● 1969年 客船クイーンエリザベス2・ニューヨーク初入港の写真 額入りジクレーアート
≪QE2 Maiden Arrival at New York≫
額縁・マットの色をプルダウンにてお選びください
送料無料。お届けはご注文後約7日です。価格にはアートプリントとマット・額縁、全て含まれます
撮影者 :anonymous
撮影年 :1969
額縁・マット : カマボコ型 12mm t=1.5mmx2枚ダブルマット 前面1.8mm厚UVカットアクリル(クラレ・コモグラス)
額縁とマット色をお選びいただけます
・黒艶消し額縁 X ブラウン/ライトベージュ・ダブルマット
・白ツヤ額縁 X ネイビー/ライトブルー・ダブルマット
額縁サイズ : 525mm x 410mm
作品サイズ : 407mm x 272mm (内側マット抜きサイズ、表側オーバーマット抜きは417 x 282mm)
当商品は伊勢和紙に顔料インクを用いたアートプリントを国産材料で額装したものです。奥行きを持たせる濃淡色二重のダブルマット仕様です。伊勢和紙は伊勢神宮の奉書紙として漉かれ全国の神宮大麻に使用されています。インクジェットに意欲的で、伊勢和紙アート紙は新たな表現材料として世界中の写真家やアーティストに使用されています。マーメード紙程度の表面テクスチャーによる風合いが楽しめ、無酸性紙に顔料の組合せは銀塩写真とは比較にならない耐光性を持ち数十年単位の鑑賞に耐えます。写真データに傷や劣化の補修、コントラストなどの可塑修正を施し、テストプリントを繰り返し微調整して仕上げています
● 1969年 客船クイーンエリザベス2・ニューヨーク初入港の写真アートプリント
1969年5月7日、サウザンプトンからの大西洋横断処女航海を終え、ニューヨーク港に入港してきた客船クイーンエリザベス2、マンハッタン島手前、カメラフレームには入らぬものの、左舷側に自由の女神を見るアッパーニューヨーク湾奥あたりで撮られた写真です。プレスのヘリコプターはフレーム内だけで5機、ニューヨーク湾は久しぶりの「クイーン」の入港に大騒ぎでした。
大西洋航路に「クイーン」の名を戴く客船が登場したのは1936年5月27日のことでした。クイーンメリーです。キュナードラインの客船名は1851年の操業よりBritaniaのように「~ia」で終わるのが伝統でした。クイーンメリーの船名は、この伝統に倣いVictoriaに決まっていました。ところが、Vicotiaの進水式を控えた1934年のある日、時の国王ジョージ5世が造船所を訪れた際に船名を問われたキュナードの重役が「大英帝国で最も偉大な女王の名を戴きます」と答えると、国王は勘違いをして「それは妻が喜ぶでしょう」と笑顔で返したのです。ジョージ5世の妻こそMary王妃・・・こうして女王の名を戴く客船クイーンメリーが誕生しました。クイーンメリー就役から2年後の1938年、クイーンメリーの姉妹船が進水式を迎えます。国王はジョージ5世からジョージ6世になっており、妻はElizabeth王妃、女王の名を戴く2隻目の客船、クイーンエリザベスが誕生します。ところが第二次大戦が勃発、クイーンエリザベスは商業航海に就くことなくクイーンメリーとともに兵員輸送の任にあたり、二隻で150万人以上の兵員・軍属・看護師を輸送、欧州戦線の帰趨にも大きな影響を与える活躍を見せました。クイーンエリザベスは1946年10月、6年越しで処女航海を果たし大西洋航路に就役、翌1947年7月にはクイーンメリーが大西洋航路に復帰、史上最強の大西洋横断定期客船の船隊、キュナード・クイーンズの航海が始まります。以後10年間はキュナードにとってもクイーンズにとっても至福の時でした。クイーンズの人気は絶大でツーリストクラスへの乗船は1年待ちだったといいます。
暗雲が立ち込めたのは1958年のことでした。ジェット旅客機・ボーイング707が大西洋横断航路に就航、ニューヨーク-ロンドン間を10時間で結ぶようになるとあっという間に客船と航空機の乗客数が逆転しました。収益が悪化する中で、キュナードはほどなく順次船齢30年に達するクイーンズの代替船を考えなければなりませんでした。すでに、両船を同規模の客船で置き換える既定路線の計画は実行不可能、とりあえず3隻目のクイーン、Q3を建造してクイーンメリーを置き換える案が進められ入札を実施、かつてモーレタニアを建造したスワンハンターが落札して英国政府への助成申請を準備していたところ、役員会と株主の承認がQ3の不透明な将来性を巡り紛糾、とうとうQ3の計画はキャンセルされました。変わって浮かび上がってきたのが4隻目のクイーン、Q4の計画でした。大西洋航路のみでの収益確保を無理と判断し、大西洋航路の航海を従来の11か月間から8か月に短縮して冬季クルーズ航海にシフト、船はこれに合わせ定期航路とクルーズの兼用とされ、パナマックスの32m幅、全長293mに抑えるという計画です。このQ4が3隻目のクイーン、QE2 ・客船クイーンエリザベス2でした。
