● 1939年 客船ノルマンディーとクイーンメリーの写真 額入りジクレーアート
≪SS Normandie and RMS Queen Mary stay in Manhattan Terminal side by side≫
額縁・マットの色をプルダウンにてお選びください
送料無料。お届けはご注文後約7日です。価格にはアートプリントとマット・額縁、全て含まれます
撮影者 :anonymous
撮影年 :1939
額縁・マット : カマボコ型 12mm t=1.5mmx2枚ダブルマット 前面1.8mm厚UVカットアクリル(クラレ・コモグラス)
額縁とマット色をお選びいただけます
・黒艶消し額縁 X ブラウン/ライトベージュ・ダブルマット
・白ツヤ額縁 X ネイビー/ライトブルー・ダブルマット
額縁サイズ : 525mm x 410mm
作品サイズ : 407mm x 272mm (内側マット抜きサイズ、表側オーバーマット抜きは417 x 282mm)
当商品は伊勢和紙に顔料インクを用いたアートプリントを国産材料で額装したものです。奥行きを持たせる濃淡色二重のダブルマット仕様です。伊勢和紙は伊勢神宮の奉書紙として漉かれ全国の神宮大麻に使用されています。インクジェットに意欲的で、伊勢和紙アート紙は新たな表現材料として世界中の写真家やアーティストに使用されています。マーメード紙程度の表面テクスチャーによる風合いが楽しめ、無酸性紙に顔料の組合せは銀塩写真とは比較にならない耐光性を持ち数十年単位の鑑賞に耐えます。写真データに傷や劣化の補修、コントラストなどの可塑修正を施し、テストプリントを繰り返し微調整して仕上げています
● 1939年 客船ノルマンディーとクイーンメリーの写真アートプリント
1938年の英仏独ミュンヘン会談での宥和策が反故にされ、1939年8月に独ソ不可侵条約が締結されると、アメリカの対独強硬策が火に油を注ぐ結果となり一気に戦争不可避というムード一色になります。客船ノルマンディーは1939年8月23日にル・アーブルから乗客1147名を乗せて141回目の大西洋断航海に出航、ニューヨークのマンハッタン客船ターミナル88番埠頭北バースへの到着は8月28日の午前11時でした。同じ潮で、ドイツの客船ブレーメンが86番埠頭南バースへ到着しました。当時、スーパーライナー達のニューヨークステイはおよそ50時間、両船が給油を行う中、それぞれ本国から電報が入ります。ノルマンディには「出航待て」、ブレーメンには「帰国せよ」。イギリスはアメリカへ開戦と同時にブレーメンを拿捕する計画への協力を要請、ニューヨーク港湾当局はFBIによる船内捜索、翌日はボートドリル(救命ボートの降下訓練。重労働であり、通常1隻のみ降ろすところ当局は右舷側救命ボートを全隻降ろさせた)、出航を妨害します。法律上の出航差し止め上限は48時間、これが切れた8月30日午前0時5分にブレーメンは乗客を乗せずに出航、アンブローズチャンネルで待ち伏せる英海軍巡洋艦を夜陰に紛れて振り切りドイツへ戻ります。客船クイーンメリーは1939年8月30日にサウザンプトンを出航、ル・アーブルでノルマンディーの次航を待つ乗客も一気に乗せたため、総計2332名という記録的な数の乗客を乗せて143回目の大西洋横断へ向かいました。そして1939年9月1日、ドイツ軍がポーランドに侵攻すると9月3日にはイギリスとフランスがドイツへ宣戦布告、とうとう第二次世界大戦が勃発しました。クイーンメリーは9月3日の朝に、マンハッタン客船ターミナル90番埠頭南バースへ到着、そのまま係留されました。
ノルマンディーとクイーンメリーが並んで係船されています。クイーンメリーは乗船客を降ろすと、すぐに米海軍からペンキを供与してもらい船体をヘイズグレーに塗り替えました。この写真は、その後に撮影されました。両船は第二次大戦の戦況を見守りながらそのまま係船され、翌1940年3月7日には商業航海を一度もしないままの客船クイーンエリザベスが90番埠頭北バースに到着しました。1940年3月21日、クイーンメリーは輸送船への改装のためシドニーへ向けて出航、ノルマンディーはそのまま残るものの、6月にはフランスがドイツに降伏したために敵性資産として接収されUSS lafayetteに改名、クイーンエリザベスは同じく11月13日シドニーへ向けて出航しました。戦況が進む中、ノルマンディーも兵員輸送船への改装が決定するものの、米国内のドックに空きがなく、そのまま88番埠頭で改装作業を行うこととなり、1942年2月に作業員の不注意から出火、消火のための注水により転覆擱座します。1939年8月28日の入港が最後の航海となりました。
クイーンメリーの船体の色はグレーですが、もし戦争によって生まれた光景でなければ胸躍る景色だったことでしょう。歴史の一コマです
・ 雑感
ノルマンディーが88番埠頭から離れるのは戦後のこと、上部構造を解体したうえでサルベージ作業で起こされタグボートに曳かれてハドソン川を下り、ニュージャージーで解体されました。さて、この写真、実は同じ構図のものがもう一枚見つかっています。背景の雲が無いものです。その事情は調べてもわかりませんでしたが、恐らくこの写真はプロパガンダ的な目的で使用された、あるいは使用される目的があったのではないかと思われます。何らかの意図で背景の雲が合成されたようですが、おそらくは戦意高揚というよりは、米国民に対して安心感を与えるような目的があったのではないでしょうか?機会を得れば、謎が解けることもあるかもしれません (T.O.)
【Maritime Gallery Ocean-Note】
● ジクレーアートプリント・客船 LL/Photo Ocean Liner INDEX
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納入事例
客船ポスター四方海話
船と港のエッセイ 1
船と港のエッセイ 2
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