● 1930年代 日本郵船・靖国丸の写真 額入りジクレーアート
≪MS Yasukuni Maru, NYK LIne≫
額縁・マットの色をプルダウンにてお選びください
送料無料。お届けはご注文後約7日です。価格にはアートプリントとマット・額縁、全て含まれます
撮影者 :anonymous
撮影年 :1930s
額縁・マット : カマボコ型 12mm t=1.5mmx2枚ダブルマット 前面1.8mm厚UVカットアクリル(クラレ・コモグラス)
額縁とマット色をお選びいただけます
・黒艶消し額縁 X ブラウン/ライトベージュ・ダブルマット
・白ツヤ額縁 X ネイビー/ライトブルー・ダブルマット
額縁サイズ : 525mm x 410mm
作品サイズ : 407mm x 272mm (内側マット抜きサイズ、表側オーバーマット抜きは417 x 282mm)
当商品は伊勢和紙に顔料インクを用いたアートプリントを国産材料で額装したものです。奥行きを持たせる濃淡色二重のダブルマット仕様です。伊勢和紙は伊勢神宮の奉書紙として漉かれ全国の神宮大麻に使用されています。インクジェットに意欲的で、伊勢和紙アート紙は新たな表現材料として世界中の写真家やアーティストに使用されています。マーメード紙程度の表面テクスチャーによる風合いが楽しめ、無酸性紙に顔料の組合せは銀塩写真とは比較にならない耐光性を持ち数十年単位の鑑賞に耐えます。写真データに傷や劣化の補修、コントラストなどの可塑修正を施し、テストプリントを繰り返し微調整して仕上げています
● 1930年代 日本郵船・靖国丸の写真アートプリント
大変珍しい日本郵船の欧州航路、靖国丸の写真です。第一次大戦後、世界的な海運不況の嵐が吹いたものの、日本郵船はいち早く欧州線の船質改善に取り組み1万トン型の貨客船を新造、頭文字をとったH型貨客船、箱根丸、榛名丸、筥崎丸、白山丸の4隻を1921年から1923年にかけて就役させました。しかし欧州各国が戦禍から立ち直って新船を投入するようになると、この時点で11隻が配船されていた日本郵船欧州航路船隊には船齢25年以上となる賀茂丸級が混じっていたため見劣りは否めないようになってきました。片や、1927年には東洋汽船を合併してサンフランシスコ線を得るものの、こちらもまたダラーラインやカナディアンパシフィックの猛追にさらされていました。そこで、日本郵船は1929年から1931年にかけて、太平洋航路と欧州航路の船腹更新を一気に実行、サンフランシスコ線に浅間丸級3隻、シアトル線に氷川丸級3隻、そして欧州線には照国丸、靖国丸の二隻を投入して欧州線での劣勢挽回を図りました。
下って1940年、欧州線には新たに新田丸級3隻が投入される予定でしたが、すでに1939年には照国丸がテームズ川で触雷沈没、やがてドイツがポーランドに侵攻すると欧州線の航路維持は困難になり、新田丸と八幡丸の新船(第三船の春日丸は竣工前に空母に改装)が欧州航路に就役することはありませんでした。従って、1893年に開設された日本郵船欧州航路にて、照国丸、靖国丸は日本郵船が最後に就役させた欧州線定期客船となりました。
靖国丸は当初、蒸気タービン機関で航海速度18ノットの貨客船として計画されたと伝わりますが、太平洋線の浅間丸級、氷川丸級と同様のディーゼル機関が搭載され15ノットの航海速度で建造されました。日本郵船欧州航路の新鋭船として10年間活躍しましたが、第二次世界大戦が勃発すると潜水母艦としてで海軍に徴用され、1944年1月にトラック島近海で米潜水艦の雷撃により沈没しました
・ 雑感
1938年神戸港、宝塚歌劇団が初めての海外公演のために50余名の団員を欧州に派遣、乗船したのは靖国丸でした。当時の世界情勢を反映して日独伊親善芸術使節団という名目での訪欧でした。着地はナポリでベルリンやパリで公演を行ったといいます。団員たちは帰国に際しても靖国丸に乗船しました。比較的涼しい北太平洋航路や華やかな大西洋航路とちがい、インド洋を越える欧州航路は暑さと湿気に苦しみます。靖国丸と照国丸は最新の空調設備を備え、それまでとは段違いの快適さが好評だったと伝わります(T.O.)
【Maritime Gallery Ocean-Note】
● ジクレーアートプリント・客船 LL/Photo Ocean Liner INDEX
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納入事例
客船ポスター四方海話
船と港のエッセイ 1
船と港のエッセイ 2
【Maritime Gallery Ocean-Note】