日本)が36.7%、地球規模では逆でGoogleが6割、Yahooが3割弱だそうだが永年の習慣でポータルサイトはGoogleに設定してる。今朝はブラウザを開くと(こちらはIE8・・・Win7+IE8になって速いし安定してる。以前のようにEUCで書かれたHTMLソースが文字化けすることもないからFirefoxやらChromeやら使う必要がない。画像や動画の表示・ダウンロードも・・・今やIE8の方が速い)いきなり葛飾北斎の神奈川沖浪裏の画像・・・北斎の生誕日は二説あるけれどGoogleでは10月31日を採って1760年から数えて葛飾北斎生誕250周年ということだそうだ。

葛飾北斎神奈川沖浪裏・クィーンメリー2:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

相変わらずGoogleさんの画像加工はお上手だが不肖小野寺も負けちゃあいない(笑)  今年2月のクイーンメリー2日本寄港を記念して限定制作したポストカードセットの一枚は神奈川沖浪裏をトリビュートさせていただいた。(売り切れました)  制作記は少しだけ1月の店長日記に書いたが、僕の調べた限りでは神奈川沖浪裏の”神奈川”は普通に思い浮かべる現在の京浜急行神奈川駅あたりの神奈川ではなくて丁度本牧沖のあたりと思われる。北斎は神奈川沖浪裏を描く30年以上前に本牧の沖で2枚程波の絵を描いているし、当時の本牧岬はあんな巨大な波ではないものの結構な波が立つ海域だったそうだ。また、ここに描かれた当時の沿岸高速カッター船である押送船(おしおくりぶね)の航路は今の館山や木更津あたりから江戸となると本牧が合致するし、恐らくはヨコハマやホンモクの地名が全国的に知名度が低かったのでカナガワとしたのではないかと推測される。となれば、横浜を出港するクイーンメリー2が本牧沖を往くのはドンピシャリの構図・・・というシャレだったのだ。ちなみに、ライバルの広重も本牧を描いている・・・

浮世絵の研究はそれはそれで面白くて、もちろんアダチ版画研究所のような版木から彫り直すといった王動のアプローチとは違うけれども、密かな発見も多々ある。

件の神奈川沖浪裏は、日本にはあまり良いものは残されておらず、ボストン美術館が確か8枚ほど持っていて、そのうちの一枚が全世界的に引用されてる有名なものである。一般にポスターなどになっている綺麗なものは明治・大正期に再版されたものでオリジナルはどれも空がくすんでいる。で、僕がこのボストン所蔵を元に復刻に取り組んだ結果・・・空の左側の雲の形状が一般に知られているものと違う。結論は出ていないけれど、機械は正直だからオリジナルの画像を輪郭=墨線抽出のために仮データ加工するとその”違う”雲の線が出てきて違う神奈川沖浪裏が現出する。もしかしたら・・・版木が複数あったかもしれない。

葛飾北斎・怒涛図・海上の不二:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

北斎は引越し好きだったそうで生涯の住んだ処は90ヶ所に上るという。晩年、逗留したことで知られるのは長野の小布施、ここに素晴らしい天井画が残されている。北斎の”波”は齢を重ねるごとに迫力を増してゆくが、その完成形といえるのが屋台(山車)に描かれた”男波女波”である。これは肉筆天井画なので浮世絵版画にはなっていない。通常、この天井画を写真に撮ろうとすると絵の手前にワイヤー(紐?)があって台無しなのだが、某外国人氏がこの邪魔者を除いた写真を持っていて好意的にデータをご提供いただいた。古い画像だったので色の復元が骨だったがこれも満足できる作品にできた。

最後に珍作品・・・最晩年の絵手本”富嶽百景”・・・これはライバルの広重が次第に自分に迫る名声を博しつつあったことに対する北斎究極のアンサーだったといわれる。「これは真似できまい・・・」というわけだ。あとがきでは「70歳までの絵はとるに足らぬもの・・・」だったと創作にたいする狂人的な意欲を顕している。この富嶽百景のなかにある”海上の不二”は神奈川沖波裏を越える作品といわれており、ダイナミックに砕ける波頭はだましえで千鳥に変化してゆく。”海上の不二”は版画浮世絵にはなっておらず・・・在所不明な屏風絵を元に復元した。(この作品など・・・本当にアダチ版画さんあたりで新たに版木を彫って”250年目の新作”にでもしてもらいたいものだ) (2010,10,31)

10/27 旗挙げ ヨットエンサイン

英国商船旗ヨットエンサイン:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

窓の外に上町の店でも掲げていた旗を揚げた。大英帝国のレッドエンサインと米合衆国のヨットエンサインだ。上町の時も良く訊ねられたが、エンサインは船の船尾に船籍国を明示するために掲げる旗で、古く帆船時代まで遡れば国旗よりも早く用いられたらしい。つまり、海で出会って互いに戦意の有無を明確にするために船籍を明らかにする必要があった訳で、状況は陸の上よりも切迫していたわけだ。現在では、外国の港に入港する時は船尾に国籍を示す旗(日本の商船は商船旗が定められていないので日の丸、自衛隊の船には海軍旗が使われる)、一番高いメインマストには敬意を表し入港国の国旗を掲げることにより敵意がないことを示す。ヨットで世界一周するときなど、予定外の国に寄港せねばならないことがあるため、様々な色の端切れを持って行くそうで、不意の寄港時には急遽その端切れで寄港国の国旗を作るそうだ。そうしないと・・・撃たれても文句は言えない。

旗は上町店舗閉店の時に幾人かのお客様に所望されたが、こうして新しい仕事場でも使うつもりだったので丁重にお断りした。モノは良いもので、アメリカから取り寄せた本物のギョーム用の旗である。

この二枚のエンサインは、元々アメリカスカップを文字って掲げたものだ。何故が米国ではヨットエンサインを使うことが少なく星条旗を使っていて、そのあたりは結構いい加減で、軍艦も殆ど星条旗を用いながらも司令部や司令官が座乗すると定められたエンサインを使用したりしている。英国は割とルールがきちんとしていて、それは・・・僕らが思う程、英国民がユニオンジャックに思い入れがないだろうと推察されることと関わりがあるように思える。ユニオンジャックは、単純にイングランド国旗とスコットランド国旗にアイルランド国旗を足したもので、サッカーのワールドカップを見てもわかるように、英国の人は本当の国旗はユニオンジャックではないと思っている節がある。だから逆に船になるとわざわざユニオンジャックなど使用せず定められたヨットエンサインを使用するのだろう。時代によって決まりは違うが、現在はレッドエンサインは民間船・商船、ブルーエンサインは政府、ホワイトエンサインは海軍と決まっている。

さて、旗を揚げるのに引っ越してからふた月もかかってしまったが、旗は強風、悪天候で無い限り朝の出社から夕方の事務所クローズまで掲げている。堀ノ内駅のホーム(横浜・横須賀中央寄りホーム)からも丁度ご覧のように見えるし、三崎・久里浜方面からの上り電車からも堀ノ内を越えるところで見えるはずだ。何となく・・・気分は ”旗挙げ” である (2010,10,27)

10/22 クレイタウンのタイタニック

クレイタウン・タイタニック模型:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

クレイタウンという米・フロリダの会社のタイタニックの模型である。もう十年以上前に世界中で販売されていたものだが、さすがにブツは少なくて価格は大したことはないものの入手が難しい。価格は当時19.99ドル、スケールは何とも中途半端な1/1136というもの。船の模型で小さなものは1/1250がスタンダードだから何を根拠に1/1136だかわからない。旧上町店では一苦労してデッドストック品を見つけては売っていてかれこれ7〜8個ほど売っただろうか・・・この模型は簡単に言えばマッチボックスやトミカのようなミニカーのような作り方で、合金やポリレジン製のソリッドモデルではないのだが・・・とにかく良くできている。はっきり言えば、単純な鑑賞目的なら数万円出して買う1/1250の模型なんかよりずっと出来が良いと思う。ちなみに実質高くてもということであればe-bayあたりで幾らでも手に入る。

タイタニックは再来年で就航・沈没100年を迎える。話題も次第に多くなってきた。個人的には有史上の十大事件に入る事柄と思っているし、日本ではあの映画による一過性の慰みだったのだろうが欧米ではもっと深い部分で関心を持たれているから未だに話題も多い。タイタニックが未だに人を惹きつける力は、チープな模型でもほれぼれする美しいアーキテクチャーデザインだろう。

9月24日にはとんでもないニュースが飛び込んできた。タイタニックの二等航海士チャールズ・ライトラーの孫にあたるルイーズ・パッテン女史が氷山発見後の操船ミスがタイタニック沈没の原因だったとデイリー・テレグラフのインタビューで語ったのである。見張り員だったフレデリック・フリートがタイタニックの前方正面やや右寄りに氷山を発見、一等航海士のウィリアム・マードックは「Hard a starboard!」と操舵を指示する。操舵員のロバート・ヒッチェンスは・・・操舵輪を左方向に回すところを間違えて右方向に回してしまった!と言うのである。starboardは右舷を意味するので、操舵員が不可思議にも指示通り右舷方向・氷山側に向かって舵を切って氷山に向かったのは指示通り・・・と思ったら大間違いで、タイタニックは古いティラーオーダーズ方式で運用されていたから舵輪とは逆に動く舵板・舵柄の向きが命令になる。操舵員は「Hard a starboard!」の命令に対して左に舵輪を回し船を左舷向きに転舵させなければいけなかったのである。当時は、国によって”Hard a starboard” と ”Hard a port” の右舷方向左舷方向転舵の意味がマチマチで国際的に統一されるのは1931年のことである。それ以降であればタイタニックの氷山発見時の転舵命令は「Hard a port!」になる。このミスの原因はロバート・ヒッチェンスがラダーオーダーズの操船に慣れていたからだという。 98年目にして・・・もし、これが本当の話ならば、あまりにも話が単純だ。僕もタイタニックのことは随分調べていて、尤も参考になって、かつ海外の文献と比べて遜色のない元大阪大学工学部講師の塙友雄先生の論文”随筆タイタニック”(関西造船協会誌らん、平成11年発行・第42号に掲載・・・国立情報学研究所のサイトからpdfにアクセス可)は秀逸の文献と思っていたけれど、塙先生の論文を含め、やれ「タイタニックは舵の効きが悪かった」だの「減速したから舵が効かなかった」だの・・・ちゃぶ台返しになってしまう告白である。さらに!・・・である、氷山衝突後に停船しなければ浸水がもっと緩やかで救助に向かってきたカルパチア号とも早く出会えた筈と停船を否定する論議が大勢だが、実は船主であるブルース・イズメイの要求(航海継続だったという)で約10分間停船しなかったことが浸水を早めてしまったというのである・・・驚きましたねぇ、これは

再来年はタイタニックのメモリアルクルーズも企画されている。タイタニックと同じ1309名の乗客を乗せてほぼ同じ航路を辿るそうだ。12日間、最上級スイートで100万円弱(タイタニックの一等は現在の貨幣価値で500万円也)はお金持ちの方にはお手頃かもしれない。ちなみに1309名分、既にSold Outだとか。CNNによれば、こういった企画にタイタニックのご遺族からは非難の声もあがっていると伝えている。尤も、メモリアルクルーズにはご遺族の方々からの予約も多かったとか・・・

あの映画タイタニックで、年老いた方のローズを演じた女優グロリア・スチュアートさんが9月26日にロサンゼルスの自宅で逝去、享年100才だった。映画といえば、タイタニックの船上での一等船客の最初の食事(昼食)のシーン、キャル(キャルドン・ホックリー=ローズの婚約者)が羊=ラムを注文するシーン。続けて「ミートソースを」と言うのだが、僕はずっとこのセリフが不思議で仕方無かった。肉にミートソースというのは変だし、偏執狂のジェームズ・キャメロン監督も所詮アメリカ大陸の人か・・・などと思っていたら「ミントソース」の間違いだった。ポリポリ・・・タイタニックの晩餐の研究は課題だったがハイソサエティーなお食事には無縁なもので・・・ちなみに今日は金曜日、我が家は海軍流で金曜日の豪華晩餐はカレーライスである (2010,10,22)

10/21 秋雨 流木でサインボード

流木のサインボード:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

記録的豪雨で危険な状況におかれている奄美の方々にお見舞い申し上げます。

三日もお陽様を見ないと曇り雨が恨めしい。写真は現オーシャンノートのエントランス。超軽量故に泥除けもない愛車はお休み。この自転車にはフランス式バルブというやつが付いていて、あの洗濯バサミみたいな先っぽの空気入れでは空気も入れられやしないのでパナレーサーの空気入れも新調した。先日、内装変速機の不調を直しに女房が近所の三春サイクルに寄ったら空気も入れてくれたそうで「少なくとも2週間に一度は入れなきゃダメですよ」と言われたそうだ。フランス式バルブというやつは常用してる日本のバルブ(英式バルブというそうだ)とは違って、、事前にお勉強してからやったけど中々空気が入れられなかった。中の小ネジ=バルブ部分を少し緩めただけではダメで結構グルグル緩めてから入れると上手く行くことがわかった。空気は入れても・・・朝食に必需なメープルシロップを買いに行かねばならないのに・・・雨降りで丘を降りられやしない。(通販でも良いのだが、シタデールの250gが598円!と、いつも行くスーパーでは滅法お安いのでアル)

”OPEN” のサインボードは、先日城ケ島で拾った流木板。ホームセンターや100均で切り文字とか他の材料を物色したが、どれもピンと来ないのでここは思いっきり素朴に流木板に手書きのペンキが宜しいのではないかと思い至った。結構な量の流木素材を持っていたが、引っ越しのときに大部分は処分してしまいったし、自宅に保管してた素材も頭の中にクッキリ浮かんでるイメージに近いものは無かった。イメージというやつは厄介で、クッキリし過ぎてるとハマってくれない。もう少し横長のものを想像していたが、やっと見つけた(この一カ月歩いた海岸ではイメージに叶うものは他に一片たりともナシ)流木板は思い描いていたものよりずっと景色が宜しい。

引っ越す前、昼食は上町の時と同じ弁当持参にするつもりだったが・・・自転車で1分! 弁当箱に詰めたり弁当箱を洗ったりするよりサッと帰ってササッとかきこんだ方が早い。純粋に食事だけなら、仕事場を出て帰ってくるまで20分もかからないくらいだ。が、主夫業が始まってみると夕食の支度は結構時間的にタイトなので、昼食を済ませながら夕食の仕込みもやってしまう。NHKの30分で晩ごはんまでは行かないけれど、下準備が終わっていれば1時間で充分、一汁三菜 (勘違いしてる人が多いけれど、ご飯は1采に入るし香のものも一采、従って 一汁三菜=汁もの+ご飯+二品 である) は何とかなる。

サインボードは用事やら買い物、昼食で外出の時に ”CLOSE” をお知らせするためで、毎朝出社すると ”OPEN” でドアに掛けて 、外出・昼食のときは ”CLOSE” にひっくり返し、在不在をお知らせできる。営業時間外はサインボード自体掛けないし、17時の帰宅時にはサインボードを仕舞って帰る。

コツをひとつ。採取した流木はそのままでOKならばそれで良いけれど、ワイヤーブラシを使って表面やエッジを磨くと尚宜しい。これは・・・盆栽をやってた頃に神や舎利(樹皮が剥がれて枯れて白骨化した部分)を作ってたところから得たヒントで、流木も中途半端にペーパーを当てると違う風合いになるため、ワイヤーブラシを使うのが正解。ちなみに字は、鉛筆で軽く下書きしていきなりペンキで書いてしまった。その方が素朴だし、制作者の人となりも顕れて面白い。

さて、この ”OPEN”  ”CLOSE” 不肖、我が人となり如何や・・・笑 (2010,10,21)

10/18 卓球

横須賀のバナナ | 店長日記2010年月日 | ポスター販売【Ocean-Note】

運動は好きな方ではない。苦痛には極めて弱い性質だし、人間の体は消耗品だと思っているので過度の運動は害毒じゃないかと思っている。現に僕が知ってる人のなかで五十肩がひどかった人は(一人は入院までした)皆、運動選手だった。つまり、若い頃の過度の運動で関節がすり減っているのである。

それがスポーツといえるかどうかわからないけれど、ダーツやビリヤード、ボウリングは大好きで結構練習した。言えば、メンタルスポーツといった類のものは好きなのだ・・・どれも一杯飲りながらという共通点もあったりするが・・・(苦笑)             やりそうでやらないのはゴルフ、これは度々書いているとおり、何でも形と道具から入いる僕にとっては絶対に踏み込んではイケナイ運動だと思ってる。テニスは若い頃にやったが、上手な友人のマキタくんに「教えてよ」といったら、「オッくん、じゃあ、まず走ろう・・・」から始まってイヤな予感・・・あの運動量に挫けて続かなかった。卓球は面白い。道具が軽いから老若男女が対等にできるし、体にも負担が少ない。体力よりも”技”というところが良い。

卓球をやりに行くのはチャリンコで10分程の近所の青少年会館である。先週末は開館を待っていると、バナナの木を発見。地球温暖化の影響で埼玉でバナナの実がなるようになったと先日ニュースで見たのだが、美味しい実はともかく露地で立派に越冬しているのを目の当たりにしてビックリ!

前回はオマメ=見学に終始した一年生の次女も、シェイクハンドに活路を見出し、2卓借りて4人で一時間超楽しんだ。10年振りに、元卓球部の女房とも子供達を前にエキジビジョンラリー。40歳になった夏、観音崎京急ホテルのプールで突然バラフライで泳げるようになってビックリしたことがある。歳をとると体力は落ちるけれど、近年流行ってる”脳”のお話の論議でも言われるとおり神経束たる脳幹というやつは死ぬまで成長し続けると言われていて、つまりイメージを体の動きに反映させる能力は成長し続けるということだ。歳を重ねた熟練の職人技も訓練だけではなく成長する脳幹の賜物というわけだ。

で、バックハンド苦手、カットはもっと苦手、ひたすら正調フォアハンドドライブ卓球専門だった(それしか出来ない・・・笑。それでも高校時代は体育の授業でダブルス卓球トーナメントで2位までいった。決勝の日に相方のドラマーだったセキヤくんが学校に来なくて不戦敗2位。今でも無念)のだけれど、48歳にして一歩進んでカーブドライブに開眼。それこそ、こちら側から見てるとバウンドしたボールは90度曲がって落ちていったように見えるほど。無論、元卓球部の女房でも返せやしない・・・

僕は、完璧な自己陶酔満足型だから・・・気を良くして、安物のマイラケットを買ってしまった。無論、子供たちの分と合わせて3本、女房は実家から汗と涙にまみれたラケットを持ってくるという。当家では卓球ブーム到来、ついでに、いつも靴下でやってるが、どうも気分が出ないので「スリッパ履いてやろう」と提案中だ。  そう、子供の頃、卓球を憶えたのは温泉旅館の遊戯室だったのだ 笑 (2010,10,18)

10/17 久しぶり・・・夜の上町

横須賀上町20101017:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

久しぶりの夜の上町。100年間から上町でやってる床屋、アベカワさんでのカットモデルのお役目である。アベカワさんのお店は旧上町オーシャンノートの3軒隣だったし、ご自宅はオーシャンノートの裏手にあって、7人の大家族+お弟子さん(店員さん)で10数名の方が毎朝昼晩・休憩と行き来されるものだから僕にしてみりゃタバコを吸いに店の裏に出ると毎度必ずアベカワさんのご関係者と挨拶を交わすような感じ、そんな訳で4年間アベカワさんとは親しくさせていただいた。

どちらかと言うと床屋無精の僕を見かねてか・・・以前にも書いた「中年のカットモデルさんがいなくて・・・」というのが実情か、この夏からカットモデルを仰せつかっている。実は若い頃にもなんちゃってカットモデルをやっていたことがあって、会社の先輩女性の家の生業が床屋さんで彼女も理容免許を持ってて 「アタシも腕がにぶるしさぁ・・・その髪じゃ営業成績も上がらないヨ。金ないんだろ、切ったげるからウチにおいで・・・」ってな話で2年間ばかりモデルをつとめたことがある。(行くと、お母さんがメシも食べさせてくれた、アリガトウございました)

そこん家の弟さんは腕の立つ職人さんで、全国コンクールで入賞するほど、普段は実家を出て外の店で活躍されていたが、ある日運の悪いことに弟さんがたまたま居て僕のカットが半ば進んだ途中あたりで兄弟喧嘩を始めた。 「オメぇよ、このラインが合ってねぇのがわからないのかよ!」「うるせえな!だったらやってみろよ!」 弟と姉の会話である。僕は弟さんが髪を引っ張って「ここだよ、わかんねえのかよ!」 とかやられても手も足も口も出せず黙って耐えて・・・結局カットが終わるまで3時間以上、頭上では罵声の応酬が飛び交い・・・まるでお笑い、懐かしい思い出である。

今回も無精が元でカットモデルを仰せつかっている。職人さん(の卵)は上手で店長たる3代目アベカワさんも「うん、OK、上手いよ、直すとこないよ」ってな順調なお勤めである。

さて、上町といえば・・・旧オーシャンノートは・・・空き店舗のままである。カンケイないことだけれど  (2010,10,17)

10/15 兼業主夫 立ち回り先

横須賀海岸通り:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

今朝は、社長雑用で法務局。暫く行かぬうちに綺麗になっていた。帰りに裏道の海寄りから帰ったのがイケナかった。僕の立ち回り先の業務用スーパーの脇で素通りできず、トマト缶(チグリオやスピガドーロがいいけど実売150円くらいでお値段が張る。ここのは78円で中身もグッド)を4ケ、焼酎用のコーラを4本、連れ合い用の缶チューハイを4本、業務用杏仁豆腐(4人前となってるが我が家は4人で3日間賄う。一体、どんな大食いさんの4人前だろうと我が家では笑い話。ちなみに多分本物の杏仁豆腐ではないので本来的な健胃作用を補いつつ風味を楽しむために五香粉を一振りしてる)を2つ・・・これでバックパックには6kg超の荷物・・・

島忠ホームズも素通りできず、グリス200gとジョーロを購入。ジョーロの注ぎ口がバックパックからニョキッと飛び出していては・・・西友とエイビイは泣く泣く素通りせざるを得ず涙を飲む。横須賀海岸通りは・・・要注意である。

しかし、世の主婦の皆様のご苦労が偲ばれる・・・兼業主夫業を始めて以来、僕はズボンの左ポケットにいつも”命の買い物メモ”を持ち歩いている。一週間分の食事のメニューと材料のメモだが、これがあると、そこにスーパーがあると素通りできない。材料によってそれぞれ値段と品質の得手不得手があって一軒では済まないし、一時に全部ハシゴすると仕事にならないのでコマメに寄らないとイイ買い物はできないのだ。イイ買い物ができないと・・・美味いメシをいただくことができない。

娘たちは、一緒に買い物に行くとこのメモを面白がって「ボク、メモ係」「ボク、カート係」などとやってるが・・・買い物中、メモ係さんに「はい次っ」と問うと、首をひねって「ヤコヤコ」・・・ また首をひねりながら「チワワ」  ”ヤコヤコ”はカニカマ、”チワワ”はチクワである。乱筆鬼気迫る”命の買い物メモ”は人生経験浅き小学生ごときには読めない (2010,10,15)

10/12 海へ来なさい

観音崎20101012:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

今でも ”Ocean-Note” の意味を訊ねられることは多い。Noteはノートブックの印象が強いが、ウチの場合は ”音” とか ”香り” の意味である。店をやってた頃は、アメリカ人から訊ねられて四苦八苦して説明したこともあるが「It's fine!」と褒められてしまった。

昨日、バーベキューのゴミのお話を書いていたら思い出した。 先日、東風強く、波高のしぶきがザンザン来るのに高い堤防の手すりにつかまって次女がジッと海を見ている。「海とお話してたんだ。海は皆がゴミを捨てるから怒ってるんだ」

”海へ来なさい”という佳作は隠れた名曲としてファンが多い。

太陽に敗けない肌を持ちなさい 潮風にとけあう髪を持ちなさい
どこまでも 泳げる力と いつまでも 唄える心と
魚に触れる様な しなやかな指を持ちなさい
海へ来なさい 海へ来なさい そして心から 幸福になりなさい

風上へ向える足を持ちなさい 貝がらと話せる耳を持ちなさい
暗闇をさえぎるまぶたと 星屑を数える瞳と
涙をぬぐえる様な しなやかな指を持ちなさい
海へ来なさい 海へ来なさい そして心から 幸福になりなさい

今日は、朝から観音崎までプチ輪行。片道6キロあるから、子供用の自転車の次女にとっては結構なハードワークだったに違いない。何だか・・・このところ子育て日記みたいになってきたゾ・・・ (2010,10,12)

皆海の絵:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

10/11 うみかぜ公園

横須賀うみかぜ公園20101011:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

日本の子供の体力はここ30年で低下して(驚くなかれ50m走で0.1〜0.2秒も遅くなったのだとか)、このところは再度上昇傾向にある、と体育の日のニュース。評論家の先生によれば「休日の過ごし方が問題ですネ。家族でスポーツとか運動に関心を持つといいですネ・・・」ときた。

僕の兼業主夫のデビュー以来、大層なご馳走で(どう計算しても女房が作るメシよりカロリーが多いのである)、長女は気に病むほどでないにせいよ体格が宜しくなってきたし、次女の自転車はもっと上手になった方がよいし・・・そして僕が新車で出かけたく(これが一番だったりして・・・苦笑)様々勘案した結果、連ドラ”てっぱん”を鑑賞しながらの朝食を終えて、うみかぜ公園までひとっ走り。

うみかぜ公園は先日アド街っく天国でも結構大々的に紹介され、横須賀でも遠来の人で賑わいを見せるスポットになってしまったが、我が家も含めて横須賀市民にとってはごく普通のキモチイイ場所である。最初はそんな設備じゃなかったように記憶してるが今風の芝ゾリが楽しめるように整備されてる。フツウのお家は、惜しげもなく子供達に尻に敷く芝ゾリを買い与えてが、ウチは持ってないので公園事務所で借りる。 買わなくて充分である・・・借りる時に「何時間借りられますか?」と尋ねると「まあ、待つ子供たちも出るから適当に・・・」とたしなめられたりしたが、何のことぁない、20分も楽しむと汗ビッショリで・・・「もうイイ」 返す時に「心配するほどでもないですネ」と苦笑い。

