日本郵船・浅間丸、龍田丸、秩父丸のポストカード

“NYK Line M.S.Asama Maru Class” ポストカード4種セット(送料無料)

日本郵船・浅間丸、龍田丸、秩父丸のポストカード

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400円 (税込)

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  • p2067b・・・里見宗次による1935年製作のポスター。描かれているのは一本ファンネルの秩父丸(1939年鎌倉丸に改名)。秩父丸は、浅間丸、龍田丸と同型船ながら機関が浅間丸、龍田丸のスイス・スルザー社ディーゼルではなく、デンマーク・B&W社ディーゼルとなったためにファンネルが一本になりました。(日本郵船大荷主の三井物産輸入B&W社ディーゼル採用は多分に政治的な事情によるものでしたが、三井物産は三井造船を設立し今日に至るまでB&W社ディーゼルを育てて行くことになります) 秩父丸は1943年、フィリピンで戦没しますが、17500トンは1988年にふじ丸が就役するまで日本船籍客船としては史上最大でした。里見が、一番船にして看板の浅間丸ではなく秩父丸を描いた経緯は不明ですが、国鉄のポスター、KLMのポスターと並び里見の代表作として高く評価されるポスターです。上部のグラデーションはオリジナルのコンディションによりマチマチですが、本レプリカのオリジナルでは若干グラデーションが薄くなっています(里見宗次, 1904-1996)
  • p2225b・・・1929年~1930年頃製作のポスター。デザインは戸田芳鉄。戸田芳鉄は東京美術学校図案科(東京芸大)を卒業後、日本郵船に在籍してポスターやカレンダー、ブローシャーなどを手がけました。このポスターは、戦前の日本郵船のポスターとしては欧米で最も引用が多いもので、リプリントは無数に製作されています。オリジナルはアメリカに残るものが多数あります。リプリントでは下部の“N.Y.K. Line”の文字の色がまちまちですが、複数の版が使用されたとは考えにくいのでオリジナルの経年変化をリプリント版製作時に彩度調整して変色したと考えられます。オリジナルはこのように濃いめの紫が正解です。右下地球儀の中には二本ファンネルの浅間丸、もしくは龍田丸のイラストが描かれています。サインは“Yoshi”となっています(戸田芳鉄, 1905-?)
  • p2713・・・1933年製作のポスター。デザインは戸田芳鉄。1933年にシカゴで開催された万国博覧会への乗船を募るポスターですが、描かれる船は浅間丸・龍田丸、太平洋航路のディスカウントが案内されています(戸田芳鉄, 1905-?)
  • p3016・・・1938年頃製作のポスター。サンフランシスコ航路とシアトル航路が大きく説明されていることから、北米で使用されたものと判断されます。作者は不明ながら大変珍しいもので、日本郵船博物館、横浜みなと博物館はじめ、日本の資料収集拠点にも記録さえなかったものです。近年になって米国で資料写真が発見されました

英国にクイーンメリー、フランスにノルマンディーがあったように、戦前日本客船の代表が浅間丸(浅間丸級)でした。
日本郵船の太平洋航路はグレートノーザン鉄道のオファーを受けてシアトル線となりましたが、1899年、稀代の実業家浅野総一郎率いる東洋汽船は、パシフィックメールとの共同運航を纏め上げ太平洋航路の花形、サンフランシスコ線を開設しました。東洋汽船は天洋丸級貨客船で太平洋航路をリードしたものの、サンフランシスコ線依存の経営は行き詰まり、1926年に日本郵船に吸収合併されることになります。一方、サンフランシスコ線を引き受けた日本郵船も競争力の衰えた天洋丸級ではパシフィックメールに太刀打ちできないと判断、カナディアンパシフィックの攻勢も受けて、結局全世界規模での船腹更新を決断、シアトル航路に氷川丸級3隻、欧州航路に靖国丸級2隻、南米航路に平洋丸、そしてサンフランシスコ航路に浅間丸、龍田丸、秩父丸の浅間丸級3隻、一気に9隻の新船を就役させました。世界的に厳密な区分があるわけではありませんが、日本郵船社内の船種区分では、浅間丸は貨客船ではなく客船(純客船)とされ、後年の飛鳥以前では浅間丸級3隻のみが船種区分の客船でした


○ オーシャンノートオリジナルポストカードについて

当ポストカードは、ヴィンテージポスターの画像データをポストカード用にレイアウトした精密レプリカです。元となるヴィンテージポスターには破れや傷み、退色やヤケがあるものが多く、折れや破れなどの傷み部分は画像修正し、質感を損なわない程度に色相・彩度、明度等を調整し発表当時のポスターの再現につとめています。プリントはオンデマンドアートプリント、通常のデジタルプリントとは違って水ににじまず、実際のポストカードとしても使用できます。
通常の屋内環境で30年から40年以上は鑑賞に堪え得る保存が可能なので、資料収集向けにも適しています

○ ベースペーパーとプリント

紙:0.27mm厚、特注カットアート紙(参考:官製はがき t=0.22mm)
寸法:148mmx100mm(裏面に淡グレー色で“POSTCARD”表記、郵便番号枠無し。郵便ハガキとして使用できます)
印刷:オンデマンド、ピグメント(顔料)インク、屋内30年以上保存鑑賞可
ベースペーパーは官製インクジェットはがきより、やや白色度高めです

○ 商品のお届けとお支払いについて
  • ポストカードシリーズは、普通郵便もしくは日本郵便クリックポスト(原則ポストカードセットで複数ご注文)にて御宅郵便受け投函でのお届けとなります
  • 他の商品も合わせ、合計5000円未満のご購入では、お支払いは銀行振込、ゆうちょ銀振替、クレジットカード決済の3通り、ヤマト運輸代金引換はご利用できません。(システム上、ご購入画面に銀行振込、ゆうちょ銀振替、クレジットカード決済しか表示されません)
  • 合計5000円以上のご注文では、お支払いは銀行振込、ゆうちょ銀振替、クレジットカード決済に加え、ヤマト運輸代金引換もご利用できます。324円の代引き手数料が代金に加算されますが、ヤマト運輸宅急便扱いとなります
  • 額装アート商品と併せてご購入の場合は、ヤマト運輸宅急便でのお届けとなります

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● 日本郵船・賀茂丸客船のポスター、雑感

鎖国で立ち遅た日本が、外航航路に進出することは容易ではありませんでした。既得権を持つ欧州勢にとって、国のバックアップを得てダンピングも辞さずに航路拡大を図る日本郵船の存在は疎ましいものだったでしょう。特にインドへの特権を持ち、インド航路で莫大な利益を得ていた英国は独占とカルテルを守りたかったでしょうが、紡績業と日本郵船と政府の三者がガッチリとタッグを組んで国家不沈を賭けた日本の意気込みは強く、折れたのは欧州勢でした。一説によれば、ボンベイ航路参入にはP&Oの仲介があったともいわれますし、奇しくも日本郵船の欧州極東往航同盟=運賃カルテルへの加盟は、日英同盟締結と同じ1902年のことです。日本郵船は、外国船で唯一のロンドン積荷の権利を得ますが、改めて辿れば明治の先人たちのバイタリティと努力に感服するばかりです (T.O.)

● 日本郵船ポストカード INDEX

 ※ポスター画像をクリックしていただくと詳細ページへ移動します

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納入事例
客船ポスター四方海話
船と港のエッセイ 1
船と港のエッセイ 2
【Maritime Gallery Ocean-Note】

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