11. APLの客船プレジデントウィルソン

APLの客船プレジデントウィルソン

昨年末の優良商店表彰の時にはまかぜ新聞社の取材を受けたのだが、その記事が掲載されて日に5本ばかりのお電話をいただいている。もちろんご来店のお客様も多い。記事をご覧になって見えた方の中に意外な方もおられる。飯塚羚児画伯のご子息にあたる方である。恥ずかしながら、飯塚羚児画伯の名を言われても、すぐに手を打てるほど教養が無く、いろいろと業績を教えていただいた。無論、ご存知の方は多いことと思うので簡単に書けば、戦前は少年倶楽部などの雑誌に軍艦や帆船の挿絵を描き少年達のあこがれの存在として著名になられ、戦後は海洋画家・版画家としてご活躍された。良くあるタイトルだが、やはり徹底したメディア嫌いで「孤高の画家」とも言われる。沖縄海洋博の為に製作された日本丸は香川県琴平の海洋博物館に所蔵、咸臨丸の絵は防衛大学に飾られている・・・などなど。

とか何とかやっているといつも楽しいK様が立ち寄られた。いつも病院の帰りにお立ち寄りになられるのだが、Kさん、お年をお尋ねしたことは無いものの、恐らくは昭和初めのお生まれと拝察する。今日はおみやげに画像の絵葉書を頂戴した。APL=アメリカン・プレジデント・ラインズの客船プレジデント・ウィルソン(15359t)だ。何とKさんはこの船のパーサーを勤めておられたのだ。以前からお話はお聞きして、1953年、エリザベス女王の載冠式に皇太子殿下(現天皇陛下)が乗船された時のお話とか、当時の丸の内のAPLの東京支店のお話とか・・・本でもDVDでもない、本当のリアルなお話をお聞かせいただけるので僕もKさんが立ち寄られるのを楽しみにしている。今日は、当時のAPLの身分証(乗船パス)をお見せいただき唸ってしまった。APLは昭和37年生まれの僕には縁が薄い話になるが、戦前生まれの方にとっては、まさにあこがれの客船会社だった。あの「あこがれのハワイ航路」もAPLの事を歌っているのだそうだ。僕の客船研究は、現段階では大西洋航路オンリーで太平洋航路には手が付いていないのだが、APLはアメリカ政府出資の船会社で現実的には東アジアの駐留軍将官御用達の客船運航という色合いも強かったらしい。アメリカは戦時中に大量の客船型の兵員輸送船を建造したが、そのうちの未完成船をそのまま流用したのがプレジデントクリーヴランドとプレジデントウィルソンだ。速度は19ノット、西航はサンフランシスコ〜ロサンゼルス〜ホノルル〜マニラ〜香港〜横浜(この頃、大桟橋は米軍に接収されサウスピアーと呼ばれていたそうな)、東航は大圏航路をとってベーリング海まで北上して西海岸へ戻る航程だった。1952年には奇しくも大桟橋返還と時を同じくして民間会社に転換、Kさんが乗船されたのはこれ以降のことと思われる。Kさんは、その後70年代までAPLにお勤めだったそうで、1976年にはセール1976(伝説のアメリカ建国200年の帆船パレード)の世話役などもこなされたそうで、今度はその時の資料も見せて下さるそうだ。今から楽しみである(2009,1,17初稿、2015年加筆)

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