39. スコットランドの独立−サミュエル・キュナードの手紙

客船に関して手元に置いて重宝しているのは野間恒氏の「豪華客船の文化史」という本だ。このところ、19世紀のまだ汽帆船の頃(とは言っても、実際に帆を張ったのは1860年あたりまでである)の船を調べる機会があって本をめくると、19世紀から20世紀の変わり目の充実した記述に比すると少々資料が足りなく、久しぶりに「大西洋ブルーリボン史話」を通読する。直訳気味だし用語も古いので読みやすくはないのだが、モザイク状に欠けている情報を埋めるには大いに役に立った。

1839年に英国海軍本部と蒸気船による大西洋横断郵便輸送を落札・契約したカナダ人のサミュエル・キュナード、蒸気船の建造はウッド・アンド・ネピア(ネイピア)のロバート・ネピアに依頼した。グラスゴウでネピアとの契約を1939年3月18日に終えたキュナードはロンドンに戻りこのことを海軍本部に報告、同3月22日にはネピアあてに次のような手紙を書き送った。以下「大西洋ブルーリボン史話」から引用 − 「海軍本部と大蔵省は。船の大きさについては大いに気に入っています。私は、貴殿とウッド氏(引用者注:ネピアは蒸気機関のエンジニア、ウッド氏は船体造船の専門)にかかわるものはすべて信頼しています。私は、これらの船はこの国で建造された船の中では、最も美しくもっとも良い船になると断言しました。貴殿はこちらイングランドの一部の業者に損害を与えたとはまるでお考えになっていませんが、私はリバプールとこの地(ロンドン)から、多くの申し出を受けているのです。私がスコットランドで契約を済ませたと答えますと、彼らは一様に『堅固なものはできまいし、間にもあわんだろう』と言います。海軍本部は私と同意見で、これらの船は、この国(イングランド)で造ったのと同様に、良いものができるだろうと考えています。それで私は彼らに、貴殿は納期を守ってくれると保証しました」 − 引用ここまで

このところニュースでも頻繁に取り上げられているが、スコットランドの独立運動が注目されている。言葉は微妙だが、一般的には「スコットランドは1707年にイングランドに併合された」ことになっている。法律的には対等合併だったのだが、上記引用のキュナードの手紙のように、イングランドはスコットランドを見下しているようなところがあるようだ。タイタニックの映画などでも見られるように、アイルランドもしくは北アイルランドはあからさまに差別的な扱いを受けている。スコットランド出身の俳優のショーン・コネリーは「我々は300年待ってきたのだ」と発言、イングランドのやんごとなき方々は大いにわが心と向き合うべき時なのかもしれない。

世界的に紛争は絶えず、人間の本来の煩悩の成せる結果としか言えないのだが、様々なことに異を唱えたり行動を起こす集団の言い分にも耳を傾ける必要はあるかもしれない。大きくはキリスト教社会やこれに連なる民族国家が争って征服行動に出たことに問題は発っしているように思える。つまり、過去の(先祖様の)自分たちの行動によって形成された勢力図や国境を、「ここで争いは止めましょう」と言われても、我が地所をあらかた分捕られた北アメリカのインディアンの人たちは心から納得できることはないだろうし、ウラジミールが自分の夢見るかつての理想国家を取り戻そうとしても、寄ってたかって「それはもう済んだことだから」で済まそうとしたって一方的すぎるかもしれないのである。隣国は、我が国を目の敵にするが、麻薬で侵略を仕掛けた某国の方をもっと恨ま無いことの方が不思議だよなあ・・・あれこそアジア侵略の最たるものだと・・・これは私見だが。かのワインの国などにも少数の原住民族の子孫は居て、彼らが不満を行動に表わすとフーリガンとか称して力で封じ込めようとする。紛争紛争といって悪者を仕立てあげるが、原因は実は自分たちのご先祖の行状にあるものと立ち返ってみる必要もあると思えてならない。かと言って、不満の刃を度を越えた暴力で示すことが許されることがないのは言うまでもないことだが(2014,9,15初稿、2015年加筆)

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