● 1936年 カッサンドル イタリアンラインのポスター 精密レプリカ額入りジクレーアート
≪ITALIA COSULISH LLOYD TRIESTINO-ADRIA≫
額縁・マットの色をプルダウンにてお選びください
送料無料。お届けはご注文後約7日です。価格にはアートプリントとマット・額縁、全て含まれます
作者名 :A. M. Cassandre
製作年 :1936
額縁・マット : 木製カマボコ型=12mm、t=1.5mmx2枚ダブルマット、前面1.8mm厚UVカットアクリル(クラレ・コモグラス)
額縁とマット色をお選びいただけます
・黒艶消し額縁 X ブラウン/ライトベージュ・ダブルマット
・白ツヤ額縁 X ネイビー/ライトブルー・ダブルマット
額縁サイズ : 410mm x 525mm
作品サイズ : 272mm x 407mm (内側マット抜きサイズ、表側オーバーマット抜きは282 x 417mm)
当商品は伊勢和紙に顔料インクを用いたアートプリントを国産材料で額装したものです。奥行きを持たせる濃淡色二重のダブルマット仕様です。伊勢和紙は伊勢神宮の奉書紙として漉かれ全国の神宮大麻に使用されています。インクジェットに意欲的で、伊勢和紙アート紙は新たな表現材料として世界中のアーティストに使用されています。マーメード紙程度の表面テクスチャーによる風合いが楽しめ、無酸性紙に顔料の組合せはリトグラフやシルクスクリーンに比べ格段の保存性を持ち、数十年単位の鑑賞に耐えます。画像データに傷や劣化の補修、彩度などの可塑修正を施し、テストプリントを繰り返し微調整して仕上げています
● 1936年 カッサンドル イタリアンラインのポスター
このポスターが描かれた事情は慎重に読み解く必要があります。1929年、ドイツの北ドイツロイドは世界初のスーパーライナー、客船ブレーメンとオイローパを就役させました。欧州枢軸側両国への大戦責任にまつわる批判は絶えないものの、第一次大戦以後の経済復興にあって、まさに今日のマクロ経済的国家財政政策をとって大きな成果を上げたのはドイツのヒトラーとイタリアのムッソリーニです。すなわち、米国のニューディールと並び、莫大な公共投資によって雇用を確保し経済成長を促す政策モデル(逆の例が皮肉にもケインズに否定的だった英国で均衡緊縮財政は失政とされている)を実践して見せたわけです。ドイツの客船建造もこの一環と見ることが出来ますが、ムッソリーニもまた雇用の確保と国威の発揚を狙ったスーパーライナーの建造を実行します。国家統一が遅れて国力を発揮しにくかったのと同様、イタリアには各都市地盤の中小の船会社があるのみで、これをスーパーライナー建造を機に国際競争力を持つものとするために国家主導で合併させたものがイタリアンライン(Italia di Navigazione)です。1932年の発足時には ジェノバのNavigazione Generale Italiana(NGI)、トリノのLloyd Sabaudo(ロイド・サバウド)、トリエステのCosulich STN(コスリッシュ)の三社が合併、そして1936年にアドリア海を発着元としていたLloyd Triestino-Adria(トリエスティーノ)も、国策会社のイタリアンラインに参加しました。
このポスターは、この1936年のロイド・トリエスティーノの会社合流を表現したものです。未解決のトリエステ問題(トリエステの帰属は第一次大戦によってオーストリアハンガリー帝国からイタリア王国へ「戻った」ものの、安定した状態とはいいがたく、極論すれば、この時期は自由都市に近い状態であったとも言えます。主要国の合意を得て、名実ともにトリエステがイタリア領になるのは1946年のことです)を抱えながらもわざわざ合流済みのコスリッシュラインの社名まで加えて記したところには、トリエステがイタリア領であり、ロイドトリエスティーノも合流したという重層的意図も感じられ、カッサンドルによって描かれた地球の図案も壮大、イタリアンラインが欧州列強のフラッギキャリアーの一角を占めるものたる気概が伝わってきます。イタリアンラインのファンネルカラーの二隻はレックスとコンテ・ディ・サヴォア、黄色いファンネルはトリエスティーノの船を描いたものです。
カッサンドルのクレジットには、他では一切見ることができない珍しいロゴマークが使用されており、「カッサンドルアトリエ」のものと思われます。1936年頃、カッサンドルはニューヨークに在住してハーパーズのアートディレクターに就いていました。フランスに残った形が「カッサンドルアトリエ」であったのか、ニューヨークでの仕事のクレジットが「カッサンドルアトリエ」であったのかは定かではありません
・ 雑感
明治維新の「内戦」は経験したものの、島国日本が切り貼り状態に他国の領有となったような状況を我が国は経験していません。1930年代のイタリアンラインのポスターには我々が経験することのなかった国家統一にまつわる難しい事情が垣間見られます。ムッソリーニは民衆の報復を受ける悲惨な最後を遂げました。戦争賛美はあってはならないものながら、ひとつだけ断っておきたいのは、第二次大戦勃発直前まで、イタリア国家予算の軍事費支出は他の列強諸国と比べようもないくらい低かったということです。結果的にヒトラーに同調して枢軸国に加わりましたが、本来、ムッソリーニは社会思想家出自の政治家であり(徴兵は務めたものの職業軍人歴はなく、専ら前半生は教職に就いていました)、全体主義的思想はむしろ純粋な経済理論の実践に根拠がありました (T.O.)
【Maritime Gallery Ocean-Note】
● ジクレーアートプリント・客船 LL/Poster Ocean Liner INDEX
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納入事例
客船ポスター四方海話
船と港のエッセイ 1
船と港のエッセイ 2
【Maritime Gallery Ocean-Note】