03/12 横須賀平坂・3月

横須賀ストーリー:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

3月はお別れの季節だ。期せずして鎌倉の大銀杏が倒れてしまい高校生の頃悪友たちとそこで公暁ごっこをして以来、そこにあるのが当たり前のものが突然無くなることに淋しさを禁じえない。さて、オーシャンノートは横須賀の上町という土地にあり、横須賀市の中心、京浜急行の横須賀中央から歩いてジャスト5分だ。ただし、この5分は結構な5分で、駅を出て海側と反対に向かうのだが、平坂という急な坂道がひかえている。何度かオーシャンノートにお運びいただいているウィルクハーン時代の上司のTさんは「全然平らじゃない平坂」といつも嘆く。それでも昔よりは平ららしく、何でも計画はとん挫したものの衣笠まで路面電車を走らせる計画があったそうで、その時に幾らか坂をなだらかにしたのだとか。確かに明治時代の絵図を見ると、まるで階段のような平坂を見ることができる。

そんな平らじゃない平坂を毎朝登って、めぐみ幼稚園に通う次女と同級のY君とも今日でお別れである。Y君は平坂から上町の商店街でもお馴染みで、オーシャンノートで挨拶して畳屋さんで挨拶して、お惣菜屋さんで挨拶して・・・素晴らしいキャラクターで皆を和ませてくれた彼も幼稚園は今日で最後、あさっては卒業式だ。そして、毎日オーシャンノートの前を通り、平らじゃない平坂を下ってゆくめぐみ幼稚園の園バス・・・こいつに我が子が乗っているのも今日が最後だ。長女と合わせて都合4年間、毎日とまで行かずとも手が空いていれば手を振っていた園バスには、4月から我が子は乗っていない。

そんな平らじゃない平坂・・・先日の商店会の寄り合いで市役所が横須賀のおみやげコンテストをやっているという話が出た。で、昔、さいか屋で小泉カステラとかがあった話から上町界隈には有名人はいなかったなぁ?ということになって、あれこれ話していると「そういえば、山口百恵の横須賀ストーリーの中の”急な坂道”は平坂のことだョ」と花久のご主人がおっしゃる。横須賀じゃ有名な話だそうだが何せ昭和51年の曲である、僕は中学2年くらいでその頃横須賀には無縁だったからそんなお話知る由もない。もちろん、山口百恵さんが横須賀の出身であることは知っていたが、商店会の皆さんは流石に良くご存じで「イリチュウの出身なのよね」とか「市営住宅に住んでいて」とか・・・で、花久のご主人に「会ったことありますか?」と尋ねると「いや、ない」・・・それはそうだ、横須賀にいるころの百恵さんが有名なわけでもなく、花の一本を買ったとしても憶えちゃいないだろう。イリチュウというのは不入斗中学校(イリヤマズと読む)のことで、市営住宅というのは不入斗公園の西側の鶴が丘の市営住宅のことだ。

横須賀ストーリーの中の”急な坂道”が平坂のことか、それとも特定の坂を言っているのかは、実は阿木燿子さんに聞かなきゃわからないことらしい。平坂だと言われている根拠は上町の向こうに住んでいた百恵さんは平坂をいつも通っていたはずだということから来ている。でも待てよ・・・山口百恵さんは昭和34年の生まれ、坂を上って海が見えたというのが子供の頃を指していたら、例えば10歳前後と特定すれば昭和44年あたり、今は平坂からは海は全く見えない。昭和44年頃は海が見えたのだろうか?

こういう時は地の人に聞くに限る。御祖父は横須賀市長も務められ、先日の寄り合いにもおられた釜屋さん(上町の創業100年組!の一店)に聞いてみた。「見えたよ。市役所ができたのも昭和50年代後半だし、百恵さんがいた頃は見えたよ」とのこと。ここで、異説・・・ネットでそのことを調べると、一説には海を見たのは深田の高台(上町のすぐ上だ)にある中央公園からであって、中央公園に向かう坂のことだろうとも言われているらしい。でも、どちらかと言えば、中央公園の下は断崖絶壁だからこれからも海が見えなくなるのは考えにくく、”今も海が見えるでしょうか”という詩の意からすれば平坂説の方が合ってる気がする。ついでに言えば、詩が書かれた昭和51年頃は・・・平坂からまだ海が見えたかもしれない。でも釜屋さん曰く・・・「横須賀はどこに行っても坂だらけで、坂をちょっと登れば海は見えるからねぇ・・・」 

時の流れがシュールな3月である・・・(2010,3,12)

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