● 1939年 キュナードホワイトスター・客船クイーンメリー見開き雑誌広告レプリカ 額入りジクレーアート
≪Ship Sense...≫
額縁・マットの色をプルダウンにてお選びください
送料無料。お届けはご注文後約7日です。価格にはアートプリントとマット・額縁、全て含まれます
作者名 :anonymous
製作年 :1939
額縁・マット : 木製カマボコ型=12mm、t=1.5mmx2枚ダブルマット、前面1.8mm厚UVカットアクリル(クラレ・コモグラス)
額縁とマット色をお選びいただけます
・黒艶消し額縁 X ブラウン/ライトベージュ・ダブルマット
・白ツヤ額縁 X ネイビー/ライトブルー・ダブルマット
額縁サイズ : 525mm x 410mm
作品サイズ : 407mm x 272mm (内側マット抜きサイズ、表側オーバーマット抜きは417 x 282mm)
当商品は伊勢和紙に顔料インクを用いたアートプリントを国産材料で額装したものです。奥行きを持たせる濃淡色二重のダブルマット仕様です。伊勢和紙は伊勢神宮の奉書紙として漉かれ全国の神宮大麻に使用されています。インクジェットに意欲的で、伊勢和紙アート紙は新たな表現材料として世界中のアーティストに使用されています。マーメード紙程度の表面テクスチャーによる風合いが楽しめ、無酸性紙に顔料の組合せはリトグラフやシルクスクリーンに比べ格段の保存性を持ち、数十年単位の鑑賞に耐えます。画像データに傷や劣化の補修、彩度などの可塑修正を施し、テストプリントを繰り返し微調整して仕上げています
● 1939年 キュナードホワイトスター・客船クイーンメリー見開き雑誌広告
第二次大戦の勃発により、この年9月1日のニューヨーク到着で客船クイーンメリーは戦前の航海を終えることになります。この4月頃に打たれた本広告の後にキュナードホワイトスターは戦前最後の2ページ見開き広告を打ちますが、クイーンメリーがフューチャーされたものは本作が最後になりました。戦後はクイーンメリーよりも新しい客船クイーンエリザベスが事実上の旗艦扱いとされたため、クイーンメリーが正真正銘の主役に起用された広告は就役前のものと大戦勃発間際の本作の2作のみということになります。(1937年にはクイーンメリーのブリッジをクローズアップした写真の広告が打たれますが、内容はクイーンメリーにほとんど触れられていませんでした)
「Ship Sense」の意は、「船の感覚」で間違いはありませんが、人間が感じる船の感覚という意味ではなく、本広告では船自身が持つ人間的な感覚、つまり船自身の意思のようなものを意味しています。コピー本文には、船乗りたちは船が人の感覚を持っているように信じて疑わない・・・例えば、クイーンメリーがタグボートの手を借りずにニューヨーク港の埠頭に接岸する時や初代の客船モーレタニアが22年間に渡って大西洋横断の最速記録を守り続けた(注釈 - モーレタニアは客船ブレーメンに最速の称号を渡すまでは、その気になれば自身の最速記録を更新できる余力を持っていたといわれます)ことなどにそれを感じ、船乗りと船には互いの強い信頼がある、と述べられています。確かに相手は機械でありながら、我々が運転する自動車ひとつとってもドライバーと自動車に、そのような科学的に説明がつきにくい何かかがあるように感じるのは誰もが経験することです。
左には、その本文にも出てきた有名な「タグボート無しニューヨーク港接岸」の一件が取り上げられいます。戦前は頻繁ではありませんでしたが、戦後になると現在に至るまで全世界的に労働組合による港湾ストライキがしばしば起きます。港湾スト時にはタグボートも仕事を中止するために、船会社は自社の陸上スタッフと船員たちのみで接岸作業を行わなければなりません。この当時は、1935年に供用開始された1000フィート埠頭を擁するマンハッタン客船ターミナルが使用されていましたが、櫛型に突き出た4本の埠頭の間隔は余裕のあるものではなく、隣り合うバース同士両方に船が係留されれば、その間にもう一隻の船が入るほどのスペースもありませんでした。バウスラスターのような便利な道具が出来るのは1970年代以降のこと、ハドソン川の埠頭上流側に船首を出して後進の操作をしながら90度の方向転換を行うのは簡単なことではありませんでした。左端の連続写真のプロセスをもって無事に接岸を終えた結果、中央の大きな写真、プープデッキ(船尾楼)のクローズアップの写真は機関を停止したところとキャプションされています。加えて、このスリリングな作業を乗客たちはデッキに登って見物しているとも記されています。中央の写真は1939年当時のクイーンメリーのアービング船長です。アービング船長は1938年1月にクイーンメリーの三代目船長に任じられましたが、10月にはニューヨーク港で港湾スト、10月18日に入港したクイーンメリーは誰もが接岸できないであろうと話題になっていました。ところがアービング船長はタグボート無しの接岸を決断、これによってストを決行した労働組合の面目は丸つぶれになりました。これまでに30000トンを超えるような大きな客船がタグボート無しで接岸した例はなく、大衆には「イザとなればタグボートが無くとも接岸可能、好きなだけストをやればいい」といったニュアンスの感情が生まれたからです。同時に、高度な操船技術をもって接岸に成功したキュナードには称賛が集まり、これを決断して成功に導いたアービング船長の名声は否が応にも高まりました。一方で、世評とは裏腹に、これを自社の船員たちの自慢話とせずに「船の感情・意思」と表現したところに、派手な自慢話を好まない良い意味での英国人気質が垣間見えます
・ 雑感
アービング船長はタグボート無し接岸で名を挙げたため、米国の新聞では1954年に亡くった時にも消息記事が載りました。もちろん「タグボート無しで初めてクイーンメリーを接岸させた船長」としてです。この「タグ無し接岸」の一件は英国本国よりも米国では街の話題をさらったようで、確かに後々にも多大な影響を与えた出来事でした。戦後は港湾ストが頻発しますが、ことキュナードラインに関して言えば港湾スト時のタグ無し接岸が普通に行われました。(たまたま、ナショナルジオグラフィックビデオの邦題「夢を乗せた豪華客船クイーンエリザベス2世号」でも、時代を下ったQE2のタグ無し接岸の場面の映像を見ることができます) この事件は客船史本文に書かれるような話ではなかったものの、ニューヨーク港の昔話としては語り継がれる挿話となっており、その所為か、本広告のヴィンテージ実物は人気が高く、今ではあらかたコレクターの手に渡り尽くしたようで、ほぼ実物の入手は不可能です。ちなみに、参照現物はナショナルジオグラフィック掲載分で、紙面サイズの関係で広告原稿上部がトリムカットされているために左部の連続写真の一番上一コマ目は幾分上部が欠けています。オリジナルのトリムはもっと大きくファンネルが途中で切れるほどですが、画像加工でファンネルの高さ+αまで復元再現してあります(T.O.)
【Maritime Gallery Ocean-Note】
● ジクレーアートプリント・客船 LL/Poster Ocean Liner INDEX
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納入事例
客船ポスター四方海話
船と港のエッセイ 1
船と港のエッセイ 2
【Maritime Gallery Ocean-Note】