03/12 日本郵船氷川丸 重要文化財指定

日本郵船の氷川丸が国指定重要文化財になることになったそうである。もう10年も前から、このブログで度々書いたことだが、氷川丸は日本はもとより世界的に見ても重要な人類遺産である。現代の大型客船は、言うまでもなく遊覧船であるわけだが、航空機時代以前は、客船は大陸間を移動する唯一の交通手段であり、国際間で認められた航路を獲得し維持することは、いわば道なき海上に専用のハイウェイを持つことを意味した。従ってこれが無ければ貿易も外交も成り立たない。いわば国家の生命線であったわけである。ちなみに、日本と他国の海軍の負う職責に対する基本的な発想の違いは、例えばスペイン、ポルトガル、オランダ、フランス、イギリス・・・どの国も、海軍は自国の貿易船を守るために海軍が作られた。日本の海軍は・・・戦争をやるために作られた海軍であった。だから、最初から太平洋戦争は間違っていた。アメリカや敵対国の資源禁輸措置に対して、「国家」として維持すべきは資源確保が第一であり、どこぞの国の戦艦と一戦交えることばかり考えては・・・本末転倒とはこのことであった。それはそれとして、日本が明治人たちの努力によって大国の一角を占めることに、大きな役割を果たしたのが海運であったことは言うまでもないことだ。つまりは、本当の国力は軍事力ではなく、海運力であった。世界の列強が競い合った黄金時代の華は客船である。そして、意外にも・・・黄金時代の大陸間の大洋横断客船で現代まで浮いて保存されているのは・・・戦前のものではクイーンメリーと氷川丸だけなのである。そして加えるならば、クイーンメリーは1936年就役(1930年起工)、氷川丸は1930年就役(起工は1928年)・・・つまり氷川丸は現存する最も古い鋼鉄製のオーシャンライナーなのである。文化財どころか・・・もう50年も浮いていられたら・・・世界遺産になるかもしれない・・・と思っている。

昨年、2015年1月27日の神奈川新聞に氷川丸の今後の保存の難しさについての記事が掲載された。船舶工学と海洋行政の権威であられる庄司邦昭さんへの取材記事である。

以下引用-
ミナト横浜のシンボルとして親しまれている「氷川丸」と「日本丸」の保存をめぐる動きに注目が集まっている。戦前から活躍した両船は老朽化が進み、廃船の危機が迫っているとの指摘も。造船工学に詳しい国土交通省運輸安全委員会委員の庄司邦昭さんは「日本海運の歴史をいまに伝える貴重な海事文化遺産だ」と訴え、国の重要文化財指定など保存に向けた機運の高まりに期待を寄せる。
日本郵船氷川丸と帆船日本丸はともに建造から85年を迎える。庄司さんは「日本の重要文化財にふさわしいだけでなく、世界でも重要な海事遺産」とその価値を指摘する。戦時中に病院船として徴用された氷川丸は機雷に3度触れながら、沈没を免れた逸話も残る。庄司さんが特に評価するのが、鋼鉄製の船体の外板をつなぎ合わせている「リベット構造」。この技術を用い、現在も浮かんでいる船は国内にほとんどなく「保存によって戦前の造船技術を後世まで伝えることができる」と訴える。保存に向けた動きが急がれる理由がある。氷川丸は1961年、日本丸は98年を最後に大規模修繕を行っておらず、船体の劣化については両船の船長とも「正確には分からない」と口をそろえる。氷川丸は日本郵船、日本丸は横浜市が所有し、維持管理に当たっている。ともに「100歳を目指す」との目標を掲げるが、具体的な動きはないのが現状だ。氷川丸、日本丸と同じ年に建造され、富山県の富山新港で係留されている「帆船海王丸」は船底などの大規模修繕に約4億5千万円を要したといい、日本郵船の幹部は「あと5年程度は管理できるが、建造100年の2030年まで保存するには国の支援が必要」との認識を示す。
想定しているのは国による重文指定で、指定されれば国の補助金が受けられるようになる。ただ調査から指定に4、5年はかかるとされ、帆船日本丸記念財団の幹部は「重文指定に動きだすなら今年がラストチャンス」とみている。

■「廃船」も選択肢
では、実現可能な保存方法はどのようなものが考えられるのか。庄司さんは「浮かべた状態で保存するのは良いことだが、100年という例は世界的にもない」と腕組みする。日本丸のあり方をめぐって横浜市が10年に設立した帆船日本丸保存活用検討委員会の委員長を務めた。当時の結論は「可能な限り現在の活用を続けながら氷川丸とともに建造100年を目指す」。この時念頭にあった「市民らが継続して活用できることを優先して考えるべき」との思いはいまも変わらないという。日本丸では市民ボランティアが参加して帆を張る「総帆展帆(そうはんてんぱん)」など観光イベントが実施され、氷川丸でも豪華客船の面影を残す客室の見学会などが催されている。「何が何でも今のままの状態で保存するべきというものではない。引き続き市民に親しんでもらえることこそ大事」と強調する庄司さんは「外観や利用者の安全性が保てるならオリジナルにこだわらず、新しい素材や修繕方法を導入する選択肢もある」。そうすることで補修や維持にかかる費用を抑えることも可能になると説く。それでも費用を負担し切れない場合は「廃船にして陸上で保存する道もある」。国の重文で、東京都江東区の東京海洋大敷地内に設置されている灯台巡視船「明治丸」や横須賀市の三笠公園にある記念艦「三笠」のように建築物として管理するというものだ。この場合は船内での活動や公開が制限される可能性があるという。

