31. 横浜散歩「日本郵船!」は黄門様の印籠

日本郵船横浜ビル

久しぶりの横浜散歩。氷川丸は塗装工事中なのでパス、石川町から大桟橋、郵船博物館、赤レンガ、汽車道のコースでブラつく。素通りしていた象の鼻、わずか100mばかりの湾曲した突堤だが先端まで行ってみる。汽車道の上から見ても気づかなかったのだが、突堤中央部外側に10mばかり堤防が切ってあるところがあったので眺めると、海面ギリギリに水没した堤防が見える。そこの解説パネルの説明が判りにくい。以下引用 「工事中に、大正12年(1923)の関東大震災で沈下したと思われる象の鼻防波堤の石積みと舗装の石材が発見されたため、一部をそのままの形で保存・展示するとともに復元した石積みにも利用しています」 引用ここまで こちらの頭が悪いのか、これじゃあわからない。何のことはない、「関東大震災で水没してしまった元の象の鼻」である。

日本郵船博物館では現在特別展はやってないのだが、氷川丸の最後の航海、19分のビデオはまだ上映していたので再び見入ってしまう。見終わってから無料サービスのティーラウンジでいつものバナナオーレを頂きながらふと展示スペースの天井を見上げるとこれまた見応えのあるクラシカルなしつらえ。○○様式と言い切るのは難しいが、外観がコリント列柱を備えた新古典主義=当時の保険会社や銀行がこぞって使った建築様式とするならば、内部は外観に釣り合ったアールデコといったところか・・・この天井高6mものオフィスで日本郵船の社員はどんな風に働いていたのだろう。銀行ならば、やっぱり長いテラーカウンターがあって云々と想像はつくけれど、昭和37年生まれの僕には往時の船会社の雰囲気は想像がつかない。

先日、ニュースをチェックしていたら生涯給与の話題が出ていた。その東洋経済新報社のデータである生涯給与の番付を見ると、上の方は放送局がズラリ。おお、そうなんだ! と感心して見ていると37位に日本郵船。それより上には商船三井も川崎汽船、飯野海運も入っている。船会社、うん凄い高給取りなんだ・・・ 

そういえば、昔の上司の御尊父が外航船の船乗りで、決して高級船員ではなかったそうだが、家には外国の珍しいものがゴロゴロしてたし、暮らしも豊かだったと聞いたことがある。かなり古い話だが、二口一雄著「豪華客船の航跡」(S63、成山堂書店)には新人の会計掛、日本郵船の船員としての著者の給与が昭和13年当時、本給55円! 概ね帝国大学卒の初任給と同じくらいで、今の価値に直せばざっと40万円くらいになるではないかと思うので高給である。曰く「当時の一人者、チョンガーでは、実に使いでがあり、親孝行も出来たものである」だったのだそうだ。船員の待遇が手厚いのはもっともな事で、毎日この仕事場から浦賀水道を行く船を見ていて、この国はもし船が止まったら一日たりとも生きて行けないのだと実感するばかりだ。船乗りの社会的地位が高いのは、やはり国力の源泉を船に頼った英国の伝統が由来で、日本でもこれを踏襲している。

長い時間で見ると、船員の待遇が飛びぬけて良かったのは昭和40年頃までだったそうだ。余りに給与水準が高く、国際競争力維持のために外国人船員を使用せざるを得なくなり、日本人船員の給与は他業種に比べ上がらなくなった。つまり、現在の船員の実入りは昔のように良くは無く、他の仕事とそれほど変わらない・・・らしいが、実際には生涯給与番付を見ればやっぱり悪くはない。まあ、この調査資料は陸上勤務の高級事務方も含めて全社員の数字だろうからイコール船員の待遇ともならないのだろうが。

そんな事が片隅に残っている頭で日本郵船横浜支店を見上げると、神々しく見える。大桟橋だって、象の鼻だって、いわば横浜は日本郵船の城下町みたいな風情だったのではないだろうか。横浜の会社といえば日揮が話題だが、日揮よりも日産よりも、今のみなとみらいで船を造っていた三菱重工やフラッグキャリアの日本郵船は、きっとピカピカの時代だったのだろうと、横浜をブラブラしているとそう思う。何でそう思ったかと言えば、もうひとつ面白い話を聞いていたからだ。その方は、日本郵船の関連会社で船に乗っていたのだが、丁度、船に乗り始めたのが待遇の悪くなかった昭和40年前後だろうと思う。何でも、職場はまさに横浜郵船ビルだったそうだが、とにかく給与が良くて、今から思えば若気の至りと頭を掻いておられるが、桜木町まで電車で行くと颯爽とタクシーに乗って、「郵船っ!」と言うのだそうだ。すると運転手さんは「あっ、郵船さんですかっ」とハッハァッーという感じで敬意を表して下さったのだそうだ。それだけ、横浜では日本郵船のステータスは高いものだった。ちなみに、郵船ビルの事務所に寄らず大桟橋に向かう時は「サウスピアーッ!」とやるのだそうで、これまた大桟橋をサウスピアーと言うのはごく限られた人々で、それも郵船の関係者が多かったので、やはりタクシーの運転手さんは「ハッハァッー郵船様」となったものだそうだ。

まるでギョーカイ用語だが、旅客埠頭の大桟橋はサウスピアー、貨物埠頭の瑞穂埠頭はノースピアーと呼び・・・何だかカッコいい・・・新しくも古い横浜散歩の雑感であった(2013,2,3初稿、2015年加筆)

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