04/23 サヴィニャックのチョコレート

森永チョコレート・サヴィニャック:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

世間様の状況に疎いのも考え物。元日から大晦日まで営業、決めてる営業時間はあるものの、実際は朝8時ころから夜の8時過ぎまで、良くまあ、飽きもせず店に居る物で、この横須賀上町ではセブンイレブンの次に営業時間が長いなどと笑い話にしてはいても、二月には発売されてた森永さんのサヴィニャックラベルのチョコレートを昨日まで知らなかったとあっては・・・もう少し街をブラブラする時間を持たねばいけないと反省せずにおられない。今でも、少し商品に名残があるが、オーシャンノート開店当初はサヴィニャックの額装ポストカードについては、多分、日本で一番(世界で一番かもしれない)多種類集めて売っていた。例によって凝り性の僕のことだから、売っていそうなところは都内くまなく歩いて、まさに足で集めたラインナップだった。何に惹かれたのかは分からないが、僕もやっぱりサヴィニャックには惹かれる。(ふと思い出すと、高校生の頃に良く行っていた原宿ペニーレーンのイラストが大好きで、思えば、あれがヴィジュアルスキャンダルとの出会いだったかも?このイラスト、かなりサヴィニャック的と思っている)

サヴィニャックの人生は、新しい扉を開いたアーティストの人生らしいそのもので、成功を手にするまでは相当の冷遇時代を過ごしていた。もう、3〜4年前のことで、サヴィニャックに関わることは殆ど無くなっているものの、不思議な因縁を感じるのは、結局、サヴィニャックの師匠であるアドルフ・ムーロン・カッサンドルに傾注し、客船やアール・デコへ急速に興味を深めたことだ。このあたりになってくると、10年も15年も勉強したモダンデザインの起源のあたりと結びついてきて方々に面白い話が転がっている。ウィキペディアで誰がカッサンドルの項を執筆したのかは知らないが、現在の記事ではカッサンドルが”ごく早い段階でバウハウスに興味をもち、徐々にその影響を受けてゆくこととなる”と記述されている。カッサンドルは1967年に自殺しているから、今更確かめようもないが、このウィキの記述の根拠がどこにあるのか、本当かどうか確かめてみたものだ。ちなみに英文のウィキではキュビズムやシュールレアリズムの影響とは書いてあっても、バウハウスの記述はない。いずれにせよ、解釈などというものは後世の人々が勝手に書き連ねるものだからアーティストの業績とは関係あるはずもなく、カッサンドルが成したショッキングなビジュアル表現のみが僕の心には響くわけで、船に乗って大西洋を渡りたい気にさせる、大いなる希望を心に訴える表現には感銘を受けるのみだ。ただし、カッサンドルは1940年でポスターを描くのを止め舞台美術等に活動を移すものの、戦後に知られる業績はイブ・サン・ローランのロゴマーク程度で、その後鬱病を患い自殺に至る。本来印象派の勉強をしたカッサンドルが、ほんの食い扶持稼ぎで手がけたポスターのみが高い評価を受け続けたことがストレスだったのではないかと僕は推測している。サビニャックはカッサンドルが最高傑作と謳われるノルマンディーを描いた1935年にカッサンドルの事務所に入っている。この師弟のつながりは、僕の英語力では深入りして調べるところまでいたらず残念な限りだが(絵本のレオ・レオニとエリック・カールの関係なども調べがつかず手付かず、これも僕にとって英語の壁である。どうしてもディープな資料までたどりつけない)、サヴィニャックはカッサンドルの絵だけで見る人の心をつかむエッセンスを得る事が出来ていた事だけは確かだと考えている。

しかしまあ・・・僕が生まれる前のこと、1958年のミルクチョコレート、森永製菓という会社も、フランスでナンバーワンのポスターアーティストに自社のグラフィックを依頼するなんて・・・当時の進歩的な日本企業の心意気に触れることができて楽しい。ちなみに1951年の有名なChocolat Tobler=ショコラ・トブレー、実はこれは森永に採用されたものではない。森永でも今回の限定パッケージについての説明をしていないが、ショコラ・トブレーは1951年にフランスの製菓会社のためにデザインされたもので、この時には採用されなかったそうで、その後、森永から仕事の依頼があった時に、サヴィニャックは以前デザインしたショコラ・トブレーを森永に提出したのだそうである。で、これが金髪の男の子がダメという理由で不採用、で描き直されたのが1958年のミルクチョコレート・・・らしい。森永はボツにしたという理由で、今回の限定パッケージに使ったのかしん?ご担当者に伺ってみたいものだ。(2009,4,23)

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