● 1952年 ウィリアム・ギブスと客船ユナイテッドステーツの写真 額入りジクレーアート
≪William Gibbs looks SS United States≫
額縁・マットの色をプルダウンにてお選びください
送料無料。お届けはご注文後約7日です。価格にはアートプリントとマット・額縁、全て含まれます
撮影者 :anonymous
撮影年 :1952
額縁・マット : カマボコ型 12mm t=1.5mmx2枚ダブルマット 前面1.8mm厚UVカットアクリル(クラレ・コモグラス)
額縁とマット色をお選びいただけます
・黒艶消し額縁 X ブラウン/ライトベージュ・ダブルマット
・白ツヤ額縁 X ネイビー/ライトブルー・ダブルマット
額縁サイズ : 525mm x 410mm
作品サイズ : 407mm x 272mm (内側マット抜きサイズ、表側オーバーマット抜きは417 x 282mm)
当商品は伊勢和紙に顔料インクを用いたアートプリントを国産材料で額装したものです。奥行きを持たせる濃淡色二重のダブルマット仕様です。伊勢和紙は伊勢神宮の奉書紙として漉かれ全国の神宮大麻に使用されています。インクジェットに意欲的で、伊勢和紙アート紙は新たな表現材料として世界中の写真家やアーティストに使用されています。マーメード紙程度の表面テクスチャーによる風合いが楽しめ、無酸性紙に顔料の組合せは銀塩写真とは比較にならない耐光性を持ち数十年単位の鑑賞に耐えます。写真データに傷や劣化の補修、コントラストなどの可塑修正を施し、テストプリントを繰り返し微調整して仕上げています
● 1952年 ウィリアム・ギブスと客船ユナイテッドステーツの写真アートプリント
当代一、伝説のネイバルアーキテクト、ウィリアム・フランシス・ギブスが見守る中、ニューヨークへ入港する客船ユナイテッドステーツの写真です。
ギブスは1886年フィラデルフィア生まれ、父親は金融業を営み裕福だったと伝わります。子供の頃より船に対する関心は強く、弁護士を目指しハーバード大学に入学するも中退、コンロンビア大学ローススクールを卒業して弁護士となりました。本格的に造船に向き合ったのは、ハーバード時代の選択科目で造船工学を履修し、ほどなく就役したキュナードの客船ルシタニアに乗船したのがきっかけだったといいます。独学で造船工学を学び弁護士を辞め、J.P.モルガンが大西洋航路の独占を目指して設立したIMM(International Mercantile Marine )に造船技師として入社、最終的にギブスは設計主任となり、少なくとも米国造船業界では名を知られる存在になっていたといいます。1922年にIMMを辞めて独立、ギブスブラザース(1929年、ヨットデザイナーのダニエル・コックスが入社するとギブス&コックスに改組改名)を設立、そしてギブスの名を有名にした「あの仕事」が舞い込んで来ます。
ギブスの名を一躍有名にしたのは、ドイツから戦時賠償で得た客船ファータラントをアメリカの客船リバイアサンに改装する大仕事でした。ハパグ・ハンブルクアメリカラインの客船ファーターラントは、全長290m、45000トン、ハパグの三巨船の第二船で世界最大の客船トリオの一隻でした。(一番船のインペラトールはキュナードの客船ベランガリアに、三番船のビスマルクはホワイトスターの客船マジェスティックになった) ギブスは主契約者としてニューポートニューズ造船所と組んでこの改装を800万ドルで請け負いました。米国船籍の客船にするため、まず米国の法規申請をした上で船舶保険を掛けるためのロイド船級を取り直さなければなりません。ところが、ファータラントを戦時賠償で引き渡すことに苦渋を飲んだドイツ人クルーが船内に備えておくべき図面を破棄、図面が無くては始まらないのでドイツ、ブローム&フォス造船所に問い合わせをすると返事は「図面を100万ドルでお譲りする」・・・この出来事に怒り心頭のギブスは「そんな図面を買うことは無い!自分たちで図面を引けば良い」と言い放ち、ニュポートニューズのスタッフ100名を引き連れて船に乗り込み、数か月かけて新たに図面を描き上げてしまいます。苦心の改装は1年4か月かけて完了、客船リバイアサンとして蘇りました。公試運転ではハパグ時代の26ノットを上回り27.5ノットの最高速度を記録、後に客船リバイアサンの商業運航は成功に程遠い結果になったものの船の出来栄えは素晴らしく、件の図面の一件も手伝ってギブスの名声は高まりました。
ギブスが生涯を通じて追いかけた夢はルシタニアに乗船した時に生まれました。「星条旗を掲げる1000フィートの高速客船」です。IMMを辞めて独立したのも、J.P.モルガン会長と直々に話し合っていた1000フィート客船の計画が潰えたことが原因でした。一方で現実的には、当時アメリカに3万トンを超える商船・客船の建造のノウハウはありませんでした。ところが・・・客船リバイアサンの改装によって造船所が建造ノウハウを得たばかりでなく、ギブスは隅々まで実測して図面を引く困難を通じて、5万トン客船の設計ノウハウまで手中にします。そして第二次大戦・・・戦時中は第一人者として数多くの米海軍艦艇の設計を手掛け造船技術の最先端を担っていましたが、夢を叶えるチャンスはやっと1946年に巡ってきます。米政府は、大戦を通じてキュナード・クイーンズの活躍によって、戦争の帰趨を左右する程の高速兵員輸送の破壊力を痛感しました。一方、USL・ユナイテッドステーツラインズは、ドイツ、イタリア、フランスのスーパーライナーが居なくなった大西洋にクイーンズに対抗できるスーパーライナーが欲しかった・・・そしてギブスの1000フィートの高速客船の夢、この三者の思いが一致して客船ユナイテッドステーツの建造が決まります。
ギブスは、客船ユナイテッドステーツを「The Big Ship」と呼び、我が子の様に可愛がったといいます。1967年に他界するまで、ユナイテッドステーツの航海中には船長と機関長に毎日のように電話を入れて船の調子を尋ね、ニューヨークへの入港時と出港時は必ず船へ足を運んでいたそうです
・ 雑感
バージニア州の独立都市、ニューポートニューズに全米最大の造船所ニューポートニューズ造船所があり、その5kmほど北には全米最大の海事博物館、マリナーズミュージアムがあります。この博物館にはウィリアム・フランシス・ギブスを称えるギブス・ギャラリー(ギブス・ルーム)が設けられ、客船ユナイテッドステーツの実際に使用されたタンクテスト用の模型が展示されています。ギブスの我が子、客船ユナイテッドステーツは、1969年に運航停止されて係留・放置されたままですが、いよいよ保存に向けた動きが最終段階に差し掛かってきた感があります (T.O.)
【Maritime Gallery Ocean-Note】
● ジクレーアートプリント・客船 LL/Photo Ocean Liner INDEX
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納入事例
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船と港のエッセイ 1
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【Maritime Gallery Ocean-Note】