02/24 やり残したこと

誰もがそうかもしれないけれど、その歳になってみれば思うよりも老け込んじゃあいないものである。そうは言っても、誰であれ神のみぞ知る残された時間が日に日に減っていることは事実であり、今やっておかないと出来ないと思い立つこともある。”弾き語り”をやらなきゃイケナイんじゃあないかと思い立ってしまった。目指すは・・・日本武道館でも東京ドームでもなく、横須賀中央駅前のYデッキである!(笑)

もう、ギター道楽はやめている。独身時代はギターにつぎ込んだもので、総額で数百万円になるだろう。でも、ギターを何十本持っていても手が二本で指が十本であることには変わりなく、海辺の町のマンション住まいでは高価な楽器のコンディション維持が困難だった。結局、今はマーチンとヤマハが一本づつ残るのみだ。この残ったギターで、”フォークソング”(笑)を歌えなくはないのだけれど、やろうとすることに対して楽器が上等すぎて宜しくない。ちょいと買い物に行くのにいちいちロールスロイスに乗って行くのはナンセンスだ。 で、”どうでもいいギター”を物色している。軽くて、音がデカく、調弦したままでへっちゃらで、雨にあたっても大丈夫、そしてヤル気マンマンになるギター・・・そう、国産のベニアのギターがいい。

30年くらい前は、今みたいにマーチンやらギブソンが楽器屋さんも含めて街に溢れていることはなくて、そういう舶来品は楽器屋さんにあったとしても手の届かないショーケースの中に鎮座していたもので、触らせてもらうのに手を洗ってから・・・なんてこともあった。もちろん、「ちょっと弾いてみていいですか?」なんて言い出せるもんじゃあない。ギターを弾かせてもらうのに、しっかり練習してからじゃあないと恥ずかしいくらいだったのだ。(随分経って、大久保の楽器屋さんで珍しいエラーズのギターを見つけて夢中で弾いてたら他のお客さん数名が僕の演奏に聞き入ってくれてたことがある。ギター小僧時代の無念を晴らしたものだ) 高校生ギター小僧の僕に、近所の楽器屋さんの親しかった店員さんが「マーチンフェアをやる」と教えてくれて、買えないとわかっていても「D-28も飾るから弾きにおいで」と親切にしてもらったのも懐かしい思い出だ。無論、弾いてもちっとも良さがわからなかった。当時のマーチンは板が厚くて新品の音は悪かったのだ。マーチンの良さがわかったのはその7〜8年後、中古のD-76を買った時である。あの鈴が鳴るようなマーチンの音を初めて知った。

で、ギター小僧だった僕が、当時の記憶をたどって安価などうでもいいやる気マンマンギターを探すと・・・同じようなことを考える人は多いらしくて、”国産ヴィンテージ”などと称してベニアのギターが結構な値段で売られている。2000円も出せば、当時3万くらいだったのが買えるのだと踏んでいたら大間違いで、少年ジャンプとかヤングギターとかで通販で売っていたトムソン(英字ではTomsonでGibsonとそっくりのロゴだった)なんか、人気のチューンOマチックブリッジ付のDOVEのコピー品に10万円!! もの値段がついている。唖然・・・当時だって3万しなかった筈で、幾ら鈴木バイオリン(木曽鈴木かも)製とは言え破格だ。やっぱり人気なのは東海楽器のCat's Eyesで当時の定価の3割位で売ってる。友達がなけなしのバイト代をはたいて買ったキャッツアイを良く弾いていて、当時、マーチンと提携していたから形は良くコピーされつつ、音は全然マーチンじゃあない印象が強く今は敬遠だが・・・ 意外なのは、ヘッドウェイが評価が高いのは当然にせよ、PearlとかGrecoの評価が高いこと。パールはドラムの会社だしグレコはエレキで有名だったから、ギター小僧が当時あちこちで弾いて太鼓判のパールやらグレコが隠れた名品と知る人は少ないと思って狙ったら知ってる人は知ってる・・・高い。”パールのギターは林楽器が生産、当時林楽器には百瀬氏が在籍していて・・・”とか”当時、全音には田原氏がいて・・・”などと、後にちょっと名の売れた職人さんの名前まで出して、当の百瀬氏や田原氏が作ったとは確かめようもないのに高値がつくのは・・・すご過ぎる。ここにもアキバ的な世界が押し寄せている。参った・・・

5年前に声帯ポリープの手術をやって声も変わってしまったし、もう高い方のAはおろかGだってやっとになってしまったけれど、またジャンジャカジャンジャカやりながら歌ってみようってえ気分になるのは悪いことじゃあないと思ってる。目指せYデッキである (2011,2,24)

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