■市民の理解必要
いずれにせよ保存には市民の理解と協力が不可欠だ、と庄司さんは強調する。「市民共有の文化財という意識が高まってほしい」。そうした機運は重文指定の追い風になり、国の補助金が出たとしても、それは自分たちが納めた税金にほかならないからだ。好例として庄司さんが挙げるのが、英国・ロンドン郊外のドックで保存展示されている帆船「カティー・サーク」。1869年に建造され、中国から紅茶などを運んだ当時世界最速の帆船。2007年、改修工事中に出火し、船首を残してほぼ全焼してしまった。復元には4600万ポンド(約65億円)が必要とされたが、保存団体が寄付を呼び掛けると市民らから資金が集まり、英政府による300万ポンドの支援もあってロンドン五輪の12年までに再建がかなった。現地を訪ねた庄司さんは「父親がわが子に説明しながら見学している様子が印象的だった。市民は自分の町の宝物のような感情を抱いていた」。伝統を重んじる国柄もあり、市民の愛着が保存運動の根底に息づいていると実感した。庄司さんはシンポジウムや見学会などを積極的に開くことで船がたどった歴史を学ぶ機会を増やし、愛着を持ってもらうことが必要と考える。そこで強調するのが、これまで保存に向けた取り組みに市民が果たしてきた役割だ。氷川丸は1960年の引退でスクラップにされるところを市民らが県や市とともに山下公園前での係船を求めた経緯がある。日本丸の誘致活動をした84年には約83万人の署名が寄せられ、基金が設立された。その後、日本丸は練習船として、氷川丸は係留船として船の機能が保てたのも、市民ボランティアや関係者らによる補修作業があったからだった。 歴史的、文化的価値は時代を重ねるごとに重みを増すと考える庄司さんは言う。「海運国・日本の玄関口である横浜港に浮かんだ状態で保存されていることに意義がある。歴史の生き証人をそろって残してきたことを横浜市民はもっと誇りに感じてもいい」-引用ここまで

あいにく、行政やら役所には縁遠く、一般市民の関知しないところで、一体誰と誰によって交渉やら検討がすすめられていたものかは知らないが、今朝の新聞の地域面に「氷川丸重要文化財指定へ」との記事を見て、僕にとっては突然のことで喜ばしくもあり、驚きもあった。もっとも知らなかったのは僕だけであり、昨夏頃には、各方面の活動や文化庁への強い働きかけが着々となされていたようである。過去の情報をあたると、昨年8月14日付け神奈川新聞には、1月の取材記事の続報として以下の記事が掲載されていたようである。

以下引用-
昭和初期の1930年建造で、横浜で係留、保存公開されている「日本郵船氷川丸」と「帆船日本丸」について、国の重要文化財指定を求める動きが今年から本格化する。戦前から海運国・日本を支え、戦火を生き抜いたが、船体の老朽化が進み、廃船の危機に直面している。国の支援で大規模な修繕を行うことで、そろって2030年の“百寿”を目指す考えだ。戦前に建造された日本の大型船は、第2次世界大戦で大半が沈没したため、ほとんど現存していない。造船工学に詳しい国土交通省運輸安全委員会委員の庄司邦昭さんは「両船とも日本の海運史を象徴する存在で、保存活用されているのは世界的にも珍しい」と高く評価する。海事文化遺産の保護は、世界的な潮流だ。海底資源開発や領海問題を中心に海洋への関心が高まる中、海洋教育を重視する国が増えているためだ。7月20日に日本で開催される国際海事機関(IMO)国際会議では海洋教育や訓練がテーマで、海事文化遺産の保護についても話し合う。関係者は、この機会に氷川丸や日本丸の重文指定に向けた機運を盛り上げていく考えだ。国交省などによると、会議前日に国内外の海事関係者ら約400人を招いて氷川丸で船上レセプションを企画。21日には日本丸などを視察する方向で検討している。同省担当者は「氷川丸や日本丸の長期保存に向けた動きに、できる範囲で協力したい」と話す。国会議員も氷川丸の重文指定に向けて動き始めた。超党派の「海事振興連盟」(衛藤征士郎会長)は、歴史的価値を踏まえて重文指定を目指す小委員会を設置。文化庁などへの働き掛けを進めている。文化庁の担当者は、木造の小型船が重文に指定されているほか、陸上に固定されている灯台巡視船「明治丸」は建造物として指定されている例を挙げて、「船舶も調査によっては指定の対象となり得る」との見方を示す。担当者は「氷川丸や日本丸は貴重な文化財として認識している」と関心を寄せている。氷川丸は03年に横浜市の有形文化財、07年には経済産業省の近代化産業遺産に指定されている。日本丸は市の文化財などに指定されていない。

