01/05 アメリカスカップ 続き

アメリカスカップのトロフィー20120105:店長日記の写真:ポスター販売・Ocean-Note

オリジナルの状態のアメリカスカップの写真は余り見つからない。上左の写真は1951年に英国の博覧会に貸し出していたのがニューヨークに戻ったのを機に、クラブハウス内大広間=ハーフハルモデルが一面に飾ってある、いわゆる”ザ・モデルルーム”から、新たに作られたトロフィールームに写された時に撮影されたアメリカスカップの写真とされている。

さてカップ本体には何やら字が刻んである。いわゆるオールドイングリッシュのような字体なので銀製の水差しだから反射もあってなかなか読めない。

100 Guinea Cup won August 22nd, 1851, at Cowes, England. By Yacht AMERCA, at the Royal Yacht Squadron Regatta, "Open to all Nations"

”すべての国に開かれた”が強調されているのは・・・ある意味皮肉である。とんねるずの”泣きのもう一回”ではないが、はるばる大西洋を渡ってワイト島カウズまで行ったのに、敷居の高いロイヤルヨットスクォードロンはアメリカ号のレース参加を認めず、各方面からお願いした末、やっとのことでワイト島一周レースに出ることができたのだ。ちなみにワイト島一周レースは大体、淡路島を一周する感じだという。次にレースに負けた英国の13艇の名前が書いてある。

Alarm (193t カッター),Arow (84t カッター),Bacchante (80t カッター),Beatrice (117t スクーナー),Brilliant (393t スクーナー),Constance (136スクーナー),Eclipse (50t カッター),Freak (60t スクーナー),Gipsy Queen (99t スクーナー),Ione (57t スクーナー),Mona (56t カッター),Volante (48t カッター),Wyvern (127t スクーナー)

なぜか2位だったオーロラ、Aurora (47t カッター)の名前は刻まれていない。

Schooner AMERICA, 170 tons Commodore JOHON C. STEVENS Build by GEORGE STEERS of New York 1851

Presented to the NEW YORK YACHT CLUB as a Challenge Cup Open to all Foreign Clubs By Owners

余程、英国では屈辱的な扱いを受けたのだろう。最後にも丁寧に”すべての国のクラブからの挑戦を受ける”としてある。英国にしてみれば、とうとう叶わなかったけれどもカップを奪還して鋳つぶしてしまいたかったことだろう。

ずいぶん若い頃に、会社で厳しくも優しかったお隣の部署の課長さんには良く説教された。ある時「小野寺、愛からは何も生まれないよ。憎しみとか恨みが一番強力なパワーになるんだよ」とコンコンと言われた。確か、上司にコテンパにやられて凹んでいた時に言ってくれたのだったと思う。要は、「悔しかったら見返してみろ!」というわけだ。(また別の時は「小野寺、いやな上司とあたちゃったら思いっきり働け。そうすりゃ、その上司は出世して居なくなるから」・・・これは本当にそうだった 笑)

1983年に、ついにアメリカは負けてアメリカスカップはオーストラリアに渡るが、この立役者、オーストラリアのアラン・ボンドは、1970年にニューポートの船だまりでとある12mクラスカップ艇のヨットを覗きこんだらポカリと一発殴られて罵倒されたことから打倒ニューヨークヨットクラブ!を宿願としてアメリカスカップに挑戦、13年後ついに望みを果たしたのである。

この時に負けたデニス・コナーは有名だから書くこともないが、個人的にはコマーシャリズムを持ちこんでアメリカスカップを台無しにした張本人と思うものの、心情はよくわかる。ニョーヨークヨットクラブのためにせいぜい働いたのに、結局、肝心なところでウィングキールの是非について味方になってくれず孤独な戦いをした挙句、負けたら誰も寄り添ってはくれず冷淡で・・・そりゃあ自力でスポンサーを捕まえて自分が属する本当のクラブ(この場合はサンディエゴヨットクラブ)から好きなように奪回をやりたわなあ・・・見事にカップ奪還を果たしたのはご存知の通り。その後、ニューヨークヨットクラブはカップとは無縁である。

今のカップは台座がふたつ追加でくっつけられて背が高くなっている。勝者の名前を刻むスペースが足りなくなったからだ。ちなみに、広くヴィクトリア女王から下賜されたカップとなっているが(日本版ウィキにもそのように書いてある)、これはウソ。1848年にロンドンのロバート・アンド・セバスチャン・ガラードという宝飾店で3個ほど作られたもので、これをロイヤルヨットククォードロンが買った。使い道のなかった水差しがたまたま1851年のワイト島レースのトロフィーになっただけである。水差しといっても底はないそうだから、F1の優勝カップや相撲の大関杯のようにこいつに並々とシャンパンやらお酒を注いで飲むことはできないそうだ (2012,1,5)

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