10/26 横須賀 船の設計者

この街に住んで20年になる。ほとんどは東京勤めで横須賀のことは知ってるようで知っちゃあいないのだろう。いつだったか、日本丸のボトルシップを買ってくれた方は、「私はこれの設計をしていたんだから・・・」と来た。そうなのだ、日本丸は浦賀で造られたのだった。今日は、船がとても好きだというお客様が見えて、観艦式の演習の話をしていたら(昨日は定休日、風邪で参っている女房を休ませるのに丁度良いので、午後は観音崎に娘2人と行った、そこで観艦式の演習帰りの軍艦の列を見た、すごいものなのである)、ふっと「僕の祖父は大和型の設計をしていた・・・」とおっしゃる。僕も男子の例に漏れず、少しは軍艦が判る、横須賀で大和型といえば・・・空母信濃である。聞けば、信濃の設計を担当していて、進水だけして呉に回航したわけだが、そこに設計者として同乗されていたのだそうだ。ご存知のとおり信濃は潮岬で沈没。ご祖父様も亡くなられたとか。ご自身も造船の仕事をされていたそうで、クイーンメリー2の話になったら、バルバスバウの話が出て、これまたいろいろと教えていただいた。大和で発明されたバルバスバウは、大型客船で採用されたのはクイーンメリー2が最初なのだそうだ。

店をやっていると、いろいろなお客様が見えて、いろいろと教えてくれる。そういえば、輸入家具をやっているときも、最初はデザイナーの人から「イームズチェアーが・・・」とか「カッシーナが・・・」とか言われてもチンプンカンプンだった。文系出のセールスマンが少しは使い物になったもの思えばお客さんがいろいろと教えてくれたからだった。こうして、いろいろな事を教えてもらうのはアリガタイものである。(2006,10,26)

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