2. 船の科学館にて海王丸を見送る

船の科学館にて海王丸を見送る

折角、船の科学館学芸員の清水さんから招待券をいただいたので、僕は20年振り、子供たちは初めて船の科学館を訪ねる。事前に下調べをしていたところ、船の科学館前の桟橋に海王丸がいて、しかも4月4日出航とあったのはインプットしてから行った。到着してしばらくして清水さんと連絡がとれた。船長さん風の制服に身をつつんだ清水さんがいらして、しばし談笑。「海王丸が出航ですって?」と尋ねると「そうだっ!」と言って清水さん、「ちょっと待ってて」といって事務所に走って行かれた。戻ると「海王丸を見送るホーンを鳴らすんだけど、やってみる?」と長女に尋ねる。父親の僕がドキドキである。僕は箸にも棒にもかからなかったけれど、商船大学に入って日本丸に乗ってハワイに訓練航海に行くのが子供の頃の夢だったのだ。(当時の初代海王丸は神戸商船大学の練習船、東京商船大学は日本丸。今は両商船大学は合併してしまい、新日本丸・新海王丸共に航海訓練所の所属、初代・二代目共に姉妹同型船である。小学校の5年くらいだったか、ビデオなる機械がない当時、NHKで放映した日本丸一万海里という番組をカセットに録音してテープが磨り減るまで聞き入ったものである)それを見送る・・・って?

本館と南極観測船宗谷、青函連絡船羊蹄丸を見て、指定された時間に本館6階のブリッジに行った。手順はこうである。まず、海王丸はすでに「本船は出航する。全員帰船されたし」の信号旗、P旗を揚げている。これに対し科学館のポールにはすでに、UW旗(信号旗のUとW)を揚がっている。「ご安航を祈る」という意味だ。時間になり海王丸は舫を解く。次に抜錨。ここで海王丸はUW1旗を揚げる。(同じくUとWと数字の1を示す旗)「ご協力に感謝します」という意味なのだ。そしてタグボートで沖に曳かれてゆく。バウを東京湾口に向け、タグボートとのロープを外し、やがてゆっくりと動き出す。そして出航の合図で汽笛を三回鳴らす。ここでいよいよ、長女の出番である。最後の見送りに航海の安全を祈り汽笛を三回鳴らすのである。(もっとも・・・スイッチを押すと自動的に三回鳴る)無事、大役を果たしてくれた。

僕は飛行機に乗る時、飛行機が駐機場から出る時に整備員の人が手を振ってくれるのを見るのが好きだ。ああいったことも含め、安全な航海を祈る習慣というものは、人が長年培ってきた洗練された「礼」だと思う。若い頃、土曜の夜は大桟橋に遊びに行った。大島航路の船を見送る時には手を振ったものだ。もっとも長女が小さい頃、海自の潜水艦が出航するのに手を振ったら艦上に総員いたのに全然返礼がなかった。(元海上自衛隊の船乗りでいらっしゃるNさんに訊いたら艦長の人格によるんです・・・と言っていた)お茶の侘び寂びではないが、これもまた人の美しき知恵だと思う。

この頃は商売柄、いろいろな勉強も欠かせないし、いろんな方が店に出入りしていろいろと教えてくれたりもする。それによれば、帆船という船はこれからも無くなってしまうことはないという。スエズ運河の開通と二度の大戦で沈められ帆船はほとんど消滅してしまったが、何でも第二次大戦中にUボートに沈められた船から生き残った兵士は帆船で訓練を受けた者が多かったとか。これが戦訓となり、訓練用の帆船イーグル(アメリカ沿岸警備隊所属)が運用されているとか。つまり、海の男(最近は女性も)を育てるには、厳しい帆船の訓練が良いということで、この関門を設けることで生死を左右する状況への対応力を養うことができるのだそうだ。

昨日は、こちらが緊張した一日だったが 長女は良い経験をした。あこがれがあこがれで終わった僕の無念を少し晴らしてくれた(2007,4,5初稿、2015年加筆)

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