10/02 古いアンカー 船が欲しい

船のアンカー:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

昨日の夕方、店の前に見覚えのある練馬ナンバーの車が・・・実父である。突然来て、「少し釣れたから置いてゆくよ」とイナダとサバをクーラーから取り出す。聞けば、先日次女の運動会を見にきた帰りに道を間違えたどり着いたのが横須賀海辺釣り公園、気に入ったらしく今日は再度行ってみたとのこと。自分の父親を誉めるのは気が引けるが、釣りってえのは、結構ローカルなもんだからタナ(深さ)から餌まで、そこの釣り場の流儀に合わせないと簡単に釣れないのが普通だから、「いやあ、車にロケット(カゴ釣りの浮子のことだと・・・思う)があったからさあ、上手くいったよ」と、涼しい顔でイナダを持ってくるのだから、我が父ながら感心させられる。父と最後に糸を垂れたのはもう20年以上前のことだが、相当上手になっているんだろう。右腕の大怪我はまだまだ治らず、包丁を握るのも不安だったが、帰宅後、イナダの刺身を引くハメに・・・終わった時には、手がまた真っ青な紫色になってしまった。小野寺家はスパルタだったから、釣った魚は自分で下ろすのがルールで、小学校4年生ころには普通に魚を下ろせるようになっていたから、こうして手が不自由でもウロコを引いて、三枚に下ろして、皮を引いて、刺身を引くことができるのだろう。イナダは焼いても煮ても脂が足りないが、刺身には丁度良い。養殖じゃあないから匂いも気にならない。早速、朝から長女など大喜びの朝食である。

父の用事は本当は他にあったようで、昔、熱海マリーナに置いていたボートの名残のアンカーと救命浮環を僕に届けたかったようだ。店のインテリアにも丁度良いものだが・・・これは懐かしい思い出である。わずか15フィートばかりのランナバウトではあったが、北は真鶴、東は初島、南は伊東あたりまで、良く釣りに出かけたもんだ。今は多分、遊漁船は禁止だと思うが、当時は引き釣りでサバやソウダガツオ、メジマグロを釣っていた。僕が最も好きだったのは、熱海の錦ヶ浦の沖合いでのキス釣りで、それこそ尺ギスが面白いように釣れたものだ。この錦ヶ浦の沖の砂地はアンカーの効きがえらく良くて、12-3才の力では抜錨に一苦労したことを特に良く憶えている。その抜錨に苦労したアンカーを持ってきてくれたのだ。

この頃は。長女がやたらと「魚を釣りたい」とせがむ。僕は子供の頃は、釣りもスパルタでやらされた?から、あんまり乗り気になれない。魚を下ろすのもそうだが、釣り糸を結べないと釣りをやらせてもらえなかったのだ。(今は老眼で難しいが、僕の内掛け結びは機械で結ぶより綺麗だと密かに思っている)父がついでに持ってきてくれた25年前に伊豆大島の都釣連の磯釣り大会でたった一度優勝した時の盾・・・こんなものを眺めていると、釣りに出かけたくなる。出来れば小さなボートでも欲しいもんだ。もっと儲からんとなあ・・・苦笑(2009,10,2)

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