しかし・・・人の御楽しみを非難するつもりはないが、猫も杓子もバーベキュー・・・海辺の風情は台無しである。多摩川河川敷でも問題になっているようだが、休日明けのゴミ残飯の臭いときたら・・・きちんと心得のあるフツウのアウトドアマンの方には迷惑な意見かもしれないけれど、残念ながらアウトドア遊び後進国のこの国にあっては、バーベキューは事実上禁止とするくらいの額の有料にした方が宜しいと思う。(毎年、盛夏、観音崎のバーベキュー可の緑地の水道近辺のひどさに辟易してる横須賀市民は多いことだろう)  ゴミを処理は・・・横須賀市民の血税でなされるのだから。  セレブな(笑)当家の屋外の食事は、トンビ避け完璧でゴミの出ない ”おにぎり+ユデタマゴ” 正調ニッポンのピクニックである (2010,10,11)

10/10 秋休み 不発

うみかぜ公園20101010:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

横須賀市の小学校は二学期制に移行して”秋休み”というお休みがある。通知表も昔とは違って相対評価ではないからユルくて・・・これは良いことかもしれない。僕は・・・忘れもしない、小学校一年生の二学期に宜しくない通信簿を持ち帰って親父殿からお茶をぶっかけられて数時間怒鳴られたのが衝撃的な思い出である。

先日から義父が体調を崩し、女房が留守にしてるので休みらしい休みは過ごせていない。長女は「○○ちゃんはディズニーリゾートへお泊りで遊びに行くんだって・・・」と不満を表明するが、ウェブからメールから、あるいはお電話で、ご注文に切れ目もなく、家族揃わぬこともあり秋休み不発である。

それでも、昨日は荒天を好機とばかり、食事作りの計画に齟齬が生じた(週末の食事は女房担当なのだ)のをいいことに久々にマクドナルドで昼食。1000円のバリューセットなるものを見つけて3人で食す。発売された時からあこがれていたクォーターパウンドバーガーにありつく。マックにも滅多に行かなくなったからたまに行くとつくづくデフレを感じる。今から40年近くも前、日本で何店舗か目だった中野駅前のマックにマセた友達に誘われて入り ”ハンバーガー” なるハイカラなものを初めて食べて「世の中にこんな美味いものがあるのか!」と思ったモンだが、その時のハンバーガーの価格は150円、それから40年近く経ってハンバーガーは100円マックの”100円!”なのである。これじゃあ、経済成長など望むべくもないだろう。それはともかく、クォータパウンドバーガー、てりやきバーガー、ハンバーガー、ポテトSX2、ナゲット、ドリンクSx3・・・ +バイトのおねえさんのスマイル これで1000円に大満足のセレブな3人であった(笑)

学習指導要領がユル過ぎるかどうかはともかく、僕は塾否定派である。恥ずかしながらそんなお金もない。土台、東大を目指すことを子供達に望むわけでもなし、基本的に教科書の内容を丸ごとウィークポイントなく身につけてりゃ、先々もそこそこの高等学校まで入れるという信念を持っている。僕はマニアックだから、中学の時は駿河台下の三省堂まで出かけて参考書を買い漁った。好きだったのは数研出版のチャート式だったがそれでは飽き足らず、結構な数の問題集なんかも買って・・・結局、豪華な本棚の飾りと化した。そもそも教科書でさえあやふやな人間が別のものをやってもダメで、やっぱり物事はすべからく信長流の各個撃破に限るという信条を持つに至った。幸い、ウチの娘達は「塾に行きたい・・・」とは一言も言わない。

娘達にそのように宣言した以上責任があるから・・・ノートにせっせと老眼に鞭打って教科書の設問を写して徹底的に教科書一本で学習に付き合う・・・でも笑いと冗談が多くて、もうチョイ、スパルタでも良いかと思ったり。まあ、今は3年生と1年生・・・そのうち教科書をもう一冊買ってきて、こっちも予習しないとイケナイのじゃないかと覚悟している

不発ながら、それなりの秋休みではある (2010,10,10)

10/08 グーグルのジョン・レノン

ジョンレノン:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

グーグルさんの検索窓のトップページ、グーグルロゴにたまにハッとさせられる。先日は誰ひとり振りかえることのない僕の誕生日だったが、明日はジョン・レノンの生誕70年だそうでグーグルロゴもご覧のとおりである。

ジョン・レノンといえばイマジンとなるところだろうが、僕は ”All My Loving” の三連譜のサイドギターが大好きだ。下手だから仕方ないけれど何年経っても上手に弾くことができない。でも、ジョンだって結構必死で弾いていたんじゃないかと思う。残されているライヴビデオの中には”必死に弾いてる”ギターが良くわかるものもある。この ”All My Loving” 、レコードでは2コーラス目の高いハモリのパートのボーカルパートもポールが一人で歌っているが、ライヴでは問題の2コーラス目・・・ジョージ・ハリソンが主メロ、ポールが高いパートを歌ってる。つまり、簡単に言えば三連譜を弾くので精一杯でジョンは歌えないのである(笑) 

モニタースピーカーが十分でない時代に、あれだけの悲鳴の中で良くこれだけ演奏できるものと敬服するばかりだが、ジョンの三連譜のギターも結構ミスピッキングあって・・・人間っぽくてイイジャナイ

去る9月30日にはジョンレノンミュージアムが閉館してしまった。結局一度しか訪ねることができなかったけれど、息苦しいような緊張感のある空間だった。特に最後の真っ白の部屋と展示室を出た後のホールは一人の偉大なる音楽家の人生が皮膚から体の中に染み込んでくるような演出だった。実は、ジョンレノンミュージアムは仲良しだったユザワ女史のデザインで、一度だけ行った時も彼女にエスコートしてもらったのだけれど、彼女の才能に感服した数時間だった。今は多摩美の講師をやってるとか・・・(加筆・・・皆、頑張ってるからエラくなってウレシイ。 ”出世”出来ないのは僕だけだ。島崎信先生の計らいでムサビで(モダンデザインの)特別講義を持ったのが思えば頂点・・・”デザイン特講”のセンセイの野望は儚くも消えたり・・・そりゃそうだ、おとつい次女の”とけい”の欠席自宅補習で散々苦戦、人に教えるジンカクも才能もありゃしない。でもバウハウス外伝の研究は日本最先端だったと自負してる。訳のわかんらないドイツ語の労働運動の資料まで読みこなして頑張ってたんだから・・・苦笑)

僕は熱烈なビートルズファンというわけでもないしオタクでもないけれど・・・我ながら良くも40年も飽きず・・・ビートルズを結成した男ジョン、偉大なり (2010,10,8)

10/07 誕生日 48歳

誕生日2010:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

昨日は誕生日。義父が体調を崩し、女房は午後から東京へ行かねばならず、次女は発熱3日目学校欠席、そんなこんなで誕生日も忘れていたがいつ手配したものか女房は赤坂トップスのチョコレートケーキを買ってくれていた。子供達はいつものように家族4人の絵を書いてくれた。デメルのザッハトルテもいいけれど、トップスのチョコレートケーキは初めていただいたが濃厚でおいしい。トップスといえば僕にとってはカレー専門だったので堪能させていただいた。

友人からもお祝のメール。曰く 「4回目の年男・・・次回は還暦だゾ・・・」 果たしてそこまで行けるものやら自信がない。でも、奇しくもお誕生日に合わせるように久々の48時間禁酒を実行中で、大事に行けば何とかなるかもしれないと思ったり・・・ 48時間禁酒はそれなりに意味があって、人間の新陳代謝上、生理学的に見ればアルコールが完全に抜けれるのは丸2日と聞いたことがあるし、休肝の理想も週2日(連続)のノンアルコールだそうだ。ちなみに昨年、ゲーノー人が麻薬で捕まったとき、薬が抜けるの抜けないのとやっていたが、人間の細胞が全て入れ替わるのは健康な人で3カ月だそうで3ケ月後の自分は新しい自分・・・らしい。

さて、玄関の植栽代わりに作ったハーブのプランター、余計な混んだ枝を剪定、ドライハーブにしてみる。タイムとオレガノ・・・どんな料理を作ってやろうか・・・あまりやると新モノ嫌いの次女が食してくれないので少しづつ・・・昨日もアボガドを食ってくれず (;_;) だった (2010,10,7)

10/05 去る者 来る者

ハーブ:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

兼業主夫には思わぬ休息(^^;; 昨日と今日は次女が熱を出して学校を休まざるを得ず、看病が必要な程ではないにせよ仕事場へは早朝と夜しか居られなかった。尤もお客様への商品の発送やメール連絡は歩いて3分半の自宅からやっている。

今日の午後は熱も少し下がったし、昼寝もたっぷりしたので事務所で果てしない環境整備の続き。注文していた玄関横のプランター植栽のためのハーブ苗が届いたので植え込み。車で行けるホームセンターはあたってみたが好みの苗が集められず結局ネットで集めた。右からローズマリー、ローレル、オレガノ、タイムだ。

ローレルは小さい苗自体、ネットでさえ売っているところは少なく諦めてオリーブにしようかと思ったくらいだった。ローズマリーは立性のトスカナブルーが欲しかったが結局近縁種のレックス、オレガノは流行りの花オレガノではなくコモンオレガノ、タイムはフレンチタイム(コモンタイム)、いずれも古種で乾燥と寒さに強いものだ。(もひとつ言えば・・・お気づきだろう、皆、仏伊料理に使うモンダ・・・笑) 今から越冬が心配なのはオレガノ、他の3本は比較的他者を駆逐する強さを持つ植物だし、眺めが良い分真北の風こそ吹きさらしではないが、ならいの風(北東の風)はそこそこ当たるからだ。今年は植えたばかりなので暖冬を願うのみだ。

先般、新車の自転車のことを書いたが、今日は資源回収で4年間苦楽をともにしたKIKIの自転車とお別れした。思えば綺麗な自転車ではあって「表の自転車いくらですか?」とか「青い自転車は売りものですか?」などと問われたことは一度や二度ではなかった。一年前はこの自転車でひっくり返って右肘を骨折した。僕が上町を引き払い・・・上町教会の牧師、森田先生も本牧に行ってしまったし、上町の常連さんだったエイネンさんも横須賀を去って偶然にも僕の育った中野鍋横に行ってしまう。 去る者来る者、モノ思う秋である(2010,10,5)

10/04 海風、ゴルゴンゾーラにバローロ

海風・ゴルゴンゾーラ・バローロ:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

気分のイイ秋の夕暮れ、モリタくんがバローロをぶら下げて一杯やりに来てくれた。つまみはゴルゴンゾーラ、先日絶不調だった彼のPCをメンテしてあげたのだが、ワインはそのお駄賃代わり、なかなかギリガタイ男なのである

どちらかといえば純和風な彼がワインにチーズとはハイカラだと思ったら、彼の某先輩氏が仕事でポルトガル軍に派遣されて持ち帰った流儀なんだとか。ご存知スペインやらポルトガルではシェスタという昼寝の習慣があって、概ね昼から3時4時くらいまで昼寝をしたり延々と飲み食いをしたりする。朝は早くから働いてシェスタの後も一働きするし、夕食と就寝時刻も遅いから寝てばかっりというわけではない。某先輩氏はポルトガル軍の偉いさんとの毎昼夜のご相伴でゴルゴンゾーラに赤ワインを覚えたそうだが、多分食後に延々と続くポートワインにチーズ(英国産のスティルトンと飲ることが多い)のデザートタイムを過ごしたのだろう。

テッレ・ダ・ヴィーノというバローロ、近頃人気のようだが僕は初めていただいた。今年初夏から出回ってる2005年産で、色は明るく味はフルーティ、フルボディといいながら重たくなくバローロらしくはないがタンニンはしっかりしてて塩っ辛いチーズをかじって飲るにはシアワセ。どちらかといえばキャンティ専門、せいぜいバルバレスコあたりが贅沢という暮らし向きの僕にも正座せずにフツウに楽しめるお味である

この数日、東からの風が強く大窓を開けりゃ晩夏のイイ風が入ってくる・・・海風に吹かれてチーズに赤ワイン・・・至福の時である(2010,10,4)

10/03 城ケ島・・・夜は世界三大珍味

城ケ島20101003:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

昨日はお天気良く城ケ島ハイク。春以来だ。以前にも日記で書いたが、城ケ島では今春から島の西側、灯台入口側の駐車場は全部有料になってしまった。当家では東側、城ケ島大橋を渡って左ループの道を下った無料の大駐車場を使うことにしている。駐車場から城ケ島公園に向かい公園駐車場(これも有料)入口手前を右に入る道(細い道)を行くと馬の背洞門に着く。洞門の上の赤羽根崎をUターンするように右手に行くと海食崖の上の台地を歩ける。途中にグライダー広場というちょっとした開けた草原の平地がある。

ここに来るといつも思う・・・日本がアメリカスカップを奪取したら城ケ島沖でカップレースをやりゃあイイ。サンディエゴのラマ岬同様の絶景で観戦できるはずだ。何度も言うが、東京オリンピックなどに執着せずに同じお金を使うならアメリカスカップ奪取のほうが良い。オリンピックもワールドカップも既にやったのだからやっていない国でやれば良いのだ。ただし、アメリカスカップは・・・勝たないとできない。逆に勝てば・・・出来る。分かり易い!

夜は、義姉のフランス旅行のおみやげ、世界三大珍味のトリュフをいただく。義姉のワインのお勉強は本格的なもので、難関のワインエキスパート試験にも受かっているし、田崎真也さんのお教室には長く通っていて、今回のフランス旅行も田崎さんを囲んでの旅行だったそうな。

兼業主夫が始まってから子供達は「毎日パーティだ!」と喜んで僕が作る夕飯を食べてくれる。でも子供達には良く話す・・・「お父さんはねぇ、美味しくないものは好きじゃないけれど、高くて美味しいものには興味がなくて安くて美味しいものがスキなんだ」

てな訳で、トリュフなるもの、せいぜい料理研究でいろんな物を食してみたけれど恥ずかしながら食するのは初めて、料理もどうして良いかわからず、卵との相性が宜しいとのことで、にんにく・コショウ・スモークの肉を使わないプレーンなカルボナーラを作って散らしてみた。サマートリュフで香りが弱く世界三大珍味ィーッ!というほどには楽しめなかったが、翌朝にいただいたトリュフ入りオムレツと合わせて、土と落ち葉の香りに薄っすらジビエの香りのような野趣がかったトリュフの何たるかの入り口だけは楽しませていただいた。次回は秋冬のトリュフ(黒トリュフでも切ったら中が白いもの)をいただいてみたいものだ(2010,10,3)

09/30 新車 A.N.Design Works

自転車A.N.Design Works:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

自転車を買った。4年間頑張ったKIKIブランド・大友商事の16インチ折り畳み自転車、結構モノは使い倒す方だけどいい加減満身創痍、流石にお金を掛けて直す気も起きないくらいボロボロになってしまった。横須賀上町の店を開店した時に買って、家から店まで往復8キロ、パンクで一年程乗らなかった時期を除いて約7500キロ、1万キロは乗らなかった勘定だけど高価なクロスバイクなんかでも1万5000キロから2万キロが寿命だそうだからお安い16インチの折り畳み自転車にしてみれば天寿を全うさせたと思うが良いだろう。

自転車に詳しくもなくコダワリもないのだけど、とにかく走らなかったKIKIの自転車に猛省して買ったのがA.N.Design Works・コアジャパンというメーカーの自転車である。とにかく”走らない”自転車はどこがイケナかったのかとお勉強すると、タイヤが16インチで前のギアが48T、後ろは6段変速で14-28T (このTというのが歯数で前後の差が大きいほど漕ぐには重いけどスピードが出るわけだ) この仕様では確かに横須賀の壁のような急坂を登ることはできても、昨年新調した長女の26インチの変速無し自転車にも敵わないのだ。

お金は・・・無い。高級車は・・・買えない(笑) 大友商事は目端の利く会社さんで、MINI、 HAMMER 、RENAULT 、ランボルギーニ・・・などなど魅力的なOEMブランドをたくさんお持ちだが、申し訳ないがコリゴリ、お安くコストパフォーマンスという観点からローコスト自転車で人気のあるWACHSENやDOPPELGANGERにしようかと考えた。本格派DAHONは少し高価だし、候補に挙げた自転車は品薄で入手不可だった。自宅のマンションの方では拙宅玄関まで階段を持ちあげなきゃいけないし、置き場所の関係で26インチは無理、また4年間で折り畳みの必要はなかったことも痛感したので、ズバリ要求は重量12キロ以下、タイヤは20インチ、非折り畳み、前のギアは52T、後ろは・・・出来れば最高11Tだとウレシイ・・・

これに適ったものが写真の自転車である。これは通常仕様ではないアウトレット品でストレートハンドルがドロップハンドルに変更され、前後の泥除けとキャリアが省かれている。初めて、憧れの・・・ドロップハンドルである(ムフッ!)

小学校も高学年になるとサイクリング車(当時の言い方)が欲しくなる。僕は当時一世を風靡した”フラッシャー”付きの自転車を買ってもらった。単一電池6本の大仕掛けで・・・そう、電池を3回くらい入れ替えただろうか・・・すぐに飽きてしまった。マセた友達はブリジストンのロードマンなんかに乗っていたし、どうやって入手したものかブレーキのない(要はペダルとギアと車輪が直結、今でいうピストというやつ)競輪用の自転車に乗ってる奴もいた。(良く考えれば1975年頃だから凄いことだ)僕は、フラッッシャー付きの自転車を買って大失敗したので以後、自転車は買わなかった。もっぱら家にあったママチャリ(今でいうママチャリではなくミニサイクルと言われてたもの)で済ませていた。

19年前に横須賀に移って久しぶりに買ったのがSTRADAという英国の折り畳み自転車。トレンディードラマかなんかで使われて話題になっていて、六本木AXISのLeGarageで実物を見たら欲しくなって、AXISの知人に頼んで安く売ってもらった。今でもSTRADAは続いているけど、基本的にベルトドライブは横須賀の坂道には敵わず使い物にならなかった。

4年振りの新車に運動不足の解消が望まれる。聞こえはイイ・・・丘の上から浦賀水道を往く船を眺め仕事・・・でも、自宅と仕事場は同じ丘の上で徒歩3分半、下手すりゃ一日丘から下りることがないのだ。それじゃあねえ・・・(2010,9,30)

09/26 横須賀上町教会 最終礼拝

横須賀上町教会・森田牧師最終礼拝:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

(後日訂正:集計の結果最終礼拝の参加者は177名にのぼりました!)

何度も書いている通り、僕はクリスチャンでもなければ何の信仰も持たず、いかなる政治的・思想的会派にも属さない無教養な一介の商人(あきんど)である。しかしながら、縁あって上町教会の森田先生には大変お世話になり酒場で杯を供に重ねることしばしだったし、二人の娘も無事に附属めぐみ幼稚園で大きくなり、女房をめぐみ幼稚園で幼稚園教諭に復帰させていただいた。今日は、18年半に及んだ上町教会の森田先生による最終礼拝だった。

教会というものに理解乏しく詳しくは承知しないが、横須賀上町教会の”子供の礼拝”は少し変わっているらしく、普通は子供の礼拝といえば子供達だけで礼拝を守る(礼拝は”守る”という)ものらしいが、クリスチャンの子弟や信仰心というよりは幼稚園の園児や卒園生中心の集会のせいか、親も一緒に参加できる。そしてこれが・・・言い方は悪いけれども”教会ビギナー”(笑)の親にウケて本番の方の主日礼拝より参加者が多いという現象を生んでいる。もちろん、子供の礼拝から主日礼拝の方に昇格され(笑)、先々は洗礼を受けたいとおっしゃる父兄もおられる。

5年前に、長女と通い始めた”子供の礼拝”、当時は参加者が少なく、我が家の4人のみという冬の時代もあった。正月など、女房と子供が東京に帰省した時など、”子供の礼拝”が僕一人という日もあった。(だから、”子供の礼拝”で献金袋を持って捧げるという貴重な経験もしている)今は、18年半の地道な努力が実って、毎週満席に近い参加者という盛況ぶり、今日の最終礼拝は子供の礼拝と主日礼拝を合同礼拝として、驚くなかれ130名が参加した。(これまた詳しく承知しないが、どこであれ大きな地方都市の一番大きな教会で礼拝参加者は100名前後と聞いている。130名・・・!!!)

森田先生、ご夫妻で18年半お疲れさまでした。次の赴任先、横浜本牧教会でのご活躍をお祈りするばかりです(2010,9,26)

09/25 心優しき者

かまきりのタマゴ:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

”ゲゲゲの女房が”終わってしまった。一日も休まずに見たわけでもないし、水木しげるご夫妻が結婚して奥さんが調布に上京したあたりから見ただけだけど・・・ヨカッタァーーーーッ!  我が家は出雲弁のブームである。

そばを茹でる・・・「ちょっこしタイマーのスイッチ押してくれる?」
女房がタイマーのスイッチを押してくれると僕は
「だんだん」・・・ってな具合

「だらぁーーーっ」も気に入っている。でも、ドラマでは出てこなかったけれど、もっとすごいのは「だらくそっ!」ってやつで・・・このところ常用してる。境港や安木は行ったことがないけれど、出雲や松江には何故か縁があって出張で行っていたので何となくドラマも身近な感じだった。境港の水木しげるロードがあまりにも有名だけど、松江の堀川(松江城が築かれた時に作られた運河)の川岸にも鬼太郎の妖怪のブロンズ像はたくさんあったように記憶している。今日の最終回は7:30からのBS-hiから始まって7:45のBS-2、8:00の総合、12:45の総合とすでに4回も見てしまった。19:30からは5回目を見るつもりである。

台風も無事去って一安心、何せ新しい仕事場は海一望・・・逆に風が凄いから雨戸を閉めて・・・ロケーションは良くも建物は古いので電気回りは弱く、落雷対策でインターネットのケーブルとPC関係のコンセントとは抜いて備えなきゃイケナイのだ。

で、家に帰るとアプローチの階段のところで不思議なことに葉っぱが壁に張り付いている。良く見ると・・・セロテープで貼ってある。実は一週間ほど前の夜中、どうした訳かカマキリが壁に卵を産んでしまったのだ。丁度居合わせた僕は他に行くようにしたのだが、既に生み始めていて止めることができなかった。翌朝、娘達にその話をして・・・現在、この卵をどうしようかと協議中なのだが、何せマンションの入り口だから人の手とかが当たりやすそうな処で、台風と人が当たるのを防ごうと葉っぱを貼りつけたのである。

5年程前の晩秋、義父が遊びに来て公園が何処かで枝に生まれた卵を見つけて枝ごと我が家に持ち帰った。花瓶に挿してそのままにしてたら・・・翌春、卵が孵ってしまった。7〜8ミリのカマキリの赤ちゃん数十匹が家中に!女房と長女でせっせと捕まえては逃がしたのだそうだが、翌朝、僕も数匹捕獲。カマキリは我が家ではなかなか思い出深い虫なのだ。さて、どうしようか・・・いずれにせよ、セロテープで貼った葉っぱ・・・心優しき者たちである(2010,9,25)

09/20 遠来のお客様 再度お知らせ

横須賀海辺釣り公園よりオーシャンノートを見る20100920:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

昨日は、ご来社の遠方からのお客があった。わざわざ青森から!!! のお客様だったが、大変申し訳ないことに8月17日で閉店した上町をお訪ねになってしまった。当ウェブサイトでの上町の表記は9月18日をもって全て消滅しているが、昨日のお客様は上町の店舗情報を携帯でローカルファイルに保存しておられたそうで、電話で連絡を取り合いながら横須賀中央から二駅さきの堀ノ内までお越しいただき駅までお迎えにうかがった。アメリカスカップのお話やら、いろいろとお話させていただき、青森から「来た甲斐がありました!」とおっしゃていただき、無事商品2点ほどお気に召していただきご購入、望外の幸せである。

改めて オーシャンノート新事業所 ご案内


大きな地図で見る

さて、今日は横須賀海辺釣り公園まで出かけた。引っ越しやら、女房の就職やら重なり、新しい暮らしのリズムが整わず子供たちは自転車に乗る機会が減っていたため、昨日、次女がすっかり下手くそになり練習兼ねてのプチ輪行だ。

新しい仕事場から浦賀水動を一望できることは書いているとおり、実は海辺釣り公園も見える。逆に海辺釣り公園の展望台から見た仕事場は赤矢印のとおり。堀ノ内駅の横浜寄りホームからもすぐ見上げることができる。ご来社の際はお断りのとおり、外出していることもあるのでお電話をいただきたく存じます(2010,9,20)

09/17 和ークステーション

和ークステーション:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

学校を卒業、最初に就職した会社はプラスという文具事務機メーカーだった。当時、チームデミという小さな文具セットで大ヒットを飛ばしたプラスは中々の人気企業で後から勘定すれば250倍くらいの倍率を突破しての就職だった(苦笑) ご他聞に洩れず僕もプラスという会社の雑貨屋さん的な面に惹かれての就職だったけれど、配属されたのは工事現場事務所を回って間仕切りを売り込む部署だった。一方で、この部署は当時まだ珍しかったオフィスの環境提案を直接顧客企業に行うことのできる社内唯一の部署でもあり、これはギョーカイでも最先端の事業形態だったように思う。(ある部会の時に宿題が出たことがあった。全員”新製品”を考えろというお題だ。僕は考え抜いて、床面収納+天吊り家具というアイデアを披露した。当時オフィススペースは”収納”が課題とされていたから床を全面収納にしてしまえば良いという考えだ。当然、床面に物が置かれるとダメなので家具はスラブから吊ったレールで吊る・・・部会では全員大爆笑! 別にウケを狙ったわけじゃないが・・・それでも、部会後、建築士だった課長が真顔で「すごい、独創的で感心したョ」と褒めてくれたし、担当役員は後日僕を席に呼んで「これを研究してみなさい」と銀行ロビーのプロポーザル資料を一式貸してくれた。僕のとっぴょうしもないアイデアに感心してくれたらしくもっと勉強させようということらしい。その資料がビックリ!アメリカの名門デザイン事務所、ゲンスラー社がやったものである。今から30年近くも前のこと、そんなモンが転がってる部署だったのだ)

