02/15 港湾スト

アメリカ西海岸の港湾ストが深刻さを増しているようだ。普通に町場で生きてる分には、せいぜいM社の揚げ芋が食せない程度の影響しかないのだろうが、かつて、港湾ストは客船ユナイテッドステーツを運航停止に追い込んだことがある。客船のドキュメンタリーフィルムでは、個人的に三指に入る名作だと思っている1980年リリース、ナショナルジオグラフィックの「THE SUPERLINERS - TWILIGHT OF AN ERA」、当時、最後の大洋横断定期船と考えられていた客船クイーンエリザベス2の大西洋横断定期航海にサウサンプトンから乗船、道中、オーシャンライナーの歴史と終焉を振り返るものだが、ニューヨーク入港の際には港湾ストのためにタグボートが出ず、タグボート無しでニューヨーク・チェルシー54番埠頭に接岸する様子が見られる。パイロットとロドニー船長は難なく接岸をこなしたけれど、ハドソン川を上って90°右旋回、川の流れがある中で接岸するのは結構大変な操船な筈だ。労働者の権利も大切だが、映像を見ながら、最低限の船と港の安全には配慮の必要があるのではないかと感じたものだった。

客船ユナイテッドステーツは、速度も史上最速ならば、船価も桁外れであった。インフレで単純比較にはならないものの、ノルマンディーの2800万ドル(1935年)、クイーンメリーの2400万ドル(1936年)に対し1952年就役当時の7000万ドルは破格だった。(現代の巨大クルーズ船は5億ドルを超える) 4割の2800万ドルはUSラインズ、6割の4200万ドルは海軍・政府が建造補助金で負担、繁栄を謳歌して消費と生産に寛容だった米国でも喧々諤々の論議となり、ついには会計監査院が運航補助金を差し止めてしまった。大統領まで巻き込んだ論議は「第二次大戦中に米国がクイーンメリーとクイーンエリザベスの二隻に支払った傭船料は1億ドルに及び、ユナイテッドステーツを建造しなければ、海軍が稼働率ゼロに等しい高価な軍隊輸送船を建造していただろう」といった論調が支持されて収束を見る。こんな誕生時の雑事にも関わらず、客船ユナイテッドステーツの消席率は順調だったが、意外なところから運命のほころびが始まることになる。一般的には、客船時代の終焉は飛行機に乗客を奪われたことによると理解されるが、客船ユナイテッドステーツの命運に止めを刺したのはILA=米東海岸港湾労働組合のストライキだった。港湾ストの影響、最初は1956年に乗船客の手荷物が下せないトラブル、翌1957年にはタグボートが出ずにニューヨークでは曲芸のような接岸する期間が続くと、その後も度重なる港湾ストと船員ストで定期航海もままならない状況が続く。赤化を防ぐ政治的な思惑も手伝って世界的に労働運動が是認される傾向にはあったものの、ついに1968年10月からは3カ月間、港湾ストによって客船ユナイテッドスーツはニューヨークを出港できず年末年始のクルーズもキャンセル、1969年シーズンは年初に出港もままならない中で、10月までにやっと僅か9往復の定期航海をしたのみで11月7日、第400次航海を東航30.79ノット・西航29.64ノットで終えた客船ユナイテッドステーツはそのままニューヨークに係船・退役に至ったのである。

大西洋横断では、1958年に客船と航空機の乗客数が逆転している。帆船ではあるまいし、いつ出港できるかわからない客船に人が乗ろうとはしなくなったであろう。つまり、1958年に旅客逆転に至ったのは、1956年以降の港湾ストの影響も大きかったと考えられる。無論、どの道、航空機の時代にはなったであろうが、少なくとも港湾スト以降に客離れが加速したのも事実である。1962年からは客船ユナイテッドステーツは、フランスの客船フランスと協調配船を開始、キュナードの客船クイーンメリー・クイーンエリザベスチームに対し、客船ユナイテッドステーツ・フランスチームが順調な大西洋横断定期航海を継続していれば、もっと早い時期にクルーズ客船時代が到来していたかもしれなかった。経営の悪化が急速すぎて次善の策を練る間もなかったのである。つまりは、過度な港湾ストが港湾労働を減少させる皮肉な結果を招いたとも考えられる。客船ユナイテッドステーツは、1969年11月に係船されてしまったが、実は1969年12月から翌1970年1月にかけて太平洋一周クルーズを計画していた。港湾ストに止めを刺されなければ、日本に史上最速の客船が寄港して居た筈である。

日本でも昭和21年の港湾・船員ストが現代まで禍根を残している。以下引用 (前略) こうした状況下で八月から九月にかけて、国鉄総連合と全日本海員組合が、それぞれ首切り反対闘争に勝利を得た。特に全日海は九月十日から十一日間のストライキを決行し、この期間中、横浜港では船の運航が完全にストップした。この過激な海員組合のストは、戦後の日本海運の再建発展に重大な禍根を残した。その影響は五十余年後の今、日本の海運業界から日本人の働く場所を奪うという瑕疵となって残っている。GHQから労働三法を頂戴したからといって、国の経済の根拠である物流動脈をストップしてよいという法はあるまい。 引用ここまで(海の昭和史 秋田博著 より)

今回の米国の港湾ストは、5年に一度改定される労使協議の改定交渉が難航していることによるものだという。昨年5月から始まった交渉が決着しないのである。前々回の2002年交渉も難航して10日間の港湾閉鎖を招き、ブッシュ大統領が指揮権を発動して労使間調停を裁判所に命じて収束させたそうだ。ロサンゼルスとロングビーチの二港で全米海運貨物の4割程を占めるそうで、今後影響は深刻になるかもしないそうだ。労使共、感情的にならず冷静に速やかなる決着を図ることを祈る次第だ。ちみみにM社の揚げ芋は、急遽東海岸の港からの積み出しに変更して流通の滞りを防いだそうだが、個人的には・・・昨年夏の事件以降、当家ではM社卒業を宣言・実行しているので・・・(2015,2,15)

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