01/08 松の内 鎌倉開業断念のこと

横須賀・正月2009:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

今年最初の店長日記は門松代わりの”小松”のデミタスカップで始めたが、松の明けぬうちに殆ど常連さんの手許へ旅立ってしまった。で、昨日の定休日は松の明けぬうちにお正月をせっせとこなす。

朝は七草粥である。僕は、一人暮らしのお正月でご馳走にあやかってもおらず不要といえば不要だが、店の休日だったこともあり、夜の明けぬ前から5年前の出来事・・・長女が生の七草をかじっていたことをたまたま思い出した。これは、なかなかかわいい写真が残っているのだが、思いついたが好事と思い24時間営業の西友へ車を走らせ七草を求めてきた。その頃の長女は、にんじんでもピーマンでもそのままかじる子で、我が家の野菜にはみんなかわいらしい歯型がついていたものだった。僕以外の3人は僕の実家と女房の実家でご馳走をたらふくいただいただろうし、暦のお陰で水曜日が7日で学校と幼稚園も冬休み最後の日、にぎやかな七草粥をたんといただいた。

次は初詣。結婚してからは横須賀の走水神社に行っている。僕は無神論者ではないが、神も仏もアテにはしない方だ。どこに行こうが構わないが結構な古刹というところと社から海が一望できる走水神社が気に入っている。結婚前までは、鎌倉の鶴岡八幡宮に行っていた。鎌倉という土地がミーハーに好きだったし、密かにわが身を源氏の末裔と信じていたから(これは半ば冗談、小野寺という姓は、由緒正しく行けば平家だ。平家の末裔が会津あたりに土着したものが、秀吉や家康との折り合い悪く取り潰され、実力に勝る、伊達、最上、上杉に追われるように庄内から津軽あたりに散っていったという。もちろん当家がその正統にあるわけもなく・・・)随分長く習慣としていた。結婚して、妻のお腹に長女がいたり、次女が年末に生まれたりと、とても正月に鎌倉まで行く余裕がなかったが、鎌倉離れが決定的になったのはオーシャンノート開業秘話第三の巻(大げさ!)、鎌倉商工会議所と神奈川県中小企業センターのチャレンジショップ応募だった。何の根拠も無く憧れの鎌倉にオーシャンノートを開店したかった僕は、以前にも少し書いたが、ある日、プラス勤務時代の先輩Iさんのヨットの上で「お前、何にも手がかりがなけりゃあ、商工会議所に行ってみな」と言われた。で、門を叩いたのが鎌倉商工会議所。とりたてて意地悪をされたわけでもないが、やはり排他的な土地柄らしく親身になってくれることもなかった。ただ、そこで貰ったパンフレットの中に横須賀商工会議所の創業セミナーの案内があって参加することにした。約3ヶ月、あれこれ勉強する中、腕試しではないのだが、事業計画を客観的にコンペティションする場を紹介された。そのひとつが神奈川県のチャレンジショップというコンペだ。これに合格するとかなり結構な支援が受けられるのだが、約2ヶ月間、現地鎌倉の人口、来街者や消費単価など様々な、いわゆるマーケティング的な研究も含め壮大な事業計画を作ったものの結果は不合格。最後のプレゼンテーションの事は一生忘れない。ネット上の個人攻撃は卑怯なので当然のこと姓名は伏せるが、商品を持ち込んで汗だくになってプレゼンする僕に、まるでゴミを見るように商品を指差し「こんなもん、誰が買うんですか?鎌倉の人はこんなもん買いませんよ!」とご批評下さった中小企業診断士の某のことを僕は一生忘れない。診断士として鎌倉とは縁深いご様子だったが、彼女も行政から業務委託をされてりゃあ、こちらも一応納税者なのだし、度を逸した失礼な物言いは何人にも許されるものではない。誰が買わずとも、お陰さまで沢山のお客様に喜んでいただいているし、鎌倉からわざわざいらっしゃるお客様も数知れない・・・実はこの時、やはり審査員でおられた数名の中のお一人、中小企業診断士のO先生とは別の場で再会することになる。やや傷心で風向きの悪い鎌倉をあきらめ一転、不思議な因縁を感じ、娘の通う幼稚園近く、横須賀上町に開業の場を絞り、やはり横須賀商工会議所の勧めで、横須賀市のベンチャー事業支援に応募、これまた厳しいコンペを勝ち抜き(この選考は本当に厳しかった!)認定に漕ぎ着けるが、さあ開業となった時、たまたま用事で訪れた横須賀市経済部で今度は商店街活性化の為の空き店舗入居への助成制度があることを知らされ、その第一回のコンペに応募することになる。そこでビックリ、その最終プレゼンの審査にO先生が居られるではないか。さすがにお互い苦笑いである。O先生にすれば「こりないなあ・・・コイツ・・・」と思われたことだろう。結果的に、これも合格、O先生が寄せて下さったと思われる講評には「信念がある」と記されていた。そりゃあそうだろう。あれだけ味噌糞にやられた事業計画を諦めないで磨いているのだから。先般、横須賀市優良商店の表彰をいただいたが、実はこの”空き店舗入居への助成制度”には商店会への加入が義務付けられており、横須賀市経済部の橋渡しで上町銀座商店会の役員会に初見参させていただいたことがきっかけとなり足掛け3年、商店会長からの推薦となってゆくことになるのである・・・と、まあ古事記や日本書記にも記される走水神社から随分脱線した話題になって恐縮である。

冬休みも終わりなので、初詣を終えて久しぶりに城ヶ島まで足を伸ばす。島の裏側(どっちが裏になるのか知らん?)の馬の背洞門、なんだが橋になってる部分がひとまわり細くなったような。娘たちが、そのまた子供に、いつか「ここは洞門というアーチになっていて・・・」なんて語る日もあるだろうと思って写真を一枚。10年も経てば、この洞門、崩れてしまいそうである。ちなみに、禁じられているから絶対にやらないでほしいが、女房は結婚してすぐのころ、この洞門の上を歩いて渡った。高いところが苦手な僕は、未だに渡ったことがないし、怖くて渡る気もない。もっとも、女房も洞門のアーチの痩せ方を見て「今なら渡れない・・・」というが、僕には洞門の痩せ振りよりも、彼女の体重が増しただけのようにも聞こえる。やはり七草粥は正解だったと思うのである。(2009,1,8)

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