01/05 歴史 コピペにご用心

横須賀海辺釣り公園20110105:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

娘たちと三人で注文した雑誌を本屋までとりに行くが、寒いので自転車を断念。歩いて丘を下ってたら誰とは無しにそんな気分で、海釣り公園まで歩く。わずか十数分の歩きも”海を一望に望む仕事場”に篭りっきりになりがちで、このところ調べごとに振り回され、どんどん深みにはまってる僕にはアリガタイ。娘たちも正月のご馳走攻めが回復せずやや食欲不振なので良かったろう。

今、歴史ブームだとか。歴女なる言葉も造語されてるようだし(そういう女性に会ったことはないが)、しかしながら人文科学のお勉強は歴史を学ぶことにあると思ってるので大変宜しいことだと感じている。ただ、要注意なのは、過去のことは自分の目で見てきた出来事ではないので、手紙や証文など史料が現存している出来事は動かぬ事実だとしても、”書かれた”歴史はそれが真実だと単純には思わぬことである。学者にも作家にも研究の末に組み上げた自説があるのだ。

昔の上司の経験談。ある家具納入の案件で深刻なクレームが発生した。お詫びに行って調査のレポートを提出したら、見るなり中身も見ずに突き返されたという。あろうことか、数種類か出したすべての書類の宛名に誤字・・・何でそんなことになったかといえば、PCで作業してコピペをしくじったらしい。そして間違ったままの宛名が全部にコピペされたといわけだ。そりゃあ激怒するなあ。笑えない話だ。僕も同じ思いをした。調べ事をして偶然見つけたのだが、某オークションで英国の写真家Bekenの写真を出していた出品者がおられて、その商品説明文が全部当社のウェブからのコピペだったのだ。別に、お断りがあったわけじゃないから責任も感じないが、僕のコピーは僕が自分で徹底的に調べて引用なしに事象を特定し所感も盛り込んだ主観的なものだから、僕以外の(当社以外の)誰かが客観的な論説として引用されるには無理がある。でも、そういうことが実際にあるのだ。伝言ゲームじゃないが、もし、どこかで間違うと、ずっと先までそのまま伝わってしまうかもしれない。

今、新たに取り組んでる仕事はなかなか厄介である。二十数枚の絵の大して長文でもない説明文を書くのに、もう昨年暮れからずっと掛かりっきりなのだ。ほとんどが戦前の客船黄金時代期のグラフィックだが、少なくとも平均的収集家+ くらいの知識はあるので自信たっぷり、なめてかかったら偉い思惑違いで、スイスイ書き始めて確かめようと再度調べると(この手の研究は意外に進んでないから、問題のちょっとした資料探しだけで時間がかかる。当然英語、仏語、独語が多く尚更である)、オリジナル製作年、作者に新発見があったりするのだ。酷いものだと、今日に伝わるオリジナルの複製とされるのもが・・・実は縦横比の変えられたものだったという珍発見に出くわしたりする。泣く泣く商品リリースを断念したり・・・こうして歴史は書き換えられるのである。(苦笑)

また、ある作品・成果物の規定には苦しい思いをすることも多々ある。後世、僕たちはモダンだ、アールデコだ、バウハウスだ、果てはポストモダンなどとやるわけだが、創造した御当人がそんなことを考えて創作しただろうか?でも・・・規定したがるし、要領良く伝えるためにはそうせざるを得ない。これが・・・苦しい。特に1910年代から40年代はそれが混沌としてて、妙に細分化されてて、結局、そのアーティストの出自を調べて何たるかを規定せざるを得ないのがつらい。以前、料理とか音楽の話で書いたとおり、創造は引用に依るところ大だから(オマージュなんて題名がついてれば愉快なもん)、その引用元をお勉強しなきゃならない。何で今更ルネサンス様式の絵画を穴の開くほど見てるんだろう・・・そんな瞬間にややパラノイアに陥る(笑)

ゲイジュツ(を理解する)は難しい(笑) マグリットの展覧会を見て何かを見ようと空を見たり、エッシャーの甲賀コレクションのレゾネカタログをお金を工面して買ったりしてた頃が懐かしい。理解するより・・・それを楽しむが宜しい!(2011,1,5)

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