◆歴史“証人”守れ
「市民の関心 大前提」
山下公園前の日本郵船氷川丸と、みなとみらい21地区の帆船日本丸。ミナト横浜を代表する風景となった2隻は市民ボランティアらの手で維持補修されてきた。船体の劣化が進み廃船の危機が刻々と迫る中、国の重要文化財指定が実現するかが注視されている。 氷川丸、日本丸ともに100歳に当たる2030年まで一般公開を前提に従来通り保存活用する方針だが、いずれも延命化には大規模な修繕工事が不可欠。氷川丸を所有する日本郵船は07年、10億円超を投じて船体の補強や内装などの修繕を実施。さらに13年までにさびを抑える樹脂塗料で外板を保護した。日本丸は1998年を最後に大規模工事を行っておらず、海水に接している鋼鉄製の外板が本来の厚さの6割にまでなっている部分もある。所有する横浜市は「必要な修繕はやっているが、100歳までもたせるための予算額や具体的な手法などはまだ決まっていない」とする。そろって保存活用を目指す理由の一つは、第2次世界大戦の“生き証人”だからだ。氷川丸は白色の船体に赤十字を掲げて病院船に、戦後は外地からの引き揚げ船として使われた。日本丸は帆装を外し船体をねずみ色に塗って輸送船として、戦後は南洋をめぐり旧日本兵らの遺骨収集に従事した。そうした歴史に加え、戦前の造船技術の粋が随所に生かされたことも評価が高い。造船工学に詳しい国土交通省運輸安全委員会委員の庄司邦昭さんが注目するのは、外板のつなぎ目などに採用されたリベット構造。「(溶接技術が確立した)現在では造船でリベットをすることはほとんどない。技術伝承の意味でも重要」と話す。特に氷川丸は、戦時中に沈没した日本の大型客船の豪華な船内意匠の面影が残り、生糸専用の船倉「シルクルーム」を備えるなど、日本経済の発展に果たした役割を今に伝えている。それぞれの船体の維持や補修にはボランティアが貢献してきた。日本丸では誘致以来、市民らでつくる「かもめ会」が毎年12回程度、すべての帆を張る「総帆(そうはん)展帆(てんぱん)」などを実施。2014年度の海事関係功労者として国交省関東運輸局表彰を受けた。氷川丸は日本郵船グループ社員やOBらでつくる「クラブ氷川丸」が、手すりなどの真ちゅう磨きや船内ガイドを行っている。ただ、係留から氷川丸が54年、日本丸が30年を迎える中、横浜の見慣れた風景として捉えられ、市民の関心が徐々に失われつつあるのが現状だ。庄司さんは、国の重文指定を受けるとすれば「少なくとも市民の関心と理解が大前提」と指摘。「指定されたらそれで終わりではなく、船を大事に保存する動きが市民に起きることが大切」と話し、横浜らしさの象徴としてさらに市民に親しまれ、愛される存在となることを期待している。-引用ここまで

で、昨日、2016年3月11日、日本郵船からは以下のようなニュースリリースが配信された。

以下引用-
当社が所有する「日本郵船氷川丸」が、3月11日に開催された文化審議会文化財分科会の答申を受け、近日中に行われる官報告示を経て、重要文化財の指定を受ける運びとなりました。海上で保存されている船舶としては、初の重要文化財指定となります。
今回の答申に際し、「日本郵船氷川丸」が評価された主なポイントは以下二点です。
社会・経済史上における役割・・・海外との輸送手段を貨客船が担っていた20世紀前半から中頃にかけて当時主要航路であるシアトル航路に就航。また戦時中には病院船、戦後直後には復員船・引揚船として活躍。
造船・工芸技術上の価値・・・1930年の竣工当時としては最新鋭の大型ディーゼル機関を搭載。またアール・デコ様式の美しいデザインが施された。船内のインテリアは、同様式が日本に直輸入された最初の建築意匠である。(後略)-引用ここまで

これは個人的要望というか・・・夢みたいなものだが、願わくばこの好機を活かし、氷川丸を往時の姿に復元していいただきたいものである。特に、外観上の後部デッキの復元は何としても実現してほしい。さすれば・・・本当に世界遺産も夢じゃない。いっそのこと、「日本丸と」なんて言わず、ロングビーチのクイーンメリーと御一緒に・・・と夢見るばかりである(2016,3,12)

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