● 1933年 キュナード・ウィリアム・マクフィー・見開き雑誌広告レプリカ 額入りジクレーアート
≪SALT OF THE SEA≫
額縁・マットの色をプルダウンにてお選びください
送料無料。お届けはご注文後約7日です。価格にはアートプリントとマット・額縁、全て含まれます
作者名 :anonymous
製作年 :1933
額縁・マット : 木製カマボコ型=12mm、t=1.5mmx2枚ダブルマット、前面1.8mm厚UVカットアクリル(クラレ・コモグラス)
額縁とマット色をお選びいただけます
・黒艶消し額縁 X ブラウン/ライトベージュ・ダブルマット
・白ツヤ額縁 X ネイビー/ライトブルー・ダブルマット
額縁サイズ : 525mm x 410mm
作品サイズ : 407mm x 272mm (内側マット抜きサイズ、表側オーバーマット抜きは417 x 282mm)
当商品は伊勢和紙に顔料インクを用いたアートプリントを国産材料で額装したものです。奥行きを持たせる濃淡色二重のダブルマット仕様です。伊勢和紙は伊勢神宮の奉書紙として漉かれ全国の神宮大麻に使用されています。インクジェットに意欲的で、伊勢和紙アート紙は新たな表現材料として世界中のアーティストに使用されています。マーメード紙程度の表面テクスチャーによる風合いが楽しめ、無酸性紙に顔料の組合せはリトグラフやシルクスクリーンに比べ格段の保存性を持ち、数十年単位の鑑賞に耐えます。画像データに傷や劣化の補修、彩度などの可塑修正を施し、テストプリントを繰り返し微調整して仕上げています
● 1933年 キュナード・ウィリアム・マクフィー・見開き雑誌広告
スコットランドで534番船、後のクイーンメリーが起工されたのは1930年12月、前年10月の株式大暴落に始まる恐慌が徐々に欧州に波及する最中のことでした。1931年12月、資金繰りに窮したキュナードの支払いに滞りが生じると534番船の建造は中断、以後2年4ヶ月に渡り船殻のみ完成のままで放置されます。キュナード会長のベイツ卿は英政府に救済措置を嘆願するものの、緊縮財政を敷く政府が首を縦に振ることはなく、一方でホワイトスターラインが米モルガンの海運トラスト・IMMから離脱の財務処理に失敗して事業継続が困難になった事態が重なり、政府からはキュナードとホワイトスターの合併及び新会社への政府融資案が浮上、1933年12月の合意に至ります。1934年5月、両社が合併してキュナードホワイトスターが誕生、534番船の建造が再開され9月に進水、クイーンメリーと命名され、以後艤装に入ります。本作、1933年の雑誌広告は、実質的に「キュナードライン」名義で最後となった意義深い広告です。534番船建造が滞り大々的な宣伝の余力は無かったものと見え、本作含め(今日に伝わる限り)3種ほどの広告を打つに留まりましたが、1934年以降、また1932年以前のものとは全く趣の違うキュナードラインらしさが最も感じられる見開き広告でした。
左上写真でアキタニア船上のスマーデン次席一等航海士と写真に写るのは英国の海事小説家ウィリアム・マクフィー、この広告のキャッチコピー(タイトル)は最上部中央に「SALT OF THR SEA」と記されていますが、このタイトル(兼キャッチコピー)の題名にて、マクフィーは上部中央に記された一文を本広告のために寄せています。「SALT」は言うまでもなく塩のことですが、そのように換言すると「SALT OF THR SEA」の意味は理解困難です。「SALT」は興味、与えられし生気、または英国の古い言い回しでは船員という意味もありますが、多分に文学的言い回しなので敢えて日本語に置き換えれば「海に与えられしもの」といったニュアンスが近いと考えられます。件のマクフィーによる一文は - 現代(1933年当時)の船は大きくなったが海は昔も今も変わるところなく、その海とキュナードの船で育った船員たちも変わることはない。船が大きくなり、計測機器は進歩したが、船長以下、操船員たちは昔と同じ注意を払って現代の巨大客船を動かしている ‐ といった主旨の内容になっています。短いながら流石に小説家の流儀を貫いた味わい深い一文になっています。このメインの一文に沿って、キュナード客船の船上での船員たちの日常がストリート写真の様に5枚配されています。左からスコールに遭ったアキタニア船上で船長からの変針の命令をコンパスで確かめる操舵手、無線士が現在位置を地上無線局に送る写真、モット副船長(恐らくアキタニア)が六分儀で太陽に位置を計測する写真(キュナードの全ての客船では正午に観測を行うと解説)、横長の写真はイングランド南端にあたるコーンウォール半島先端のリザードポイントが視界に入り英仏海峡へ入りシェルブールへの航路変針と減速を準備するウイングブリッジ上の場面、そして右下は高倍率の双眼鏡を用いてマストの見張り台に立つ二人の船員の写真です。1930年代のキュナード及びキュナードホワイトスターの広告は「船と船員」といったテーマが貫ぬかれた秀作揃いですが、1933年のキュナード単独名義最終年広告の演出のないリアリティーは他の船社、他年代のキュナードの広告の追随を許さないものばかりです。
大雑把に雑誌は、本記事、パブリシティー、有償広告、有償タイアップ記事で構成されています。無論、本記事で自社商品やサービスが取り上げられれば宣伝効果は高くなりますが、新商品紹介などのパブリシティーでもそれなりの効果が望めます。広告は費用でいかようにもなりますが情報の質としては一段格が下がります。そこで、費用を払って編集側に記事を書いてもらうタイアップという方法が生まれます。雑誌が、僅かあれだけの価格で購入できるのは、こうした費用の出元あってのことであり、現代の日本の一流誌であれば広告もタイアップも費用は7ケタにも及びます。キュナードの1933年の雑誌広告が素晴らしいのは、広告としてページを占有し、自分たちで「記事」を書いてしまったところです。皮肉な見方をすれば、単に記事風の広告を作ったともいえますが、海運は一国の命運さえ左右する国策事業、それを担うキュナードなればこそ読み応えのある「記事」を書くことができたものと感じさせられます。雑誌広告が第一線のメディア広告として広がりを見せたのは、今日まで名を継ぐハイファンション誌や総合誌が創刊された1920年代後半、1926年から1927年頃のこと、数多の企業がそうであったように、キュナードもまた新たな雑誌広告に手を変え品を変えアプローチを試みます。その結論が、この1933年の広告であり、公平な目で見て、大衆がキュナードに関して知りたい、聞きたいと考えることが見事に記されています
・ 雑感
1933年のキュナードの広告は、現代の雑誌広告の「基準」として見た場合には合格点は貰えないかもしれません。字数が多すぎ、写真のキャプションがキャプションというよりは解説「文」になってしまっていることは広告全体の宣伝効果といった視点からはマイナスでしょう。しかしながら、狙った目的が一種の「啓蒙」、言い換えれば前述の通り「記事」のようなメッセージだったとすれば、この試みは大成功だったといえるでしょう。個人的には、当時のキュナードにそのような考えはありようもないことながら、90年の後に回顧されるべき遺産を作ってしまったのだと考えます (T.O.)
【Maritime Gallery Ocean-Note】
● ジクレーアートプリント・客船 LL/Poster Ocean Liner INDEX
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納入事例
客船ポスター四方海話
船と港のエッセイ 1
船と港のエッセイ 2
【Maritime Gallery Ocean-Note】