● 1911年 客船オリンピック・ニューヨーク59番埠頭の写真 額入りジクレーアート
≪SS Olympic stay at Pier 59 New York≫
額縁・マットの色をプルダウンにてお選びください
送料無料。お届けはご注文後約7日です。価格にはアートプリントとマット・額縁、全て含まれます
撮影者 :anonymous
撮影年 :1911
額縁・マット : カマボコ型 12mm t=1.5mmx2枚ダブルマット 前面1.8mm厚UVカットアクリル(クラレ・コモグラス)
額縁とマット色をお選びいただけます
・黒艶消し額縁 X ブラウン/ライトベージュ・ダブルマット
・白ツヤ額縁 X ネイビー/ライトブルー・ダブルマット
額縁サイズ : 525mm x 410mm
作品サイズ : 407mm x 272mm (内側マット抜きサイズ、表側オーバーマット抜きは417 x 282mm)
当商品は伊勢和紙に顔料インクを用いたアートプリントを国産材料で額装したものです。奥行きを持たせる濃淡色二重のダブルマット仕様です。伊勢和紙は伊勢神宮の奉書紙として漉かれ全国の神宮大麻に使用されています。インクジェットに意欲的で、伊勢和紙アート紙は新たな表現材料として世界中の写真家やアーティストに使用されています。マーメード紙程度の表面テクスチャーによる風合いが楽しめ、無酸性紙に顔料の組合せは銀塩写真とは比較にならない耐光性を持ち数十年単位の鑑賞に耐えます。写真データに傷や劣化の補修、コントラストなどの可塑修正を施し、テストプリントを繰り返し微調整して仕上げています
● 1911年 客船オリンピック・ニューヨーク59番埠頭の写真アートプリント
1911年6月、この時点でキュナードの客船モーレタニアを抜いて世界最大の客船として就役したホワイトスターラインの客船オリンピックが処女航海でニューヨークへ到着、チェルシー59番埠頭に停泊している写真です。満船飾が掲げられていることから、処女航海で到着した時の写真と判ります。歴史に「もし」はありませんが、もし翌1912年4月15日に事故に遭わなければ、タイタニックは4月17日にはこの写真のように59番埠頭に停泊した筈です。
ここに写るニューヨーク・チェルシーピアーの59番埠頭は、客船の大型化によって、マンハッタン島南端のノースリバー埠頭やイーストリバー埠頭では長さが足りず、マンハッタン島南端からハドソン川を5kmほど上ったチェルシー地区に造られました。ここには見えませんが、写真の向こう側からこちらを見れば、そこには荘厳な花崗岩のファーサード・ターミナルがそびえています。チェルシー埠頭の全体計画はニューヨークグランドセントラル駅を設計したウォーレン・ウェットモア建築事務所が担当、1910年に完成して運用が開始されました。写真右側には桟橋上屋、その向こうのファサードターミナルの頂部には海獣たちが戴く地球のモニュメントが見られます。
チェルシー埠頭は解体・再開発され、キュナード(後にキュナード・ホワイトスター)が使用した54番埠頭の鉄骨の骨組みだけが残されましたが、59番埠頭や他の構造物は取り壊されてしまいました
・ 雑感
もし事故に遭わなければタイタニックは1912年4月17日に、この59番埠頭に到着する筈でした。タイタニックの生存者705名を救助したキュナードの客船カルパチアは、タイタニック到着予定だった17日の翌日の1912年4月18日にニューヨークへ到着、キュナードの54番埠頭に着岸して生存者を下船させる前に、このホワイトスターラインの59番埠頭にタイタニックの救命ボートのみを届けました (T.O.)
【Maritime Gallery Ocean-Note】
● ジクレーアートプリント・客船 LL/Photo Ocean Liner INDEX
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納入事例
客船ポスター四方海話
船と港のエッセイ 1
船と港のエッセイ 2
【Maritime Gallery Ocean-Note】