02/16 初代観音崎灯台のレンガ

観音崎灯台のレンガ:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

灯台という建造物には一片ならぬ思い入れがある。もっとも灯台といえば、僕が勝手に師匠と思っている灯台太郎こと山口さんのライトハウスキーパー(江の島すばな通り)がデンと構えておられるし、それこそここに集まる人々は筋金入りの灯キチ(失礼!)ばかりだから、「灯台ってえのは・・・」なんて一席ぶつことはとてもできはしない。しかし、オーシャンノートという仕事を始めたきっかけをひとつあげるなら京急観音崎ホテルが運営していた頃の観音崎・レストラン”MATERIA”で見つけた観音崎灯台の模型と思っている。真ん中の写真に写っているものだ。この模型の出所を調べるうち、山口さんと知り合いオーシャンノートの立ち上げに当たってはいろいろと相談させていただいたものだ。先日はお知恵拝借で掛けた電話でそんな昔話をしたら山口さんは「恨んでいない?」と笑いながらおっしゃるが、もちろん身入りは悪く苦労も絶えないが恨むどころか感謝している。

さて、ポスター類ではなかなか灯台の良い作品に出合えない。フランスのジーン・ギチャードやフィリップ、ギロームのプリソン親子にしてもこのところトンと新しい作品がない。それならば・・・自分で作ってしまおうっ!と試行錯誤を重ねて制作に励んでいるのがオリジナルアートシリーズ(限定品、販売終了しました)である。船の写真をイラストタッチで描き直したものを出発点に、灯台シリーズはまた表現方法を変えて作っている。無論、感の良い方ならおわかりの通り、ヒントになっているのは鈴木英人さんの技法だ。簡単に言えば、写真から必要な輪郭だけを抜き出して、その輪郭を墨線として残して塗り絵をすると思えば良い。ただ、一枚仕上げるのは100時間ほど時間がかかる。で、この作品をえらく褒めて下さったのが先般も日記で書いたニューセントルイスの元オーナーのAさんだ。(ちなみに御近所の生粋のスカッ子さんたちとその話をすると、皆「ああ、ニューセンねぇ」とおっしゃる。聞けば初代のニューセンのオーナーは横須賀一の遊び人として知られていたそうであこがれの的だったそうな)そこで教えてくれたのが、日記でも書いたとおり、「観音崎の磯じゃあ旧横須賀製鉄所のレンガが拾えるぞ」とのお話。早速、家族四人で実践した。

あった、あった、ありました。残念ながら、未だ完全な形のものは採取に至らないが、モルタルのついたレンガ・・・このモルタルを慎重にタガネではがすと・・・”ヨコスカ製鉄所”の刻印。(ちなみに鉄は古い字で金へんに夷である)まあ、Aさんが拾ったころからは数十年下っているからはっきり言ってゴロゴロころがっているわけではない。相当少ないといって良いだろう。それにしても、調べれば明治元年(1868年)のレンガだ。142年前に作られたものだ。

御存知のとおり、開国した幕府は江戸条約(1866年)に基づき、全国に8基の洋式灯台を建設することになる。当時幕府が近代化の技術顧問として雇っていたのがフランス人技師レオンス・ヴェルニーでヴェルニーの見立てで横須賀に造船所が作られた。当然、そこには何にもないわけで、まずは西洋式の建物を作るために造船所に設けられた製鉄所ではレンガを焼き西洋式の建物を建てたというわけだ。そしてこのレンガはヴェルニーが設計した条約灯台のうちの4基、観音崎、野島崎、品川、城ケ島の灯台に使われたのである。この4基のヴェルニーの灯台、いずれも地震で倒壊してしまった。さて、明治維新後、横須賀製鉄所は海軍省の管轄となるのでそれ以降(明治4年以降)はレンガは海軍省の刻印に変わったそうだから観音崎で採取できる横須賀製鉄所のレンガは間違いなく初代観音崎灯台のレンガだとわかる。

当時のレンガは薪で焼かれたので、焼成温度が800度程度と低く、小海(今の12号バース付近、米海軍空母の接岸するあたり)あたりの土が使われたそうで黄色っぽいのが特徴だ。石炭を使って1200度で焼成できるようになったのは後のことで、はっきりしているのは明治20年に横浜に設立された日本煉瓦ではきちんとした煉瓦が焼かれたとのことだ。

さて昨夜は久しぶりにAさんが来た。もちろんレンガ採取成功はお知らせしていたので、検分方々見えたのだ。Aさんは当時、完全なレンガを3つほど持っておられたそうで、いまは3つとも手元にないそうだが・・・そのうちのひとつは壁の穴スパゲッテイの社長さんに差し上げたとのこと。聞けば、壁の穴の社長さんの御祖父は松山藩出身で優秀な人材としてスカウトされ横須賀海軍工廠に出仕されていたそうで、その事情からレンガを所望されたのだそうだ。観音崎は横須賀市の史跡発掘調査も入っているし完全なレンガの採取は望み薄いと考えた方が良いようである。でも人生ってえのは何があるかわからない。オリンピックじゃあないが、諦めたら・・・そこで終りである。時間を作ってまた出かけるとしよう。(2010,2,16)

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