● 1930年代 客船ブレーメン・ハインケル発艦の写真 額入りジクレーアート
≪SS Bremen's Heinkel HE 12, D-1717≫
額縁・マットの色をプルダウンにてお選びください
送料無料。お届けはご注文後約7日です。価格にはアートプリントとマット・額縁、全て含まれます
撮影者 :anonymous
撮影年 :1931
額縁・マット : カマボコ型 12mm t=1.5mmx2枚ダブルマット 前面1.8mm厚UVカットアクリル(クラレ・コモグラス)
額縁とマット色をお選びいただけます
・黒艶消し額縁 X ブラウン/ライトベージュ・ダブルマット
・白ツヤ額縁 X ネイビー/ライトブルー・ダブルマット
額縁サイズ : 525mm x 410mm
作品サイズ : 407mm x 272mm (内側マット抜きサイズ、表側オーバーマット抜きは417 x 282mm)
当商品は伊勢和紙に顔料インクを用いたアートプリントを国産材料で額装したものです。奥行きを持たせる濃淡色二重のダブルマット仕様です。伊勢和紙は伊勢神宮の奉書紙として漉かれ全国の神宮大麻に使用されています。インクジェットに意欲的で、伊勢和紙アート紙は新たな表現材料として世界中の写真家やアーティストに使用されています。マーメード紙程度の表面テクスチャーによる風合いが楽しめ、無酸性紙に顔料の組合せは銀塩写真とは比較にならない耐光性を持ち数十年単位の鑑賞に耐えます。写真データに傷や劣化の補修、コントラストなどの可塑修正を施し、テストプリントを繰り返し微調整して仕上げています
● 1931年 客船ブレーメン・ハインケル発艦の写真アートプリント
1931年、客船ブレーメンから発艦するハインケルHe12、機体番号D-1717水上機の写真です。一説によれば、第一次大戦に敗北したドイツでは海軍と空軍の設置が禁止されたため、船員の養成は客船で、パイロットの養成は民間航空機で、それぞれ継続されたと言われます。果たして、客船に設置されたカタパルトから水上機を飛ばす目的はいかなるものか、今となってはどこにも明確な答えはありませんが、航空母艦の実験には程遠く、単なる話題作りだったとも言われます。ただし、おおよそ入港40時間ほど前に発艦し、入港よりも一日早く約300kgに及ぶ郵便物を運ぶという試みは有用なもので、大西洋航路蒸気船のルーツが郵便輸送にあったことを考えれば、28ノットの高速で往復する客船からさらに一日早く水上機によって郵便が届くとなれば、大いなる営業上の優位になると考えたことに不合理はありません。
客船ブレーメンにはハインケルのK2カタパルト、オイローパにはK3カタパルトが設置され、1932年になると水上機は大型で真っ赤な塗装のユンカースJu-46に交換されました。ブレーメンのファンネルは、就役時には高さが極端に短いものでしたが煤がデッキ上の乗客の服を汚すことから1930年には長さが延ばされており、この写真ではその長いファンネルが見られます。このことから、写真は1931年に撮影された可能性が高いと考えられます。当初、ブレーメンとオイローパの水上機は大いに新聞紙面を賑わして格好の宣伝にはなりましたが、1935年には飛ばすのを止めてしましました。かなりのコストが掛かっていたといわれ、後に続く試みが皆無だったことを考えるとコストに見合う有用性までは見出だせなかったのかもしれません
・ 雑感
1929年の大恐慌以降の客船運行は、どの船会社にとっても採算の合わない事業になっていました。ドイツも例外ではなく、ヒトラー政権下では北ドイツロイドとハパグの赤字にテコ入れが必要と判断され、両社は解散して法律上は一つの事業体となっていました。尤も、北ドイツロイドとハパグの「ブランド」は残したので、外からは共同運航の形をとっているようにしか見えなかったと言われます。水上機の運用停止、時期的にはこの解散・経営統合と一致しています (T.O.)
【Maritime Gallery Ocean-Note】
● ジクレーアートプリント・客船 LL/Photo Ocean Liner INDEX
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納入事例
客船ポスター四方海話
船と港のエッセイ 1
船と港のエッセイ 2
【Maritime Gallery Ocean-Note】