30. 横浜みなと博物館

横浜みなと博物館

一月半ぶりの横浜。横浜みなと博物館の客船ポスター展の会期がいよいよ終わりなので家族四人で出掛ける。弁当開きは例によって大桟橋。ロイヤルウィングのトップデッキにもサンタクロースが乗っかって、今日くらい北風が吹いてりゃ冬の風情一色である。

横浜マリタイムミュージアムが横浜みなと博物館に衣替えしてからは初めての訪館、常設展の方は見なかったけれど客船ポスター展は素晴らしかった。見たことがあるものもあったが、ほとんどは初めて見るものばかりで、日本は敗戦で何もかも燃えて無くなってしまってるとばかり思っていたが、あるところにはあるんだと認識を改めた次第。出展協力者の中にはお客様としてお付き合いのある方もおられて「ウンウン成程」とうなづきつつ、函館の図書館や神戸大学の所蔵品は未知だったし、どうしても1920年代から1940年あたりまではフランスや英国の客船ポスターが飛び抜けて優れているのでそっちの方に目が行ってばかりだったから、純粋にデザイン的の優劣では一歩劣ると感じるのは止むをえないものの、目を留める価値は十二分にあるものだった。職員の方とお話したら、今回は、わざわざ欧州から見に来た個人研究者なども居られたほどだそうだ。

客船ポスターに限らず、そういったものがもっと広く目に触れるためにも、博物館の底上げが必要だと感じる。どこの市区町村も、そこそこの人口=予算規模を持っていれば博物館・資料館的なものを持っているだろうが、運営は厳しいものと思う。横須賀の博物館には、当社でも良くお買い物していただいた天皇陛下のご友人の元館長さんがおられて、何でも陛下は元館長さんに会うために即位されてからも数度博物館を訪問されたとか・・・しかしながら、その元館長さんはと言えば、御身分は単に横須賀市の職員であり、役所の筋に聞けばその元館長さんのように定年まで博物館員を全うされるような方は稀で、普通は学芸員といえば聞こえはいいけれど公務員として人事的な側面からは不安定な立場な方が殆どで、とても研究に没頭できる環境ではないのだそうだ。大学で自然科学を研究するのと違い、特に人文科学の研究と言うのは難しいものらしい。その研究は主に過去のものでありマネーの種にはなりにくいからだ。

横浜みなと博物館も詳しい事情は関知しないが、マリタイムミュージアムの企画運営はかつて東京の某企画設計会社が請け負っていた筈で、それがいろいろな面で齟齬をきたしていたものと推察される。上手くいってりゃ衣替えする必要は無かった筈である。いずれにせよ、その辺がもっともっと上手く行ってくれないと、まだ未分類のまま埋もれている史料が山ほどあるのかもしれないということになるわけだ。

お城や建築物は自分では動かないから良いけれど、人が持って動かせるものはイケナイ。今回の展示協力に名を連ねてる当社のお客さんは、テレビの鑑定団なんかでも笑い話になるように、やっぱり家人の皆さんは収集品に無関心だそうだし、平塚の客船紙モノ収集家の府川さんは数年わたって収集品の処分をされていて、すでに史料の大半が散逸している真っ最中である。恐ろしい話である。

大桟橋で鎮座しているノルマンディーの模型・・・かつて丸の内の洋服屋さんに飾られ、大桟橋に寄贈されたそうだが、僕が知る限りあの模型の銘板に書かれた作者は模型の発注者さんらしく、本当の制作者は一昨年亡くなられた日本指折の模型制作者さんだそうで・・・それこそ博物館級の代物である。今日じっくり見ても、今のところ若干の塗装割れがあるのみだが・・・文化というものは刹那的なもので、残されて伝わってゆくものは、ほんのわずかばかりしかないのかもしれない (2012,11,24初稿、2015年加筆)

11/26追記 今回のポスター展の参考文献の中に懐かしいお名前を見つけた。田付茉莉子先生である。何が懐かしいかといえば、田付先生は大学時代の担任の先生なのである。無論、大学の担任は名ばかりで、先生との関わりは余り無く、新入年度のオリエンテーション程度しか記憶にないが、それでも卒業間近に悪友7人ばかりと教室で一緒に写真を撮ったのを憶えている。当時は先生の専門分野も存じあげなかったが、企業経営史、中でも海運史が専門の研究分野だそうだ。僕は関東の人だから、どちらかといえば郵船びいきなので残念だが商船三井の社史編纂にも携わっておられるそうだ。いつかお目にかかれるだろうか・・・

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