01/30 根抵当(笑)

僕くらいの年代の人は、失敗した人が多いと思うが、ほほえましくも苦笑いのお話をひとつ。

バブル景気とは、定義では昭和61年12月から平成3年2月までの51ケ月に渡って起きた、主に不動産価格上昇に伴う景気拡大局面を指す。実は、僕は個人的にはバブル景気の恩恵を実感するような場面に出会うことはなかった。学校を卒業して就職したのは1985年、その翌年には会社が初めて取り組んだ輸入家具の新規事業に取り組むことになり、営業活動は即ち砂漠に水を撒くような新規開拓ばかりで、会社がやったこともない販路の創造はゼロにゼロを掛け続けるような日々で、とてもバブルの恩恵など実感できるもんではなかった。事業は残念ながらお世辞にも上手くいったとはいえず、残骸はプラス株式会社の沿革に1986年1月の出来事として「イタリア・オリベッティー・シンテシス社とオフィス家具の販売で業務提携」という記載が残るのみである。

職業人として「輸入家具の営業マン」になってしまっていた僕は、遠方への転勤を内示されて一旦は「プラスの営業マン」に戻って出直す決心をしたものの、タイミング宜しくハラ―ジャパン(現、株式会社インターオフィス)という会社へ誘われた。この会社が今も扱う、今では、事務用高級家具の世界的な大御所に名を連ねるスイスのVITRAだが、当時はハラージャパンが日本の輸入販売代理権をとったものの、年間数千万円の輸入契約が達成できない状況で、とうとう「営業マンは雇わない」というポリシーを曲げて、初めての営業専任者として僕に白羽の矢を立ててくれたのだ。一旦は「プラスの営業マン」としてやり直す決心をしたものの、「輸入家具の営業マン」としての自分の仕事に納得感を得ていなかった僕は、文具事務機大手から一介の零細な輸入商社へという、端から見れば落ちぶれるような転職を決意した。これが1988年秋のことで、世間はまさにバブル真っ最中だったらしい。

日本での知名度こそゼロに等しかったものの、僕は海外オフィス家具事情もせっせと勉強して熟知していたから、VITRAがどちらかといえば新興メーカーながら、いずれハーマンミラーやノルと同列の一流メーカーになるであろうと知っていた。だから、転職については誰もが思うようなリスキーさは感じておらず、むしろ今までの苦労はまさにこの時の為・・・とばかりに励んだ。でも、それが開花するのは後のこと、実際に営業に出かけてみれば、知名度ゼロ、おまけに評判は悪いし(参ったのは某M地所は、輸入家具ギョーカイでは避けて通れぬ大得意客だが、何と「出入り禁止」を宣告されていた。スイスの某銀行への納入を巡って喧嘩したとかで・・・出入り禁止を解いてもらうだけで1年を要した)、結局はまた砂漠への水まきである。ただ、同じ砂漠への水まきでも、既にどの辺に水を撒けば水が溜まるかだけは判っていた。しかし結局、ここでも新規新規でバブルの恩恵など感じることもなかった。職業人として花開く?のは、いわゆるバブル崩壊後のことだった。

やっと本題。その頃、僕は石神井のアパートで独り暮らしをしていた。確か石神井で3年を過ぎた頃、大家さんが「今度、消費税が導入されるので家賃を値上げしたい」と言って来た。世の中は初めての消費税で混乱していたが、そもそも住居賃貸料には消費税は掛からない。大家さんは課税事業者でもない。いくら頭の悪い僕でもカチンときて大家さんとやりあってしまった。「だったら、ここを出て、家でも買いますよ!」と。僕には、野心があって、それまでに貰ったボーナスを使うことなく貯金していたから、それを頭金にすれば家を買えると思ったのだ。

バブルの恩恵はこうむらなかったが、バブルのダメージだけは被った。昭和天皇が無くなって平成が始まった頃だったが、「家を買ってやる」と息巻いたは良かったが買えない。実際には戸建てではなく中古マンションを狙ったが、誰もかれも不動産! の時代で、今でも信じられないが、朝売りに出た中古マンションは昼までには売れてしまうので買えないのである。信じられない話だが、物件を見に行っていては遅いのである。記憶にあるだろうが、その頃、新築の分譲マンション購入は・・・激戦の抽選だったほどである。都合2度、遅れをとって購入に失敗、今の住居となった我が家、中古マンションを手に入れたのは3度目の正直でやっとという有様。それも、平日の朝、不動産屋さんから連絡もらって、仕事の都合を調整つけて、社長に許可貰って(小さな会社だったから個人の事情には情と理解があった)夕方やっと横須賀まで来て、即仮契約10万円内金・・・そんなであった。誰もがそんな夢を持ったし、実際に実現した人も多かったろうが、そのまま不動産価値が維持されていれば、横須賀→横浜→東京・・・と攻め登る。さしずめ上洛戦に臨むような気分で買った中古マンションは・・・今や資産価値は購入価格の1/10である。ちなみに、このマンション、悲しいかな、全9戸のうち3戸は僕と同年代・同時期・同価格の中古購入である。(笑)

それでも、どの道支払う家賃を思えば、まあトントンとも言えるかもしれない。平成元年に組んだ住宅ローンは、完済が平成30年。誰もが「平成ってそんなに続くんかな?」と思っていたら、陛下のご健康は概ね安泰で28年まで来た。ローンの方は、途中繰り上げしたりで5年ほど早く完済にたどりついた。このローンを組んでくれた、当時、M銀行六本木支店の新卒営業員だったS君は順調に出世して、今や青山支店長である。(相変わらず、偉くならないは僕だけである)

ローン完済時に、抵当権解除に関する案内が届いた。ところが、追って届くはずの手続きの書類は来ない。結局3年も待ってしまった。放っておくわけにもゆかず、昨朝、銀行に電話して事情を説明したら、折り返し調べた結果の電話連絡をもらった。「申し訳ありません。本当ならば、連絡をとって相談しなければならないところでした。普通の抵当権ではなくて、当行が融資枠を設定できる抵当権だったため、通常のご案内を差し上げずに来てしまいました」・・・「といいますと・・・、根抵当でしたか?」 「そうなんです」

すっかり忘れていたが、まあ、バブル時代だなあ・・・たかだか公団タイプのオンボロ2DKに根抵当・・・良くもまあ聞いてあきれるお話である。根抵当の価値なんかありゃしない。でも、それは僕の若い頃のちょっとした野心の名残でもあるし、今や青山支店長のS君も良くもまあ一緒になってくれて・・・不動産神話バブルの笑い話であると同時に、皆の若かりし日のほほえましい行状である(2016,1,30))

2016 blog