12/02 NHK新・映像の世紀・第二集

新聞のテレビの番組表をザッとチェックしても「タイタニック」の文字があれば自然と目が留まってしまう。NHKスペシャルの「新・映像の世紀」という新シリーズの第二集である。今時のテレビ欄は番組の宣伝みたいにもなっていて、昔は出演者やら演出者ばかりが羅列してあったもんだが、例えば「きらきらアフロTM▽鶴瓶が女湯に温泉で丸出し(秘)事件簿」なんて具合(苦笑)、そそる内容であっても見てガッカリも多く、果たして「タイタニック」がどれだけ「タイタニック」なのか大いなる疑いを持って放送時間を迎えた。

ここで、今年のブログの更新頻度が少なかったことのエクスキューズも何だが・・・今年はかつてないほど、オーシャンノートの仕事に精を出した。去年からは第二の創業に取り組んでいる・・・といえば大げさだが、どの道、人生は一回こっきりなのだから、ひたすらピュアにやりたいことに軌道修正を図っている。仕事の合間であれば良かったが、あいにく期待もしていなかったので、作業の手を動かしながら「新・映像の世紀」第二集を見た次第である。

NHKの「映像の世紀」自体は名作の誉れ高き評価を得るものなのだそうだが、正直言って僕はピンと来なかった。あちこちのアーカイブ映像のハイライトシーンを集めたのだろうが、例えりゃ、その映像を継ぎはぎして一本にして、その継ぎはぎ映像に無理やり物語りナレーションを乗っけたような印象を持つのである。普通はその逆じゃなきゃならない訳で、ある重要な史実の流れの説明に映像があるというのが自然である筈が、貴重な映像が主役であるが故に、そこに物語をこじつけてしまっているように感じるわけだ。悪いことに、どうやら、もはやドキュメンタリーとは言い難いほどに美しく構築された「物語」を補強するがごとく、時代を無視した参考映像が挟まれたりするものだから、映像とBGMの関係で説明するなら、無理やり羅列された映像に物語性のあるナレーションを創作、完成したものはその物語に映像の切れ端を集めた「BGV」が映されているような印象を受ける。しかしまあ、実際に残された映像は限りがあるわけだから致し方ないだろう。ニュースフィルムを繋げただけではNHKスペシャルにはならない訳だから。(笑)

しかし、やや強引な「新・映像の世紀」史観ながら、今回見た第二集には眼からウロコの奇妙な納得感が得られた。史実というものは変えようがないものだが、史観は様々なものなのだと改めて感じた次第である。今年の前半、19世紀から第一次大戦勃発あたりまでの歴史をおさらいするために、中央公論社の旧「世界の歴史」やら岩波講座などの該当巻を通読したことは以前に書いた。しかし、今回感じたのは、学校で習った歴史も、きちんと学位を修められた先生方によって書かれた歴史書も、共通するのは労働者階級目線の史観だったんじゃあないかということである。まして日本の教員の大部分が、朝日新聞的ちょっと左寄り思想に占められており、大部分の国民はその先生方によって書かれて語られる歴史教育を受けて育つわけだから、日本人の歴史感もおのずと労働者階級目線のものとならざるを得ない。さて、番組自体は、正直言ってつまらなかった。それは上記の理由によるところである。しかし、ここまで資本家目線で歴史をとらえながら、かつその依って立つ資本主義を自己批判するような今回の放送作家さんのポジションというのは面白い!

スタンダード石油とロックフェラー、金融資本家モルガンの謎、エジソンから逃げたユダヤ系映画会社創業者たちによるハリウッドの起源、そしてそこにくっついて成功したマックス・ファクター、死の商人であるデュポン・・・歴史書やら経済書には書かれない話題で実に勉強になった。昔読んで、何が何だかわからなかった赤い楯(ロスチャイルドの本)なんかとは比べ物にならないくらいにインパクトがあったし、しっかりと記憶にインプットさせていただいた。この辺は、テレビというメディアの偉大なる底力と恐れ入った次第である。

最も注目すべき(かつ多分、議論を呼ぶことにもなるだろう)は、第一次大戦後のパリ講和会議でモルガンがドイツへの巨額戦時賠償を課すのに大きな影響力を持っていたという行だ。連合国に莫大な戦費を拠出したモルガンが、その戦費を回収するためだったのだという。この辺が、テレビの物語の上手いところで、意図的か否かはわからないが、関東大震災の復興債(1924年)を引き受けたのはモルガンで、この返済を終えたのが高度成長期を迎えた40年後のことだという話・・・印象的には、この債権と戦費の債権がイメージ的に重なって、第一大戦後のドイツの巨額賠償金を主張したのがモルガンだといわれりゃ、フムフムと納得してしまう。ただし、個人的には、重要なことであるだけに本当か否かは慎重に裏をとらねばならない。あくまで、個人的に・・・である。(付け加えるならば、この辺りのナレーションを聞いていて直感的に、その賠償の償還や戦費、国債の償還がインフレーションなくしては出来ないとモルガンは理解していたのだろうか?と思った。米国の資本家たちとっても、インフレは莫大な債権回収の手段となる一方で、すでに蓄えた莫大な資産の目減りの危険の面もあるわけだ。尤も、資産は金や不動産にも姿を変えていただろうから心配はなかったかもしれない。しかし、債権は回収したとしても実質目減りは避けられなかっただろう。この辺は、僕自身の中で更なる検証を要するところである)

もし、それが事実ならば、ドイツ及び資本主義社会が画策したインフレ、そして今日のドイツによるユーロの陰謀(笑)、とどのつまり欧州統合とこれに伴う対立、今日の民族対立の原因のひとつ(僕は個人的に2000年間に渡る宗教対立=キリスト教の覇権主義がもっとも大きな全人類的課題だと思っている)ということになり、その根源がモルガンにあるとなってしまう。これは衝撃的な論理である。単なる資本主義批判では済まされない。

さて、肝心の「タイタニック」。僕の眼が確かなら・・・本放送の10月29日と再放送の12月2日で「タイタニック」映像とナレーションが差し替えられていたように見える。生憎、HDD録画というやつがテレビ文化の自壊現象をもたらすものと考え、現在は録画ということ自体を止めてしまっているので見直すこともできないが、本放送で貴重な「タイタニック」の映像として紹介されたのが、「タイタニック」のデッキの映像だったのだが、これを見た瞬間に「アレッ? タイタニックじゃなくてオリンピックじゃないの」と思ったのだが、その映像とナレーションは有名な唯一の映像とされるベルファストでの映像に差し替えられていたように見える。本放送が「ながら見」だったので、再放送は専念して見て、そのタイタニックかオリンピックかも確かめたくて注意してみていたのだが、本放送の時の貴重なデッキ上の映像は無かった。見落としか否か? まあ、どうでもいいことだけれど。

歴史感というのは、立場や民族によっても違う。仕方のないことだ。報道ステーションの古館氏が「ISと話し合うべきだ」と言ったとか言わないとか、週刊誌の見出しだけ見れば「今更、寝ぼけたことを」と批判されているようだが、話し合うか否かは別としても、長い時の流れと史実を違う立場や民族の目線で考えてみることは必要かもしれない。人間は神ではなく、また、往々にして歴史は勝者によって描かれたものだからだ。民主主義社会の多数が必ずしも正義ではないように、勝者が正義であったとは限らない。

「新・映像の世紀」第二集の中で印象的だった言葉がもう一つ。「資本主義を守る長い闘いに入っていった」という言葉、我々は現在もその闘いのただ中にいるらしい(2015,12,2)

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