● 1907年 客船ルシタニア・ニューヨーク初停泊の写真 額入りジクレーアート
≪SS Lisitania Maiden Stay at New York≫
額縁・マットの色をプルダウンにてお選びください
送料無料。お届けはご注文後約7日です。価格にはアートプリントとマット・額縁、全て含まれます
撮影者 :anonymous
撮影年 :1907
額縁・マット : カマボコ型 12mm t=1.5mmx2枚ダブルマット 前面1.5mm厚クリアーガラス
額縁とマット色をお選びいただけます
・黒艶消し額縁 X ブラウン/ライトベージュ・ダブルマット
・白ツヤ額縁 X ネイビー/ライトブルー・ダブルマット
額縁サイズ : 525mm x 410mm
作品サイズ : 407mm x 272mm (内側マット抜きサイズ、表側オーバーマット抜きは417 x 282mm)
当商品は伊勢和紙に顔料インクを用いたアートプリントを国産材料で額装したものです。奥行きを持たせる濃淡色二重のダブルマット仕様です。伊勢和紙は伊勢神宮の奉書紙として漉かれ全国の神宮大麻に使用されています。インクジェットに意欲的で、伊勢和紙アート紙は新たな表現材料として世界中の写真家やアーティストに使用されています。マーメード紙程度の表面テクスチャーによる風合いが楽しめ、無酸性紙に顔料の組合せは銀塩写真とは比較にならない耐光性を持ち数十年単位の鑑賞に耐えます。写真データに傷や劣化の補修、コントラストなどの可塑修正を施し、テストプリントを繰り返し微調整して仕上げています
● 1907年 客船ルシタニア・ニューヨーク初停泊の写真アートプリント
処女航海復航出航間近、チェルシー埠頭に停泊するルシタニアの写真です。
アメリカ合衆国独立の頃、産業の中心は五大湖周辺に移り、ハドソン川は大西洋・欧州と米国産業を結ぶ重要な水路でした。帆船時代には航海距離が近いこともあり、欧州と米大陸間航路の米国側発着港の役割はボストンが担っていましたが、一方のニューヨークは欧州と五大湖の中継地点として栄え、19世紀末頃までには欧州からの移民入国基地となったことも手伝い全米最大の港湾都市に成長しました。20世紀を迎えると、大西洋横断客船が急激に巨大化、マンハッタン島南端のノースリバー埠頭やイーストリバー埠頭は水路との関係で延伸することが出来ず、ニューヨーク市が新たに建設したのがマンハッタン島南端からハドソン川を5kmほど上ったチェルシー埠頭です。荘厳な花崗岩のファーサードとターミナル、全体計画はニューヨークグランドセントラル駅を設計したウォーレン・ウェットモア建築事務所が担当、工事は1902年頃に始まり1910年に完成して運用が開始されました。800フィートの大型船が停泊できるように計画された埠頭は、まさにルシタニアとモーレタニアのために造られたといえます。設計時点ではオリンピックやタイタニックの建造計画は想像されておらず、事実、オリンピックが使用するようになる運用開始わずか一年後にはオリンピックとタイタニックのために桟橋は急遽木造で延ばされることになります。その後、客船黄金時代のスーパーライナーの登場に対応できず、チェルシー埠頭のさらにハドソン川上流側に、1000フィート級客船が停泊可能なマンハッタン客船ターミナルが造られます。
1907年、ルシタニアが初めてニューヨーク港に停泊している写真です。周辺の人々や船上の船員たちの様子から出航の直前ではないかと思われます。この時、ここチェルシー埠頭は建築中であり、まだ荘厳な花崗岩のファサード建築物は影も形もありません。恐らく桟橋自体は完成、一方で上屋は仮設に見え「CUNARD」の看板ともども粗末なものに見えます。この後に鉄骨造りの上屋が桟橋一杯に造られその上屋同士が花崗岩外壁のファサードターミナルで繋がれることになります。上屋内部の写真は今日に伝わるものがなく、その上屋がないために桟橋周辺の人々と船上の船員や乗客の様子を見ることができる興味深い写真です
・ 雑感
自動車が一台もなく、馬車や女性のドレス・・・映画のタイタニックでも当時のファッションなどは良く再現されていましたが、こういった写真を見ると、まるで古い名画を見ているような錯覚に陥ります (T.O.)
【Maritime Gallery Ocean-Note】
● ジクレーアートプリント・客船 LL/Photo Ocean Liner INDEX
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納入事例
客船ポスター四方海話
船と港のエッセイ 1
船と港のエッセイ 2
【Maritime Gallery Ocean-Note】