僕が属していた部署は、どこの上部組織にも属さない社長直属の営業部隊だったけれど、仕事向きで関わりがあったのはオフィス環境事業本部という事業部だ。会社では年一回、業績評価の申告書を書かされたが、ここにキャリアゴールという欄があった。プラスは同族会社だからキャリアゴール(あなたは将来この会社でどのポジションを望みますか?という問いである)に”社長”とは書けなかった(苦笑) で、僕のキャリアゴールはプラスにいた3年半の間、オフィス環境事業本部長だった。そんな訳で、家族がいると全て思いのままというわけには行かぬけれど、住環境やオフィス環境には思い入れが強いのだ。お金をかけるか否かは別として整った住環境、オフィス環境からしかイイ暮らし、イイ仕事は生まれないと思っている。浦賀水道を望む新しい仕事場、建物は小奇麗ながら随分古いけれど、ロケーションはグッド、お越しになった方は皆「最高ですね」とおっしゃて下さる。

パソコンなる機械、同じ100ボルトの電力で動く機械でありながら、家電品に比べて著しく信頼性が低い。パソコンのトラブルでお客様に迷惑をかけてはいけないから、バックアップ用のマシーンはきちんとしておきたいものだ。オーシャンノートでは事務所とは別に自宅にもネットを一回線引いてバックアップ環境を整えている。仕事場には昨年末に買ったwin7機がメイン、xp機が2台で備える予定が先般6年使ったxp機が一台壊れた。今のメイン機の前にメイン機だったdell、これはチューニングの甲斐あって絶好調で大事に使おうとしていたが、最近ストリーミング動画再生で追いつかないものが出てきた。これじゃあバックアップ機としても力不足と感じて仕事場の6畳和室に”和ークステーション”(笑) を構築することにした。

モニタは液晶テレビアクオスだ。折角このアパートメントには地デジのUHFアンテナが立ててあるのでテレビにしたのだ。(実は・・・小学生の娘たちは学校から帰るとこの仕事場で過ごすので、テレビがあれば間ツナギにもなるという”逃げ”の意味もある) PCは新品のwin7機をもう一台買う予算がないのでdellの見た目が抜群の中古の5150cを買った。core 2 duoを積んでる機械だと値が張るのでpen-D 3.0G、メモリ2.0Gのこのマシーン、これなら近い将来win7で動かすこともできると思い選んだ。(dell 5150cはcpuファンの音がうるさいので悪評高いマシーンだが、やはり音がデカかったので分解清掃した。ファンを外すのにヒートシンク=cpuの空冷ラジエータを外すのでシリコングリスを塗り直したりと、中々大変だったが、お陰で絶好調まであと一歩まで持って来れている) 買ったアクオスがライムグリーンだったのでマウスもグリーン、キーボードはシリコンキーボードのグリーン、悪ノリしてPCのデスクトップも黄緑にしてしまった。

長女が生まれた時、命名はどうしようかと迷う中、”キミドリ”(黄緑)にしようという話しがあった。女房の名は”ミドリ”なので娘が”キミドリ”でかわいらしいし面白いと思ったのだ。結局、周囲の反対で”アオバ”となったけど、こんな経緯もあって??長女は黄緑色が好きなようだ。アクオスの黄緑を支持したのも長女・・・ で、和ークステーションの椅子にはおかしな黄緑色の座イスを見つけてきた。座イス、正座の座布団、ローチェア、おまけに枕にもなる(笑・・・でもこれが使える)という優れ物だ。まさか正座するシチュエーションはないけれど・・・僕はこんなバカバカしいものも嫌いじゃない(2010,9,17)

09/13 残暑の週末・上町教会草刈り

横須賀上町教会草刈り:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

さて、陸は残暑厳しくともいよいよ海は秋風である。泳いで風邪をひくのは目に見えてるし、ここはひとつ一年振りのトンボ捕りだ。セミ捕りもそうだが、半分ばかり田舎の子っぽく育ったウチの娘たちは、まだまだヘナチョコだけど翔んでるトンボも捕まえる。もう今では知恵もついてきたから上手いこと言って虫捕り網を半ば僕の思い通りに使わせてもらうことも叶わない。そこにオニヤンマとギンヤンマがいるのに・・・娘たちは虫捕り網を貸してくれやしない。いよいよ、自分用の虫捕り網を買わなければイケナイ。オニヤンマを捕るのは僕の子供のころからの夢なのだ。

明けて日曜。上町教会の草刈り。奉仕の草刈りはかれこれ7〜8年前からの行事で、上町教会建物応援団の主催で行われる。横須賀上町教会は横須賀市で初めての国登録有形文化財で、W・ヴォーリスの弟子、横田末吉設計の貴重な昭和の遺産である。上町教会、多くの教会がそうであるようになかなかの財政難で建物の補修もままならない。信心だけではどうにもならないのである(苦笑)   で、有志が集ったのが上町教会建物応援団で、これまたなかなかそこまでは届かねどこの建築物の保存資金をいくらかでも捻出する目標を持ちつつ日々上町教会を支援している。僕は、女房が教会附属の幼稚園教諭であることとは別に、7年ほど前から応援団の面子にも名を連ねている・・・クリスチャンでも何でもない僕の草刈りは教諭の連れ合いではなく、卒園生の父親としてでもなく・・・名目上は応援団の一員としての参加だ。もっとも、どの立場でもやることに変わりはなく(当たり前だ)、いい加減5年もやってると”持ち場”が決まっている。高いところは苦手なので落ちても死なないところでせっせとやる。

この二月ばかり日記で記述のとおり、19年間、上町教会の牧師を務めた森田裕明牧師は10月で横浜本牧教会へ転任する。これが最後の草刈りだが・・・19年の集大成か、始まったころはわずか数名で一日掛かった草刈りも、昨日は大人だけで20名超(教会の礼拝の倍以上だ・・・苦笑)、子供達も大きくなって小学生になると十分な戦力だ。総勢30名ばかり!充実(2010,9,13)

09/10 額装のオーダー

額装のオーダー:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

”店舗”という営業形態から”事務所=事業所”という営業形態になって来客はゼロに近くなるのだろうと思っていたが、意外にもウェブ経由での御来客ペースはあまり変わらない。閉店した上町の店は行列のできる店なんていうのは夢のまた夢で、お客といえば親しいお客さんがほとんどで止まり木、はたまたタマリ場と化していたに過ぎなかったから事業としての効率は飛躍的にアップしているということになる(笑)

「今、堀ノ内の駅なんですけど・・・」驚いたねえ・・・その時、事務所にいた娘たち共々・・・「どうしよう、お客さん来るって!」・・・何せその時は引っ越したばかりで片付いていない。とりあえず、PCの仮セッティングが終わって、娘たちが座っていられる場所を確保した程度の進捗だったのだ。

横浜からお越しになったアサカワさんは、ポストカード連装のアートポスター商品をご覧になって実物の風合いを見たくて来社された。結局、カンカンガクガク、僕の仕事の仕方をお話したりして、いよいよ商品選びになると決まらない。「でも、小野寺さんのやり方だったら、ワタシ、自分でカードや写真を調達でし持ってきてもイイワヨネ?」とおっしゃる。オーシャンノートの商品は、良くも悪くも僕のキャラとセンスによるコンプリートのオリジナル額装商品で、あくまで画材屋さんであるつもりはないから大歓迎ではないけれど(気に染まないものを持ちこまれたらノラないから出来ない、ワガママなのである)、アサカワさんと話をしていると結構意気投合したこともあり御引き受けした。一週間後、お持ちになったカード類はなかなかのもので(バックアップに回ったものもある。そうやって組み合わせて出来るものである)ご覧のように仕上げさせていただいた。

また数日後、持ち込みだ。今度は当社のセンセイ、税理士のスズキさん。横浜でジュジュ・タケシさんのポストカードを売っていたとかでこいつを額装してくれとおっしゃる。無論、こちらは互いの趣味も気心も知れた間柄だからお断るするわけもない。それに、たまにネットで見かけることはあったが、ジュジュ・タケシさんの絵も気に入ってしまった。印刷も綺麗だ。早速、マットをオーダーして仕上げた。

アサカワさんは「ウェブでも額装オーダー受けますって書かなきゃダメよ」とおっしゃる。でも、その道はその道のエキスパートがいるわけだし・・・僕はワガママだからもし気に染まないものを持ちこまれたらとてもできない。新宿に iタワーという高層ビルがある。インターオフィス在職中の話だが、ここのオープンテラスに某建築家がフィリップ・スタルクの椅子を提案してくれた。当時インターオフィスが輸入していた商品だ。建築の設計ヘッドだった日本設計の担当者から相談を受けた僕は「スタルクのこの椅子は雨が降ると座面に水が溜まるからダメですよ。XXXのXXXを使った方が良いでしょう」と逆提案した。すると、某建築家は H社長に電話を掛けてきた。「折角、俺がアンタのところの商品を提案したのに顔をつぶされた」とカンカンだそうで、えらい剣幕で H社長が営業室へ来て「誰だァッツーーー」と来た。僕は涼しい顔で挙手して、淡々とスタルクを止めた方が良いことを説明した。大クレームになることが明白だからだ。(今だから白状するが・・・実はスタルクのデザインが好きじゃないことも理由だった)

今も昔も気に染まない仕事ができないタイプなのだ、僕は・・・(苦笑、2010,9,10)

09/09 横須賀上町に残してきたもの

横須賀上町のコニファー:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

昨日は銀行の用事があって横須賀中央から上町に上がって用を足した。上町の旧オーシャンノート店舗は3日に引き渡しが完了し、6日には正式に賃貸契約が解除された。よって、ご覧の通り空き店舗として店子さんの募集となっている。次の借主は関知しないが、バス停前の立地には苦しんだものでご注意だ。誰でもバス停前の立地を宜しいと思うだろうし、僕もそのように思ったものだが、バスの発進の騒音と排ガス、この排ガスで商品が汚れることや心無いバス待ち客のポイ捨ての吸殻等々、宜しくないことは多くても良いことなどひとつもない。

4年前、開店した年の12月、クリスマスセールをやっていた時の写真。実は、純粋に店舗での現金売り上げは、この開店した年の12月が最高だった。なるほど、今写真を見てもなかなか頑張ってる(苦笑)。

さて上町に残してきたものは何もないが、唯一、このクリスマスツリーになってるコニファー、これだけは床屋のアベカワさんが貰ってくれた。旧オーシャンノートから横須賀中央寄りに5軒目、創業百年の床屋さんで、僕は実はここん家の若手のカットモデルを仰せつかっている。床屋にモノグサな僕にとっては定期的にロハで散髪していただけるのでアリガタイ。でも「中年のモデルさんがいなくて・・・」と”中年”とモロ言われるのはシックリ来ない。随分、鬢が白くなってきたのは否めないが・・・以前にも店長日記ヒジキの巻で書いたとおり、カットモデルが務まる髪の毛があるのは僥倖である。(2010,9,9)

09/07 戸越銀座

戸越銀座:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

たった一人の社長兼店長兼店番がいかに身を縛るものだったか・・・今日は午前中、足取りも軽く品川の戸越まで打ち合わせにお出かけ。目的地は世界的な家具モデラーであるミヤモトさんの会社、ミネルバさんだ。もっとも今日は、ミヤモトさんに会うのではなく、息子さんからミネルバさんのウェブ戦略の相談を受けるためのミーティングだ。(僕はウェブデザイナーでも専門家でもないけれど、誰にも習わずたった一人で信念を持ってウェブ運営をやっている。近しい方々からはそれなりの評価を受けることとなり、今ではオーシャンノートの2つのウェブサイトとは別に人様のウェブサイトを5つほど運営させていただいている。お金になる仕事じゃあないけれど・・・苦笑)

そんなつもりで出かけたが、ミネルバさんの入口で、早々にミヤモトさんにバッタリ。かれこれ6年振りの再会である。思えばミヤモトさんに初めてお目にかかったのはインターオフィス在職中、某大手建設会社の設計者さんの紹介で五反田の酒場でご一緒したのが始まり、かれこれ20年ほど前のことだ。ウィルクハーンに転職するとこれがまた奇縁、ウィルクハーンの日本国内アッセンブリーはミヤモトさんのところでやっていただいているではないか・・・その後あれこれ杯をご一緒する機会があり、亡くなられたミヤモトさんの奥様にも気に入っていただいてしまって・・・小沢一郎さんと田中真紀子さんのような話も出なくはなかった・・・(この話をご存じのかたならピンと来るであろう。むろん僕たちの場合、本人同士の意思は別物であったことを名誉のために申し添える・・・あくまでお話しである)10年ほど前の六本木アクシスでの結婚披露パーティの乾杯の音頭はミヤモトさんにとっていただいたし、ウィルクハーン退職の時は送別会を開いていただいて皆出来あがってしまった挙句、ミヤモトさん「小野寺さん、ウチの社長になってくれよ!」と。

2年前に新築なったミネルバさんの社屋を訪ねるのは初めてだ。やっぱり工場は面白い。制作途中のアルミと合板のラミネートの椅子にくぎ付け。新しいメリタリア(イタリアの新興名門”メリタリア”は今後ミネルバさんで輸入と国内アッセをやるのだ。何でも喜多俊之さんのアテンドでやることになったのだとか・・・そう言えば、新しく買ったアクオスの地デジテレビのデザインは喜多さんだった。もうずいぶんお目にかかっていないが喜多さんは・・・元気でしょう、苦笑)の試作品もあった。ミーティングは思ったより順調で、ひとつのウェブ戦略の提案は息子さんにさせていただいた。これも縁で、恩返しにもならないがお役に立てれば幸いと考えている。

帰りがけには子供たちにお土産。トトロのかたちのパンに惹かれてベーカリーホシノさんの店内へ。ドラえもんとバイキンマンの菓子パンを買う。しかしまあ・・・良く考えれば東京に行くのは1年半振りくらい・・・満員電車や人ごみが妙に気疲れ・・・浦島太郎なのである(2010,9,7)

09/02 世界でひとつのtasco双眼鏡

tasco双眼鏡:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

仕事場がオーシャンビュー(尤も・・・東京湾、浦賀水道を眺めているわけだから”オーシャン”にはあたらないかも?)というのは実に気分がイイ! 新しい事務所の環境を整えるにはあと少し時間が必要だし、家族四人の新しい生活パターンが上手く収まって慣れるまでにはまだ一工夫必要だけれど、手を止めて目をあげると浦賀水道を往くいろんな船が見える。オーシャンライナー研究専門の僕にはクルーズ船が通ってもすぐに船名が判るわけではないが徐々にその方面にも興味が向くことだろう。

そんな訳でそこに往く船、どうせなら望遠鏡で見たいのは当然で、家で埃をかぶっていたtascoの双眼鏡を持ってきた。元々tascoは米国の会社で軍用に制式採用されたりしていた名門だったが、知らぬ間に会社は無くなってしまい今は日本で作っているらしいが、かつての名声は見る影もなく落ちぶれてしまったようだ。僕が学生時代、バードウォッチングにハマっていたころ専ら愛用していたのはニコンの7x35で、視野が広く軽くて明るい(当然、色収差が少ないわけだ)素晴らしい双眼鏡だが今は8x30しか作っていないようで残念な限りだ。特に初心者で視力が良くない僕にとっては7x35はアリガタイ道具で鳥が「入らない」ことは殆ど無かった。ただこの道具には欠点があって、大変繊細にできていて雨の日や水辺で使えないことだ。雨にあてるとその後曇ってしまったりするのだ。

tascoの名を知ったのは、最初に勤めた会社、文具メーカーのプラスの時だ。プラスという会社は当時とても面白い会社で家具・文具メーカーでありながら相当な雑貨屋さん感覚が強く、何故か取扱商品にtascoの商品があったのだ。今は街の文具屋さんは廃れてしまったけれど、当時、街の文具屋さんの売場提案などをやっていた部署(昔の伊勢丹の色彩鮮やかな文具売場を憶えているだろうか?あれはプラスが提案していた売場だった)の同期のデスクにダベりに行ったりするとその辺にtascoがころがっていたりしたものだ。そのtasco、実はプラスは直接輸入していたのではなくオガタさんが輸入しているものを販売しているのを知ったのは後のこと。

オガタさんは亡くなった俳優の峰岸徹さんばりのイイ男で、当時公私ともに大変お世話になった上司のIさんから紹介された。Iさんとオガタさんは日本の輸入家具の草分けだった日本総業=モビリアの同僚だった間柄で、オガタさんのみならずモビリアOBの方々はギョーカイの方々におられて、競合会社という垣根を越えて営業ネタを教えてもらったり可愛がってもらったものだ。もし、輸入家具の営業マン時代の僕に営業スタイルなんていえるものがあるならば、それは家具の輸入が自由化されて以降諸先輩が苦労して作ったやり方を愚直に守り続けたというだけのものに過ぎない。だから、皆さん二回りほども歳の違う僕を可愛がってくたのだと思う。

輸入の商材に良くある話だが、その販売権の移動というのは一様にドライで切ないものだ。tascoはオガタさんが初めて日本での販売を手掛けたのだが、10年ほど前のある日、Iさんから電話が来た。「オガタがtascoを止めるので処分している。アナタは双眼鏡使う人だから良かったら訪ねて幾らか買ってやってくれないか・・・」とのこと。早速、横浜関内のオガタさんの事務所を訪ねると20年も市場を開拓してきたのにあっさり輸入販売権を切られたとのこと。アチラのメーカーはクールだからより多い販売量をコミットした会社に乗り換えたのだ。日本で無名のtascoのブランドを広めたオガタさんの御苦労など全く意に介さないのだ。(記憶が定かではないが、某百貨店が権利を分捕ったように思う)

そんな事情で入手したのが、この世界にたったひとつのtascoだ。実はこれ、試作品なのである。ベースモデルは8x30の軍用モデルのようで、これをマリンユースにデザインしなおしたものだそうだ。防水仕様で軍用で当時一世を風靡していた乱反射防止の赤いコーティングの対物レンズ。結局、試作のみで量産には至らなかったそうで米国の展示会か何かで使ったものをオガタさんが持っていたのだ。頑丈で水に当てても良いのは当然、何より内部に水滴が出てカビたりしないのが嬉しい。視野は8x30なりのものだけど明るさはその辺のホームセンターで売ってるのとは比べ物にならないし中々の使い心地である。

この眺めを、誰かが「ライブカメラでも設置して配信してよ」なんて言っていたけど、ビデオカメラの類をいじったことが無い僕にはとても無理だ。それよりまあ、三脚でも買ってきてバードウォッチグで使っていたニコンの20倍のスポッティングスコープで乗船客の鼻の穴まで見てやるとしよう 笑 (2010,9,2)

08/30 夏の終わり 撤収完了

観音崎・客船パシフィックビーナス:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

全国各地で観測史上の記録を更新する猛暑は続く。よりによって今年はこの記録的な暑さの中で我がオーシャンノートは引っ越しだった。7月中旬から少しづつ始めた引っ越しもお盆の間には家具什器を運びほぼ荷物の移動を終え、19日にはプロバイダの契約も引っ越してこのウェブサイトの運営も新事務所に移った。22日には旧上町店舗の掃除も終え9月3日には管理会社へ返却引き渡しで一件落着となる。改めて4年間の上町店舗のご愛顧感謝いたします。

新しい事務所の片づけは結構な仕事で営業時間外の作業は朝5時過ぎから7時、夜は7時から10時頃までと頑張ってはいるがまだ終わっていない。新事務所はお客様を迎えることができる場所で(こんなドタバタの中でも、今日も暑い中商品をご覧になるための来客もあった)自分ン家ではないから綺麗でなくちゃいけないから大変だし、場の変化に合わせてシステムの整備も考え直さなきゃいけない部分もあって昨晩も3時間机の下にもぐりっぱなしでワイヤリング配線と格闘・・・電話にFAX、PC3台にHDDストレージ4台、ディスクドライブ2台、プリンタ2台、スキャナ、VTRにDVDデッキ、それに新設のPCモニタ兼用の地デジテレビ・・・といったら想像がつくだろう。

さて今年の夏も散々、観音崎での水練にいそしんだ。(写真は客船パシフィックビーナスに向かって泳ぐの図、笑)長女は泳げるようにはならなかったけれど、それでも僕の子供の頃と同じようにシュノーケルなしのシュノーケリングの真似事で底を歩ってるヤドカリを捕まえたりするようになった。すごい進歩、われは海の子である。そして家族四人・・・土人のように真っ黒である。

お盆明けには赤潮も出たがもう夏も終わり、水は澄んで海はきれいだ。夏が終わると我が家の新しい暮らしも始まった。女房は幼稚園教諭に復帰、僕は子供たちが学校から帰ると事務所で一緒に過ごし、5時で仕事を切り上げると夕食を作る。定休日と土曜だけ食事を作るのと違い毎日というのはなかなか大仕事だ。オーシャンノートは元々、僕のキャラクタービジネスそのものだけど”主夫”を兼業せざるを得ない状況でこの店長日記を含めまた違ったキャラクターを見せてくれることになるだろう。

このところの僕の日課・・・4:30起床、5:00事務所で片付けなど、7:00一旦帰宅朝食と”ゲゲゲの女房”鑑賞、8:30出社、9:30買い物へ外出、11:00帰社、午後子供たち事務所へ帰宅、17:00帰宅夕食の支度、19:30再出社、23:00帰宅就寝・・・(2010,8,30)

08/16 店の看板撤去

横須賀上町20100816:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

2006年7月17日(海の日)に開店した横須賀上町のオーシャンノートはいよいよ明日、2010年8月17日で4年と一カ月、1492日間の営業を終える。すでにご案内のとおり、定休日を挟み8月19日からは横須賀堀ノ内(三春町)の海一望のオフィスにて事業及び営業を継続する。

新しいオフィスの住所 : 横須賀市三春町5-9-73 スターヒルハイツ201 046-804-4611(電話は変更なし)

昨日は教会の日曜学校なので海に泳ぎに行かず、午後は少しだけ子供達も閉店の手伝い。4年前は長女が年中さん次女は入園前、とても開店準備のすったもんだに巻きむわけにはゆかず、子供達の目も離せないから女房もそっち側、ほとんどの開店準備は全部一人でやった。今から思えば、看板などどうやって一人で吊るしたんだろうと不思議なくらいで、我ながらちょっとした器用さと根性には感心する。時は流れ、長女は小3、次女は小1、こうして集成材の重たい看板を下ろすのも手伝ってくれる。

もう、ほとんどのお馴染みさんや常連客の方々はいらして下さりごあいさつも済ませた。上町銀座の商店街ではありがたくも商店会役員の末席を汚させていただいたがご丁寧にも役員会からお餞別をいただいたし、役員の皆さんも顔を出して残念がって下さる。しかし・・・惜しまれるうちが花である(苦笑) 

曇りなき 心の月を 先だてて 浮世の闇を 照してぞ行く   伊達政宗公辞世(2010,8,16)

08/14 夏休み 我慢させない教育方針

観音崎・湘南国際村・乗馬:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

全国的にお盆休みである。オーシャンノートにはこの4年夏休みはない。ただし、お盆の頃の一週間は午前中休業にして海に泳ぎに行く。今年も観音崎だ。

当家に子供の教育方針などといった難しい決まりごとはない。ただ、僕の両親はとにかく厳しく何でもかんでも我慢我慢で僕を育てた。時代柄、当時、父のやっていた電気屋さんはそこそこ繁盛していて従業員の方々を含め人の出入りが多かったから、その手前少しでも甘やかすことはできなかったのだと母は言う。それが正解か不正解かと僕が問われれば、恥ずかしながら余り目論見通りにはならなかったように思う。「負けん気が強く・・・」「わがまま」「自己主張が強く・・・」「けんかっ早く・・・」「勝気で・・・」  これらはみな、小学校時代の先生が通信簿に書いた所見でどう見ても辛抱強い人にはならなんだ。我慢のさせすぎで我慢ならない人になってしまった(笑)

その我が身の失敗を踏まえて??? 子供達には割とこまめに菓子やらアイスやら買ってあげるようにしている。だから、自慢じゃないけれど、当家の娘たちは ”欲しがりません” 。そんなもんである。今年の海水浴の目玉はかき氷である。120円の自販機アイスからワンランクアップして200円、25種類のシロップかけ放題のかき氷だ。写真の通り本当に日本一なのかとざっと調べると・・・実は氷のシロップはヤフショピで28種類売ってるとこもあるので日本一ではないかもしれない。それでも、氷が溶けてしまわない範囲で二人ともよく考えて、それぞれ性格を反映したオリジナルの氷を作る。これでイイノダ。

我慢させないついでに、今朝は久しぶりに湘南国際村StoryFarmの道産子、シシマル君に乗りに連れていった。僕は相変わらず馬が怖いので離れて見るだけだったけど、二人ともニンジンを持ってシシマル君に食べさせて4周づつの引き馬。子供は上達が早いから次女はまだ鐙に足が届かないので難しいが、長女は機会を見て25分のフリーレッスンをやっても良いように見えた。もっとも今日は蒸し暑く、シシマル君も子供達もしんどかったようで長女も初めて乗った時の方が良かったようにも見えるが・・・

街場では、悲しい子供の虐待のようなニュースが絶えないが、とにかく余計な事を考えず清く正しく美しく普通にやってりゃいいのだ。厳格すぎず我慢ばかりさせずに・・・これは逆効果。我慢しなきゃならんのは・・・親の方なのだ(笑)(2010,8,14)

08/04 ゲゲゲの女房

”ゲゲゲの女房”にはまっている。(苦笑)

先週末から恒例の夏の一人暮らしだが、オーシャンノートの引っ越し先の新オフィスはまだ電気を使えないので専ら作業は早朝、この数日は朝5時過ぎから作業を始めて、一旦家に戻って”ゲゲゲの女房”を見てから出社というパターンである。中野の実母も熱心に視聴しているそうなのだがそれもそのはず、実話もそのとおりだそうだが、水木しげるさんの長女は昭和37年のクリスマスイヴ生まれ、僕は同年の10月生まれだから母にとっては他人事は思えない時代感があるそうで、それは僕にとっても同じことでまさに自らの子供時代を見ているようで入り込んでしまう。

”ゲゲゲの女房”のお話はすでに昭和40年代に入って少年マガジンへの掲載以降、水木しげるさんの漫画の仕事もやっと軌道に乗ってきたところだが、それ以前の貧乏神にとりつかれていた苦労話のあたりは、ちょうど放映と時期を同じくしてオーシャンノートの移転にいささか悩んでいた僕にとっては大層な応援になったものでこの因縁に感謝している。

