● 1920年代 日本郵船・諏訪丸の写真 額入りジクレーアート
≪NYK Line SS Suwa-maru, Handing the SILK at Seattle≫
額縁・マットの色をプルダウンにてお選びください
送料無料。お届けはご注文後約7日です。価格にはアートプリントとマット・額縁、全て含まれます
撮影者 :anonymous
撮影年 :1920s
額縁・マット : カマボコ型 12mm t=1.5mmx2枚ダブルマット 前面1.8mm厚UVカットアクリル(クラレ・コモグラス)
額縁とマット色をお選びいただけます
・黒艶消し額縁 X ブラウン/ライトベージュ・ダブルマット
・白ツヤ額縁 X ネイビー/ライトブルー・ダブルマット
額縁サイズ : 525mm x 410mm
作品サイズ : 407mm x 272mm (内側マット抜きサイズ、表側オーバーマット抜きは417 x 282mm)
当商品は伊勢和紙に顔料インクを用いたアートプリントを国産材料で額装したものです。奥行きを持たせる濃淡色二重のダブルマット仕様です。伊勢和紙は伊勢神宮の奉書紙として漉かれ全国の神宮大麻に使用されています。インクジェットに意欲的で、伊勢和紙アート紙は新たな表現材料として世界中の写真家やアーティストに使用されています。マーメード紙程度の表面テクスチャーによる風合いが楽しめ、無酸性紙に顔料の組合せは銀塩写真とは比較にならない耐光性を持ち数十年単位の鑑賞に耐えます。写真データに傷や劣化の補修、コントラストなどの可塑修正を施し、テストプリントを繰り返し微調整して仕上げています
● 1920年代 日本郵船・諏訪丸の写真アートプリント
日本郵船は1893年に初の遠洋航路ボンベイ線を開設、外国船に頼っていた綿花輸入を社船(政府補助を受ける日本郵船、大阪商船)に切り替えることに成功しました。1896年にはロンドン支店を設置、ボンベイ線を延伸して欧州線を開設します。今日の目線は花形の太平洋航路に向かいがちですが、当時の欧州航路は国策上はむしろ太平洋航路より重要でした。日本郵船は1913年に香取丸と鹿島丸、翌1914年には諏訪丸、八坂丸、伏見丸、合計5隻の新造貨客船を欧州線に投入します。諏訪丸は諏訪丸型のネームシップで三菱長崎造船所で建造、蒸気レシプロ2基で巡航13ノットの航海速力を持ちました。第一次大戦の戦禍を避けるため1917年から1922年の5年あまりはシアトル航路に配船、1922年欧州線に復帰、第二次大戦では海軍輸送船となり1943年ウェーク島で入港直前に米潜水艦の雷撃を受け、沈没を避けるためにサンゴ礁に乗り上げ擱座・放棄されました。戦後、駐留する米兵が朽ちてゆく諏訪丸から外して持ち帰った真鍮の窓枠は、現在横浜の日本郵船歴史博物館に保存展示されています。
諏訪丸は、浅間丸や氷川丸のように話題に上る客船ではありませんが、今日飛鳥IIのファンネルでも鮮やかに描かれる日本郵船の二引きファンネルマークが初めて使用された貨客船でした。1927年のある日、日本郵船神戸支店の職員が外国船の色とりどりのファンネルを眺めて「何故、社船のファンネルは黒一色なんだろう」と思ったことがきっかけだったと伝わります。当時は日本郵船も大阪商船もファンネルは黒一色でした。1885年に郵便汽船三菱と共同運輸が対等合併して日本郵船が誕生した際に定められたのが白地に横赤線二本、いわゆる二引きの社章・社旗ですが、これを港内のタグボートなどのファンネルにペイントして試用、1929年にファンネルマークに正式採用されて第一号となったのが諏訪丸でした。
また、あのチャールズ・チャップリン、氷川丸に乗船したことは良く知られていますが、実はチャップリンが日本郵船の客船に乗船したのは諏訪丸が最初でした。1931年から1932年にかけての一年半に及ぶ旅行は、ハリウッドで成功したチャップリンの二度目のロンドン凱旋帰国でした。英国出国にあたっては豪華で巨大な欧米の客船を選ぶことはなく、こじんまりと家族的な日本の客船、諏訪丸を選んだといわれます。チャップリンは諏訪丸を大層気に入り、再度日本郵船の照国丸に乗り継ぎ来日、そして離日にあたっても日本郵船の客船を指定して氷川丸でアメリカへ帰国しました。チャップリンのことで脱線すれば、来日中には毎日欠かさず日本橋の天ぷら屋、花長に通ったとといわれ、一度に32尾もの海老の天ぷらを食したと言われています。帰米に際してはダラーライン、カナディアンパシフィックとの激しい勧誘運動がなされましたが、急遽花長に料理人を派遣して御座敷天ぷらを習得させたことが氷川丸を選んだ理由になったと言われています。尚、高級御座敷天ぷらの花長は日本橋を引き払い大田区へ移転、庶民的な天ぷら屋さんとして再スタートしています。
日本郵船諏訪丸。シアトル線配船時、シアトル港にて荷揚げ作業中、前部船倉の絹の荷揚げが見られる貴重な写真です
・ 雑感
この写真はシアトルの収集家所蔵のもので、撮影者や日時が特定されていません。保存されている写真は八つ切り程度のサイズながら状態は余り良くなく、無数にあったプリントの傷はデジタル修復しました。何より面白かったのは、この写真が「シアトルの荷役風景」としてのみ残されていたことで、撮影者も保管する収集家も、この船が日本郵船の諏訪丸であることには全く頓着しておらず「船名不明」としていたことです。たまたまこの写真を見つけた際に、どことなく日本郵船の船に見えた(まだファンネルマーク採用前なので、一見ではわかりません)ので詳細にチェックすると・・・救命ボートにSUWA-MARUの字が読み取れために貴重な写真を得ることができました。実は、日本郵船のシアトル航路についての研究をしていたところ当写真を見つけましたが、探していたのは当時の絹の荷役の写真でした。日本郵船のシアトル航路船の「シルクルーム」から偶然に掘り当てた海事史上も重要な写真です (T.O.)
【Maritime Gallery Ocean-Note】
● ジクレーアートプリント・客船 LL/Photo Ocean Liner INDEX
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納入事例
客船ポスター四方海話
船と港のエッセイ 1
船と港のエッセイ 2
【Maritime Gallery Ocean-Note】