1. 船の科学館の二式大艇

ある日、電話が掛かってきて「ロープノットの額はありますか?」とおっしゃる。仙台のお知り合いの退職祝いに贈られるのだそうだ。メールで商品の写真をお見せしたりやりとりはしたのだが、そこに同梱するお手紙を昨夜わざわざ持参された。するとこの方、清水さん、実は船の科学館の学芸員をされているのだそうだ。僕は東京の生まれ育ちで、20歳前後の頃はあんなに整備される前のお台場あたりは良く行っていた。東京の海はあそこが一番近くてきれいだったのだ。特に船の科学館の海に向って左手には入り江があってそこをさらに進むときれいな砂浜があったのだ。清水さんによれば潮干狩りもできたのだという。そんなこんなを話していると二式大艇の話になった

4〜5日前、テレビを見てたら、横浜根岸湾の飛行艇の基地を回想する番組に出くわした。わずか30分なのだがとても面白かった。戦前の飛行艇が離水する映像など、なかなか見れるものではない。これによれば、現在の横浜富岡総合公園が横浜海軍航空隊の基地だったそうで、その隣には日本航空株式会社の南洋航路の基地があった。当時のパイロットも出演して、根岸湾を滑走する飛行艇のことを語るのだが、面白いのは、飛行艇というものはある程度波風がないと離水できないそうで、静かな時は根岸湾の向こう岸まで届きそうになってやっと離水できたのだとか、当時の運賃は大卒初任給の半分くらいだったとか・・・

二式大艇は川西航空機(現在の新明和工業)が作った空前絶後の傑作機であることは知っていた。日本が世界に誇れる飛行機は零戦でも隼でもなく、二式大艇と戦後のYS-11なのだ。この二式大艇、件のテレビによれば連合軍が進駐してきたとき、全て根岸湾に沈められてしまったのだとか。一機だけがテスト用に生き残り、アメリカでテストされた。アメリカ人はその高性能に目を白黒させたそうだ。これが日本に返還されて永らく船の科学館に展示されていた。ご覧になったことのある方も多いと思う。ところが2年前、鹿児島の鹿屋に移されたそうで、清水さんによれば何と無償だったのだそうだ。二式大艇の維持、足場を組んで塗装を直すだけでも一千万円では済まないそうで(そもそも米国から引き取って復元する際には1億5千万円近くかかったとか)、これは船の科学館にしてみればネックだった。元海軍軍人にして元海上自衛隊自衛官のNさんが先日おっしゃていた。「三笠の前に二式大艇や零戦を持ってこようと運動したことがあって・・・」元海軍の方々の集まり、伊呂波会での話らしい。無償? Nさんに話したら伊呂波会に伝わりさぞ残念がるだろう。(2007,3,26初稿、2015年加筆)

【船と港のエッセイ】 CONTENT【船と港のエッセイ】 船の科学館にて海王丸を見送る【船と港のエッセイ】