10/31 北斎生誕250年・・・だそうだ

葛飾北斎Google:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

誰もがそうかもしれないが、朝起きて最初にすることはPCの起動スイッチを押すことだ。その後トイレをすまして簡単に顔を洗ってうがいをするとPCでブラウザを起動させる。日本では、本日現在ポータルサイトのシェアはYahooが58.0%、Google(日本)が36.7%、地球規模では逆でGoogleが6割、Yahooが3割弱だそうだが永年の習慣でポータルサイトはGoogleに設定してる。今朝はブラウザを開くと(こちらはIE8・・・Win7+IE8になって速いし安定してる。以前のようにEUCで書かれたHTMLソースが文字化けすることもないからFirefoxやらChromeやら使う必要がない。画像や動画の表示・ダウンロードも・・・今やIE8の方が速い)いきなり葛飾北斎の神奈川沖浪裏の画像・・・北斎の生誕日は二説あるけれどGoogleでは10月31日を採って1760年から数えて葛飾北斎生誕250周年ということだそうだ。

葛飾北斎神奈川沖浪裏・クィーンメリー2:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

相変わらずGoogleさんの画像加工はお上手だが不肖小野寺も負けちゃあいない(笑)  今年2月のクイーンメリー2日本寄港を記念して限定制作したポストカードセットの一枚は神奈川沖浪裏をトリビュートさせていただいた。(売り切れました)  制作記は少しだけ1月の店長日記に書いたが、僕の調べた限りでは神奈川沖浪裏の”神奈川”は普通に思い浮かべる現在の京浜急行神奈川駅あたりの神奈川ではなくて丁度本牧沖のあたりと思われる。北斎は神奈川沖浪裏を描く30年以上前に本牧の沖で2枚程波の絵を描いているし、当時の本牧岬はあんな巨大な波ではないものの結構な波が立つ海域だったそうだ。また、ここに描かれた当時の沿岸高速カッター船である押送船(おしおくりぶね)の航路は今の館山や木更津あたりから江戸となると本牧が合致するし、恐らくはヨコハマやホンモクの地名が全国的に知名度が低かったのでカナガワとしたのではないかと推測される。となれば、横浜を出港するクイーンメリー2が本牧沖を往くのはドンピシャリの構図・・・というシャレだったのだ。ちなみに、ライバルの広重も本牧を描いている・・・

浮世絵の研究はそれはそれで面白くて、もちろんアダチ版画研究所のような版木から彫り直すといった王動のアプローチとは違うけれども、密かな発見も多々ある。

件の神奈川沖浪裏は、日本にはあまり良いものは残されておらず、ボストン美術館が確か8枚ほど持っていて、そのうちの一枚が全世界的に引用されてる有名なものである。一般にポスターなどになっている綺麗なものは明治・大正期に再版されたものでオリジナルはどれも空がくすんでいる。で、僕がこのボストン所蔵を元に復刻に取り組んだ結果・・・空の左側の雲の形状が一般に知られているものと違う。結論は出ていないけれど、機械は正直だからオリジナルの画像を輪郭=墨線抽出のために仮データ加工するとその”違う”雲の線が出てきて違う神奈川沖浪裏が現出する。もしかしたら・・・版木が複数あったかもしれない。

葛飾北斎・怒涛図・海上の不二:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

北斎は引越し好きだったそうで生涯の住んだ処は90ヶ所に上るという。晩年、逗留したことで知られるのは長野の小布施、ここに素晴らしい天井画が残されている。北斎の”波”は齢を重ねるごとに迫力を増してゆくが、その完成形といえるのが屋台(山車)に描かれた”男波女波”である。これは肉筆天井画なので浮世絵版画にはなっていない。通常、この天井画を写真に撮ろうとすると絵の手前にワイヤー(紐?)があって台無しなのだが、某外国人氏がこの邪魔者を除いた写真を持っていて好意的にデータをご提供いただいた。古い画像だったので色の復元が骨だったがこれも満足できる作品にできた。

最後に珍作品・・・最晩年の絵手本”富嶽百景”・・・これはライバルの広重が次第に自分に迫る名声を博しつつあったことに対する北斎究極のアンサーだったといわれる。「これは真似できまい・・・」というわけだ。あとがきでは「70歳までの絵はとるに足らぬもの・・・」だったと創作にたいする狂人的な意欲を顕している。この富嶽百景のなかにある”海上の不二”は神奈川沖波裏を越える作品といわれており、ダイナミックに砕ける波頭はだましえで千鳥に変化してゆく。”海上の不二”は版画浮世絵にはなっておらず・・・在所不明な屏風絵を元に復元した。(この作品など・・・本当にアダチ版画さんあたりで新たに版木を彫って”250年目の新作”にでもしてもらいたいものだ) (2010,10,31)

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