QE2は1968年11月に就役予定でしたが、1965年以降、キュナードの台所事情は火の車となっており、クイーンエリザベスに空調設備を整えるクルーズ航海向けの延命措置を施した上で、QE2を待たずに1967年10月でクイーンメリーを退役させ、当面、改装なったクイーンエリザベスがQE2を待つことになりました。1966年、クイーンメリーは競売にかけられ安住の地となる米国西海岸のロングビーチ市が落札、ところが1967年、延命の改装を施したクイーンエリザベスの収益は改善の兆しを見せずにさらに悪化、このままではQE2の就役さえ危うくなると判断したキュナードラインは5月8日、クイーンメリーに続きクイーンエリザベスも1968年11月で退役させることを発表しました。クイーンエリザベスの改装は無駄骨に終わったものの、クイーンエリザベスとQE2は何とか交代という体裁に持ち込める筈でした。ところが、クイーンエリザベスが1968年11月4日に運航を停止、工事の遅れたQE2は1968年11月27日からの公試運転中に蒸気タービンの欠損事故を起こしキュナードは新船を受取拒否、これでクイーンエリザベスとQE2の交代という体裁は潰え、大西洋航路から「クイーン」が居なくなってしまいました。それでも季節はたまたまオフシーズン、心機一転、QE2の1969年早々の就役を目指し処女航海の予約を開始、冬季のドック入りは通常の運用スケジュールでもあることなので、キュナードの対面は保たれる筈でした。しかし、残念なことに1969年1月、QE2は再び機関故障に見舞われキュナードは再度受取拒否、処女航海がキャンセルされるという前代未聞のトラブルになってしまいました。
大戦を挟んだものの33年間、そこにあった「クイーン」の名が、半年間大西洋から消えました。初期トラブルに悩まされたものの、一方で無くなって気づいた「クイーン」の存在感、妙な現象に見えるものの新しい「クイーン」の人気は逆に高まり、最初の入港にニューヨークは大騒ぎになります。QE2は1969年5月2日、サウザンプトンを出航、そしてここに無事処女航海を終えようとしています
・ 雑感
クイーンメリーとクイーンエリザベスは滅多に港で一緒になることはありませんでした。一方がニューヨークに居れば、一方はサウザンプトンに居るという関係だったからです。大西洋航路ですれ違うことはあったかもしれませんが、目に見える距離であればそれは一歩間違えればニアミスです。ところが、大西洋上でのすれ違いが一度だけ記録されています。それは「Good Bye meeting」として乗船客にも予告されたもので、次航にクイーンメリーが最終航海を控えた1967年9月25日、東航中のクイーンエリザベスと西航中のクイーンメリーは午前2時20分、28ノットの速度で大西洋上ですれ違いました。ホーンの交歓を行い、ブリッジの両船船長は帽子を振りあったと言います。これが両船の最後の会合となりました。クイーンエリザベスとQE2は、一度だけホーン交歓をしています。1971年3月、カリブ海のアルバでのことでした。退役したクイーンエリザベスはフロリダで観光施設になる予定でしたが、運営会社が倒産、香港のCYトンに転売されフロリダから香港への回航中にアルバでボイラーを修理するために係船、ここにクルーズ航海で入港したQE2と遭ったと伝わります (T.O.)
【Maritime Gallery Ocean-Note】
● ジクレーアートプリント・客船 LL/Photo Ocean Liner INDEX
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納入事例
客船ポスター四方海話
船と港のエッセイ 1
船と港のエッセイ 2
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