11/06 海が運んできてくれた

三連休、店はなかなかの盛況だったが、最後の日曜は子供たちの教会学校があるので行けなかったが、最初の二日は海岸で散歩。出会いというのは偶然、突然やってくるもので、シーグラスを集めている女姓がいたので、普段はそんなことないのだが、店で売っているシーグラスの本の紹介文を書くためにいろいろと読んでいたこともあり「シーグラスですか?」と声を掛けた。聞けば鎌倉在住とのことで、以前は横須賀に住んでいたこともあって、浦賀でシーグラスが一杯拾えるのを知っていたのだそうだ。(シーグラスはともかく陶片が多くて、穴場。但し、鎌倉の和賀江島みたいなお値打ちものはない、時代が違うので・・・)

で、いろいろ話をすると、本職はイラストレーターで、シーグラスではガラスのクラフトをやっているとか・・・僕は、オーシャンノートを開ける時に、クラフトに限らず、海をモチーフにした様々なものを作っている人がいたら、一緒にやりたいと思っていて、それが果たせないでいた。オーシャンノートを”マリタイム・ギャラリー”としたのにも、自分なりの思い入れがあったからなのだ。話しは、トントン拍子、近々、作品を見せていただくこととなった。Oさんは本当に素敵な女姓で、変に作家さんぶらないのも良いし、とにかくとても海が好きな方、ぜひ作品を店で紹介できればと思う。ちなみに本職のイラストも海モノが多いとのこと、これまた楽しみでワクワクしている。

アメリカスカップがスポーツイベント?として隆盛を極めるに一役買ったのが、紅茶王、サー・トーマス・リプトン。時の英国皇太子ウェールズ殿下からアメリカスカップ奪還を持ちかけられ(英米の間にカップを巡って不穏な空気があったことに胸を痛めていたと言われる)30年間、5度に渡って私財を投じて挑戦した。今もとてつもないお金のかかるレースだが、当時もすごかった。リプトンは生涯独身で、使えるお金は皆、アメリカスカップに注ぎこんだ。このことが、アメリカスカップをして、それだけの価値のあるものというステータスを創りあげたのである。

さて、リプトンさん、ただの大成功した商人である。陰口をたたかれた。曰く「バウとスターンの区別もつかない挑戦者・・・」。リプトンさんは後に「私の事業は海で栄え、富は海がくれた。海は恩人だ・・・」と、語ったという。良い意味で、ヨットのつべこべではなく、もっとスケールの大きい海洋人だったそうである。

Oさんと、出会って思ったのがこのリプトンさんの言葉。そう、海が素晴らしい友人を紹介してくれたのである。富はどうかわからないが、「海が運んできてくれくれる」のである。僕は、とにかくオーシャンノートを海の大好きな人が集まれる場所にしたいと思っている。(2006,11,6)

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