さて、それが会社であろうが家であろうが、遠かろうが近かろうが引越しというのは複雑な感情が入り混じる仕事である。もちろん暑い最中の引っ越しだから体力も要る。ややセンチメンタルな気分にひきずられつつ疲れながらも作業をしたり、物を運んだりしている時には歌でも歌ったりしてして気合いを入れる。このところは織田哲郎さんの”青空”だ。1998年の歌だが、僕が生涯2枚しか買ったことのないCDシングルのうちの一枚はこの歌だ。アルバム等も他は買ったことがないし織田哲郎さんのこともあまり知らない。ただこの歌はテレビでプロモを見て一発で気に入って、CDシングルというやつにはカラオケが入っているので、当時持っていたヤマハのカントリージャンボタイプのL-52(知る人ぞ知る・・・ヤマハカスタム四天王のひとつ、名器だ)を織田さんのギブソンJ-200に見立ててストラップで吊って近所迷惑も顧みず歌っていたものだ。当時も会社勤めを辞めてしまいたくて悩んでいた時期で自分にハッパをかけていたように思う。

「夢なんてまだ形にならない だからって何もあせることはないだろう」

「そつなく日々をこなしてゆけるかい? 情けなさに涙が出たりしないかい?」

ウウッ!気合いが入るねぇ。

今日は定休日(店は開けてますが)で、新オフィスの作業に材料が幾らか必要でホームセンターに出かけようとした。一応材料を使う場所の採寸など済ませて、足取り軽く階段を降りる。もちろん鼻歌は”青空”だ。ラストコーラスは「愛してると本気で初めて思ってる 心の電池切れそうなときもぉーっ・・・」 あらっ?車のリモコンキーが反応なし。おかしい、この間ボタン電池を替えたばかりなのに。仕方なく鍵穴にキーを差して解錠。さてスタート・・・・ガーン、バッテリーが上がっている。「心の電池きれちまったよーっ・・・」

午前中は大変だった。JAF呼んで、そのままエンジン切らずにオートバックス行って。19005円也。

ぼくアホです20100804:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

これは、次女が先週、最後の店番の時に書いた絵、まさに日々 ぼくアホです(2010,8,4)

07/26 猛暑続く

セイタカアワダチソウ:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

猛暑は続く・・・4年前の7月はやはり暑かっただろうに、開店前の気合のなせる技?かエアコンも使わずに毎日15時間以上も開店準備をしたものだ。内装らしい内装もしなかったけれど、カーペットと蛍光灯のルーバー代わりのラティス(1800x900)を天井につるたり、商品陳列用のステージなども2x4材やなんかを使って全部自分でやってしまったのだ。それに比べれば撤退は簡単だろうと想像するだろうがそんなに単純ではない。一応営業しながらだし、どちらかと言えば後ろ向きな仕事であることは否めないから気分的にもはかどらない。蔵書や資料の持ち出しは終わって、この何日かは什器をずらしながらカーペットをはがして、次のオフィスでも使うので洗っては乾かしている。しかしまあ、タイルカーペットの重たいこと重たいこと(苦笑)

蝉の鳴き声もうるさく、今朝は幾分涼しかったのでセミとりだ。一年生の次女ももう今年は自分でセミをとれるようになった。長女の今年の一匹目はニイニイゼミだ。小さいセミだから見つけるのが大変なのに来年あたりは敵わなくなるかもしれない(汗)娘たちのセミをかわりばんこにとってあげたのが懐かしい。

7月と言えばユリだ。店の裏にほっぽってあるカサブランカは、ユーズドの子供服を売ってるベイビイティアーズのナガタさんから4年前の開店祝いに頂いたものだ。球根を掘り出したりといった手入れなど何もしていないけれど毎年咲く。今時カサブランカなんか珍しくもないけれど、何人かの通行人のご婦人からお声をかけていただいている。プラ鉢のカサブランカからお隣に目を移せばセイタカアワダチソウ。先日、テレビで小笠原を世界遺産登録の委員が訪れたニュースをやっていて、東洋のガラパゴスと言われる小笠原でも外来種、帰化生物・植物の問題が深刻だと伝えていた。グリーンアムールという一見可愛いトカゲが固有種の昆虫を減らしてるそうで、大きなゴキブリホイホイのようなワナで捕獲しているとか・・・ナンセンスな感じだがこれしか方法がないらしい。子供達は外来種の危うさがわからないので、セイタカアワダチソウを例に教えてみた。つまり、背の高い草のせいで今までの日本の原っぱが無くなってしまうという程度だ。ついでに思い出したので昭和天皇のセイタカワダチソウのエピソードも話してあげた。

植物学者でもあった昭和天皇は当時セイタカアワダチソウの異常繁殖でススキなどが激減したことに心を痛めていたそうだ。ちなみにピークは昭和40-50年代だそうで、今は逆に土地がやせたり、周りの植物を衰退させるアレロパシーという一種の毒素に自分自身が侵されたりと一定の抑制状態にあるそうだ。昭和天皇は訪米の際、フォード大統領にアメリカのセイタカアワダチソウが日本の土地を荒らして困るといった主旨の話をしたら、日本の自動車がアメリカの市場を荒らして困るとやり返されたそうだ。アメリカ大統領を向こうにセイタカアワダチソウとは・・・雑草という草はないとおっしゃられた昭和天皇らしいエピソードだ。そんな話をした日の午後、長女が店に来てお隣の今では珍しい一間を超えるセイタカアワダチソウを見つけて店に息せき切って飛び込んできた。

「セイタカアワフキソウあったよぉ」 ・・・泡は吹かないわな・・・(2010,7,26)

07/22 猛暑

横須賀観音崎20100722:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

子供たちの夏休みが始まると同時に猛暑、矢も楯もたまらず今シーズンの観音崎水浴の始まりだ。

子供たちの通う小学校にはプールがない。僕は東京中野の生まれ育ちだけど、少なくとも区立の小中学校でプールがないところは無かったと思う。母は昭和13年の生まれで今はフルーツ王国で知られる山形県中山町出身だがプールなど無くて最上川にロープを張って水泳の授業だったとか・・・戦中じゃああるまいし、子供たちが学校に上がるまで40万都市の横須賀でプールが無い学校があるなんて想像も出来なかった。まして、関係ないといえばそれまでながらこの小学校は総理大臣を輩出してる学校なのである。(そう娘たちは小泉純一郎さんの後輩となるのだ)

まあ、この件は議員さんなどいくつかの方面を通じ横須賀市に尋ねたけれど、「難しい」問題なのだとか。いずれにせよ、教育を受ける権利の平等の一部が果たされていないことは事実で、この小学校から中学に上がると、中学の体育の先生は妙に心得ていて、プールのない学校から上がってきた子供にはそれなりの配慮があると聞いている。(苦笑)親の責務としては、最低限自分の身を守れる程度にはしてやらなくちゃイケナイ。格好はともかくカナヅチではなくせめて浮いてほしいもんだ。

今年は、おもちゃのボディボードを買った。僕の父はそういうウィットの無い人で、特に他人が持っているものは頑なに否定的なところがあって、子供の頃”水に浮く道具”は一切買ってくれなかった。僕もとても欲しかったけれど、何故か海に行くとコーラ一本ねだることも出来ない厳しい雰囲気が我が家には漂っていて、そのムードに抗えずひたすら我慢の子であった。僕は・・・海の家というやつに入ったこともないのだ。あろうことか・・・ただ一度、例の空気を入れて浮くマットを父が買った。表は布張りの高級品だった。余りの珍事に動揺したか・・・僕はちょっとしたミスですぐに使えなくしてしまった。不思議と父は怒ることはなかったけれど、もちろん、以後、そいうものにお目にかかる機会は無くなった。

てなトラウマのせいか、今では逆に家族の顔色を伺いながら”浮き物”を買う。去年までは空気を入れるパトカーが活躍していたが、次女も「パトカーは要らない」というので空気室がひとつ破れたこともあり引退、ビート板代わりにもなるだろうと思ってボディボードを買った。実はイルカやらシャチの浮き物の狙っているんだが・・・意外に同意が得られそうになくいまだ入手できずにいる。

去年9月の右ひじの骨折・・・とうとう医者にも行かず治してしまったが、その回復具合は不安だった。まだボールもまともに投げられないのだ。幸い、平泳ぎは問題なし、クロールも完全ではないけれど大丈夫だった。背泳ぎはやらなかったけれど、残念ながらバラフライは腕が回りきらずダメだ。しかし、まずまずの回復ぶりで、これならほぼ元通りに近く回復するのではないかと一安心だ。

今夏の長女の目標は・・・5m泳いで現在の1グループから2グループに上がることだ。僕も今の長女と同じ3年生の夏に友達の親戚の家に逗留した時に町営プールか何かで泳げるようになったようにように記憶している。結局あんまり上手にはならなかったけれど・・・(2010,7,22)

07/17 お知らせ

閉店・移転のお知らせ:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

来たる8月中旬、諸般の事情によりオーシャンノートは移転することになりました。

と、いささか突然のお知らせなってしまったけれど、移転先は現在の最寄駅、横須賀中央より快特・特急で一駅先の堀ノ内駅から徒歩7分の海一望の場所、この四年間続けた小売店舗という業態をやめてオフィスでの業務に専念することにした。

ある土曜日の早朝、昔、長女がまだヨチヨチ歩きを始めたばかりの頃良く散歩した自宅の近所を一人であれこれ思索しながら歩いていたら・・・そこから良く海を眺めた処に差し掛かかり考え事しながら海を眺めた。フト振り向くと、そこに建つアパートメントの一室に空室の看板が・・・  「ここで仕事をしよう!」と思いついてしまったことが全てのきっかけになってしまった。海を眺めながら仕事をするのは僕の夢なのだ。

この四年間は街中で店を構えて、それはそれで素晴らしいことばかりだった。何よりも遠くから訪ねて下さるお客様にはありがたく本当に店を構えてヨカッタと思えたものだった。驚くなかれ、最遠は西は長崎県からお二方、山口県からお一方、東は北海道・・・僕も驚くばかりだったし大層励みになったものである。しかし、目をあげれば目の前にバス停、頻繁なバス通りを行くバスを見ながらこれをずっと続けると・・・残念ながらこれ以上良い仕事は出来ないという考えに至らざるを得なかった。

全窓、海が見えることも嬉しかったが、新しい事務所は自宅から僅か歩いて3分、15年間も横須賀から東京に通っていた勤め人時代のロス(一日3時間半は通勤時間だったのだ)は・・・一気に取り返すことができそうである。(笑)

まだ、正確な移転日程等は決まっていないものの、今度の事務所は店舗でないから誰も来れないという訳ではなく、ホテルのような応接スペースなどは望むべくもないけれど、誰にいらしていただいても良いような場にすることにしている。どうか今まで同様お気軽にお尋ね下れば幸いだし、これまでもそうだったように、ポスターにせよ、他の商品にせよ実物をご覧になってご購入されたいお客様には実物をご覧になっていただきたい。もちろん、その場でご購入していただくこともできる。当然、当ウェブサイトでの販売とご購入に関しては何ら変わるところはなく、営業日程のタイムラグも今のところゼロの予定だ。

ウェブがきっかけで遠方からお運びいただいた皆様、本当にありがとうございました。また、いつもウェブにてご購入のお客様、当社のサービスに何ら変更はございませんのでご安心ください。(2010,7,17)

07/15 マルタイラーメンで冷やし中華

横須賀海辺釣り公園20100715:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

ニッポンは東南アジアだなあ・・・このところの多湿にはいささかヘバり気味だ。店は定休だが、子供は学校、女房は小学校の料理教室(何だか内容は不明)、仕方なく朝から一人で愛飲のPB焼酎なども含む一週間分の食材の買い物、帰ってきて夏の定番大葉のぺペロンチーノを作って食べ終わるともうグロッキー、少しでも涼しいからと横になったフローリングの床の上でそのままウトウトしてしまった。

次女が学校から帰り、尋ねてみれば出かける元気があるようなので、自転車の練習を兼ねて海辺釣り公園まで出かける。高温多湿で風も強くさすがに釣り人も少ない。ソウダガツオやメジマグロの回遊はまだまだ先のようだ。それでもいつもそこにいるおじいさんが「ナブラがなあ」とか「鳥山がなあ」なんて言っているところをみるとそろそろ始まっても良い時期なのだと思う。遊歩道側を見ればクローバー(正真正銘のクローバー、葉の先が割れているカタバミではない)の花も盛り、久しぶりに気合を入れて四つ葉探し。今日は3つゲット!好成績だ。次女は・・・なんと珍、二葉のクローバーをゲット。いずれにせよ、ちょっとご機嫌で次女に自販機のアイスクリームを奢る。

夕食は先週から食卓復帰を果たしている冷やし中華。前にも書いたことがあったように思うが、定番のシマダヤの冷やし中華は一昨年から一切使わず、もっぱらマルタイラーメンを使っている。袋の裏に載っている作り方ではとても暑さを乗り切れない・・・と感じるので、酢と醤油と砂糖をほぼ倍量使うのがコツだ。同梱の調味油も使わず、代わりにごま油を少し混ぜる。復習すれば、一単位(麺一杷)あたり、同梱の粉末スープ一袋に、水90cc、以下は倍量、醤油大さじ1、砂糖大さじ2、酢大さじ2、ごま油少々・・・といったところ。僕は辛いものと酸っぱいものは滅法好きな方だから夏に冷やし中華は必需。酸いも甘いもとは言うし、このところそんな事ばかりを感じさせられる身につまされる日々を送っているけれど・・・酸いも甘いも冷やし中華なら大歓迎である。(2010,7,15)

07/10 私事 女房幼稚園に復帰す

KWGワイン:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

私事ながら・・・女房が幼稚園教諭に復帰することになった。いよいよ、南アフリカのワールドカップも決勝を残すのみとなったが、女房の就職祝いは次女が偶然にも指差した南アフリカKWVのスパークリングロゼだ。正解、正解、大変美味しいワインであった。

6年前、今は小学校3年になった長女の幼稚園選びは難航を極めた。女房は幼稚園教諭を10年以上やっていたし、僕もペーパー先生ながら教員免許をとったくらいで、揃ってそれなりのコダワリがあったからである。とにかく行事が少ないこと、知育教育がないこと、あまり大規模でないことなどが条件だったが、それに適うのは通園可能な範囲では横須賀上町教会附属めぐみ幼稚園だけだった。クリスチャンではないしそうなる予定もないけれど、長女が入園前の春にアサリ拾いで体を冷やした所為で体調が整わぬまま入園、上手く幼稚園生活に入ってゆくことができず、それをきっかけに上町教会の日曜学校に通い始めた。そんな縁で牧師園長である森田先生と公私に渡るおつきあいが出来て・・・そしてオーシャンノートは4年前、横須賀上町に開店することになったのである。言わば、幼稚園が地縁になったわけだ。開店の時は、森田先生ご夫妻でいらして簡単ながらお祝いの式をしてくれた。ありがたくも聖書のタレントの一節を説教いただいたものである。

森田先生は北海道・北見の教会から上町教会に赴任されて19年とのことだが・・・この10月に他の教会へ転任されることになった。で、幼稚園の方も新しい体制を整えなければならず・・・女房に白羽の矢が立った。担任ができる経験者でめぐみ幼稚園のことをわかっていて、かつ教会へ足を運びクリスチャンでないにせよキリスト教への理解がある・・・となれば「三浦半島中探してもいませんょ」とのことだ。

しかし・・・一昨日、幼稚園の保護者あてに正式の発表があって、女房の元へも、今朝も園児のお母さんからお声を掛けていただいたり、一様にありがたくも女房のめぐみ幼稚園入りを歓迎してくださる様子でヨカッタヨカッタ一色なのだが・・・誰もオーシャンノートのことなんざあ心配しちゃくれない。参った参った、苦笑(2010,7,10)

(後年加筆:後にも先にもこのことはここにしか書かないし、公には違うエキスキューズを表明しているが、様々な理由があったにせよ、家内が幼稚園教諭に復帰することになったことが、本日記2回後にお知らせする上町オーシャンノート閉店の最も大きな理由だった。子供たちを学童保育あるいは鍵っ子にという選択をせず、僕が店を閉じて家の近くに仕事場を探すという道を選んだのである)

07/05 職人! win7ネットワーク問題解決

コマンドプロンプト:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

今年1月に現用のメインマシーンwindows7機が来たことは書いた。結局、XP機で使用していたwindowsのネットワーク”ワークグループ”がwindows7機から見えないという問題は半年後の今も解決がつかずにいた。あれこれ試していじるがどうしてもダメ、しまいにサポート外ながら「ネットワークにつなごうとするとLAN側だけでなくWAN側もダウンするんだから!」とこじつけてプロバイダーのjcomに無理やり調べてもらったけれど「すみません、わかりません」とのこと。XPからは7が見えるので、不便ながらデータやらファイルの移動やコピーは全部XP側からやっていた。その度に立って座っての繰り返しだから運動不足も少しは解消されると思っていたが・・・

もう、三月も前になるだろうか、そのネットワーク問題を常連のeinenさんにこぼすと「そんなもん、windowsのネットワークに頼るのがそもそも間違ってる!」と一喝された。einenさんは面倒見の良い人だから「そのうちやってあげるよ」と一喝のあとに加えた。

その後、結局7機からはワークグループが見えたり見えなかったり・・・困るのは、見えない時にLANをダウンさせること。NASに入れてある動画再生中だと動画は止まるし、最低だったのはLANの中のノートPCがダウンしたりする。このメビウスも癖のあるマシーンで、その時はモニタが真っ暗・・・リセットスイッチなる不思議なものが付いていてこいつで復帰したから良かったものの、こんなことやってるとエラいことと思って、7機からワークグループを見るのは諦めていた。

日曜日のeinenさんはすごかった。彼は本職のシステムエンジニアだから(彼には秘匿義務があるから書けないけど、誰もが知ってる巨大な通信のバックアップシステムを作ってる人なのだ)、彼にすれば丁寧に説明しながらやってくれるのだけど、キーボード打つにも早すぎて何をやっているかわかりゃしない。で、約10分、7機のデスクトップには必要なネットワーク上のドライブのショートカットが並んでいた。

彼がやってくれたのはLANのネットワーク上のIPアドレスをコマンドプロンプトで確認して、そのIPアドレスをエクスプローラに直接打ちこんで表示させるという方法だ。やっと自分でおさらいが出来たので簡単に手順を説明する。

オーシャンノートのLANにはブロードバンドルーターとネットワークハブを介して、7機PCが1台、XP機PCが3台、98SE機PCが1台、NASが1台、さらに共有のHDDが2台、つまり共有ドライブは簡単に言えば8つある。(光学ディスクドライブやプリンタなどは共有しないので省略)

まず、コマンドプロンプトを実行して各PCに割り当てられたIPアドレスを調べる。7機はスタートからプログラムとファイルの検索のところ、XPでは同じくスタートからファイル名を指定して実行を開き、そこに cmd と3文字入れて enter キーを叩く。するとコマンドプロンプトが立ち上がる。(後日注:写真の黒地に白文字のウィンドー)で、カーソルが点滅しているので ipconfig と入力して enter キーを叩く。いろんな事が出てくるけれどそこにある、IPv4アドレス・・・ xxx.xxx.xx.x この9桁がそのPCのLAN上のIPアドレスだ。こいつを各PCごとで実行して調べて紙にメモっておく。

次に7機側からアクセスしたいドライブを見る。スタートから”コンピュータ”を開いて上部のエクスプローラをクリックするとコンピュータの文字が反転する。BackSpaceキーでこの反転を消して、 円マーク円マーク(このウェブサイトの入力ボックスでは化けるのだけどYに横棒二本の円の通貨マークを2つ)、続けてIPアドレスxxx.xxx.xx.x を入れてEnter ・・・すると対象のPCの共有ドライブが見える!外付けHDDが共有になっていれば、そこに一緒にドライブが見えている筈である。あとは右クリックでショートカットの作成をすればデスクトップにショートカットができる。NASは仕方が無いので、IPアドレスの末尾をどんどん変えていくことでいずれたどり着く。普通は10も20もあるわけじゃないから簡単だ。

僕はXPあたりからPCに入ったし、シスアド試験でIPアドレスは勉強したけど活用することもないから忘れてしまった。einenさんはプロでUNIX育ちだそうだからコマンドプロンプトなど当たり前のように使っているそうだ。なるほど・・・windowsのネットワークなんざあ・・・とおっしゃるのも当然であろう。お陰さまで便利になりました。アリガトウeinenさん(2010,7,5)

(後年注:結局windowsネットワーク、vista以降とxp以前の親和性の悪さは解決しないようで、windows8以降も同じ状況である。上記、コマンドプロンプトは簡単に言えばwindowsのそのまた元のOS、MS-DOS(マイクロソフト・ディスクオペレーティングシステム)のプログラムで、マウスを使う以前の原始的なOSの一部と考えればいいでしょう。初期windows はMS-DOSの上で動いていましたし、現在では逆にwindowsの中にMS-DOSの一部が機能として、例えば今回利用したコマンドプロンプトが内包されているわけです)

06/30 にっぽん丸

客船にっぽん丸20100630:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

今日で4年間お世話になった駐車場の契約が切れた。明日からは別の駐車場に車をいれることになったので、これを機に何と驚くなかれほぼ4年振りに洗車に励んだ。今日は、今年で初めて夏らしい日だったから・・・しんどかった。お隣にお住まいのOさんは車がご趣味のようで、それこそお隣になって20年近く、その間一体何台車を買い換えたことだろう?片手じゃ効かないことは確かである。流石にお好きなだけあって洗車もマメで、それを横目でいつも見てるわけだから・・・とうとう長女から「お父さんは車を全然掃除しない」となじられる始末。言い訳を言えば、オーシャンノートの開店以来、休みは水曜と土曜の午前中だけ、水曜は買い物と食事の支度、土曜はお出かけだから・・・洗車する時間などなかったのだ。

4時間近く頑張ったが、あまりに久しぶりで大変だったので、コンパウンドとワックスまでは手が回らなかったものの折角綺麗になった車に雨が降らぬうちに乗らない手はない。近場で観音崎までひと走りである。たたら浜の駐車場に車を突っ込んで展望園地から船を眺める。しばらくすると横浜方面から湾口へ向かう客船・・・商船三井のにっぽん丸だ。現在のにっぽん丸は3代目にあたるが先のオフシーズンに大改装をして今年の3月に再就航して話題になっているクルーズ客船だ。我が家でもおととしの7月、横須賀の新港埠頭に寄港した際の出港セレモニーを見に行ったので馴染みがある。今回は改装後初めてのロングクルーズで5月11日横浜・5月12日神戸出港、約50日間でグァム、ハワイ、メキシコから西海岸を北上してアリューシャン列島南縁をたどって北太平洋を一周する航海で来年のワールドクルーズのウォーミングアップの意味合いもあるらしい。で、今日横浜に帰港、明日神戸で今次航海を終えるわけだが、観音崎通過はその横浜出港の後だったというわけだ。(2010,6,30)

06/26 自転車 大津港

横須賀大津港20100626:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

残念ながら若い頃と違い、ワールドカップ観戦の睡眠不足が一晩寝たら回復とはならない。いよいよ決勝リーグだが、次戦も27:30キックオフだから締めてかからんとイケナイ。ワールドカップと選挙が重なりすこぶる景気の悪いのが困るけれど(選挙があると景気が悪いなんて店を出して初めて気づいたことだ)、ここまで来たら優勝したっておかしかないと思っている。

さて、そんな体調もあって結構な引き潮の潮回りで勿体なくはあったが、天候もいまひとつだったので西海岸へ行くのは止めて家族でお買いものへ出かける。丁度、一週間ほど前から一年生の次女が補助なしの自転車に乗れるようになったので、練習を兼ねて4台の自転車を連ねてである。まだ、次女はブレーキを上手に使うことができずところどころ押しては乗っての繰り返しなので、スーパーの10時開店に余裕を持って家を出たが、少し早めに着いたので横須賀大津港の堤防で時間を調整。

10年くらい前、僕がまだ魚釣りをやっていたころは、東京湾内とされる横須賀のこのあたりで誰も釣れるとは思っていなかっただろうが、誰が始めてみたものが、今では大津はすっかりアオリイカのエギングの名所になってしまった。写真の娘たちの足元もアオリイカのスミの跡がベッタリである。こんな近所で釣れるのなら・・・あの頃、わざわざ週末の夜ごと三崎港まで車を飛ばしたのは何だったのだろう(泣)

それにしても魚釣りを眺めていると、ウミタナゴやメバルはともかく、スズメダイが良く釣れていた。こいつは関東では餌取りの嫌われ者だが、関西や九州では大変美味な魚として喜ばれるそうだ。でも、ちょっと不思議である。調べてみても確かにスズメダイの仲間ではこのネームフィッシュであるスズメダイが一番耐寒性があって水温8度でも生きるそうで日本海でも越冬するらしいが、少なくとも僕が子供のころは関東でスズメダイを見かけることは殆ど皆無だった筈だ。餌取りといえば、フグやキタマクラ、ベラ、ウマヅラが定番でスズメダイなんぞ釣ったこともない。ごく普通に関東以南・・・とどこにも記されているけれど、基本的に南方系のお魚であることは確かなので、やっぱり温暖化の影響でウヨウヨいるわけで、昔は関東ではいなかったと思う。気をもんでも仕方無いが多摩川がタマゾンガワと言われる昨今である、重々観察が必要である。(2010,6,26)

06/24 電気ブラン ベトナムジッポー放出中

電気ブラン:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

今日は顧問税理士さんから嬉しい”電気ブラン”の差し入れがあった。せいぜい背伸びしている感が無くもないけれど(苦笑)オーシャンノートは小っちゃくても株式会社なので決算やら納税申告にコモンゼイリシさんが必要だ。尤も、日産のゴーンさんが8億9千万円の役員報酬をもらっていることが騒ぎになったけれど(ちなみに、あれだけの大企業の倒産同然を建て直したのだ。従業員やその家族、協力会社のことまで考えれば報酬は高くはないのだろうと思う)、オーシャンノートの報酬など雀の涙ほどにもならないものでツツマシイ生活を日々送っている。(泣!)僕は、自分で思う程野心家ではなかったようでそんなツツマシイ生活もすっかり板についてしまって、今日もまたアド街のスタッフが相談に来たのだけれど、結局思うところあってこちらから取材はお断りしてしまった。代わりに彼らが探さなきゃいけないネタのお役に立てるかもしれない情報は提供して差し上げた。いよいよ7月31日放映の予定が仮決定したそうなので、この協力が良い番組になれば良いと思っている。

さて、懐かしい神谷バーの味で一杯やりながら明早暁のサッカーデンマーク戦でも待つか・・・と思いつつ、むしろ、早く寝て超早起きの戦略をとったほうが利口とも考える。何故ならば、恥ずかしながら神谷バーで電気ブランを飲んで無事だったためしが無いのである。口当たりが良すぎてついつい飲み過ぎてしまう危ういお酒なのだ。どちらにせよ、僕はどちらかと言えばサッカーよりは野球の人だけど、今回は途中で飽きもせず(サッカーの試合を最初から最後までチャンネルを変えずに見たことは何度かしかない)テレビ観戦できているし監督のオカチャンが何だか好きなので何とか勝ってほしいものだ。

