06/21 客船クイーンエリザベス2世 引退

客船・クイーンエリザベス2世がとうとう引退する。1969年の処女航海から38年、名実ともに客船の代名詞だった船である。普通に見れば、「ああ、豪華客船・・・か」としか認識されていないのであろうが、この船にはキュナードと大英帝国の想いと思惑が込められていた。それは今でも・・・そうらしい。

キュナードはサミュエル・キュナードが19世紀半ばに設立し、英国とカナダ・ハリファックスを結ぶ定期路線運行を目的としていた。帆船は風まかせ、多少船足が遅くとも確実に時間が読める汽船は魅力的だった。当時の船足だと、ウィークリー運行には4隻の船が必要だった・・・ということは8〜9ノット、10数日かかっていたということだ。これが事業として成功したのは郵便輸送を請け負ったからだ。昔の船の名前の前に”RMS”とあるのは、この郵便業務、Royal Mail Shipの意味だ。(タイタニックもR.M.S. Titanicである。因みに英国の軍艦のHMSはHer Majesty Ship、つまり女王陛下の船という意味)以来、英国の客船会社として大西洋の覇権?(大ゲサ?)を賭けてきた。20世紀に入りアキタニア、モーレタニア、ルシタニアを擁し揺ぎ無い三隻体制を築くが、第一次大戦では兵員輸送に徴収、高速客船の有用性を実証するもルシタニアを失う。技術は日進月歩で、やがてウィークリー2隻体制時代が来る。29ノットの速力が必要だ。キュナードはクイーンメリーとクイーンエリザベスを建造する。一隻目のクイーンメリー建造中には世界恐慌で工事が中断、英国政府からの950万ポンドの緊急融資の条件は、タイタニックの事故以来、経営不振だったホワイトスターとの合併、キュナードホワイトスター社の誕生である。そして念願のクイーンエリザベス就航!となるものの、進水の前日に英国が第二次世界大戦参戦、戦前、”クイーンズ”は幻となった。戦後、ライバルの船は皆沈んでしまい、大西洋航路は生き残った”クイーンズ”の独壇場であった。そして・・・飛行機の時代になってゆくのである。

クイーンエリベス2世号は、クイーンメリーの引退(現在もロングビーチで係留、ホテルとして利用される)、クイーンエリザベスの老朽化(その後、香港での再利用が決まるも、火災で沈没)の後、キュナードの花形として登場する・・・はずであった。速度は32.5ノット、大西洋横断定期運行を前提として建造された。船体の堅牢さは折り紙つきだった。命名について、諸説ある。船としてのクイーンエリザベスの2世という説と、現女王クイーンエリザベス2世の名を戴いたというものである。僕が知る限りは女王の名を貰った筈・・・である。今はキュナードのホームページでも"Queen Elizabeth 2"と表記されるが、以前はローマ数字だったはず。2003年就航の"Queen Mary 2"、こちらは正真正銘、女王様の2世がいないので、単に船の名前を受け継いだ。それで初めから"2"の表記だったと記憶する。

その美しさだけでなく、大西洋を定期横断できる実力、このあたりが、定期運行船ではなくクルーズに使用されながらも、海の女王としてクイーンエリザベス2世が君臨してきた所以だ。その実力は、実際にフォークランド紛争に兵員輸送で従事したことからも推し量ることができる。図体ばかりのクルーズ船とは違うのである。七つの海の覇者であった英国のプライドはクイーンメリー2にも受け継がれているという。こちらは、生まれからしてクルーズ目的ではあるものの、やはりイザというときは兵員を輸送できる実力をもっているそうだ。そして、この秋、9万トンのクイーンビクトリアの就航を受け、クイーンエリザベス2世は引退することになった。去就が注目されていたが、UAEのドバイ政府が1億ドル(約120億円)で購入、2009年にはホテルとして開業するという。

クイーンエリザベス2世・・・といえば、横浜への初入港は1975年のこと。大桟橋に見に行ったのを憶えている。夜も遅かったが、父が船員を捕まえて「プリーズ!マイ・ベビー!」と僕を指差しながらまくしたて、メニューブックを貰った。僕はその時、小学校6年だったと思うから、マイ・ベビーはないだろう、と思うが良い思い出だ。父はその後、僕が4本モールを付けた船長さんになるのを夢見たようだが・・・果たせなんだ・・・(2007,6,21)

Ocean-Note, Queen Elizabeth 2, J. Olsen 1983

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