6. 戦没船員の碑 2008

昨日は海の日だ。海の日は、元々、明治天皇が明治丸で東北巡航から横浜に戻られた日を記念して制定されたものだ。国民の休日になったのは1996年、祝日法改正で2003年からは7月第三月曜となっている。成人の日や敬老の日が毎年違う日なのに違和感があるのは僕だけだろうか?海の日も同様、それなりに云われがあって決まっているのだから、連休のためっていうのも変な気がする。

海の日の前日の某紙にこんな記事があった。かいつまんで引用すれば「大戦で戦場に行った兵士、陸軍では20%、海軍では16%の将兵が帰還できなかった・・・軍人でもない商船の船員の未帰還率は驚くなかれ43%だった・・・当時の海軍の関心は艦隊決戦にあり、輸送船や商船の護衛任務は嫌われた・・・2500隻6万人の船員を失い補給を絶たれて日本は負けた・・・」という書き出し、曰く、欧米の海軍は元々海運の護衛のために作られたものだが、日本の海軍は軍艦同士の決戦に目を奪われ、海運なしで成り立たない国の成り立ちを忘れてしまったとうもの。僕の思うところでもあるが、記事中にある、社団法人海洋会の杉崎昭生さんの「残念ながら日本は農耕民族で、いまだに海洋民族でない。海への関心が持続できないのです」の言葉が印象的だ。

観音崎にある戦没海員の碑は、昭和44年の除幕式の際も皇太子時代の天皇陛下がご臨席されたと聞いている。今でも、天皇ご一家が葉山で静養される際、帰りに寄られることも度々、直近では2007年の10月にも献花されている。戦没海員の碑は、とりわけロケーションの良い場所で、内東京湾と外東京湾の両方が前後に望める。観音崎散策の際は是非立ち寄られることをお勧めする(2008,7,22初稿、2015年加筆)

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