話変わって、只今、店頭で個人蔵のジッポーライターを放出している。20代後半頃に熱中して買い集めたものだ。今ではさすがに60年代のベトナムジッポーも見かけることが少ないけれど、ベトナムものも5個程放出している。買った当時は随分高くて1万近くは払っていたような記憶もあるが、今回は大放出でベトナムもので5000円オールだ。ヤフオクなんかでも7000〜8000円くらいはしてるようなので、お買い得だ。早い者勝ちである・・・お知らせまで(2010,6,24)

06/17 休日 大和のバルバスバウ

観音崎20100617:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

昨日は定休日、次女との約束なので3時間も掛かるミートソースを作って(イタリアでもお母さんの数だけリチェッタがあるというくらいそれぞれのちょっとしたコダワリがあるラグーだけど、最低2時間はかかるから暑い日にやるもんじゃない)から夕方は家族4人で観音崎あたりをブラブラ。去年の夏、例年にない北風に震えながら泳いでいたことを思えば、もう泳いでも大丈夫なくらいの日よりだった。しかし、人気のない暖かい夕方の砂浜の気持ちの良いこと・・・

スパゲッティミートソースの夕食、トランプのジジ抜き(次女は負けると泣くし、かといってジジ抜きは手加減できるもんでもないから大変、昨日は僕がペケで円満)も無事に終えると・・・夜はテレビ東京で、”沈黙の戦艦”をやっていて、もうテレビでも何度も見ているのに結局最後まで見てしまった。何度見ても面白いものは面白い。今はハワイに保存係留されてる戦艦ミズーリ、実際には映画のように乗っ取られてしまうなんて可能性はゼロに等しいと分かっていても、架空戦記的な何ともいえない手前勝手なリアリティーにワクワクしてしまう。ちなみに映画の撮影はミズーリではなくてBB-60アラバマでやったのだそうだ。

架空戦記といえば、そんなジャンルの読み物を熱心に読んでいたことがあった。この手のものにはいくつかの流れがあって、ゼロ戦が改良されて第二次大戦の勝敗が逆転しちゃったり、幻の6発爆撃機”富嶽”の驚異的な活躍とかもあったと思うけれど、主流は大和・武蔵の大活躍だとか、新たに凄い戦艦を建造するといった戦艦モノが多い。まあ、史実とも重なる大和発展型の”紀伊”や”尾張”は常套だが、読み進んで旭日の艦隊あたりになると”大和武尊”やら”信長””謙信”などといった荒唐無稽な架空艦隊が登場、幾らか苦痛で読むのを止めてしまった。46センチ砲で飽き足らず51センチ砲がいろんなところで出てくるけれど、日本海海戦みたいな武士道的な海戦は望むべきもなかったわけで、僕は門外漢だからわかっちゃいないけれど、こっちの船もあっちの船も揺れているところに10キロも20キロの距離があったら砲弾を当てるのは神業なわけで、確かNHKの”電子立国日本の自叙伝”で聞いたのだったと思うけれど、アメリカの真空管コンピュータ、エニアックが一生懸命にやったのがこの戦艦の弾道計算だったことからも、経験とカンで46センチ砲を当てるのは難しいことだったのだから残念ながらやはり当時の大艦巨砲は無用の長物だったのだろう。まして51センチ砲なんざ・・・である。

沈黙の戦艦からとんでもない話になったが、戦艦大和といえば平賀譲卿によるバルバスバウが大発明にように言われるが、ヤマトの船体ラインは基本的にロシア海軍のユルケビッチ型船体ラインといわれる。ユルケビッチといえば・・・フランスの客船”ノルマンディー”の設計者である。ユルケビッチは故国ロシアで輝かしい実績をあげていたが、ロシア革命でその立場は危ういものとなりフランスに亡命した。フランスでは細々と自動車工として生きていたといわれ、客船ノルマンディの計画が発表されると居てもたってもいられずに旧ロシア海軍の伝手を頼ってペノエ造船所の設計競技に参加、見事フランス海軍工廠を向こうに回して自案を採用させるに至る。これが洋ナシ型船首というやつで、ヤマトもノルマンディーも船首のくびれはユルケビッチのアイデアなのだ。架空戦記ではないが、幻の船と言えば僕にとっては客船ノルマンディーの姉妹船である。名前は決まっていたそうで”ブリターニュ”になる予定だったとか。基本設計は出来たいたといわれるが、図面は今日に伝わっていない。フレンチラインの場合、姉妹船というよりは一船ごとに性能を向上させてゆく特徴があったからノルマンディーとどの程度違っていたのか興味があるところだし、(計画ではノルマンディーより大きかったらしい)先日も坂本龍馬公の後藤象二郎あて書簡が発見されたりしてるから、図面の一枚でも発見されることを願うばかりである。(2010,6,17)

06/12 馬 湘南国際村

馬:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

暴れん坊将軍という時代劇が好きだ。
「愚か者め!余の顔を見忘れたかッ!」
「何ィッー、余だとォッー」
「武士の情けだ、潔く腹を切れ」などというやりとりは毎度決まっているのに、こいつに身震いしてしまう。いまひとつ、シリーズによって違うが、砂浜を白馬にまたがって疾走するタイトルバック、あんな風に馬に乗れたら楽しいだろうと思う。しかし、残念ながら僕は馬に乗ったことがない。一言でいえば、僕は怖がり屋さんで未だに馬にまたがる勇気がない。

土曜の午前中は、良く西海岸に行く。葉山公園、立石、天神島、荒崎あたりだ。帰りは横須賀のオーシャンノートを目指すわけだが、林から衣笠を抜けると道が混んでいるし、葉山の時はともかく、立石以南だと葉山まで北上するのもかったるいから専ら湘南国際村を抜けて帰る。で、その道すがら通るのが乗馬クラブ(?)で、先日ちょっとのぞいてみようと車を入れたらポニーが三頭いて子供たちに触らせてくれた。乗る気にはなれないが、僕も触らせてもらった。カワイイものである。ひき馬2周で500円とのことで、長女は物おじせず乗ってみたいと言うのでお願いしたら、レッスン中で少々待たねばならぬとのこと。とりあえず、時間も無かったので諦めて帰ると長女はどうしても乗ってみたくて仕方ないようだ。一年生の次女も少しばかりビビりつつ乗るという。

この湘南国際村の乗馬施設、”湘南馬街道 葉山宿 Story Farm”という屋号のようだが、三頭のポニーはどれも大人しくてカワイイ。ご覧のように子供達は根のところで大人より野生に近いせいかポニーともピッタリ息が合って楽しいひき馬だった。今日乗せてもらったのは”シシマル”クン。一年生の次女も鐙に足が届かないくらいなのにシシマルと仲良くなってる。長女は帰り道、「馬を飼いたい」と言いだす。馬に乗って学校に行きたい・・・北海道じゃああるまいし、馬を飼ってる家なんざ・・・無い。近くのペットショップの看板に「アリからゾウまで・・・」(ホンマかいな?)なんて書いてあるが、そのうちゾウを飼いたいなんて言い出すんじゃなかろうか?(2010,6,12)

06/11 横須賀上町のツバメ

船の観察講演:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

朝、家を出る時にお隣の奥さんに突然「スゴーイ、小野寺さんって講演やったんですネ」と言われ目を白黒させてしまった。聞けば、仕事で横須賀市の生涯学習センターとの関わりがあるらしくて、”まなびかん”で僕の写真が貼ってあったのをご覧になったのだとか。なるほど・・・もう一年近く前に”横須賀の海を楽しむ”の講座で講師をやった時の写真が貼ってあるのだそうだ。まあ、今だにその時の講座の参加者の方が「あんたの話が面白かったァ!」なんて店にお越しになることもあるし、こうして突然お隣の奥さんに言われたりして、人間必ず足跡が残っているもので・・・悪いことはできないということである。しかし、僕は有名人でもゲーノー人でもないから、やっぱり自分の写真が貼ってあるとなると気持ち悪いからお天気が悪くて海に出かけられない休日にひとっ走りその掲示を検分してきた。この講座もパワーアップして再度やろうという話は出ているものの、クイーンメリー2の横浜寄港が中止になったので僕がお話できるテーマも無いから難しいかもしれない。そういえば、神奈川新聞ではキュナード側が横浜市に寄港中止を申し入れたというニュアンスであったが、海事プレス社によれば横浜市側がキュナードに”寄港拒否”を申し入れたのだと書いてある。何だか悲しいお話である。

さて、来るの来ないのと言えば、今年は店の二軒隣のアーケードの軒下にツバメが巣を作った。毎年、通りを挟んだ向かい側にはツバメが来るのだけれど、反対のこちら側は人通りが多いせいだろうか、この店を始めて4回目の夏で初めてのことだ。元バードウォッチャー(”元”といのは変?しかし、横須賀に移ってからは、以前に住んでいた武蔵野地域と比べれば全然鳥が少なくて自然と機会が減ってしまった)の僕としては楽しみが増えて何よりのなのだが・・・

別に自慢するわけではないのだけれど、結構な綺麗好きであることは確かで、残念なことに体調を崩されて廃業された隣の八百屋さんの店先・・・人がいなくなると汚れ放題、これを機に両隣合わせて都合三軒分毎朝掃除させていただいているのだが、毎朝のわらクズが多いので閉口している。ツバメの巣ってえのは泥ばかりだと思っていたから、結構干し草も使うもんだと感心しきりだ。まあ、大変は大変だけど少なくとも4年間毎日欠かさず吸殻を置いていってくれる紳士に比べりゃ干し草のクズもかわいいもんである。今は抱卵中、もうすぐ雛かえるだろう。先日はシジュウカラとムカデの格闘を見て子供たちと大歓声だったし、海もいいが鳥も悪くない・・・ウン、さっき女房が言ってたなあ「今日の夕飯は焼き鳥」 アレッ (2010,6,11)

06/02 三菱重工長崎造船所とQM2の記事

鳩山総理の進退問題が騒がしい中(これを書いているうちにお辞めになることを発表してしまった・・・大騒ぎである)、今朝の新聞一面は政局を押しのけ”三菱重工が客船の造船受注を再開”との囲み記事が出ていた。”中止”していたとは思っていなかったのだけれど、ダイアモンドプリンセスの建造中に火災事故を起こしてから安全体制の再構築に時間がかかり事実上、受注を中止していたとのことだ。造船業界全体で見ても、かつての造船王国ニッポンは2002年に韓国に抜かれて以来水を空けられる一方で2009年には竣工トン数で、韓国2893万トンに対し日本は1889万トンに留まっているそうだ。

造船業全体に占める客船のシェアは大したものではないようで、コンテナ船、LNGや石油のタンカー、自動車運搬船などがほとんどのようなのだが、建築土木と同様、造船はスケールの大きい造作だから人手も多く必要だし、特に客船は造船所(もっと言えばその国)の技術や文化レベルを問われる産業だから大いに造船王国ニッポンをアピールできるように頑張っていただきたいものである。以前にも日記に書いたけれど、かつて職人が腕を競ったのは”船舶という分野”だったのだから。経済面には記事の詳細で韓国が昨年11月、とうとう大型客船を受注したという話も書かれていたので、かつて太平洋のオーシャンライナーをやっていた日本だから、その伝統・・・遺伝子は残っていると信じたいものだが、状況は簡単なものではないと感じた。

そんな、大型客船を巡る状況で杞憂するのは、28日に神奈川新聞に載って関東以北の船キチの間で騒ぎになった、クイーンメリー2横浜寄航中止のニュースだ。ベイブリッジをくぐることが出来ず大桟橋に着岸できず、昨年、今年と大黒の貨物埠頭に着いたクイーンメリー2だが、とうとうそのことがネックになって横浜寄航を中止、来年の寄航を大阪に変更、今後も横浜に寄航する可能性が低いとのことだ。(昨年に日記にベイブリッジの高さの話は書いたのでご参考まで)

いずれにせよ、今更、橋の高さを上げることはできないだろうし、新しい客船ターミナルを作ることが現実的かどうかはわからない。しかし、よくよく考えてみれば、アジアのハブ空港競争と同じように海の方の港でも国際競争で競えるレベルにないことが現実化していることは事実なのだろう。もちろん、世界の貨物の取扱量ではシンガポール、中国の各港、ロッテルダム、ハンブルクなど、産業と密接に関わるので内需が限られる小国ニッポンでは土俵に上るのも難しいかもしれない。一方で客船の旅客数で考えれば、旅行会社や船会社の立場になれば、その港がいかに風光明媚で日帰りで楽しめる観光プランがいかに組めるかということに尽きるだろう。ベイブリッジの高さを上げたら解決できるものでもないということだ。クルーズ観光の需要は年5%で需要が伸びているそうである。観光立国ニッポンは以前からニッポンのテーマになっているのだし、世界で続々就航してくるであろう20万トン超の客船が無理なく寄航できる環境を港と共に観光環境と一体で整備してゆく必要があるのではないかと思う。造船だけ頑張っても駄目で仏作って魂入れずにならぬよう、一国の文化として”海”に向き合うのが良かろうと改めて考えさせられる2つの記事であった。(2010,6,2)

05/31 横須賀・黒船ウォークスタンプラリー

横須賀スタンプラリー:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

連休明けから、このところ休みの日は浦賀・久里浜・大津で催されている黒船ウオークスタンプラリーにはまってしまった。横須賀に移って20年になるが、ロケハンさながら、こんな機会でもなけりゃ行くこともないだろうと思う名刹を訪ねることができたのは思わぬ好事だった。事の発端は某海岸に出かけたところ駐車場が有料期間に入ってしまったため料金をケチってあぶれて久里浜のペリー公園に行ったところ、ペリー記念館の係の人が娘たちにスタンプラリーの用紙を下さったところにあった。その日はペリー公園のスタンプひとつで終わり、次の休みの日、理由は忘れたが中途半端に出かけにくい日があり、仕方ないからとスタンプラリーの用紙を持って出て東京湾フェーリー発着所、久里浜天神社に寄ったらだんだん面白くなってきた。次の休みは頑張って浦賀の西叶神社、勝海舟断食修行の東叶神社、鴨居八幡、大泉寺、龍馬公の妻おりょうさんのお墓がある信楽寺、諏訪神社と6ケ所、次は自転車で市営の海軍戦没者墓地の馬門山墓地、初めて訪ねた馬堀自然教育園、ある日は観音崎の博物館と美術館、時間の空いた夕方に久里浜の正業寺、ラストは自転車でくりはま花の国、とうとう15ケ所全部回ってしまった。3年生の長女と1年生の次女は争ってスタンプを探して・・・せいぜい楽しんだようで何よりである。この小さな小旅行で印象的だったのは東叶神社だ。神社の裏手に山があって、この階段を何の気なしに上ると登っても登っても終わらない。(200段を超えるとか)この山、実は古くは平安末期の三浦氏の出城である浦賀城だったそうで、室町時代には後北条氏の城もあったそうで、れっきとした城跡なのである。マニアではないが、勤め人時代は出張すると空いた時間でその土地の城跡を訪ねた僕だから大変満足した。

てなことでロケハンさながらのスタンプラリーが終わると・・・薄ら寒い先日の夕刻、若い男性が店に入ってきてあれこれ物色している。店を構えてりゃいろんなお客様が見えるが、今までにお目にかかったことのない妙な雰囲気の来店者だ。すると「ここに横須賀らしい、ここにしか無いものありますか?」ときた。あんまり聞かれたことがない事柄で言葉に詰まる・・・横須賀をテーマにしてるわけじゃないからなあ・・・反対に「何を探しているんですか?」と尋ねてみた。場合によってはお役に立てるかもしれないと思ったからである。すると言いにくそうに「テレビ番組の下調べなんです」とおっしゃる。オーシャンノートは以前にテレビに出たけれど(ローカル番組だけど)、結局、資料映像の話しじゃあないが何かを上手く伝えるのは至難の業だとわかっていたので、こちらも興味は湧かないが折角だから重たい口をこじ開けて番組の正体を聞き出すとアド街ック天国だそうだ。まだ調査段階で企画になるかどうかわからないそうだが、良くあるヨコスカを外して番組が企画できるかロケハンしているのだそうだ。まあ、僕もたまに見る番組だし、少なくともロケハンの目に留まったのは光栄と思わなきゃいけないだろう。結局、思わずこれこそ半分趣味のビーチグラスやらビーチ陶片の話で盛りあがって小一時間話しこんでしまった。(いつもの悪い癖で小野寺節・・・僕が一方的に話した気もする・・・苦笑)まあ、写真を幾らか撮っていかれて、近所の人気の雑貨屋さんのことなども教えて差し上げた。いずれにせよ、当店だけでどうにかなるもんでなし、果たして横須賀のどこからどこまでで30のトピックが集まるか否や?一応予定は8月から9月あたりだとか・・・(2010,5,31)

(後年加筆:アド街は結局、上町から安浦、馬堀あたりまで下調べをして一部撮影もしたものの・・・僕も人が好いものだから商店会長まで引っ張り出してこの辺りまで数回下調べ取材に協力した・・・  ややキャッチーな部分が乏しかったらしく、結局企画は見直しで、実際の番組は良くあるどぶ板あたりを取り上げたフツーのものになった。地元住民にとっては実につまらない内容だった)

05/17 ニュージーランドのワカメ

今年は・・・それこそ気にかける間もなくアメリカスカップが終わってしまった。第33回のカップレースだったのだが事情は複雑で、2007年の32回のレース後、防衛側のスイス・アリンギに対して裁判でアメリカのBMWオラクルが挑戦チームに決定して、その上、どういう事情からかACクラスのヨットではなくマルチハルでの戦いという異例な経緯をたどって、1995年にカップを失って以来15年ぶりにアメリカがカップを奪還した。勝敗は2-0で、どういうわけやら3回戦勝負になっている。すでに次回、第34回のアメリカスカップ実行委員会はホームページも公開していて、またまた経緯がわからないが、すでにイタリアのチームに挑戦艇が決定している模様だ。裁判で!挑戦艇が決まって双方ルールに合意が出来ず、カタマラン艇(双胴艇)とトリマラン(三胴艇)の戦いなんて・・・悪夢の88年、90フィート大型艇とカタマラン艇のカップ史上の汚点とされるカップレースの再現だ。残念なことで、スポーツたるもの”節度”をもってルールを守りたいものだ。

かつて自動車のF1でもターボエンジン全盛の時代があった。それ以前は、3L自然吸気エンジンで戦っていたが、1.5Lならば過給機も使用可とのルールだったそうで、この過給機はスーパーチャージャーを想定しており厳密にはターボは禁止だったらしい。ルノーが1.5Lターボを持ち込んで、最初は誰も勝てるわけがないとタカをくくってターボを黙認してしまった。後はご存知の通り、ついには1500馬力のモンスターマシンが登場することになるわけだ。このあたりも”節度”の問題だったろうし、巷間話題になった水泳の水着も”節度”の問題だろうと思う。選手にしてみりゃ、「水着が泳いでいる訳じゃない」と言いたくもなるだろう。

どうか、アメリカスカップも誰もが納得する着地点を見出してもらいたいものだ。政治ショーをやっているわけではないのだから。先日、喫茶店ニューセントルイスの元オーナーであったAさんに映画WINDの米国盤をお貸ししたら、「すっごくヨカッタぁ」と御礼に見えた。(ちなみにお馴染みのeinenさんもWINDにはまって、ローカルなWINDブームなのである)Aさんは元ヨットオーナでいらしたのだが、当時のAさんのヨットのクルーの一人が92年のニッポンチャレンジのクルーに採用されたという話はAさんの娘さんである長女の幼稚園の同窓のお母さんからお聞きしていたが、92年のニッポンチャレンジのビデオの話をしたら、「あのビデオの最後で南波さんとやりあってるアイツがウチにいたんだよ」とおっしゃる。Aさん、このクルーを通じ92年のカップレーサーのセールの切れ端もお持ちらしいが・・・一言「やっぱ、WINDじゃないけど12メータークラスの頃が面白かったね」   F1にせよアメリカスカップにせよ、普段、普通の人間が使える道具からあまりにかけ離れ過ぎた”マシン”をヨシとすればそのゲームは廃れてしまうということを心得るべきだ。僕はゴルフもサッカーもやらないけれど、このあたりの不変の人気は幾らも違わない道具でやってるところにあるように思う。

(追記:元々、アメリカスカップはヨットクラブ間の私的な親善レースだ。1851年に英国のワイト島一周レースにただ一艇で参加したスクーナー・アメリカ号が優勝、これを称えたヴィクトリア女王から贈られた銀の水差しをアメリカ号のオーナー達が、ニューヨークヨットクラブに寄贈したことが事の発端だ。この寄贈にあたり贈与証書が作成された。乱暴にまとめれば、いかなる挑戦も受けなけりゃならないことと、双方の合意で使用艇と開催日時、場所、ルールを決めるという内容だ。10数年後、英国がフッとあの持ち去られたカップを思い出して挑戦しなければアメリカスカップというスポーツトロフィー試合は無くて、水差しはニョーヨークヨットクラブにひっそりと飾ったままだったかもしれない。このクラブ間の私的な親善レースというところが厄介で、そこが優先されるが故に組織の権限の方が下位にあるので、贈与証書の管轄裁判所であるニューヨークの裁判所で訴訟沙汰になる。いまだにカップに所有権はなくて贈与証書があるのみ、誰もイニシアチヴを持てないのだろう。大金持ちのタニマチの懐の力で優雅にやっていたレースだ、アメリカスカップで一儲けしようなどと誰も考えなけりゃいいのだが・・・逆に、一気にプロ化して、きちんとした大会にする一法もあろう。どちらにせよ、贈与証書を前に挑戦者とりえない僕ごときはおろか当事者同士以外の者がとやかく意見する筋合いも無いわけで、本来は大衆の支持などとは無縁のところにある・・・ものではあるのかもしれない。しかし、どうにも表現できない魔力というか魅力があの”カップ”にあるのは事実で、どうか、中興の祖たる人が現れて強いリーダシップを発揮して正常化するのを願うのみだ)

てなことでアメリカスカップの調べごとをしていたら、何故かニュージンランドにある2007年の第32回アメリカスカップ実行委員会(防衛チームはスイス・アリンギなのに委員会はニュージーランドにある、不思議だ)で、まだプローモション用DVDを買えるようだったので購入した。ちなみに、トップページからたどると買えないし、どうした訳かあの手この手でそのページにたどり着くことができて、しかしながらそのページが動いているのかどうかも心もとなく、おまけに決済エラー・・・メールで問い合わせても返信なし。こりゃ、もう売ってないのだと諦めていたら、ニュージーランドから郵便でDVDが届いた。以前にやっぱりニュージーランドはオークランドの海事専門の書店から絶版のアメリカスカップの写真集を買ったことがあり、これでニュージーランドからの買い物は二度目だが、僕はニュージーランドはおろか南半球には行ったことがない。せいぜいオーストラリアのオージビーフに馴染みがある程度だが、今朝NHKを見ていたらニュージランドで日本のワカメが大問題になってるというニュース。

一家揃ってワカメにはお世話になりっぱなしだから、子供達も一緒になってテレビにくぎ付けである。ワカメというのは日本、韓国、中国の沿岸の特産だそうで、元々これ以外の地域には生息していないのだそうだ。で、これがニュージランドでエラく繁殖してサーモンやムール貝の養殖に打撃を与えているのだそうだ。何と、世界の侵略的外来種にも指定されているのだ。ニュージーランドだけでなく海水の比較的冷たい地域、北米や欧州でも問題だそうだ。先般ワカメを拾っていたら、アメリカ人の一団とすれ違って「Oh Seaweeds!]なんて言って笑うので知ってるんだなあ・・・なんて勝手に思ったものの、食用にするのは北東アジアだけで、外国では害草でしかないそうだ。

この原因は、船のバラスト水(積み荷をおろした船が喫水を保つためにタンクに入れる海水)だそうで、ロンドンの国際海事機構によってバラスト水の浄化を義務づける条約が発効 される見通しだそうだ。(30ケ国が批准して、その批准した国の船籍の船の総トン数が全量の35%を超えると、その一年後に条約が発効するとのこと)どちらが良いとか悪いとかは別にして、確かに東京湾でも日本原産の貽貝に混じって南半球のパーナ貝(ムール貝の一種)が見られる。ニュージランドのワカメはDNA鑑定によれば日本からのものだそうで、こんなところにも地球規模で見れば問題が山積しているのだと気づかされた。しかし、以前日記に書いたが、マガキやシカメガキはそれぞれフランスのサンマロ湾、カナダの西海岸に人為的に移植されて大いに繁殖しても侵略的外来種になりもしない。ワカメ・・・健康には宜しいのだから皆ワカメを食えば良いのに・・・と単純なお話にもならんか・・・(2010,5,17)

05/08 ヒジキが旨い

ヒジキ2010:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

ゴールデンウィークが終われば・・・もう春も終わりということか? 連休最終日の5日は定休日だったので城ヶ島へお出かけした。天候不順の影響は道中で見て取れた。たまたま気がそっちに向いて金田から城ヶ島へ向かうところで毘沙門・宮川のところを山側の旧道を通ったのだが一面の畑はまだ春キャベツばかりで今頃収穫の真っ最中である。多くの畑は、キャベツが終わればスイカをやるのだが、当然作業は一月以上遅れている勘定でこの分ではスイカに限らず夏場も野菜の値段には影響が出そうだ。

傍から見れば、「趣味で商売をやって・・・」 こじゃれた店を構えて結構な優雅な人生に見えるらしいが(このところ近所の交番の警察官さんが”巡回パトロール”に一日一回は見えてやたらとそのようにうらやましがるのである・・・”巡回パトロール”・・・苦笑)、やってみりゃわかるが、楽なもんじゃあない。女房には悪いが家計は火の車だ(^^;;;;  で、我が家の食卓を支えてくれていたのが、オーシャンノートのお隣の八百屋さん、だるまやさんだったのだが(隣の誼で随分サービスしてくれた)、残念なことに昨年、体調を崩され廃業してしまった。そこに、この春の野菜高騰である。すっかり食卓に緑色が消えてしまった。一個200円もするキャベツやらほうれん草なんか台所事情を鑑みれば食いたくもない。この数ヶ月、我が家の健康を支えてくれたのは・・・ずばり海草である。海草は海の野菜だし、栄養分も完璧、おまけにお通じも好調にしてくれる。昨シーズンは、おととしの秋に台風が来てワカメが随分やられたためあまり拾えなかったが、今シーズンは豊漁だった。加えて以前にも書いたアカモクも食べたし(ちなみに日本海側の食い物だと思っていたら、今回、城ヶ島の磯料理屋さんの看板に”アカモク料理”の文字を発見)、このところはヒジキを極めつつある。

