01/28 無常

ルパン三世のテレビオリジナル版、全23話を通しで見た。その昔、小学生の時にリアルタイムで見たわけだが、高学年の時だったとばかり思っていたところ、調べてみれば恐らく見たのは4年生の3学期だったようだ。とにかく記録破りの低視聴率だったそうだが、少なくとも翌月曜日の学校で男子の話題は専らルパンだった。多かれ少なかれ・・・後の生き方に影響は及んでいるものと思う。

若き日の宮崎駿が関わっていただとか諸々オタッキーな事情には全く精通していないが、一話完結でくどくどしていないアメリカ映画的爽快感は何とも言えないものだ。やっぱり石川五ェ門とのなれそめ「狼は狼を呼ぶ」(第7話)の落とし穴に落ちた五ェ門にルパンが手を差し伸べて五ェ門が応えるシーンなんか、恥ずかしながら今見ても鳥肌が立ったし、後のカリオストロの元となったと言われる「ジャジャ馬娘を助けだせ!」(第21話)のシュールなドタバタぶりの可笑しさは色あせていない。で、今回久しぶりにじっくり見ることができて良かったのが、例の魔毛狂介が登場する「タイムマシンに気をつけろ!」 (第13話)である。

僕は理論物理学はおろか物理学さえとらなかった人だから、タイムマシン実現可能性の有無や時間や四次元の概念などさっぱりわからないが、例えば、過去に遡って既に過ぎ去ってしまった事象を変えることは科学論理としては成り立たないし、道義的にそれをご法度とする考え方もあるが(ドラえもんでも触れられている)、過去を書き換えてしまえば、本当は理論的には、その書き換えによって「無くなった事象」は遡って記憶さえも無くなる筈だから、実は、今生きている現実も常に書き換えられているのかもしれない。それに気づいていないだけなのかも・・・などと思ったりもする。その辺から平行世界という概念も無理くり生み出されたりしたのだろうが・・・しかしタイムマシンが未来で生み出されていたとしたら、僕たちは既に未来から来た人と会っていなきゃおかしいわけで、つまりタイムマシンは永遠に発明されていないという結論も大いにあり得る。(笑)

などと、たどたどしくも考えを巡らせば、所詮この世の「無常」に行き着いてしまう。「無常」という言葉は、虚しさや無力感を表わす意味合いで常用してしまうが、元は仏教の概念だそうで、あらゆる現象は止まることなく常に変移しているという、この世界の原理を言い表したものである。そこに寂しさや悲しさ、儚さを感じるのは「無常」ではなくて単なる感情であって、「無常」という説明はむしろもっと科学的なものだと思って宜しいと思われる。つまり、「無常」から逃げることは出来ず、例え死んで骨になってもまだ、その骨さえも「無常」のまま朽ち続けることだろう。

「まばたきしてる間に 今は過去へ消えてく」(三原順子、セクシーナイトの一節)

「覆水盆に返らず」とは、拾遺記の太公望の故事に依ることわざだが、実際には僕たちは次から次へと「過去になってゆく今」に縛られて生きている。大事なことは、覆水は確かに盆に返らないかもしれないが、盆には確かに水があったのだ。倫理的に相反する現実にまた「無常」があるわけだ。

そもそも、「無常」という概念は、もうそこに大きな矛盾をはらんでいることにお気づきか? 「無常」といいながら、一瞬一瞬過ぎていった事象は過ぎた途端に言わば「有常」になっていっているのである。(笑) そして僕たちは、その「有常」によって生きる術を得て、時に懐かしみを持ち、時に悲しみや後悔を忘れることができなかったり、時にこうしてルパン三世を見て面白がっている。

元兵庫県議の政務活動費不正の裁判。元議員は記憶障害とかで90回も「記憶にない」を連発したとか。いいなあ・・・記憶が無くなって・・・うらやましい(2016,1,28)

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