11/11 ラジオのすすめ

仕事中は、亡父が枕元で使っていた懐かしきラジカセで専らラジオを聴いている。ラジオは宜しい。

私見と推測になるが、多くの日本人がアテにしているテレビや新聞は、それが右寄りであれ左寄りであれ、スポンサーへの憚りや極論回避、はたまた社論(主義主張だな)との整合性によるものだろうか・・・偏向しているように思えてならない。もはや報道機関として公正なる情報源に能わず、用心深く耳を傾けることが必要だ。テレビや新聞は、週刊誌の見出しと五十歩百歩(笑)と思っていればしくじることはないだろう。

仕方のないこととも思うが、この国は戦前の国家主義への反省の気持ちが根強過ぎて、マスコミは基本的には人権主義・人道主義・民主主義を金科玉条としている。知識人と言われる階層や教員の大部分、まあインテリ層と思わしき方々がやや左掛かった物言いをして下さったお蔭で、日本人の思想のファンション(ファッショではありません、シャレです)は「やや左寄り」となっている。つまり、インテリっぽくてかっこいいんだな、これが。だからマスコミはそんな恰好をしたがるわけだ。けれど、全ての真実や答えは、そこから見えて来るとは限らないことを謙虚に受け止めるべきだ。

例えば、評論家の宮崎哲弥さんは、これまた僕が昼飯時に良く視聴している「ひるおび」にもコメンテーターとして出演されることがあるが、例のギリシャ債務不履行危機問題の時にはとうとう番組中に切れた。先に解説すれば・・・この問題は、ケインズ経済学以来の国家財政政策の基本、マクロのイロハのイに基づく意識的なインフレ政策の自作自演の一幕に過ぎないのであって、つまるところEU=ユーロというものの実態がドイツによる故意のインフレ政策 ―中長期的マルク高性向をユーロの価値を下げることによって回避― の陰謀と表裏一体である。この判り切った構図を、番組に呼ばれたエコノミストやコメンテーター諸氏はハッキリと言わず、やんわりと人道的問題やら国債の信義やらにすり替えようとするものだからとうとう宮崎氏は切れたわけだ。可笑しかったのは後日談、その一週間程後に宮崎氏はニッポン放送の「そこまで言うか」に出た時に、そのテレビでのブチ切れを聴取者から指摘されて・・・「だって、頭来ちゃいましたよ。誰も言わないからさ」とやった。しかし、何でテレビだと言えなくてラジオだと言えるんだろう? だから新聞とテレビだけでは馬鹿になっちゃいますよ・・・ということなのだ。馬鹿防止に僕が特におすすめするのはニッポン放送の「そこまで言うか」(月〜金、16:00〜17:30)である。ご参考まで

今日は、三菱が作っているMRJなる旅客機が初飛行だそうだ。朝のラジオでの森永卓郎さんによれば、日本の技術に恐れをなしている欧米からはMRJは随分といやがらせを受けたそうだ。自国の飛行機が売れなくなるからねえ・・・。そのおかげで初飛行は大きく遅れたものの、そのベンチャースピリットと技術者魂・職人魂には拍手を送りたい。昨日は、あのソニーのベータマックスのテープの生産を終了すると聞いた。1975年に初生産というから40年もやっていたわけだ。父の仕事は街の電気屋さんだったが、子供のころだからVHS対ベータなんて構図もわからなかった。ただ、店にあった両方のビデオをテレビから録画して見れば、子供にも一目瞭然なほど画質には差があった。3倍モードなんて登場する以前の話だ。(初期の話。店にあったのはβIモードかもしれない。本当に一目瞭然の差があった)結局、VHS対ベータ戦争には敗れたが、トリニトロン管といいベータといい、当時のソニーのスピリットには、これまた拍手を送りたい。

ルーティーンの買い物に出かける前、やはりラジオでは「川合郁子のハートストリングス」というコーナーの中で良い言葉を聞いた。フォスディックという神学者の名言だそうで

「弦が切れたら残りの弦で演奏する。これが人生である」

正確には「A弦が切れたら残りの三弦で演奏する。これが人生である」というのだそうだ。場合によって、この言葉は単なるコンソレーションに聞こえるかもしれぬが、むしろどこにでもある「無常」の中に不撓不屈の精神が宿る名言ではないか。かくありたいものである(2015,11,11)

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