ヒジキは海辺にゆくと一面に干してあるのだけれど、本当はどうやって食するものか諸説ありすぎてよく分からない。まだ岩ノリ、ハバノリ、天草あたりも手を出したことがないのだがヒジキも手が出ない海草だった。第一見わけがつかなかったりする。(アカモクと良く似ている。)このところすっかりヒジキのことも良く理解出来てきたので迷わず拾える。上掲写真は、試行錯誤で女房が身につけたヒジキの処理方法である。簡単だ。まずヒジキを良く洗う。根っことか悪いところは鋏でカット。そしたら真水で茹でる。沸騰したお湯に入れると、目にもあざやかな緑色に変わる。これはワカメと同じである。ここから先が重要・・・いろんなやり方があるので迷うが・・・女房はそのまま弱火で茶色に変色するまで茹でるのだ。約30分、ものよってはもう少しかかるかもしれない。一般には黒くなるまで・・・というのが多いが女房の経験では数時間頑張っても黒くはならないそうだ。ひじきを採った時より少し濃い茶色になればOKである。で、そのまま湯を捨てずに冷めるまで(まあ一晩置けば宜しい、アクを抜く役割もあるのだ)置いておく。あとは煮物にするなり普通の乾物のヒジキを戻したように使えば宜しい。これは・・・旨い。言えば”生ヒジキ”の料理である。

干して乾物にするならば、これも色んな方法があるが上記のように茹でて一晩置いたものを干せば宜しい。生のヒジキをそのまま干すやりかた(海辺で干しているのはこれが多い)も試みたが、これは古風なやりかたで”生ヒジキ”と呼ばれるやり方に当たるが、かなり歯ごたえが強烈でそれも一法ではあるがお勧めしない。もっと言えば採ってきたヒジキをそのまま煮ちゃう方法もあって、しかしながらこいつも・・・固い!   さて、多くの土地ではヒジキに漁業権があるのでその辺に大量に生えてるヒジキ、海に入って生えてるやつを引っこ抜いたら・・・お縄になりかねない。まあ、そんなことをしなくても一荒れした翌日にでも行けばスーパーかごの一杯分くらいは拾える。もっとも、子供連れで出かけて、家の一食分(スーパーバッグの中くらいにいっぱい)くらいをいたずらで採る分には誰も何も言わないと思うけれど・・・

お陰ですっかり海草三昧、小野寺家は65年程前に無くなった庄内竿の竿師だった祖父(2007年日記に少し記載)、存命中の父、どちらもおつむはツンツルテン・・・僕は若い時から自らを待ち受ける運命に暗澹たる思いを持っていたのだが、この海草のせいだろうか・・・40代後半になっても未だその気配はない。やっぱり小さい頃母に良くいわれたように橋の下で拾われた子なのだろうか・・・苦笑(2010,5,8)

04/29 10年振りのコックコート

コックコート:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

何年振りだろう・・・久しぶりにコックコートを着て料理人の一日、朝9時から食材の買い出しに出て夜の8時近くまで、ほぼ半日の重労働?である。横須賀第一キリストの教会の牧師、横溝先生は子供達が通っていた幼稚園の講師さんだった関係で知己を得ることになったが、現在は女房が横溝先生主宰の子育て支援活動”ラミークラブ”のお手伝いをさせていただいていることなどもあって子供達が幼稚園を卒業した今もお付き合いが続いている。”ラミークラブ”の何たるかを未だに僕は理解しきっていないが、それでも活動開始から5年、毎週親子で20名ほどがコンスタントに集う活動になっているそうな。昨日は、今年度の活動の最初のスタッフミーティングとのこと、折角の6年目スタートを迎え、ひとつささやかな食事会を開こうということで料理の調製を仰せつかったというわけである。横溝先生はお酒をたしなまないし、教会の建物内自体が保険の関係で禁酒禁煙とのことで、お酒を飲まない場への調製とい異例な設定、おまけにウチの子供達も参加するので僕の大好きな唐辛子を使わないメニューだ。

前菜
豚シャブのピッツエリア風
イカとタコのナポリ風煮込み
ローマレタスとセロリ・イワシと黒オリーブとケッパー風味
生ハムとキウイ

ピアット・ウニコ
トマトソースのスパゲッティ
ボローニャ風スパゲッティ
ブロッコリーのスパゲッティ・アンチョビ風味

ドルチェ
ナタデココとバニラアイス五香粉風味

教会のキッチンには道具にも限りがあって、大好きな茹で豚のトンナート(ツナのソース)が出来なくって思いつきでフレッシュトマトとモッツレッラのサルサを作ったのは好評、予算に限りがあったのでオイルサーデインもキングオスカーではなくてモロッコ産の大ぶりなイワシになったとか小さな予定外はあったものの、用意したメニューを全部こなせない程の全員満腹、これまた思いつきで家に転がっていた五香粉(中華料理のウージャーフンまたはウーシャンフェンです)をアイスに振りかけたのは大正解、考えてみれば五香粉の主成分は桂皮=シナモンだから美味いわけだ。

料理の鉄人に挑戦する夢は叶わなかったけれど(梅宮辰夫さんが出た時は、本気でいつか俺も・・・と思ったものだ)、新しいリチェッタの料理が上手に出来れば今でも気持ち良いもの、料理に使う想像力は脳味噌も使う場所が違うから今日も一日気持ち良く過ごせた。たまにコックコートを着て気合いを入れて料理を作るのも悪くない。(2010,4,29)

04/25 続・読書 赤いペガサス

赤いペガサス・汚れた英雄:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

乱読雑読でどれだけ本を読んだことだろう。前回の店長日記では老眼に鞭打って持ち込まれた本の読破に難儀している由認めたが、逆に長いこと僕の座右の書といえるのが恥ずかしながら上掲3作である。

古田足日さんの”もぐら原っぱのなかまたち”。1968年初版から40年、2008年現在驚きの132版もの版を重ねる名作だ。先ごろ、手元に無くなって久しかったところ長女に新本を買ってあげて久しぶりに読んだがやっぱり胸がキュンとする。挿絵も昔のまま、ただ函入りでは無くなった。僕がこの本を初めて読んだのは小学校4年か5年、読書の時間(昔は時間割に読書の時間があったと記憶)に学校の図書室で読んだのが最初だ。初版発行から4-5年目あたりだったろう。確か時間内には読めず、別の時間にわざわざ図書室に行って完読したと記憶している。わざわざ図書室に行って・・・なんていうのはこれが最初だったし、それほど読みたかったのだろう。この僕の通った小学校もこの3月で廃校になってしまって・・・廃校になった今だから白状するが、僕は5年生の頃”もぐら原っぱのなかまたち”を図書室から借りて、返却して、また借りて・・・を何度か繰り返し、最後にはとうとう学校に返却しなかった。ちゃんと最後に借りたのは僕になっているはずなのに、何故か学校から何も言ってくることは無かったし、大学時代でさえ気が向くと手にとったもので、その頃住んでいた家が建て変わるまではきちんとあった。その後引越しのどさくさで行方不明だが・・・僕はふとした会話の中やお酒に酔ったりすると良く”空中を歩く方法”の講釈を垂れることがある。空中に右足を出したら右足が地面につく前に左足を前に出す、その左足が地面に着く前に右足を出す・・・これを繰り返せば空中を歩ける!(笑)この話・・・実は”もぐら原っぱのなかまたち”の4章”なくしたかぎ”がネタ元だと久しぶりに読んで気づいた。

少年サンデーを欠かさず買っていたのは小学校3年くらいだったか・・・一年間欠かさず買ったものの、結局、漫画雑誌は分厚くて置いておく場所がないことが分かって買うのを止めてしまった。それが漫画であれ「本を捨ててはイケナイ」というのが母の厳しい教えだったからだ。その後は、読みたいものだけを立ち読みすることにしたが、欠かさず読んだのはサンデーに連載された”赤いペガサス”である。中学2年か3年の頃だったと思う。ただ、連載で読むには内容がディープで自動車の知識に乏しい僕にはハードルが高かった。近所に文化堂というコミックを沢山置いている本屋さんがあり所謂単行本でじっくり読んで(この本屋さんは子供達から”立ち読み専門店”と呼ばれていた。でも、お陰でどれだけ漫画を読めたことか・・・感謝)だんだんF1レースのことが理解できるようになってやがてある種の畏敬を感じるようになった。一方、現在の富士サーキットで初めてF1日本グランプリ(76年)が開催されてもまだ日本人にとっては遠いアッチの世界だったように思う。高校から大学にかけては家から自転車で5分くらいのところに漫画を沢山置いてある喫茶店に通ったもので、この時代に飽くことなく深く何度も読んだのがやはり”赤いペガサス”だった。1980年前後、まだ後に愛読するRacing Onはまだ創刊されていなかったが、驚くなかれ1966年に開発されたコスワースDFVエンジンはまだグランプリで使われていた!し、ウィングカー=グランドエフェクトカーも現役だったから”赤いペガサス”の世界はリアルそのもの、むしろ”赤いペガサス”はF1の教科書とも言えた。とまあ、いろいろあったとしても所詮レーシングドラバーを夢見るわけでもなく、僕が”赤いペガサス”に惹かれたのは・・・第15話、ブラジルGPでトップ走る主人公ケンは観客が投げたコーラの瓶をフロントグラスに受けてクラッシュ、そのことを誰にも言わないケンにある少年が「なぜみんなにあのビンのことを話さないんだ?・・・ブラジル国民のきたない妨害がなければ、オレが優勝していたはずだと!」と問われ・・・「いいかい・・・たとえどんな時にマシンの前に障害物がわこうと、F1レーサーはそれをかわさなくちゃいけない。さかなが水中を泳ぐようにマシンをコントロールできなければならない!だから・・・F1レーサーが他人のせいで事故をおこすことはない!すべて自分のミスさ!

中学の頃、小峰元の小説にゾッコンだった。青春推理小説という触れ込みだったが、アメリカ文学的なある種の無常観とさわやかな読後感がたまらなかったのだ。ところが、同級生に大藪春彦を愛読しているマセた奴がいた。その影響で大藪作品を何の気なしに手をとって、それはそれで一時ハマってゆく訳だが、角川文庫で読み進むうちに1969年発表の”汚れた英雄”に行き着いた。これは、今に至るまでまさに手放さず風邪で寝込んでいる時や、新しいことに挑戦する時・・・節目節目でいつも手にとってしまう。1960年代初頭のグランプリ(2輪)が舞台だが、そのメカニックの細かい描写とかホンダの活躍など読みどころはいろいろあろうが、北野晶夫が我が身の才能と努力、そして何よりも己の信念で人生を上り詰めてゆくところに惹かれる。・・・俺は金も無いし、育ちも悪い。だけど、乞食じゃないから物乞いはしない。欲しいものは奪い取るだけだ・・・言葉は暴力的だが、何物にも頼らず信念を貫いてゆく生き方は強烈である。読み返す度の我がヘナチョコ振りを恥じるばかりだが・・・

僕はギャンブルは一切やらない性質(宝くじだって2回くらいしか買ったことがない)だが、ギャンブルに負けない方法というのを聞いたことがあって、それはかなり単純・・・勝つまでやる・・・のだそうだ(笑) 大切なのは信念ということ、総理!わかりますか? (苦笑 2010,4,25)

04/22 読書 横須賀学の会の本

横須賀学の会・デッカーさんの本:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

このところ、どうした訳か本を持ち込まれる方が続いている。ご近所の床屋さんのアベカワさんは放送大学を御卒業した時の卒論”氷河期の気候変動の原因についての考察”、市会議員のねぎしかずこさんは”日米同盟と戦争のにおい”、横須賀学の会の大橋さんは”黒船の再来”の翻訳原稿・・・どれも門外漢である僕には随分キビシイ内容、重ねて老眼の進行が強烈ですっかり活字に弱いのでなかなかはかどらない。何で皆僕に読ませたがるんだろう(苦笑)・・・まあ、ねぎしさんについて言えば、僕ごとき無教養な人間が知識人たる議員さん相手に勝手に主義主張の持論を展開したりしたもんだから、ねぎしさんにすれば「もっと勉強なさいっ!」くらいのお気持ちなんだろうと思う。ちなみに僕は一介の商人だから無思想、無宗教、無党派である。(笑)

さて、横須賀では横須賀学の会がご活躍である。(以前にも日記で書いた)オーシャンノートから歩いて5分くらいの小高い丘に中央公園という公園がある。ここから東京湾を眺めるように鎮座するのは、米軍横須賀基地第4代の司令官デッカー大佐の銅像だ。実は今時の横須賀では、小栗上野介やレオンス・ヴエルニーの銅像に頷く人は居ても、デッカー大佐の銅像を見て、それがどういう人で何をした人なのか、何で銅像までこしらえたのか知る人は少ない。まさに風化しているお話なのである。

結論から言えば、デッカーさんは、今は横浜にある栄光学園や横須賀学院、聖ヨゼフ病院、衣笠病院の開設、”横須賀”の民主化に尽力した方である。その日本での仕事を振り返った回顧録が”Retuen of the Black Ships”で、420ページにも及ぶ大冊は1978年にアメリカで出版され日本の関係各所にはデッカーさんから贈呈されたらしい記録もあるのだが、翻訳されることもなく忘れ去られた存在になっていた。しかしながらその内容は、まさに日本の民主化の夜明けといった観点からも一級の資料である。マッカーサーやらGHQについてはしっかりとした研究がなされているけれど、一介の基地司令官の回顧録といことで片づけられていたのだろう。

さすがこの辺が横須賀学の会といったところか、約3年前、去年やっていたウワマチナイト(オーシャンノートでの月例パーティ)の唯一の皆勤者でもあるIさんが、たまたまこの原書を見つけて会に持ち込んだところ、稀有な史実を目の当たりにして「ヨシ、翻訳して翻訳本を出版しよう」となったそうで、去る3月一杯で翻訳が完了したそうだ。実際の出版までは、デッカーさんご本人は亡くなっており原書の出版社も解散しているとのことで著作権や翻訳権のあたりが未解決でもうしばらく時間がかかるのだそうだが、とりあえず成果物として翻訳原稿を資料の形で製本したのが僕の手元にある本だ。

僕は横須賀学の会のメンバーでも何でもないが、常々、オーシャンノートは文化の発信拠点でありたいと願っているので(願っているだけで・・・理想は高く現実は厳しく・・・苦笑)、去年も講師として協力させていただいたし、諸先輩方にお教えを請う機会もあるだろうと考えたりしている。(2010,4,22)

04/09 北野武 A Scene at the Sea

北野武 あの夏、いちばん静かな海:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

1991年公開、北野武監督の3作目”あの夏、いちばん静かな海”、脚本上の設定は承知しないが撮影されたのは横須賀ということで知られるが、これがまた我が家からはすぐ近くである。だからどうだということではないが、丁度、1990年の夏に横須賀に移った僕にとってはとても懐かしい風景の連続なのである。ちなみに、「サーフィンのシーンは千倉」ということであまり知られていないようだが、大会に出るところを除いては練習をしているところは湯河原・吉浜のはずだ。僕は子供の時から伊豆方面に魚釣りに大層出かけたものだから、不思議なもので湘南から西湘、伊豆の伊東あたりまでの海岸を見れば大体どこらへんか判る。

”おれたちひょうひん族”というテレヴィ番組がエラくウケていたが、北野武さんはタケちゃんマンだったし、片岡鶴太郎はカメラに向かってお尻の穴を丸出しに、長野智子さんも結構愉快なキャラだったように記憶している。それが北野氏も片岡氏もゲイジュツ家、長野さんもニュースステーションでシリアスな報道を鋭く現場リポートしている。

この”あの夏、いちばん静かな海”という映画は、当時なかなか高い評価を得たそうだが(故淀川長治さんにいわせれば「日本映画で一番好き」だったとか)、あいにく今も昔も映画に殆ど興味が無い僕は見たこともなかった。確か3年くらい前CATVで放送されていたのを見て「横須賀だ!」と興味を持った次第、この度、思い立ってDVDを買ってじっくり見た。キタノブルー(キタノブルーはきっとヒロシゲブルーから来ているに違いないだろう)に彩られた映画は気持ち良いの一言。そして僕にとっては、丁度引っ越してきたばかりの横須賀がたくさん映っていて胸キュンに尽きる。いつの間にやら・・・生まれ育った東京・中野で暮らした時間と、横須賀に住み始めてから今日までの月日もトントンになりつつある。終の住処になるかもしれない。

主人公がサーフィンを始めるきっかけになる捨てられたサーフボードを拾うのは、横須賀青果市場から少し東に来たあたり、そして何度も出てくる二人でサーフィンに出かける猿島が背景にあるシーンは現エイビイ大津店が空き地だった頃、そこを過ぎると馬堀海岸も出てくる。二人を馬鹿にする友人たちがサッカーをしている空き地も現エイビイ大津店の空き地で、道路の向こうのカニ料理のカニの甲羅本店は今も変わらず、横のフライングガーデンは建て替えられた。

何でも、その前年に公開された”稲村ジェーン”を見た北野監督は「こんなんでいいなら、オイラがサーフィン映画を撮ってあげる」と言ってメガホンをとったのだとか。今やフランスで勲章を受けるゲイジュツ家になってしまった。

馬上少年過
世平白髪多
残躯天所赦
不楽是如何

(2010,4,9)

04/04 タカラガイのゴマちゃん

タカラガイのゴマちゃん:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

「ビーチコーマーです」なんて名乗るほど学究的に取り組んでいるものでもないが、海に行っていろんなものを拾うのは先般も書いたとおり大好きだ。定休日の水曜の夕食は僕が作るが、その後はナニコレ珍百景なるテレビを見るのが習慣になった。その中で毎週ではないものの俳優の岡本信人さんが出てきて野草のテンプラを作るのだが、キメのセリフは「皆さん、どんなに美味しそうな野草でも、知らない野草は決して口にしないでください」である。およそ、味や食感はともかく、食えない海藻は無いと思うが、先般ビーチグラス採集に行ったとき(そういえば一年振りに赤いビーチグラスをゲットした)、季節柄ついついビーチグラスそっちのけでワカメに手が出てしまったのだが、この行く手をさえぎるのが砂まみれになった細い海藻。ヒジキの細丸の葉を開かせたようなもので、こいつに絡まったワカメを外そうとすると細かくまぶされた砂が手指にえらく痛い。まるで50番くらいのサンドペーパーでこすられているようだ。邪魔な海藻と思っているとそれを集めているご婦人がいる。聞けば”アカモク”という海藻でサッと茹でて細かく叩いて食えるのだという。食えない海藻はないとは思っていても、ナニコレの岡本さんの教え通り、腹が痛くなっても困るから知らないものには手が出ない。しかし、食えると聞けばやってみるしかない、早速女房が言われたとおおりに料理すると中々の美味だ。味はメカブと良く似ている。少しだけ苦みがあるだろうか・・・調べると、日本海側では一般的な食材だそうだ。”アカモク”でググってみればいくらでも出てくるのでどうぞ試してほしい。

それは朝から葉山をブラブラした日のある晩、家に帰るとキーボードの前にタカラガイが置いてある。よーく見ると、目が2つ鉛筆で書いてある。思わず微笑みがこぼれる。タカラガイは冬の相模湾で良く打ちあがる。黒潮の影響で相模湾まで流れるのだが死滅回遊魚(ルアーやってる人ならメッキがそうだし、伊豆や房総半島で見られるチョウチョウウオは死滅回遊魚だ)と同じで、南の海から流されて来たものの冬の寒さで死んでしまうものが多いのだ。これが打ちあがるわけだが、その日の葉山は見たことないくらいタカラガイが沢山あがっていた。次女は黙ってコツコツ拾っていたようで、家でこれを洗って乾かすと、やおら鉛筆を持って目玉を書きいれたのだという。これは・・・カワイイ!次女の作ったものをそのまま店に置くのは悪かったので、後日僕もタカラガイを拾って(やはり打ちあがる日は大量にあがるもので、件の葉山以降大量に見つけられる日はまだない)、「センセイ宜しくおねがいします」ってなもんで、次女にお願いして鉛筆で目を入れてもらう。不思議なもので、次女が書きいれた位置が良いのであって、真似をしてみても全然可愛くならないのである。で、その鉛筆書きの目玉をマジックで上書きするというわけだ。

すごく小さくて目立たないのだが、店先でヒソヒソ、キャーキャーいっている声が聞こえる。ただ飾るのも何なので、タダみたいな値段だけは付けてはいるが売る気はそもそもない。皆、自分で海に行って拾ってくれば良いのだ。いわば次女の作品展だし(苦笑)、アイデアの提供だ。そういえば、ビーチグラス、これも以前に東京じゃあ天然モノ(笑)1キロで2000円だとか聞いたので、ワインの空きビンに入れて一応値段を付けているが、なんだかんだとからむお客様もいて、そんな時は丁寧に言葉を返す。「別に買うもんじゃないですよ。どうぞご自分で拾ってください」・・・やってみれば良いのである。ただし・・・ワインの空きビンに入るビーチグラスは小さくなきゃいけないから拾うのは大変だ。やってみれば良いのである・・・750ccの瓶をビーチグラスを満たそうとすれば、2時間や3時間では足りない。腰が立たなくなるまでやってみれば良いのだ(笑)  (2010,4,4)

03/12 横須賀平坂・3月

横須賀ストーリー:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

3月はお別れの季節だ。期せずして鎌倉の大銀杏が倒れてしまい高校生の頃悪友たちとそこで公暁ごっこをして以来、そこにあるのが当たり前のものが突然無くなることに淋しさを禁じえない。さて、オーシャンノートは横須賀の上町という土地にあり、横須賀市の中心、京浜急行の横須賀中央から歩いてジャスト5分だ。ただし、この5分は結構な5分で、駅を出て海側と反対に向かうのだが、平坂という急な坂道がひかえている。何度かオーシャンノートにお運びいただいているウィルクハーン時代の上司のTさんは「全然平らじゃない平坂」といつも嘆く。それでも昔よりは平ららしく、何でも計画はとん挫したものの衣笠まで路面電車を走らせる計画があったそうで、その時に幾らか坂をなだらかにしたのだとか。確かに明治時代の絵図を見ると、まるで階段のような平坂を見ることができる。

そんな平らじゃない平坂を毎朝登って、めぐみ幼稚園に通う次女と同級のY君とも今日でお別れである。Y君は平坂から上町の商店街でもお馴染みで、オーシャンノートで挨拶して畳屋さんで挨拶して、お惣菜屋さんで挨拶して・・・素晴らしいキャラクターで皆を和ませてくれた彼も幼稚園は今日で最後、あさっては卒業式だ。そして、毎日オーシャンノートの前を通り、平らじゃない平坂を下ってゆくめぐみ幼稚園の園バス・・・こいつに我が子が乗っているのも今日が最後だ。長女と合わせて都合4年間、毎日とまで行かずとも手が空いていれば手を振っていた園バスには、4月から我が子は乗っていない。

そんな平らじゃない平坂・・・先日の商店会の寄り合いで市役所が横須賀のおみやげコンテストをやっているという話が出た。で、昔、さいか屋で小泉カステラとかがあった話から上町界隈には有名人はいなかったなぁ?ということになって、あれこれ話していると「そういえば、山口百恵の横須賀ストーリーの中の”急な坂道”は平坂のことだョ」と花久のご主人がおっしゃる。横須賀じゃ有名な話だそうだが何せ昭和51年の曲である、僕は中学2年くらいでその頃横須賀には無縁だったからそんなお話知る由もない。もちろん、山口百恵さんが横須賀の出身であることは知っていたが、商店会の皆さんは流石に良くご存じで「イリチュウの出身なのよね」とか「市営住宅に住んでいて」とか・・・で、花久のご主人に「会ったことありますか?」と尋ねると「いや、ない」・・・それはそうだ、横須賀にいるころの百恵さんが有名なわけでもなく、花の一本を買ったとしても憶えちゃいないだろう。イリチュウというのは不入斗中学校(イリヤマズと読む)のことで、市営住宅というのは不入斗公園の西側の鶴が丘の市営住宅のことだ。

横須賀ストーリーの中の”急な坂道”が平坂のことか、それとも特定の坂を言っているのかは、実は阿木燿子さんに聞かなきゃわからないことらしい。平坂だと言われている根拠は上町の向こうに住んでいた百恵さんは平坂をいつも通っていたはずだということから来ている。でも待てよ・・・山口百恵さんは昭和34年の生まれ、坂を上って海が見えたというのが子供の頃を指していたら、例えば10歳前後と特定すれば昭和44年あたり、今は平坂からは海は全く見えない。昭和44年頃は海が見えたのだろうか?

