● 1912年 客船タイタニックの写真 額入りジクレーアート
≪SS Titanic, WHITE STAR LINE≫
額縁・マットの色をプルダウンにてお選びください
送料無料。お届けはご注文後約7日です。価格にはアートプリントとマット・額縁、全て含まれます
撮影者 :Francis Browne
撮影年 :1912
額縁・マット : カマボコ型 12mm t=1.5mmx2枚ダブルマット 前面1.8mm厚UVカットアクリル(クラレ・コモグラス)
額縁とマット色をお選びいただけます
・黒艶消し額縁 X ブラウン/ライトベージュ・ダブルマット
・白ツヤ額縁 X ネイビー/ライトブルー・ダブルマット
額縁サイズ : 525mm x 410mm
作品サイズ : 407mm x 272mm (内側マット抜きサイズ、表側オーバーマット抜きは417 x 282mm)
当商品は伊勢和紙に顔料インクを用いたアートプリントを国産材料で額装したものです。奥行きを持たせる濃淡色二重のダブルマット仕様です。伊勢和紙は伊勢神宮の奉書紙として漉かれ全国の神宮大麻に使用されています。インクジェットに意欲的で、伊勢和紙アート紙は新たな表現材料として世界中の写真家やアーティストに使用されています。マーメード紙程度の表面テクスチャーによる風合いが楽しめ、無酸性紙に顔料の組合せは銀塩写真とは比較にならない耐光性を持ち数十年単位の鑑賞に耐えます。写真データに傷や劣化の補修、コントラストなどの可塑修正を施し、テストプリントを繰り返し微調整して仕上げています
● 1912年 客船タイタニックの写真アートプリント
タイタニック、1912年4月11日、アイルランド・クィーンズタウンに沖留め寄港、最後に写された数枚の写真のうちの一枚です。
タイタニックの写真の中で良く知られるのが、イエズス会神父であったフランシス・ブラウンによって撮影されたものです。1880年、アイルランドのクイーンズタウン(現コーブ)に8人兄弟の末っ子として生まれたブラウン神父は9歳の時に父親と死別、その後様々な援助をした叔父のロバートからカメラを買い与えられました。欧州各地で神父としての修練を積みながら撮った写真は4万枚にも及んだと伝わっています。30歳頃までにはアイルランドに戻りイエズス会の神父を務めていましたが、ある日叔父から贈り物を貰います。タイタニックの処女航海、サウサンプトンからクイーンズタウンまでの乗船券でした。ブラウン神父はダブリンからリバプールに渡りロンドンを経由してサウサンプトン到着、ここで1912年4月10日タイタニックに乗船しました。4月10日正午過ぎにサウサンプトン出港、同夕刻シェルブールに寄港、翌4月11日11:30にクィーンズタウン沖に投錨、下船したのはブラウン神父を含め7名だったと記録されています。同13:30抜錨、タイタニックはニューヨークへ向けてクィーンズタウンを後にしました。この4月10日と11日の2日間にブラウン神父は多くの写真を撮りました。有名なポーラーベアーの持ち主ダグラス少年がデッキで独楽を回して遊ぶ写真、ドッキングブリッジから下を覗き込むスミス船長最後の写真、そして下船した後、テンダーでクイーンズタウンに向かった時に撮った数枚のタイタニック全景写真などです。数年前に、新発見されたというタイタニック最後の写真が新聞に掲載され話題になりましたが、精査の結果モーレタニアかルシタニアとの結論が出ました。やはり、ブラウン神父の写真がタイタニック最後の写真であることは覆りません。尚、この写真は一番最後の写真ではなく、最後の数枚の写真のうちの一枚で、同アングルで1912年4月11日11:30分過ぎに撮影された二枚のうちの一枚です。タイタニック最後の写真ということを別にしても、この船の美しさが際立つ素晴らしい写真です
・ 雑感
タイタニックの写真を、と問われれば間違いなくこの写真は外せない一枚です。あまり問い沙汰されることがありませんが、タイタニックのアークテクチャーは船舶史を通じて最も美しいもののひとつに挙げることができます。ハウス部分が小さく見え、ブルーリボンを狙うような船ではなかったものの、速い船の印象を持たせるバランスは際だっていました。タイタニックは非劇的な最後を遂げ、就航中の写真は僅か2日間に撮られたものだけが残されました。ブラウン神父の写真はタイタニックメモリアルとしてこれ以上ない貴重なものです (T.O.)
【Maritime Gallery Ocean-Note】
● ジクレーアートプリント・客船 LL/Photo Ocean Liner INDEX
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納入事例
客船ポスター四方海話
船と港のエッセイ 1
船と港のエッセイ 2
【Maritime Gallery Ocean-Note】