● 1952年 マンハッタン86番埠頭・客船ユナイテッドステーツ到着の写真 額入りジクレーアート
≪SS United States, Arrival New York for the first time≫
額縁・マットの色をプルダウンにてお選びください
送料無料。お届けはご注文後約7日です。価格にはアートプリントとマット・額縁、全て含まれます
撮影者 :anonymous
撮影年 :1952
額縁・マット : カマボコ型 12mm t=1.5mmx2枚ダブルマット 前面1.8mm厚UVカットアクリル(クラレ・コモグラス)
額縁とマット色をお選びいただけます
・黒艶消し額縁 X ブラウン/ライトベージュ・ダブルマット
・白ツヤ額縁 X ネイビー/ライトブルー・ダブルマット
額縁サイズ : 525mm x 410mm
作品サイズ : 407mm x 272mm (内側マット抜きサイズ、表側オーバーマット抜きは417 x 282mm)
当商品は伊勢和紙に顔料インクを用いたアートプリントを国産材料で額装したものです。奥行きを持たせる濃淡色二重のダブルマット仕様です。伊勢和紙は伊勢神宮の奉書紙として漉かれ全国の神宮大麻に使用されています。インクジェットに意欲的で、伊勢和紙アート紙は新たな表現材料として世界中の写真家やアーティストに使用されています。マーメード紙程度の表面テクスチャーによる風合いが楽しめ、無酸性紙に顔料の組合せは銀塩写真とは比較にならない耐光性を持ち数十年単位の鑑賞に耐えます。写真データに傷や劣化の補修、コントラストなどの可塑修正を施し、テストプリントを繰り返し微調整して仕上げています
● 1952年 マンハッタン86番埠頭・客船ユナイテッドステーツ到着の写真アートプリント
1952年6月22日、ニューヨーク・マンハッタン客船ターナル86番埠頭北バースへ到着する客船ユナイテッドステーツ、船上から埠頭を見下ろす写真です。
この写真が撮られたその日、アメリカの忸怩たる思いが晴れます。アメリカは客船ユナイテッドステーツの噂で持ちきりでした。1946年に建造が決定され、1949年に建造が始まったユナイテッドステーツは1952年に完成、6月9日から10日には公試運転、この日、6月22日の朝にはニューポートニューズ造船所からUSLユナイテッドステーツラインズに引き渡され、1300名の招待客を乗せて回航0号航海でニューヨーク・マンハッタン客船ターミナルへ到着しました。
マンハッタン客船ターミナルはマンハッタンの西46ストリートから西54ストリートのハドソン河岸に造られた1000フィートバースを7つ持った客船埠頭でした。1910年頃に使用開始された下流側のチェルシー埠頭は800フィート、いよいよ5万トンを超えるスーパーライナーが登場すると、航路確保の観点から埠頭が延長できずに対処を迫られます。結果として、未整備の船溜まりがあったリンカーントンネル上流側のこの場所が選ばれて埠頭を建設、1935年から供用が開始されました。ところが、ニューヨーク市がせいぜい手間とお金を掛けて造ったこの1000フィート埠頭の新しい客船ターミナルに・・・アメリカは停めるべき客船を持っていませんでした。
1930年代、1000フィートのバースを必要としたのは、フランスの客船ノルマンディー、イギリスの客船クイーンメリーと1940年完成予定のクイーンエリザベス、構想中のノルマンディーの姉妹船(ブリターニュとなる予定だった)でした。従って、一番上流側の90番埠頭はキュナードホワイトスターの専用、次の88番埠頭はフレンチラインの専用としてそれぞれ埠頭先端部の上屋に社名が描かれ、86番埠頭はニュージャージー側のホーボーケンから移ってきた北ドイツロイドとイタリアンラインが共用で使用、USLもここに客船アメリカを時々停めますが、いかんせん全長220mの客船、1000フィートの埠頭に停めたところで、300m級の客船を横目に見劣りは否めませんでした。
第一次大戦を経て、アメリカは世界一の債権国に転じて1920年代の金ピカ時代を謳歌します。戦時賠償でドイツの客船ファーターラントを得て客船リバイアサンに改装、USLが運航を担当しますが大失敗に終わりました。1933年廃止の禁酒法が、米国船籍船の船内まで及んでいたことが大きな原因ともいわれますが、見えない壁がそこにあったことも事実、すなわち「伝統」です。船だけがあればいいという訳ではなく、船員やサービスを担う料理人や乗組員、陸上のスタッフ、こういったものは一朝一夕で揃うものではなく、イギリスの伝統やフランスのエスプリ、ここには手が届きませんでした。USLは原点に立ち返り、少し小ぶりな客船ワシントンとマンハッタンを建造、英仏と競合しないツーリストクラスで勝負して成功、第三船として客船アメリカを建造、こうして一歩一歩、大西洋定期航路の運営ノウハウを手中にしてゆきました。
第二次大戦中にキュナード・クイーンズの実力、高速大型客船の輸送力が持つ破壊力を身をもって体験したアメリカは、自前のスーパーライナーの建造を決定しました。運航会社のUSLも大西洋航路の運営ノウハウを得ていました。こうして1000フィートの客船ユナイテッドステーツが完成、第二次大戦でドイツ、イタリアの客船が失われたために停まるべき客船を失っていたマンハッタン客船ターミナル86番埠頭をUSL専用埠頭へと改装して待ちます。自国の1000フィート客船、しかも、公試運転の結果は軍事機密で公表されなかったものの、噂では「40ノットもの速度を記録している」・・・大西洋横断最速記録更新、「ブルーリボンの獲得が夢ではない」、到着するのはアメリカのプライド足りうる正真正銘のスーパーライナーでした。
埠頭上屋はペンキが塗りなおされ、上屋先端と屋根には「UNITED STATES LINES」の文字・・・専用埠頭です。上屋のバルコニーには歓喜にあふれて船を迎える人々、何十年かの恩讐、万感こもった時を写した意味深い写真です
・ 雑感
この写真が撮影された11日後、客船ユナイテッドステーツはこのマンハッタン客船ターミナル86番埠頭北バースから処女後期に出航、平均速度35.59ノットで大西洋横断速度記録を更新してブルーリボン客船の座を獲得、この記録は現在も破られていません。旧86番埠頭、現在は空母イントレピッドが係留され、イントレピッド海上航空宇宙となっています (T.O.)
【Maritime Gallery Ocean-Note】
● ジクレーアートプリント・客船 LL/Photo Ocean Liner INDEX
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納入事例
客船ポスター四方海話
船と港のエッセイ 1
船と港のエッセイ 2
【Maritime Gallery Ocean-Note】