こういう時は地の人に聞くに限る。御祖父は横須賀市長も務められ、先日の寄り合いにもおられた釜屋さん(上町の創業100年組!の一店)に聞いてみた。「見えたよ。市役所ができたのも昭和50年代後半だし、百恵さんがいた頃は見えたよ」とのこと。ここで、異説・・・ネットでそのことを調べると、一説には海を見たのは深田の高台(上町のすぐ上だ)にある中央公園からであって、中央公園に向かう坂のことだろうとも言われているらしい。でも、どちらかと言えば、中央公園の下は断崖絶壁だからこれからも海が見えなくなるのは考えにくく、”今も海が見えるでしょうか”という詩の意からすれば平坂説の方が合ってる気がする。ついでに言えば、詩が書かれた昭和51年頃は・・・平坂からまだ海が見えたかもしれない。でも釜屋さん曰く・・・「横須賀はどこに行っても坂だらけで、坂をちょっと登れば海は見えるからねぇ・・・」 

時の流れがシュールな3月である・・・(2010,3,12)

02/24 Libretto ff1100V 復活

Libretto ff1100V:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

クイーンメリー2、日本寄港の余韻はまだ冷めない。追っかけクルーズのお客様提供商品調達を協力させていただいたトライアングル社のご紹介で見えるお客様もちらほらあるのでついついその話題が多くなるし、特にウェブで販売していない店頭販売のみのDVDは皆様大変喜んでくださる。

さて、僕は、シスアドの資格(すでに制度は改変されたそうな)は持っているものの、どちらかと言えばメカには弱い方なのだが、今月は女房が手伝っている教会の子育て支援の伝手で元小学校長のH先生のパソコン買い替え指南役をさせていただいた。H先生のPCは数年前に落雷でLANボードが壊れてPCカードからネットにつないでいる状態で、このままではいつダウンするかわからないので買い換えたいとのこと。なるほど、その影響かいままで見た中でも桁外れに遅いPCで、起動までに5分以上、IE8がつながるのに10分くらいかかる。その時に判断できれば良かったが、これはLANボードからこっちもイカれていると思わざるを得なかった。新しいWindows7機が届き、これがまた国産家電メーカーのPCだったので例によって不要なアプリを削除し、新規にウィルス除けのルーターを噛ませてLANをつなぎOSをアップデートしてHDDの掃除、メール設定をして作業は順調に3時間弱で終わった。(我ながら丁寧な作業だ。プロバイダや量販店の設定屋さんを呼んだってこんなにはやってくれんだろう)で、古いXPのマシンを預かって帰って翌日早速メンテだ。リカバリすれば手っとり早いが、どこまで雷にやられているかわかずリカバリが不安なのでいわゆる軽量化をはかる。常駐アプリと不要なアプリを削除。少し良くなった。メールのアカウント停止してOEも停止。ドキュメントは不要とのことで削除。2つあったログインアカウントも管理者のみにする。無論作業ごとにクリーンアップ再起動、デフラグの繰り返しだ。結局丸一日掛かりで・・・起動65秒、IE8でYahooトップページ表示まで25秒・・・見事、普通のXPに蘇った。雷はLANボードを壊しただけのようでは・・・ある。

そんな風に、他人様のPCのお世話をしていたら、店内の映像デモをもっと充実させたくなった。最初に書いたが、店でしか見られないマル秘DVDは、そんな怪しいモノほど内容が素晴らしくあるものだが、それこそ店だけでは流していないと存在さえゼロになってしまう。ショーウィンドウにポータブルDVDプレイヤーに見切りをつけて買ったMebius、入り口から一塁ベースあたりに仕事のバックアップマシーンでもある旧メインマシンのDell、三塁ベースには中古の富士通を新しく買った。モニタ付きで5000円ちょっとだったが新品同様のXPマシン、メモリが256Mだけど映像のデモには充分だ。僕は元々、映画などにも興味の薄い人間なのだが、こう正面、右、左と映像が流れていると不思議なもので店内中央のショーケースが鎮座する二塁ベースあたりが寂く感じる。ショーケースは450mm角くらいで大きなものは置けない・・・ついに12月30日に大往生したLibretto ff1100vの復活に挑戦することにした。

12月30日のLibrettoの大往生は、素人判断ではHDDのクラッシュと思えた。HDDの破損はそうそう劇的に音がでるものではないが、LibrettoにはFDDも他のドライブもないので、”ギャーギイッー”という音はHDDのクラッシュからしか出ようがないからだ。早速、HDDの調達を調査、2.5インチ、9.5ミリ厚(オリジナルは8.9mmだが手に入らない)の東芝製HDDである。40G、80Gに換装する方法もあったがオリジナルの6.4Gでは寂しいので安いこともあり10Gにした。別にLinuxを入れるわけでもなく、ドキュメント類をそこに保存する必要もないのだ。平行してHDD換装後のリカバリを調べる。何せウィルクハーンからこのマシンを引き取った時、マニュアルもなかったし、リカバリして個人で買い取って引き取るために、リカバリディスクも外付けの東芝CDDも自分で秋葉原で買ったのだ。(今から6年ほど前で10000円くらい掛かった記憶がある、Libretto自体、20数万円もするスーパーマシンだったから大した金額ではないかもしれないが・・・)Librettoは普通にはリカバリしにくいマシンで知られていて、調べるのに苦労したが、DOS起動で純正のCDDをBIOSで起動する方法をネットの書き込みで見つけたので助かった。純正のCDDならばBIOSでCDDからリカバリできるのである。(F2 KeyとかではなくC Keyを押しながら電源を入れるのである)

準備が整えば・・・バラす!僕は父が電気屋さんをやっていたわりにメカは苦手で、未だに電気を触ればビリビリするといった程度の知識しかない。中学の頃、友達から借りたラジオを勝手に改造してアンテナを付けたとき言われたのは”壊し屋”・・・これじゃ電気屋さんを継げなかったわけである。老眼に鞭打ってLibrettoをバラす。Librettoは一応HDD換装のハードルが高い機種だそうである。キーボードを持ち上げフレキシケーブルを慎重に外し、裏のネジ外せばモニターケーブルを抜いてモニターが外れる。モデムを外してマザーボードをケースから抜き出す。あとはマザーボードにHDDを固定しているネジを外せばHDDがマウントごと外れる。交換して組み立てはその逆だ。バラすのに1時間、組み立てに30分・・・意外に簡単だ。リカバリも問題なし、かつてはLANカードのドライバをインストールするのに苦戦した覚えがあったが、CDDはドライバ無しで動くことを知ったのでネットワークの設定も楽勝、XPでネットワーク設定用のディスク(実際にはスマートメディアという、昔のデジカメに使われたメディアを利用、このメディアのスロットがあるのはこの機種だけだろう)を作って完了。自分で言うのも何だが、器用なもんである!(笑)

Libretto ff1100vをバラして気づいたのはメモリが増設されていたこと。以前に始終チェックしていなかったが標準64Mのものが128Mに増設されている。本体自体、当時の実売価格が20万前後、メモリは64Mが標準だが上限の128Mにするには64Mの専用増設メモリが要る。こいつが・・・驚くなかれ定価80000円である!今時、増設メモリなんざ1Gでも5000円だ。このマシンを買ってもらった当時、ウィルクハーンの営業席は狭くて、2人の営業マンには普通のデスクがあったが、僕は管理職だから半分のデスクで良いことにして700角の小さいデスクで仕事をしていた。社員全員にPCを買うことになった時、今は某大手文具メーカーで広告宣伝をやってるPC調達担当になったM君に要求したのは「ちっちゃなPCでいい」ということだった。当時、会社の収益がどんな状況だったが忘れたが、PCオンチだった僕のために4万も5万もする増設メモリをM君が付けてくれたこと、今更ながら彼の真面目で誠実な人柄には頭が下がる。僕は自分にも他人にもそうだが、何かをやるならば結果はどうあれ精一杯やらねば気がすまない。でなければ、最初からやらねば良いのだ。M君には、僕も若気の至りで、時に厳しすぎる接しかたになったと反省もしているが、彼と二人で成しえた様々な結果には今でも満足している。そのことは僕と彼にしかわからないことだ。そんな昔の一生懸命・・・そんなかけらが思い出のLibrettoに垣間見えた。(泣)  (2010,2,24)

02/19 クイーンメリー2を見た!

クイーンメリー2_20100219:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

トライアングル社のクイーンメリー2お出迎えクルーズに行ってきた。昨年に続き乗船客の皆様へのプレゼントの調達をさせていただいた関係でスタッフ扱いで船に乗せていただいた。今回は0400集合、0415出帆の予定だったが、浦賀水道入航及び大黒埠頭着岸の予定が遅くなったので昨日のうちに0500集合0515出帆の連絡をいただいており、それでも0330には目覚めて逸る気持ちを抑えつつチャリンコで三笠桟橋に着いたのは0435頃、すでに30名程の先客がいた。今回のクルーズの募集は出足こそ鈍かったもののお出迎えクルーズ、お見送りクルーズ合わせて180名、定員一杯の盛況ぶりだ。

トライアングル社では逐次、観音崎の海上交通センターとクイーンメリー2で交わされるVHF無線を傍受していて刻々と浦賀水道入航の情報が伝わってくる。少し遅れているようだ。さあ、出帆、中の瀬航路入口に向かって最大船速、危険な浦賀水道出口を一気に突っ切り丁度、中の瀬航路左舷側中の瀬の上あたりでクイーンメリー2を待つ。第二海堡の向こうからクイーンメリー2がやってくる。中の瀬航路に入航したクイーンメリー2は右回頭、自然に右舷にクイーンメリー2を見る体制で並走、鶴見航路に入ったところで右180度回頭して船尾側を回りクイーンメリー2の左舷側に回る。船速を落としたクイーンメリー2の先回りをして大黒埠頭まで行く。海保はのんびりやっているが水上警察は割って入って近づけないようにしてくる。接岸作業に入るとクルーザーやら他の遊覧船やらで大混雑、水上警察は少し下がれと拡声器で言ってくる。

僕がこの目で見たかったのは、マストの日の丸だ。朝早いのに11番デッキのスターン側には乗船客が居て、思わず手を振ったら手を振り返してくれた。それにしても、このオーラは何だろう?たった一隻でオーシャンライナーの伝統を守る故の貫録だろうか?神々しいとしか言えない。

昨年と違い寒くはあるものの天候には恵まれた。少し接岸が遅れたお陰で真っ暗ということでもなかった。それに気を良くしたか、トライアングルはノリの良い若い会社だから、大サービス!クイーンメリー2と別れた後は、そのまま鶴見つばさ橋をくぐり横浜港へ・・・赤灯台を越え大桟橋に・・・大桟橋にはナッチャンReraがいるのだ。氷川丸をしり目にベイブリッジをくぐると三菱重工の本牧造船所には改装中のにっぽん丸・・・三笠桟橋に着いたのは0900過ぎだった。

来年もクイーンメリー2は3月10日(木)に横浜寄港の予定だ。トライアングル社では、一応・・・今年が最後と言っているが・・・来年もこの企画をやるのなら・・・乗りたいッ!これは、おすすめ絶品企画である。そうそう、右側の写真は当社で調達したプレゼントの贈呈、さて来年も御用命あずかるとしたら何を調製しようか?こんなことも楽しみだが・・・とにかく、クイーンメリーには・・・言葉も出ない。きれいな船である。(2010,2,19)

Ocean-Note, Queen Mary 2, Dan Cosgrove 2005

02/16 初代観音崎灯台のレンガ

観音崎灯台のレンガ:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

灯台という建造物には一片ならぬ思い入れがある。もっとも灯台といえば、僕が勝手に師匠と思っている灯台太郎こと山口さんのライトハウスキーパー(江の島すばな通り)がデンと構えておられるし、それこそここに集まる人々は筋金入りの灯キチ(失礼!)ばかりだから、「灯台ってえのは・・・」なんて一席ぶつことはとてもできはしない。しかし、オーシャンノートという仕事を始めたきっかけをひとつあげるなら京急観音崎ホテルが運営していた頃の観音崎・レストラン”MATERIA”で見つけた観音崎灯台の模型と思っている。真ん中の写真に写っているものだ。この模型の出所を調べるうち、山口さんと知り合いオーシャンノートの立ち上げに当たってはいろいろと相談させていただいたものだ。先日はお知恵拝借で掛けた電話でそんな昔話をしたら山口さんは「恨んでいない?」と笑いながらおっしゃるが、もちろん身入りは悪く苦労も絶えないが恨むどころか感謝している。

さて、ポスター類ではなかなか灯台の良い作品に出合えない。フランスのジーン・ギチャードやフィリップ、ギロームのプリソン親子にしてもこのところトンと新しい作品がない。それならば・・・自分で作ってしまおうっ!と試行錯誤を重ねて制作に励んでいるのがオリジナルアートシリーズ(限定品、販売終了しました)である。船の写真をイラストタッチで描き直したものを出発点に、灯台シリーズはまた表現方法を変えて作っている。無論、感の良い方ならおわかりの通り、ヒントになっているのは鈴木英人さんの技法だ。簡単に言えば、写真から必要な輪郭だけを抜き出して、その輪郭を墨線として残して塗り絵をすると思えば良い。ただ、一枚仕上げるのは100時間ほど時間がかかる。で、この作品をえらく褒めて下さったのが先般も日記で書いたニューセントルイスの元オーナーのAさんだ。(ちなみに御近所の生粋のスカッ子さんたちとその話をすると、皆「ああ、ニューセンねぇ」とおっしゃる。聞けば初代のニューセンのオーナーは横須賀一の遊び人として知られていたそうであこがれの的だったそうな)そこで教えてくれたのが、日記でも書いたとおり、「観音崎の磯じゃあ旧横須賀製鉄所のレンガが拾えるぞ」とのお話。早速、家族四人で実践した。

あった、あった、ありました。残念ながら、未だ完全な形のものは採取に至らないが、モルタルのついたレンガ・・・このモルタルを慎重にタガネではがすと・・・”ヨコスカ製鉄所”の刻印。(ちなみに鉄は古い字で金へんに夷である)まあ、Aさんが拾ったころからは数十年下っているからはっきり言ってゴロゴロころがっているわけではない。相当少ないといって良いだろう。それにしても、調べれば明治元年(1868年)のレンガだ。142年前に作られたものだ。

御存知のとおり、開国した幕府は江戸条約(1866年)に基づき、全国に8基の洋式灯台を建設することになる。当時幕府が近代化の技術顧問として雇っていたのがフランス人技師レオンス・ヴェルニーでヴェルニーの見立てで横須賀に造船所が作られた。当然、そこには何にもないわけで、まずは西洋式の建物を作るために造船所に設けられた製鉄所ではレンガを焼き西洋式の建物を建てたというわけだ。そしてこのレンガはヴェルニーが設計した条約灯台のうちの4基、観音崎、野島崎、品川、城ケ島の灯台に使われたのである。この4基のヴェルニーの灯台、いずれも地震で倒壊してしまった。さて、明治維新後、横須賀製鉄所は海軍省の管轄となるのでそれ以降(明治4年以降)はレンガは海軍省の刻印に変わったそうだから観音崎で採取できる横須賀製鉄所のレンガは間違いなく初代観音崎灯台のレンガだとわかる。

当時のレンガは薪で焼かれたので、焼成温度が800度程度と低く、小海(今の12号バース付近、米海軍空母の接岸するあたり)あたりの土が使われたそうで黄色っぽいのが特徴だ。石炭を使って1200度で焼成できるようになったのは後のことで、はっきりしているのは明治20年に横浜に設立された日本煉瓦ではきちんとした煉瓦が焼かれたとのことだ。

さて昨夜は久しぶりにAさんが来た。もちろんレンガ採取成功はお知らせしていたので、検分方々見えたのだ。Aさんは当時、完全なレンガを3つほど持っておられたそうで、いまは3つとも手元にないそうだが・・・そのうちのひとつは壁の穴スパゲッテイの社長さんに差し上げたとのこと。聞けば、壁の穴の社長さんの御祖父は松山藩出身で優秀な人材としてスカウトされ横須賀海軍工廠に出仕されていたそうで、その事情からレンガを所望されたのだそうだ。観音崎は横須賀市の史跡発掘調査も入っているし完全なレンガの採取は望み薄いと考えた方が良いようである。でも人生ってえのは何があるかわからない。オリンピックじゃあないが、諦めたら・・・そこで終りである。時間を作ってまた出かけるとしよう。(2010,2,16)

02/08 江田島羊羹

江田島羊羹:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

お馴染みのMさんから江田島羊羹なる羊羹をいただいた。彼は国家調達の仕事に就いているが、この度の出張は広島の呉だったそうで、後学のためにと時間を作って江田島に寄ってきたのだそうだ。江田島と言えば海軍兵学校である。この羊羹を作っているのは明治44年創業の扇屋という菓子舗であるが、Mさんが言うには「兵学校生徒が帰郷するときに必ず買って帰ったのがこの江田島羊羹なんだ」そうだ。以下、包装紙に書いてある説明を引用する。

江田島は美しい広島湾に位置して、東は呉市に北は広島市に相対し、西は名勝安芸の宮島に接した南北に細長い島です。明治廿一年八月海軍兵学校がこの江田島にできました。以来旧海軍のメッカとして若人のあこがれの地でありましたが。昭和廿年八月終戦とともに約六十年の歴史の幕を閉じました。昭和三十一年一月海上自衛隊第一術科学校が発足し、再び海の男達の修練の場として脚光を浴びることとなりました。江田島羊かんは古鷹羊かんと共に兵学校時代よりこの海の男の皆様から、常にご愛用を賜り御土産品として絶えず御利用戴いています。

子供の頃から、30代くらいまでは甘いものが全く苦手だった。たまに大判焼きやらタイ焼きを下さる方がおられてありがたいのだではあるが・・・実はつぶ餡が駄目である。お腹が痛くなるのだ。だから、大福は随分いただいていない。ところが不思議なことにこしあんは全然大丈夫で40歳を過ぎたころから甘いものが欠かせなくなってしまったし、中でも好物は羊羹なのである。今回は古の海軍精神を噛みしめつつ江田島羊羹をいただいた。ああ・・・虎屋のおもかげが食べたいなあ・・・(2010,2,8)

01/31 クイーンメリー2の図面

クイーンメリー2一般配置図:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

1月も終りである。明けて2月・・・19日にはクイーンメリー2、二度目の来航である。クイーンメリー2がいかなる客船であるかは昨年の店長日記に”普通の人向け講座”を書いたが、僕がクイーンメリー2にどんな思い入れを持とうとただの傍観者であることには違いなく、ただ、身辺が少し騒がしいことは否めない。冷静に考えればオーシャンライナーは(ただの客船ではなく、あくまでオーシャンライナーである)当社の重要な研究・仕事のテーマだし、最後にして現在ただ一隻のオーシャンライナーであるクイーンメリー2が来るのだから幾らか騒がしくなければ(商業上も・・・苦笑)イケナイかもしれない。今年も去年に続き、横須賀の軍港めぐり・猿島航路のトライアングル社の”クイーンメリー2追っかけクルーズ”のお客様向け記念品と抽選で差し上げる景品のご協力をさせていただいているし、丁度ドンピシャのタイミングで世にも珍しいクイーンメリー2の一般配置図を入手したので気分も盛り上がっている。

そんな気分の盛り上がりで、今年もクイーンメリー2・2010年横浜寄港記念ポストカードセット(限定品、販売終了しました)を作った。去年好評完売だった初来航版を作った後、早い時期にアイデアを思いついた”北斎の神奈川沖波裏にクイーンメリー2”をあしらうデザインが我ながら上手にできた。実は手が空いたときにやってみてはいたが、どうもクイーンメリー2の位置や大きさがしっくりこなくてずっとボツ続きだったのだが、来航が迫ってくるとアラ不思議、わりと短時間で納得のデザインができた。北斎の神奈川沖は世界的にもモナリザに次いで有名な絵とされていて、オーストラリアのサーフブランド、クィックシルバーなどもこの絵をもとにブランドマークを作っているし、世界中のフォトショップ・イラレ使いの達人達がいろんな形でトリビュートやアレンジをしているが・・・僕の”米亜利女王弐號・弐千拾年来航之図”のロケーションは、まさに原作そのものである。神奈川沖というから、誰もが現在の横浜北方のあたりのロケーションを想像するだろうが、北斎の作品は現在の本牧あたりを描いたものだ。(北斎は神奈川沖を描く30年前にはふたつほど本牧で波を描いたし、ライバルの広重も本牧で波と富士を描いている。)

さて、一般配置図である。キュナードのパンフレットを見れば、デッキプランは普通に見ることができるが・・・どういう事情で入手されたのかは知らないが、客船の紙モノのコレクションでは世界的にも知られる神奈川県在住の某氏が、クイーンメリー2の一般配置図(外国ではジェネラル・アレンジメント=G.A.という)を数枚入手された。昨年、県下某郵便局で展示されて新聞でも話題になったのだが、この日本に数枚輸入された”青焼き”の一般配置図を譲っていただいたのである。元々、そんなつもりはなかったが、大変貴重な資料であることは確かだし、たまたま上述のトライアングル社とお客様への景品の検討をしていたところにこの一般配置図が飛び込んできたので、例えば模型作りのまたとない資料など有意義な活用の一助にもなりえるし、複製できないかという話が盛り上がり、あれこれ伝手を頼って・・・さすがこのあたりが横須賀なのだが、自動車の原寸図面の出力などもやっている専門家にあたって複製を製作してもらった。何せ幅840mm、長さ2480mm、サイズにすれば2A0半(ニエーゼロハン)である、僕も若かりし頃ジアゾ青焼きや大判コピーは仕事で散々やらされた(おまけに手が足りない時は、たかが家具の配置だが図面の手直しなど自分で製図版に向かってやっていた・・・泣)ものだが、せいぜいA0までである。結果的には職人技で複製に成功はしたが、原本の”青焼き”が”本物ではない”ため、極薄いトレーシングペーパーで第二原図を起こさざるを得ず、その第二原図を元に作る”複製の青焼き”は30枚しか製作できなかった。販売用には10部のみだ。

今は昔と違って、設計製図はCADでやる。そして出力はプロッターによって通常の白色紙になされる。昔は大判PPCコピーの品質が悪かった(建築図面では起端と終端で誤差が大きくて使えないことも多かった)し、そもそもPPCが普及する以前は図面出力の手段が無いわけで、図面はトレーシングペーパーに描かれ青写真やジアゾ青焼きで出力されるのが普通だった。と、いうことは数枚だけ輸入された”青焼き”のクイーンメリー2一般配置図は何物なんだろう?と、今回の第二原図製作と複製をやってくださった専門家とも検討してみた。図面の精度から見て、どうやら造船所でプロッター出力された白図を何者かが持ち出して、その本物の白図から第二原図を製作、その第二原図を焼いたものが日本に数枚輸入された”青焼き”だとの結論を得た・・・・・・で、たまたま手持ちのクイーンメリー2映像の整理とチェックをしていたら・・・ありました、ありました!フランスで製作されたビデオ”THE NEW QUEEN OF THE SEA”は、設計者のステファン・ペインがフューチャーされた珠玉のドキュメンタリーフィルムだが、その中に”本物”の一般配置図が出てくる。上の写真だが、一枚目の折り目があるものはペイン自身が机に広げているところ、二枚目はプロッターで出力されるところだ。そして、その一般配置図は下の三枚の写真のように設計室の壁に貼られたり、打ち合わせに使用されている。普通の人には用のないものだが、複製とはいっても2A0半にも及ぶ名船の図面だ、見ているだけで何とも言えないロマンチックな気分になる。もちろん、模型作りの資料には欠かせない。一般配置図だから船体の断面形状などはわからないが、船全体の配置がわかっていないと模型は作れない。現に、現在、千葉県某所で1/200のクイーンメリー2を制作されている方がおられ、人を介して本図をお見せしたところ大変に喜ばれた。

今回の図面についてのあれこれは、長いことインテリア業界にいて、なおかつトレペに鉛筆、ジアゾ青焼き時代を経験していることが役に立った。昨晩も”ハッピーフライト”なる映画をテレビで見ていたら、ジャンボの格納庫が出てきて・・・「そうえいば、飛行機の格納庫の無柱空間の設計は梓設計の専売特許だったよなあ」とか、映画では羽田といってるが・・・「これ、関空だよなあ」とか(空港の仕事はとうとう大きな仕事が成就しなかったが、あちこちの空港を見て研究したものだ。家具が配置されていない図面でも大抵の空港の使い勝手は図面から読めた)、ギョーカイ時代の知識と経験は日々全般に根付いているものと実感する次第だ。ま、あんまり稼ぎになることではないけれど・・・ちなみにクイーンメリー2の一般配置図の複製、これまたモノの値段がわかる方ならお判りのとおり、儲けはほとんどない。泣   (2010,1,31)

Ocean-Note, Queen Mary 2 Deckplan, ALSTOM, Chantiers de l'Atlantique 2001

01/23 Windows7が来た 98SE,Libletto大往生

windows7:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

Windows7のPCがやってきた。Vistaの評判は芳しくなかったし、オーシャンノート開業時に買ったXPのDellは快調そのもの、少々力不足は感じるものの例えばMpeg2動画の簡単な編集やエンコードは問題ないくらい(それでもエンコだと1時間程度の動画で一晩かかる)なので、このままあと2年くらいは使えると思っていたのでPCを買う予定はなかった。しかし、コンピュータという機械はハードディスクとコンデンサの寿命次第みたなところがあって現実的には10年はもたないと考えるのが妥当で、過ぐる12月30日もビデオプレイヤーとして余生を送っていたLibrettoが大往生した。それこそ”異音”・・・疑いようもないディスククラッシュである・・・南無阿弥陀仏・・・。はてさて店での映像のデモ再生にPCが足りなくてどうしたものかと思っていたところ、様々な仕事のお手伝いをさせていただいている方が日頃の御礼代わりにとのことで新しいPCを調達してくれたのだ。お話をいただいたときはXPにしようかとも思ったが先々のこともあるのでWindows7機にすることにした。

機械は16日に届いて17日に開梱、初起動・初期設定をしたが、今回もDellのマシンだったので、なにひとつマニュアルもなくPCに促されるまま進んだところに問題があった。18日は店内大移動、バックアップマシンだったMebiusはデモ再生専門でショーウィンドウへ、メインマシンはデモとお客様が店で商品を選ぶ際に使用する(当社のポスターやアートはウェブがカタログ代わりだ。1200点以上に膨れ上がったポスターやアート商品を店内に飾れるわけもなく、飾ってあるのは20-30点、イメージだけで来店してしまったお客様とは話をしながらウェブを見ながら商品を選んだりする)店内中央に移動、店の奥の狭い社長席(笑、社員もいないのに社長席?)に新しいマシンを設置する。物理的には・・・繋がって、その日はWidows7側にプリンターやスキャナ、外付けのストレージやドライブ類を繋げ、アプリケーションツールとドライバーをWindows7用に更新、加えて無くてはならない主要なフリーソフトをインストールした。Windoows7何するものぞ、各アプリケーションの動作はOKである。さて、旧メインマシンから新マシンへのドキュメントの移動はLAN経由ではなく外付けストレージでやった。どの道ストレージも移動しなければならないからだが、何となくLANのネットワークがきちんとしていないと感じていたからだ。明けて19日・・・そのネットワーク問題が・・・

