04/18 日本郵船・幻の太平洋航路客船

用事で中野の実家に行った。僕が中学のころは偏差値絶頂期で、年に何回か受ける学力テストのオレンジ色の成績表を親子先生ともどもにらめっこしてケンケンガクガクやったものだった。今から思えば”身の程”というものがあるわけで、本人の能力をよくよく見てやれば良いものを・・・申し訳ないこととは思いつつ今になって両親にはやんわりと恨みごとを言わせていただいている。

次女は僕が教員免許をもっていることを信じてくれないので、行ったついでに免許を探していると小学校から大学までの成績表がごっそりあって、久しぶりに小学校時代の我が通知表を見て両親が僕に空しい期待を寄せたのも無理はないもんだと思った。今更、先生方を恨むつもりはなく当然感謝の念だけをいだくのみではあるが・・・

「成績も良好です」「すべてにおいて速度はありますが粗雑です」(3年)「能力もありやればできるのですが(出ました決め文句!)努力しないため良い結果が得られません。残念です」(4年)「優れた能力を持っていますので、今後の努力によっては素晴らしい力が・・・」(6年)

こう書かれちゃ親もその気になるわなあ・・・まあ、ついでに書けば「わがまま」「自分勝手」「勝ち気」「権利主張が強い」あたりは先生方みなさんの共通した意見で、一方「明るく」「素直」とも記されている。これは確かに一生変わらないものではあるなあ(苦笑)

父もその頃のことを思い出して、QE2が横浜に来たこと、NHKで商船大学の練習航海を見たこと、そして父が小型船舶の免許をとったことなどが重なって・・・親子共々、僕が商船大学に進み船乗りになることにあこがれていたことを思い出して笑い転げてしまった。何せ、僕が外国航路の船長になって横浜あたりに入港するのを父がクルーザーでお迎えするという壮大な夢物語だったのだ(笑)

まあ、夢は夢で、その当時はすでに氷川丸も退役して日本に太平洋航路の定期客船などないことなぞ承知しちゃあいない。

そんなことを思っていたら、日本郵船の幻の太平洋航路客船のことを思い出した。残念ながら資料を手元に持ってはいないが、以下、高橋光彦さん著”クリスタルクルーズの20年”に”二引きの旗のもとに 日本郵船100年史”から引用されている一文を引用する。

氷川丸引退か? の噂を伝え聞いた社内外から、「何とかもう一度、客船を造ってくれ」という声が、潮のように押し寄せてきたという。日本郵船も客船事業を存続すべきか、撤退の道を選ぶのか、非常に苦悩した。客船継続論を、単なるノスタルジアで片付けるわけにはいかない。客船は、「もの」と「人」でつくる芸術品であり、その国の文化遺産でもある。だからこそ欧州では、外洋を走る豪華客船を持たなければ、一流の海運会社と見なされない時代があった。金があれば、誰でもタンカーを持つことはできる。それは「もの」自体だからである。しかし客船は、金で買うことはできない。「人」自身だからである。客船を継続することは一つの文化(技術)の伝承であり、廃めることはその中絶を意味する。この日本に、伝承できるものは日本郵船しかいない

3万1000トン、航海速力26ノット(※1ノット=時速1・852キロ)、最高速力31ノット、客船定員1200人。これを2 隻そろえて、サンフランシスコ、ロサンゼルスの航路に配船する。船価は2隻で250〜300億円という概算である。
(中略)
 日本船主協会、海運造船振興協議会など業界団体から客船建造の要望書が出された。ホノルルやロサンゼルスの日系人商業会議所から総理大臣あての要望書も到着した。
 運輸省(当時)は田中委員長の強力なバックアップと、これらの要望により1959年度予算で一般会計10 億円、財政投融資13 億7500 万円の予算案を策定。計画通りに進めば第一船は63 年7 月、第2 船は64 年7 月に完成するはずであった。
 しかし天災が夢のプランを本当に夢のままにしてしまう。
 59年9月に猛烈な台風が紀伊半島や東海地方を襲い、5000人以上の死者・行方不明者を出した。伊勢湾台風である。当時の大蔵大臣・佐藤栄作は客船に当てていた予算を伊勢湾台風被害の救済復旧にまわすことを決定。こうして新造船プランは伊勢湾台風という風と共に去ってしまう。
 日本郵船首脳は、ジェット機時代を迎えて、もはや客船の時代は去ったと判断するしかなかった。氷川丸の引退、そして客船業務からの撤退を決断した。経済合理性という厳しい現実が、ついに海からロマンを奪った 引用ここまで

昨年は残念ながら船の科学館が休館になってしまった。海の向こうに目をやればどこの国でも官立の海事博物館的なものはあるのに日本ではなかなか難しい。引用の文にあるように、ひとつの文化が廃れてしまったのかもしれない。幻の太平洋航路客船があれば違ったかもしれない。少なくとも僕の船長は”たられば”にもならない話だったけれど、郵船の幻の客船は”たられば”に足る勿体ない話だったと思っている。(2012,4,18)

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