● 1935年頃 客船ノルマンディー・ルアーブル沖の写真 額入りジクレーアート
≪SS Normandie offshore Le Havre≫
額縁・マットの色をプルダウンにてお選びください
送料無料。お届けはご注文後約7日です。価格にはアートプリントとマット・額縁、全て含まれます
撮影者 :anonymous
撮影年 :ca.1935
額縁・マット : カマボコ型 12mm t=1.5mmx2枚ダブルマット 前面1.8mm厚UVカットアクリル(クラレ・コモグラス)
額縁とマット色をお選びいただけます
・黒艶消し額縁 X ブラウン/ライトベージュ・ダブルマット
・白ツヤ額縁 X ネイビー/ライトブルー・ダブルマット
額縁サイズ : 525mm x 410mm
作品サイズ : 407mm x 272mm (内側マット抜きサイズ、表側オーバーマット抜きは417 x 282mm)
当商品は伊勢和紙に顔料インクを用いたアートプリントを国産材料で額装したものです。奥行きを持たせる濃淡色二重のダブルマット仕様です。伊勢和紙は伊勢神宮の奉書紙として漉かれ全国の神宮大麻に使用されています。インクジェットに意欲的で、伊勢和紙アート紙は新たな表現材料として世界中の写真家やアーティストに使用されています。マーメード紙程度の表面テクスチャーによる風合いが楽しめ、無酸性紙に顔料の組合せは銀塩写真とは比較にならない耐光性を持ち数十年単位の鑑賞に耐えます。写真データに傷や劣化の補修、コントラストなどの可塑修正を施し、テストプリントを繰り返し微調整して仕上げています
● 1935年頃 客船ノルマンディー・ルアーブル沖の写真アートプリント
ル・アーブルを出航して行く客船ノルマンディーの写真です。後部デッキが改装前に見えることから、1935年か1936年に撮影されたものと思われます。
1920年代頃までは、フランスの外航客船の玄関口はシェルブールでした。欧州各国の北大西洋航路での競争は激しく、例えば英国では、ロンドンから遠く英仏海峡沿いではないリバプールや、大型船の入港が困難なテームズ川を遡行するロンドンでは不利と悟り、1910年頃には外航客船発着港をプリマスのシップガードに移そうとして失敗、結局サザンレイルウェイによって開発されたサウザンプトンに移します。フランスでは1930年頃、このような英国の動きと並行するように、やはりパリから遠いシェルブールからル・アーブルへ外航船発着港を移します。どちらも、帆船時代は終わり動力船の時代、船の利便性よりも陸の事情によって発着港が移されたということになります。
ここに写る屋根の建物がいかなるものかはわかりませんが、どことなく中世の雰囲気を醸し出す風景の向こうの客船の出航風景、悪くない絵です
・ 雑感
残念ながらル・アーブルを訪れたことがなく正確にはわかりませんが、ル・アーブルは史上最大の作戦、ノルマンディー上陸作戦の連合軍攻撃目標のひとつで、この占領作戦はアストリア作戦と名付けられ実行されました。10000名近いドイツ軍守備隊が駐留しており地形的に天然要塞であったこと、ドイツ軍の「大西洋の壁」 と呼んだ要塞が構築されていたことから、その攻撃は苛烈を極めました。作戦は上首尾で、わずかな戦死者を出したのみで奪還に成功しましたが、事前の艦砲射撃と空爆でル・アーブルの市街地は破壊しつくされ、18kmに渡る埠頭と15000の建造物が失われました。この写真に写る屋根の建物も失われたのではないかと思われます(T.O.)
【Maritime Gallery Ocean-Note】
● ジクレーアートプリント・客船 LL/Photo Ocean Liner INDEX
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納入事例
客船ポスター四方海話
船と港のエッセイ 1
船と港のエッセイ 2
【Maritime Gallery Ocean-Note】