ネットワークが繋がっていない!初めてWindows7を起動するとネットワークの設定画面が出てくる。ここで”ホームグループ”なる新しい言葉が出てくるが、XPまで使っている”ワークグループ”と良く似た言葉なので深く考えずに”ホームグループ”に参加したのがいけなかった。このことを調べるのに数時間を要したが、結論を先に言えば新しい”ホームグループ”はWindoows7同士でのみ使える共有設定であり、従来のLANのネットワークとは違うものである。従って、従来の”ワークグループ”に新しい”ホームグループ”は参加できない。そこを無理に繋げようとして何時間頑張ってもダメである。知らないというのは恐ろしいことで、わかってないからあの手この手で設定を変えようと試みる・・・おまけに新しい”ホームグループ”はネットワーク上の共有を統合しようとする本能を持っていて従来の”ワークグループ”に干渉するので、設定をいじろうとするごとに全部にネットワークがダウンしてしまう。何とWAN側まで遮断されてしまうのだ。その度にモデムとルーターの電源を落として入れなおしてPC3台とも再起動して・・・Vistaではネットワークの設定が似たような手順だったそうだが、何せVistaを飛ばしてるので余計にわかりにくい。あれこれ調べてみると正解は、まずネットワークと共有センターでホームグループへの参加を停止して、続いてコントロールパネル>システムとセキュリティ>システム>コンピュータの名前の参照と進んでコンピュータ名、ドメインおよびワークグループの設定の項目右側にある設定の変更を開きコンピュータ名を変更したりドメインに参加する・・・の項目右側の変更ボタンをクリック、ワークグループのラジオボタンをクリックして従来のネットワーク名を入力すれば宜しい。だから今まで設定していたネットワーク名を忘れていたらアウトである。ついにそれぞれのPCから他のPCやLAN接続のストレージが見えた時は感動した。(2月3日加筆・・・その後ワークグループは2台のXPからWIN7は、いつも支障なく見えるしファイルをコピーしたりもできるが、WIN7からXPやNASは見える日と見えない日がある。当社のプロバイダはJCOMだが、ブロードバンドルータをかませた状態でネットワークが構成されており、LANの設定をいじるとWAN側も切れることにかこつけて、無理やりJCOMのサポートに相談した。Pingを打ったりしてみるとネットワーク自体には異常なし、結局JCOMも少し時間をかけて事例を調べてくれたりもしたがとりあえずネット自体は繋がっているということで、それ以上のLAN側の不調はお手上げ、つまり設定自体は問題はないということになった。未だにこの状況は改善していない。設定自体は何もいじらないのに日によって見えたり見えなかったり・・・多分、WIN7のバグじゃないかと思う、しばらく様子見だ)

快適快適と思っていたら・・・プリンタの動作が変だ。A4の紙しか選べない!これはさすがにわからずとうとうプリンタのサポートセンターに電話。すると単純にも恐ろしいことに最初にプリンタを繋いだときにWindows7が自動でインストールしたプリンタドライバが悪さをしていることが判明、機種にもよるようだがコントロールパネルからプリンタを見て右クリック、どの項目かのプルダウンにプリンタ名以外のドライバが表示されたら要注意だ。プリンタ付属のアプリケーションは上手く動かないと思った方が良い。メーカー配布の7用ドライバはインストールしてあったのですぐに復帰した。

次に噂のXPモード。PC買い替えで注意したいのがXPモードを使うにはCPUがCore2Duoなら6000シリーズ以上、メモリが2G以上でないとだめで、理想的には7000シリーズでメモリ3G以上だそうで、XPモードが活躍する仮想マシンというのは結構なリソースを食うとのこと。いろんなアプリケーションの中で、HTMLエディタソフトとネット会計ソフトが7非対応なのでXPモードは使わざるを得ない。まあ、これは戦々恐々していた割に難なくクリア、快調そのものだ。

旧メインマシーンはきれいにならない。HDの容量も一向に減らない・・・と、ちぎっては投げ噛んでは破りでプログラムをどんどん削除したら・・・アラッ?光学ドライブが消えた!これまた数時間要して調べたら・・・i tunesを削除したのが原因だ。i tunesのライティング機能がシステムのレジストリを書き換えてしまっているそうで、プログラム削除するとドライブが消える!これは要注意だ・・・結局、ここで好調を維持していた旧メインマシーン、あと3年バックアップマシーンとして生き延びてもらうため必殺のリカバリーに打って出た。リカバリーとSP3等の更新、アプリケーションの入れなおしで丸一日かかったが、HD残量は55%から91%に蘇った。ドキュメントがあったころは残量10%を切っていたのだから・・・細かいトラブルは続くだろうが(昨夜も自宅の方のPCがダウン、早朝、マニュアルにも記載されていないセーフモード・・・いわゆるBTOパソコンなのでFキーのどのキーがセーフモード起動か丁寧なマニュアルなどないのだ・・・で事なきを得たり)、この先3年くらいは働ける環境が整ったのは喜ばしいことである。(2010,1,23)

01/22 上町銀座商店街の新年会

横須賀上町銀座新年会:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

上町銀座商店会の新年会があった。場所は汐入駅前、戦前は海軍の下士官兵集会所、戦後はアメリカ海軍の下士官クラブ(Enlisted Men's Club)だった跡地に立つメルキュールホテルだ。僕が横須賀に移った頃は、まだEMクラブの建物は残っていたし、今だから言うが・・・鎌倉七里が浜の現在のパブロワ記念館でも同じことをやったのだが・・・建物内部に不法侵入して建物のかけらを採取したものだ。ご存知の方もいるかもしれないが、日比谷公園某所にはどう見ても旧帝国ホテルに使用されたのと同じフランク・ロイド・ライトのレンガがあって密かに狙っていたりするが(冗談です)、今月で一旦閉会になった最後のウワマチナイトに初登場した知る人ぞ知る横須賀の名門喫茶店”ニューセントルイス”の元オーナーのAさんのように「観音崎の磯じゃあ旧横須賀製鉄所のレンガが拾えるぞ」とおっしゃり、昔自らもタガネとトンカチを持って採取していたなどという強者もいるから、史跡採取?もそのうち流行るかもしれない。

さて、EMクラブが返還されて横須賀芸術劇場とプリンスホテルに再開発されたものの、プリンスホテルは堤氏の失脚後の事業見直しで閉店、その後、トリニティホテルとして営業再開したものの2008年で撤退、一年近く空家になっていてゴーズトホテルになるかとハラハラしていたところフランス系のメルキュールホテルが進出して営業再開となった。例年、商店会では秋に慰労会を開くが、折角新しいホテルが出来たのだからということで、時期を繰り下げてメルキュールでの新年会となった。上町銀座も世間並みにシャッター通り化の危機にあるが、そんな状況を反映して事務所や医院の割合が増えている。特に国立横須賀病院が上町病院として再出発してからは新しい医院や薬局がたくさん出来たので横須賀のメディカルタウンの様相を呈してきているが、ちょっと変わったところでは議員さんが事務所を構えていたりする。横須賀市議のねぎしさんはもう随分長いようだが、去年衆議院議員になった横粂さんが事務所を構えたものだから、商店会長など「これで県議が来れば揃うんだがな・・・」などと笑っておられる。新しく店を構えた人ほど行事には関わりたがらないし、そんな状況だから僕のようなよそ者が商店会の集まりに顔を出しても決して居心地の良いものではないが、こうして少しバラエティ色が強まると安心して大酒が飲めるというものだ。

新年会には・・・ちょうど女房の誕生日が重なった。「ヨシッ!お母さんの誕生日にはホテルで食事だ!」と大見得をきって、家族全員参加の新年会となった。パーティプランだから期待していなかったが・・・最上階のオーシャンビューのレストランで食べる料理より良かったくらいだ。(メルキュールさん、褒めてんだか何だかわかりませんねぇ)子供たち用の料理も、掛け値なしの上出来である。上記写真にスープやパン、グラタン、デザートも付くのだから子供たちに食べきれるわけがない。こちらも手伝って残さず食べたが(僕は出てきたものを残すのは絶対にダメなタチである)味も大満足だ。当家では滅多にないことだから子供たちは幼稚園や小学校で「お母さんの誕生日はホテルでお食事なんだ・・・」と自慢?していたとか・・・いつかそうなれれば宜しいと、不景気に負けず仕事に励む僕なのである。(2010,1,22)

01/19 クイーンメリー2がやってくる

クイーンメリー2_20100119:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

今年も2月19日、クイーンメリー2が横浜に寄港する。既に2010年ワールドクルーズは始まっていて、去る1月4日の17:00にニューヨークを出航、サウサンプトン、リスボン、ローマを経て今日19日はエジプトPort Saidに 寄港している。この後、オマーン、ドバイ、インド、タイ、マレーシア、ベトナム、香港を経て2月17日に長崎、そして19日は横浜に寄港する。ワールドクルーズは4月22日にサウサンプトンを出航して最後に大西洋横断西航、4月29日ニューヨーク入港で全行程は106日間だ。客船を見ることや客船にまつわる写真や絵などを集めたりすることは好きだが、残念ながら今も昔もその船に乗って優雅な休日を過ごす身分には至らず船会社たるキュナードや旅客から見た視点に欠けるのだが、かつてQE2などが横浜に寄航した際は大抵、日光あたりに出かけるオプショナルツアーが組み込まれていたそうで、それは今も変わらないのじゃないかとその筋の方からお聞きしたことがある。確かにそうでなければ、ベイブリッジをくぐることができず貨物埠頭の大黒にしか係船できない横浜を航程に加える意味がないだろう。

今年も横須賀の猿島航路運行会社のトライアングル社は、クイーンメリー2のお出迎え追っかけクルーズを実施する。夕刻にはお見送りクルーズもやることになった。昨年はトライアングル社よりスタッフとしての乗船のお誘いを受けていたものの、結局観音崎の横須賀美術館前でクイーンメリー2を見たのだが、今年は僕も乗船する予定である。というのは、オーシャンノートは旅行代理店でも何でもないのだが昨年からトライアングルのクルーズの予約をして欲しいとの相談が数名のお知り合いから受けていたこと、それに今年もまた乗船客の皆様へのおみやげ企画で協力させていただくことになったからだ。トライアングルとの共同企画に加え、オーシャンノートでも昨年に続き期間限定で記念ポストカードや珍しい商品を企画中である。

現在知りえる情報では、昨年のような船内見学の企画は聞こえてこない。おまけに大黒埠頭は去年と違って立ち入り禁止だそうだ。(横浜市港湾局の話)鶴見からの路線バスも埠頭まで行けない・・・らしい。横浜港の遊覧船の運航会社あたりでは海上からの見学遊覧クルーズがあるようだ。さて、昨年乗っていないのでトライアングルの追っかけクルーズがどんなものであったか人づてに聞くのみだが、プライベートのプレジャーボートを出した方々は水上警察の固いガードで近づくことはできずかなり欲求不満を抱えたらしい。餅は餅屋で・・・遊覧船とトライアングル社の船・・・みんなそこそこ頑張って接近を試みたそうで、それが褒められることか否かは別として、約250-300mの距離に接近したトライアングルの船は一番女王さまにお近づきになったとのことだそうだ。その間・・・水上警察からは警告を出されっぱなしだったとか。僕が観音崎のたたら浜側までたどりつけず手前の浦賀水道が横須賀から離れてゆくアングルで見ざるを得なかったのは、前日に入港時間が繰り上がったのを知らなかったからで(そのせいで見ることができなかった人も多かった)、さすがはプロでトライアングルは前日夕方には情報を持っていたし、当日も海上交通センターの無線を傍受してお出迎えに出発したというから・・・さすがである。今年は去年より3週間早いからますます夜明け前だろう。せめて晴天を望みたいところである。(2010,1,19)

01/17 坂本龍馬公 漫画「花影」

ワカメ20100117:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

今年の大河ドラマは坂本龍馬、またぞろ龍馬公ブームの気配だが、去る15日、横須賀市大津の信楽寺(しんぎょうじ)で、坂本龍馬公と妻であったおりょうさんの合同法要が開かれたそうだ。龍馬公のお墓は京都霊山護国神社にあるそうだが、分霊ということをして100年振りの再会になるのだとか・・・坂本龍馬公も大変人気の高い歴史上の人物だが、我々が思い描く龍馬像は司馬遼太郎の”竜馬がゆく”に基づくものだそうで、司馬先生のことだから綿密な取材や裏づけ、考証をされたこととは思うものの史実はかなり違うらしいとの研究も近代史研究の中では指摘されているところである。僕が龍馬公の名前を始めて聞いたのは”巨人の星”の中だった。星一徹が飛雄馬に坂本龍馬の言葉として「死ぬときはたとえどぶの中でも前のめりに死にたい」と教えたシーンである。有名な話だが龍馬はそんなことは言っていないそうでこれまた梶原一騎氏の創作なのだそうだ。次に龍馬公を詳しく知る?きっかけになったのは里中満知子さんの”花影”という漫画だった。まさか僕が熱心に少女マンガを読むような小学生であるわけもなく当然ジャンプとサンデーが愛読誌だったわけだが、たまたま家の前に捨ててあった花影のコミックをパラパラとめくったら面白くて(おまけに最後は涙して感動した)そのまま長きにわたり本棚に鎮座することになる。主人公は龍馬公ではなく剣豪、千葉周作の姪にあたる千葉さな子さんで、実際、龍馬公とさな子さんは今でいうところの婚約に至るご関係、一説に拠れば結婚したともいわれる。1975年の作品なので手に入りにくいかもしれないが、漫画ではあるものの見つけたらバカにすることなくご一読されることをお奨めする。こうしてとっかかった僕の龍馬ブームは、当然順当に司馬先生の”竜馬がゆく”に収束されるわけで、僕も誰もがたどるごとく龍馬公には憧れを畏敬を持ち続けることになる。

さて、横須賀にも”よこすか龍馬会”なる集まりがあって、聞けばおりょうさんのお墓があることに掛けて私的龍馬研究?をされているようだ。このあたりの事情を若干ご存知なのがウワマチナイト皆勤のIさんである。龍馬公が西浦賀の小原台に黒船の見物に来た(勝海舟と一緒だったとか・・・???)と言うのは良く知られた噂話だが、Iさんに拠れば龍馬公が横須賀に来たと言う事実は今もって確実な事実確認ができずにいるとのことだ。Iさん、いくらか”よこすか龍馬会”にも首を突っ込まれているようだが15日の合同慰霊祭のことは知らなかったとのことをウワマチナイト席上にて残念がっておられた。さて、7回を迎えた15日夜のウワマチナイト、来月の第三金曜日はクィーンメリー2の二回目の日本寄港の日にあたり、当日の僕のスケジュールがどうなるかわからないので開くことができない。良い機会なので、これをもって一旦休会とすることにした。また別の形で楽しい集まりを再開できたら幸いと思う次第である。

明けて16日、土曜の午前休日を利用して某三浦半島西海岸のビーチへ。今シーズンの初物ワカメをゲットする。先週は日本列島大荒れの気候だったが、そのせいだろう、まだ天然モノは解禁になっていないから茎に漁師さんのカット痕の見えない、根っこごと外れて流れ着いたものばかり5株ほど拾った。果たしてこのやり方で合っているかどうかは知らないのだが、写真のようにメカブと茎と葉に分けて使っている。いずれも熱湯をくぐらせて(メカブだけは少々長くやらねばならない)からメカブはフードプロセッサで細かく刻んで醤油、茎ワカメは醤油と酢で漬ける。葉っぱは刺身ワカメでも味噌汁でも酢の物でもOKだ。くれぐれも海中に生えているものには手出しいたしませぬよう。お縄ですゾ(2010,1,17)

01/10 ビーチコーマー 足下を見てしまう4人

葉山・桜貝:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

先日、スーパーに買い物に行くと早くも生のワカメを売っていた。地方によって違うのかもしれないが、確か三浦半島近辺ではワカメの解禁は2月1日のはず、養殖モノは早いのかもしれない。しかし、そろそろ季節である事は確かだから、流れ着いたワカメをアテにして3連休初日の土曜は午前中の定休を利用して久しぶりの葉山散歩である。葉山公園も有料期間は行くこともないので9ヶ月振りの葉山である。子供たちは赤ん坊の頃から行っていた場所なので勝手知ったる人の家ってなもんでご機嫌である。残念ながらアテにしていたワカメは無かった。みのみんたのテレビで取り上げて以来、今ではメカブもすっかり売り物になったがそもそもワカメを拾うようになったのは、まだメカブの商品価値が無く漁師さんが大量のメカブを切って捨てていたものをここ葉山で親切な女性に教えられて沢山拾ったのがきっかけだった。当家の春の食卓には細かく刻んだメカブ(茹でてからフードプリセッサーで刻むだけ、簡単である。味付けは酢醤油、ゴマ油を加えても宜しい)、茎ワカメはマストアイテムである。

「金なんかぁ、落ちちゃいないよ。空を見て歩け!オノデラ」とは長く一緒に働いたかつての上司が僕に良く飛ばす激だった。猫背というほどではないが、あまり姿勢の宜しい方ではないので上司はそのように言ったのだろう。しかし、ビーチに行くとイケナイ。横須賀某所で赤いビーチグラス狙いのビーチコーミングをやる時なぞそれこそ1m歩いてはしゃがんでの繰り返しだが、それほどではなくてもビーチに流れ着いた貝殻や流木、その他様々なものを見逃せず、海に行くと景色の良いところにいながらついつい足元を見てしまう。僕が子供の頃はビーチコーミングなんてしゃれた言葉は無くって、海岸で拾い物なんざしてりゃそれこそゴミ拾いのように思われたものだ。子供の頃、魚釣りが好きだったが大人が使っているような高価な浮子(これでウキと呼ぶ)は買えなんだ。普通のピンポン玉のような浮子は50円とか100円でも、アタミウキと呼ばれていた大きいやつは200円も300円もしたのだ。(阿波釣法が有名になる以前だから、今主流の小さなオモリ入りの木製の浮子は無かったし、遠矢ウキだってまだ無かったから、アタミウキといえば大人の道具であった)ところが・・・である、海に行くとこいつが落ちているのである。日本書記に記されている海彦山彦のお話、たかが釣り針一本でえらい騒ぎと子供心に思ったことは事実で、日本書記の頃に釣り針を作るのがいかに大変か知らないからそう思うのであって、しかしながら僕の子供の頃は大人が使う高価な浮子は海彦の釣り針と同じくらい大切な宝物だった。海に行っては浮子拾い・・・やがて生来のコレクション癖で釣りよりもいろんな浮子を拾って集めるのが楽しくなってしまった。

今は浮子を拾い集めるわけではないが、海に出かけるとついつい足元を見る癖は結婚した女房にも染り、子供たちも同じ、ビーチに降りて気持ちよくブラブラしていたかと思えば、5分も経つと4人全員しゃがんでいたりする(苦笑)葉山公園から御用邸を経て一色公園まで歩き一色公園のシーソーで遊んで戻るのがいつものコースなのだが、今回のブレイクはサクラガイ。サクラガイは生息域が広い割りに採れる場所が限られた貝である。薄くて小さいから何らかの事情で貝殻だけになると割れてしまう。静かなところじゃないと無事には打ち上がらない。そして無事に打ち上がったとしても人が歩けばもう終わりすぐに壊れてしまう。僕がサクラガイのことを教えてもらったのは2年前、由比ガ浜に住んでいるOさんからだ。早朝の由比ガ浜、人が歩く前に行けば運がよければ10や20くらい拾えるそうで、道理で江ノ島あたりのおみやげでサクラガイがあると思ったら(ちなみにサクラガイは古来、お守りとされている)、湘南江ノ島あたりから由比ガ浜あたりの遠浅のビーチが絶好の採取場所なのだそうだ。で、その南端が一色にあたる、森戸あたりはあまり知らないが、大浜や長者ガ崎ではサクラガイはまず採れない。砕けてしまっているのだ。

ただ、歩くのも悪くないが、こうして”宝物”を拾うのを楽しもうとすると、子供たちはゲーム感覚で大はしゃぎである。一色の浜に下りると宣言・・・「ヨシ、お父さんはサクラガイを見つけるぞ!」   そうそうゴロゴロあるものではないから1個目までが緊張だ。約10分後、一個発見。早速、子供たちにサクラガイを教える。もう夢中である。欠けているもの、ツメタガイにやられて穴の開いた貝殻がほとんどではあったが、二人して感心するくらい見つける。ウンウン、中々の集中力だゾ・・・といっては居られない。父親の威厳・・・こちらもしゃがみこみモードから這いつくばりモードで全開すると・・・あったあった!全長12mmながら2枚くっついたまま、穴も開けられていない完全なサクライガイをゲット!

さても平和な一日である・・・(2010,1,10)

01/07 身近な雑草で七草

七草2010:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

昨日は、年に何度もない子供の休みと定休日が重なる日。以前から一度行ってみたかった三浦の盗人狩に行ってみた。まあ魚釣りをやっていたこともあり、いろんな磯場を歩いたものだが、名勝と謳われる荒崎あたりでも敵わないくらいの奇景である。思わず「この世の果てだなあ」とつぶやくと次女は賛美歌=クリスマスキャロルの”荒野の果てに”を大声で歌いだす。僕はこんなトレイルは大好きだが小さな子供たちにとっては緊張感を伴うものだったのだろう。江ノ島の岩屋と同じで、平磯から海蝕の断崖絶壁がせり上がり逃げ場がないのでヨタ波の出る日は要注意だ。盗人狩から毘沙門に引き返すつもりだったが、距離で1.5kmほどの計算のようなので頑張って宮川フィッシャリーナ、宮川港、海岸段丘を一気に上がり風力発電の宮川公園までほぼ一周を歩いた。7歳と6歳の子供を連れて途中、弁当開きもやって3時間の行程。それでも、横須賀や三浦に居ながらまだ行ったことの無い人には是非行ってみる事をお勧めしたい。当家もまた行くことになるだろう。

横須賀に戻り買い物を済ませたのだが、あいにく七草を買い求めるのを忘れた。年末年始をカップ麺と缶詰をいただいて生き延びた僕はともかく、妻と子供たちは田舎(ウチの場合、田舎は東京なのだ)で馳走を平らげただろうから(尤も僕はお酒と辛いもので4日あたり腹痛でうなっていたから同じ事?)、作法に則り七草は必須だ。仕方がないので、今朝は家の廻りで七草粥になりそうな野草採取だ。芹、なづな、御形、はこべら、仏の座、すずな、すずしろとなゆかなぬが、長女は12月に小学校で蕪の種を蒔いたとの事で、あわよくば蕪=すずしろを一株でもと思い学校まで二人で見に行くもまだ二葉。あきらめてご覧のとおおりの七草だ。気をつけなければならないのは、仏の座でこれは良くあるシソ科の仏の座は毒草(まあ、大した毒ではないようで、漢方では薬草とも)なのでダメ。結局、はっきりとわかっているのは、タンポポとシロツメグサ、ヨモギにキク(女房はもう少しわかっているようだが)の4つ、危うい七草粥だが6時間経過して何ともないので大丈夫なのだろう。

我が家では水曜の夜は、ナニコレ珍百景なるテレヴィ番組を鑑賞しているが、レギュラーのように出て来る俳優の岡本信人さん。植物に詳しく、毎回野草の天ぷらを作るのだが、これまた毎回「どんなにおいしそうでも、知らない植物は決して口にしないで下さい」と大真面目に語ると、我が家は大笑いしているわけだが、何のこたあない、笑い話では済まずに”知らない野草”を食ってしまった。しかしまあ、七草粥の主旨に沿っているとも思っているし、味は・・・悪くない(2010,1,7)

01/02 新春 ヤマトの古代はキャリア(笑)

バトルシップコレクション:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

あけましておめでとうございます

元旦から営業のオーシャンノート、恒例の新年会モード、常連さん諸士、どうしたわけか昨日は一人として重ならず見事な時間差攻撃で来ていただいたお陰で、こちらは朝の11時から夕方6時までとうとうずっと飲みっぱなしになってしまった。それでも何年か前のように船を漕いでいる状態にもならずきちんと帰宅に至った。最後のエイネンさんあたりになると、昔、インターオフィスの原田社長から言われた「オノデラ、人生は良い酒と、良い煙草と良い女だヨ」の話題でかなり人生訓を垂れてしまった。エイネンさんゴメン。

さて、不思議と正月を迎えると何の血がさわぐものやら、海軍モノを店先に並べてしまう。ミリタリーはこれまたディープな分野だし、出来るだけそこに踏みこまないようにしているのだが、おととしはエフトイズの大和と武蔵の模型、去年は横須賀の海軍料亭”小松”の名入れ、50年代デッドストックのデミタスカップ、今年はエフトイズwith海洋堂の1/2400バトルシップコレクションが店先を飾っている。

戦艦といえば、宇宙戦艦ヤマト復活編の映画が公開されている。年末、ケーブルテレビでは、そこに引っ掛けてヤマトを一挙再放送していた。おかげですっかり睡眠不足になってしまった。一挙再放送というのはキワモノで、さすがに徹夜で見ることはなかったが、朝起きて、まだヤマトをやっているのだから・・・ちょっとスゴイ。で、昨日は現役自衛官のMさんが飲みに来て、夕方から息子さんとヤマトを見るとかで、すっかりヤマトネタで盛り上がってしまった。原作の松本零士さんにしても、そのあたり突っつかれても困ると思うが、「沖田艦長の階級は何だろう・・・そもそも艦長ってえのは大佐あたりだからそんなに偉かあないんだよなあ」と言えば「船が無いから艦長だけど、古代守が居た艦隊では司令官だったのだから、恐らく中将だよ」(このあたりになると太陽にほえろのボスは実は警部補で、Gメンの関谷警部補 - 演・原田大二郎 - と同じ階級だ・・・などという話題と同じノリだ)とか、なんでヤマトは日本人ばかり乗っているんだろう?地球防衛軍は他の国は参加しないのか・・・などとやっていたらヤマト靴任亙胴餞和發慮遽甸魯▲螢哨覆出ていたよな・・・とか。まあ復活編の映画の感想は今日明日にでもMさんが聞かせてくれるだろうが・・・官僚や防衛省の世界は僕には想像できないくらいの階級社会なのだそうだが、特に防衛省はその極みにある世界だ。彼は幹部自衛官ではあるがいわゆるキャリア組ではない。彼は真面目で能力もあってやる気マンマンであるが故に、そのキャリアの壁でストレスを感じざるを得ない場面にも直面することが多いようだ。先日もヤマト復活編の話をしていた時のこと、古代の妻となった古代雪(旧姓・森)は地球移民船団、第一次移民船団の団長兼護衛艦隊の護衛艦艦長という設定である。古代進は第三次移民船団の護衛艦隊指令官兼ヤマト艦長・・・その時は別に一杯入っていたわけでもないのだが、Mさんも仕事で面白くないことがあったのだろう・・・ヤマトの古代夫妻をつかまえて「所詮、あいつらもキャリアだろう」ときたものだ。僕も一瞬目を白黒させたが、その後二人で大笑いだ。ヤマトの古代たちをしてキャリアもノンキャリもないもんだ・・・笑(2010,1,2)

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