06/10 映画”WIND” その2

土曜日は千葉の流山から、日曜日は飯田橋から、昨日は横浜瀬谷からと遠方からのお客様続きでありがたいやら申し訳ないやら。そんな中、逗子在住の灯台写真家の三野さんが久しぶりに顔を出してくれた。実はこのウェブサイトでページビューが一番多いのは店長日記で、どなたがお読みになっているのか日に50名さんほどの方がご覧になっている。コンスタントにビューがあるのでいつも見ている方がおられるのだろう。大したことを書いているわけでもないが、しかしながらこれはめったなことは書けないなぁ・・・と思う。三野さんも、いつも日記を読んで下さっているそうで「久しぶり!どうしたの?」と尋ねると「日記に書いてあった”WIND”を見に来た」とおっしゃる。しかし・・・さすが世にも稀な灯台写真家であられる三野さんだけあって、それじゃあ済まない、何とありがたいことに”WIND”のロードショーの時に販売されたプログラムを持って来てくれた。僕は高校時代、旺文社の模試で英語の偏差値があまりに低く「これって点数の間違い?」というほど(恥ずかしながら偏差値”7”、そんな偏差値見たことない)苦手だった英語だが、最近はすっかり仕入先とのメールでの英語のやりとりは苦にならない。それでも聴くのと喋るのはやっぱり大変だ。”WIND”のDVDは米国盤の字幕なしなので、どっか細かいところが分かっていない。ヨットレースの場面は良いが、主人公たちの人間模様的な場面の英語はやっぱり半分くらいしかわからない。しかし、三野さんのプログラムのお陰であらすじを読んでからDVDを見ると、あら不思議、大体わかるものである。三野さん、この場を借りてありがとうございました。

さて、プログラムにはまた、この映画の製作のきっかけが、デニス・コナーの1983年アメリカスカップ敗戦と1987年のカップ奪還だったと明記されている。例によってYou Tubeから、132年守ってきたアメリカスカップをアメリカが失う歴史的瞬間の映像を見つけたので埋め込ませていただいた。残念ながら87年の奪還の方は見つけることができない。”WIND”では86年と87年にアメリカスカップのキャンペーン(要は予選)で使用された12メータークラスヨットを使用したそうだが、実際のレース映像はヘリや遠くの観戦艇から撮られたもので、改めて本物の12メータークラスヨットを使用して撮影された映画”WIND”の素晴らしい出来に感心するばかりだ。これはやっぱり大変なことで、レース艇にカメラやスタッフを乗せてとなれば・・・現に撮影スタッフの中に足を切断する事故に見舞われた方もいたそうだ。

ところで、アメリカスカップそのものは映画ほどにはピュアーなものでは無くなってきており、それは皮肉にも映画製作のきっかけとなった80年代のデニス・コナーの活躍と歩みを同じく変質してゆくことになる。映画でもスポンサー獲得に苦労する様子が描かれるが、実際、セールにデカデカとスポンサーのロゴを入れたのもデニス・コナーだったし、カップの最後の見せ場、キール公開であっと驚くスポンサーロゴ入りのキールを考えたのもデニス・コナー、この人、超一流のスポーツマンでありながら、政治的な事柄に長けた人でもあり、そのあたりのドロドロは読んでいてもウンザリするような物語があるのだが、やがて88年、最悪のミスマッチ、90フィート艇vsカタマラン艇(双胴艇)を経てアメリカスカップクラス艇の創設に繋がってゆく。”WIND”を見て僕が「いいなあ・・・」と感じたことのひとつは12メータークラスヨットを使ったところだと思っている。確かに本来の「最高の帆走性能を競う」といった意味では、90年頃の事情として12メータークラスが速いヨットでなくなっていたという現実はあっただろうが、アメリカスカップクラス艇はそれこそ、大会の期間だけフネの形を保っていることが出来るという代物で、アメリカスカップにしか使えないフネなのだ。その点、12メータークラスヨットは、安全性と合理性を備えた外洋レーサーであり、実際、戦前建造のフネも含め今日でも多くのフネが現役だ。このあたり考え方も好みも様々なので一概に良し悪しを決めるにも問題があるが・・・

いずれにせよ、先日東京が2016年のオリンピックの候補地になったとのことだが、いつもの主張の繰り返しになるものの、オリンピックはまだやっていないところでやるのが筋だと思っているし、ワールドカップも日韓共催ながらやることが出来た。次は・・・オリンピックなんかよりもアメリカスカップだと、僕は思っている。ただし、アメリカスカップは勝たなければ開催地にはなれない。(2008,6,10)

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