05/26 ケープコッド

先般、上町教会の日曜学校を紹介して差し上げた三浦のGさんがその縁で店にいらして「懐かしい・・・」とおっしゃる。Gさんはご主人の仕事の関係で世界のアチコチの海辺の街で暮らした経験をお持ちで、そんな街にならウチのような店が必ずあるから戻ったような感覚をお持ちになったようだ。Gさんが住まれたことのある場所をお聞きした中に「・・・イギリスのニューキー・・・」が出てきて、これはなかなか日本で知っている人の少ない場所ながら「ああ、コーンウォールの・・・」と、商売柄僕にはすぐにわかるのでGさんも逆に驚かれたようだ。ニューキーなんていえば普通は場所や土地柄を説明しなきゃならないものの、僕は旅行好きでも豊富な海外経験があるわけでもないが、とにかく海の絵やら写真をみるのが商売だから、自然と画題になりやすい素敵な土地の名前は覚えてしまう。このところ急速にマイブームになっいるのはマサチューセツ州のケープコッドだ。アメリカ東海岸には行ってみたいところが沢山ある。ノースカロライナのアウターバンクス、ニューヨークのロングアイランドやニューヨーク湾入り口のサンディーフック、メイン州のベナブスコット湾やポートアイランド、フロリダのベロビーチ・インディアンリバー、無論思いっきり下ってキーウェスト・・・そんな中で外せないのがマサチューセツのケープコッドだ。

メイフラワー号が大西洋を渡って着いたところはプリマス、これは教科書の載っているけれど、本当に最初に投錨して上陸したのはマサチューセツ州のケープコッド、その先端内側、現在のプロヴィンスタウン、1920年11月19日のことだ。それ以前から、ケープコッドは船乗りたちにとってアメリカの格好の目印だったそうだが、移民ももちろんこの半島を目指してきて徐々に街が出来ると、当時は燃料を薪に頼っていたためケープコッドの樹木は18世紀にはあらかた消えてしまったそうだ。漁業基地として一時栄えたものの、この半島が注目されたのは19世紀中ごろからのリゾート地としての人気からだ。夏涼しい海洋性の気候は快適でニューヨーカーやボストニアンの夏の避暑地として一躍脚光を浴びるようになったのである。現在でも産業らしい産業に乏しく、専ら観光が主体の半島だが、その景観の素晴らしさは折り紙つきで、ここを中心に活動する芸術家は多く特に先端のプロヴィンスタウンは芸術家の街として有名になっている。僕がケープコッドを知ったのはアメリカの灯台をあれこれ勉強していた時だった。アメリカの灯台といえば何と言ってもマサチューセツ州北側のメイン州が主役ではあるが、その次は問われればノースカロライナのアウターバンクスかケープコッドだ。ロングポイント灯台、ウッドエンド灯台、レースポイント灯台、ハイランド灯台、ナウセット灯台、チャタム灯台、それこそ灯台を訪ねるのが好きな人にとってはヨダレが出そうなフォトジェニックな灯台がズラリなのだ。ケープコッドは地質学的にはニューヨークのロングアイランドアイランドと連なるアウターランド(海岸線の外側の列島)だそうだが、ケープコッドの肘から上の部分は堆積の洲で、一説によれば侵食で無くなるとも言われる。

ケープコッドの写真・・・写真家ジョエル・マイヤウィッツが素晴らしい作品を残している。1993年に上梓されたBAY/SKYという写真集である。ジョエル・マイヤウィッツといえば911の後、(誰も立ち入れなかった筈の)グランドゼロを撮り続けた唯一の写真家として再び高名となりストリートフォトグラファーとしての真骨頂を見せ付けたが、そもそも1978年にケープコッドで撮った写真を集めたCape Lightという個展をボストン美術館で開いたのが出世となり、再びケープコッドで撮ったBAY/SKYは現代写真の不朽の名作として評価される。海を撮った写真と言えば僕は杉本博司の海景が一番に頭に浮かぶが、このケープコッドもまた名作、そしてそのジョエル・マイヤウィッツの影響を受けたという野寺治孝によるTOKYO BAYも素晴らしい。海を撮るというテーマ、冷静に考えれば、それは波であったり、ヤシの木であったり、ヨットであったり、様々な視点があって風景を撮るのか海を撮るのかというエッセンスの部分は広範になりがちだ。ジョエル・マイヤウィッツのBAY/SKY、杉本博司の海景、野寺治孝のTOKYO BAY、この三者に共通点を見出すのはジョエル・マイヤウィッツの写真集の題名が如実に語る。BAY/SKY、つまり海を撮るというところにテーマを絞ると、それは海面を撮る事ではなくて空を一緒に撮るという事になるのであり、空の表情や光があって無限ともいえる海の表情が生まれているということだ。僕は芸術方面の出ではないからアーティスティックな価値判断は出来ないけれど、見ようによっては退屈かもしれない海の表情である。そりゃあ、例えばこう言っては何だが杉本博司の海景、太平洋、大西洋、地中海・・・と水平線を撮ったモノクロ写真を見てたってどれも似たようなものである。太平洋なら海が赤いわけではないしましてモノクロ写真である。しかし、それが今日世界的に恐るべき高い評価になっていることを考えつつ(杉本博司の写真は世界中の美術館が血眼になって収集している)、頭の中を真っ白にして見直すと言葉にならない良さがある。このあたり、個人的には野寺治孝のTOKYO BAYを見てみると、やがて難解ともいえるジョエル・マイヤウィッツや杉本博司あたりまで入ってゆけるのではないかと思っている。今や絶版で入手が難しくなりつつあるジョエル・マイヤウィッツのBAY/SKYの額装を試みたものを20点ほど、それと、写真集というものはそれはそれで写真家が意図するところの表現のフォーマットだが本と言う体裁である以上、普通は1ページづつしか見れないところに着目し、野寺治孝のTOKYO BAYは複数枚を組み合わせて額装する試みをやってみた。(これはすごく大変な作業、できるものならやってみな・・・ってなもんである)

すっかり憧れのケープコッドになってしまったものである・・・(2009,5,26)

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